2014/03/27

夏河を越すうれしさよ手に草履 蕪村

谷から山稜へ         

残雪の山をスキーで歩いて、尾根に辿り着いたときのうれしさは格別だ。
見晴らしのきいた尾根から眺める周辺の景色がすばらしい。

尾根で一息ついて、歩いて来た行程を振り返る。
これからの進路を望む。
そして何よりも、残雪期の尾根(山稜部)自体の、広くてゆるやかな起伏がうれしい。
青森市滝沢地区の折紙山周辺の尾根は、山稜部が広くて、ピーク同士の連なりが緩やかなものが多い。
もっとも、山稜部に至るまでは、谷から山頂への急な尾根筋を登らなければならない。

木々に囲まれた尾根の道

山頂に至る急峻な尾根筋も、山稜部のピークとピークをつなぐ緩やか尾根も、カラマツやブナやヒバの林になっている。
晴れた日は、林の木々が白い雪の上に、濃い影を落とす。
その白と黒との、モノトーンが心地よい。
幅のある道のようなところを、周囲の景色を楽しみながら、ゆっくりと目的の場所に向かう。
歩くことの楽しさが、徐々に湧き上がってきて、気分が爽快になる。

この道はいつか来た道

                 

「この道はいつか来た道」
北原白秋作「この道」の冒頭の詩が思い浮かぶ。
「この道」とはどこの道なのか、話題になったことがあったそうだ。
「あかしあの花」とか「しろい時計台」とかから、ほぼあそこではないかという候補地があるという。
でも人は、歩みを進めているときに、多くの「いつか来た道」を 感じているのではないだろうか。
実際に通った道でも、初めての道でも、道とはそういう感慨を感じさせる場所なのだ。

私の道

残雪の山歩きは、おおざっぱに言えば、道のないところを歩くことになる。
「道なき道」という言い方は、そういう状態を言い表しているのだろう。
と同時に、その登山者の道であることをも示している。
ここに一般的な道はないが、今歩いているそこがあなたの道なのだ、というふうに。
そう思うと、谷からの急峻な尾根筋を登り、山稜部を歩いている行程が、私特有の道であることに気がつく。

 尾根を歩いていて、初めての場所なのに、親しみや懐かしさや郷愁を感じるのはそういうことなのだ。
今歩いている場所が私の道であるから。

様々な私自身を見つける旅

そこには、人生の長い行程を歩いてきた様々な私がいる。
今の生活では、見えなくなった私がいる。
これからも歩いていくであろう様々な私がいる。
そんな気がする。

どんな場所を歩こうと、人は自分の道を歩いている。
だから、未知のその場所に、登山者は旅人のように、親しみや懐かしさや郷愁を感じるのだ。

越すうれしさ

夏河を越すうれしさよ手に草履 
与謝蕪村

この蕪村のうれしさは、私にもわかる。
涼しい夏河を越えるうれしさは、残雪の尾根を越えるうれしさに似ている。
河の向こうに何があるのか。
どんな風景との出会いがあるのか。

河の中を歩いているとだんだんとハイな気分になってくる。
そして、ハイになっている自分と出会う。
未知の場所に未知の自分がいるような感じ。
未知の自分に郷愁を覚え、懐かしさが湧いて出る。
それが、うれしい。

手に草履を持っているから、河の中で一息ついているのだ。
ちょうど尾根で一息ついている登山者のように。

晴れた日に、河の中で旅に浮かれている旅人。
そんな感じの句であると思う。

まねをして。
雪尾根を越すうれしさよ手にストックとシルバーコンパスとデジカメと



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