2015/06/12

芭蕉の鳥瞰図「うかれける人や初瀬の山桜」

長谷寺
初瀬山の長谷寺

芭蕉のこの句も、前記事の句同様「替え歌」的な遊び心で作られたものである。

材料となった短歌は、源俊頼(みなもとのとしより)の、「小倉百人一首」にも採用された歌。
「憂(う)かりける人を初瀬(はつせ)の山おろしよ激しかれとは祈らぬものを」源俊頼。
この歌をもじって、
うかれける人や初瀬(はつせ)の山桜
と、句にした。

しかし例によって、そういう「創作背景」は置いといて、この句独自のイメージを楽しんでみたい。
この句の成り立ちについては、専門の研究者の方々が、多くを語っていらっしゃる。

この句は、まだ宗房(むねふさ)と名乗っていた松尾芭蕉23歳頃の作。
句の前書きに「初瀬にて人々花を見けるに」とある。
初瀬とは、現在の奈良県桜井市初瀬(はせ)のこと。
「笈の小文」の旅のとき、吉野に向かう途上の初瀬で「春の夜や籠リ人(こもりど)ゆかし堂の隅」という句を詠んでいる。
この時は芭蕉44歳であったから、「うかれける人や・・・・・」より21年後のことになる。
「うかれける人や・・・・・」の句を詠んだときは、芭蕉は、まだ伊賀上野で暮らしていたと推測されている。
伊賀上野から青山まで出れば、初瀬へ通じる初瀬街道があった。

若かった日の芭蕉は、初瀬街道を通って吉野の花見に出かけたことだろう。
その芭蕉の姿を想像することは楽しい。

山桜

初瀬と言えば、初瀬山の中腹には長谷寺がある。
長谷寺は、牡丹や桜の名所。
古くから「花の御寺」として知られていた。

その長谷寺での花見の句なのだろう。
実際に花見をしながら作った句なのかどうか。
花見の思い出を基に、あるいは人の噂話を基にして作った句なのか。
私には想像するしかない。

芭蕉は天と地の対比を効果的に使って句を作っていることが度々ある。
そういうアイデアは、若い頃から持っていたのではあるまいか。
だが、「うかれける人や初瀬の山桜」には天を表わすものが配置されていない。
そうではあるが、どことなく「天」の気配が感じられてならない。

芭蕉は「うかれける人や初瀬の山桜」の句の視点をどこに置いているのだろう。
浮かれている花見客の人々と、初瀬山の山桜を同時に眺めることができる視点。

長谷寺の境内は、初瀬山の傾斜地に広がっている。
その桜の花に埋もれた長谷寺の全景や初瀬街道の桜並木を見下ろせる場所がある。

それは、初瀬山の斜面の一段高いところに建てられた本堂。
本堂に設けられた舞台は傾斜地に突き出していて、天に張り出すように建てられている。
現在の本堂は、江戸時代の慶安3年(1650年)に完成したものであるという。
1644年生まれの芭蕉は、このとき6歳か7歳だったのだろう。

おそらく芭蕉の視点はここにあったと思う。
「うかれける人や初瀬の山桜」は芭蕉が描いた鳥瞰図なのではあるまいか。
空から眺めた絵巻。

そう考えると、芭蕉の天と地の対比が、この句でも浮かび上がる。
地上で、山桜に浮かれている花見客と、それを見下ろしている芭蕉の視点。
その対比が、空間の広がりを感じさせているのではあるまいか。

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