三日月に地は朧なり蕎麦の花


テンプレート?

以前私は、芭蕉の「六月や峰に雲置く嵐山」の句のことを記事にした。
その記事で、この句は、「季節(季語)+天+地」というテンプレートに沿って作られたものではないかと書いたのだった。

この推測は、次の句にもあてはまるのではないだろうか。

三日月に地は朧なり蕎麦の花
松尾芭蕉

「三日月」→「季節(季語)」「天」
「地」→「地」
「蕎麦の花」→「地」

気になる「地」

この句が、上記テンプレートに沿った形になっているとすれば、「地」に「蕎麦の花」があるにもかかわらず、なぜ芭蕉は「地」という言葉を句のなかに配したのだろうか。

一面の蕎麦畑に広がる白い「蕎麦の花」が「地」としての彩りを放っているのに、敢えて「地」という言葉をつけ加えたのはどうしてなのだろう。
この句を読むときに、いつも私は、このことが気になっていた。

蛇足になるが、このテンプレート云々は、一般的な見解で無いことは言うまでもない。
これは、私個人の気まぐれな思いつきである。

芭蕉庵三日月日記

掲句は、元禄五年(1692年)八月の作。
芭蕉が編集した「芭蕉庵三日月日記」のなかに収められていた「三日月や地は朧なる蕎麦畑」を、後に改案したものである。

「三日月」とは、新月(朔)から数えて三日目の月のこと。
この句に登場する「三日月」は、陰暦八月三日の月。

三日月は、宵のうちに西の空に没してしまう。
日没の頃に姿を現し、その2時間後ぐらいに消えてしまうのが三日月。
淡い光を放ちつつ、短時間のうちに消えてしまう儚い存在である。

気になる「朧」

掲句を読む時、「地」とともに、もうひとつ気になる言葉がある。
それは、「朧(おぼろ)」。

秋なのに、どうして「朧」なのだろう。
「朧」は春の季語であり、春を代表するようなイメージを持っている言葉である。
「猫の恋やむとき閨の朧月」とか、「辛崎の松は花より朧にて」の句に見られるように、芭蕉は「朧」という言葉を「春の句」のなかに取り込んで「朧」な季節感を演出している。

朧月とは、ほのかに霞んで見える春の夜の月のこと。
空気中に水分が多い春に、月がぼんやりとして見えることから、その月を朧月と言うようになったとか。
「朧」とは、はっきり見えないとか、ぼんやりとかすんでいる様子を示す言葉である。

春の夜の月は「朧」だが、空気が乾燥している秋の月は、たとえ三日月でもはっきりとした輪郭で見えることが多い。
光が淡いとしても、夜空の片隅で冴え冴えと存在感を放っているのが陰暦八月三日の月である。

年ごとの名月の句

その八月三日の月が、やがて仲秋の名月になる。
十五夜の月、陰暦八月十五日の月である。
昔は、陰暦八月が一年中で最も空が澄み渡り、月が明るく美しく見えると言われていた。

芭蕉は、その年年、陰暦八月十五日の月の句を、深川芭蕉庵や旅の滞在地で詠んでいる。
「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」に掲載されている陰暦八月十五日の芭蕉の発句を年代順に並べたのが以下の箇条書きである。
  1. 貞享三年(1686年)八月十五日、江戸深川・第二次芭蕉庵 「名月や池をめぐりて夜もすがら」
  2. 貞享四年(1687年)八月十五日、鹿島紀行 「月はやし梢は雨を持ちながら」「寺に寝てまこと顔なる月見哉」
  3. 貞享五年(元禄元年 1688年)八月十五日、更科紀行 「俤や姨ひとり泣く月の友」
  4. 元禄二年(1689年)八月十五日、おくのほそ道 「名月や北国日和定めなき」
  5. 元禄三年(1690年)八月十五日、上方漂泊期・大津木曾塚(義仲寺)「月見する座に美しき顔もなし」
  6. 元禄四年(1691年)八月十五日、上方漂泊期・大津木曾塚(義仲寺、無名庵)「米くるる友を今宵の月の客」「三井寺の門敲かばや今日の月」
  7. 元禄五年(1692年)八月十五日、江戸深川・第三次芭蕉庵「名月や門に指し来る潮頭」
  8. 元禄六年(1693年)八月十五日、江戸深川・第三次芭蕉庵「夏かけて名月暑き涼み哉」
  9. 元禄七年(1694年 没年)八月十五日、伊賀上野「名月に麓の霧や田の曇り」「名月の花かと見えて綿畑」「今宵誰吉野の月も十六里」
このように、毎年の月見の句会や句作は、芭蕉にとって年中行事だったと思われる。
元禄五年の八月十五日、芭蕉は、貞享三年以来約五年ぶりで江戸深川から八月十五日の名月を眺めることになる。

句を読むヒントになった一文

それだけに、まだ三日月の頃から、名月に対する思いを燃やしていたと思われる。
「芭蕉庵三日月日記」のなかに収められた文章「芭蕉を移詞(うつすことば)」は名月に対する期待感で満ちている。

「菊は東籬に栄え、竹は北窓の君となる。」で始まる漢詩文調の「芭蕉を移詞」に次の一文を見つけた。
「地は富士に対して、柴門景を追ってななめなり。浙江の潮、三またの淀にたたへて、月を見る便りよろしければ、初月の夕べより雲をいとひ雨をくるしむ。」
この一文が、私が「三日月に地は朧なり蕎麦の花」の句を読む際のヒントになったのである。

「地」はロケーション

「地は富士に対して」という文の「地」とは、第三次芭蕉庵が富士山を望む位置に建っているという「立地」のことと思われる。
今風で言えば、ロケーション。

「月を見る便りよろしければ」とは、「浙江の潮、三またの淀にたたへて」いるので、それが月を見るのに良い具合になっているという意。
「便り」とは具合や加減のことなので、「地」には、月を見るには良い加減の立地であるというニュアンスが感じられる。

ならば、「三日月に地は朧なり」「地」もロケーションのことではあるまいか。
「地は朧なり」とは、そのロケーションが湿っぽくなって、朧に霞んでいて、名月鑑賞には危なっかしい状態になりつつあるということなのでは。

「朧」は天候に対する思い悩み

「地は朧なり」は、雨が降ったり雲が出たりするのではないかという、天候に対する心配を表しているように思える。

それは初月の夕べより雲をいとひ雨をくるしむ。」という一文からうかがい知ることができる。
初月の夕べより雲をいとひ雨をくるしむ。」とは、三日月の頃から月を隠す雲を嫌い、十五夜には雨になるのではないかと思い悩むことの意。

芭蕉は秋の長雨の到来を苦にしていたのかもしれない。

「蕎麦の花」に託した芭蕉の思い

それでは「蕎麦の花」とはなんだろう。
蕎麦の花は雨に弱いと言われている。
蕎麦の花が咲いているときに雨が多いと、受粉がうまくいかずに不作になるという。

蕎麦は、花が咲いてから12~13日で実が付き始める。
三日月も12~13日で満月になる。
芭蕉は、満月と蕎麦の生育を重ね合わせて見ていたのかもしれない。
十五夜近くに雨が続くと、五年ぶりの深川での月見が楽しめなくなる。

蕎麦は、実が付く過程で雨が続くと収穫が減る。
だから、散らずに咲いて、満月の頃までに実を結んでくれという芭蕉の願いが、下五の「蕎麦の花」に込められているのだろう。

天と地の対応

この句に、今一度気まぐれな思いつきを当てはめれば、以下の図式となる。

「三日月」→「季節(季語)/天」
「地」→「素敵な芭蕉庵のロケーション/地」
「朧」→「天候(天)」
「蕎麦の花」→「地」
天と地が対応している「芭蕉庵世界」が思い浮かぶ。
芭蕉庵とはそういう空間なのだろう。

まとめ

三日月に地は朧なり蕎麦の花

この句は、芭蕉の満月(天)に対する強い思いを、「蕎麦の花(地)」に託して詠んだのだと思う。

これは余談だが、芭蕉は満月を愛でながら美味しい新蕎麦を食べて、自身の心を満たそうとしたのかもしれない。
天の風流世界(月)と、地の庶民的娯楽(蕎麦)が対応する「芭蕉庵世界」なのだ。

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