2015/11/04

海辺にたたずむ芭蕉「海暮れて鴨の声ほのかに白し」

海暮れて鴨の声ほのかに白し
松尾芭蕉

「海辺に日暮して」と前書きがある。
芭蕉は、海辺に夕日が沈むのを眺めていたのだろう。
暮れて暗くなった海辺にたたずんでいたら、鴨の鳴き声が、うっすらと白く聞こえたというイメージ。

日が暮れても、残像のような鴨の姿がうっすらと白く見えた。
すると、その鳴き声までもが白く聞こえた。

YouTubeで鴨の鳴き声を聞くと、「ピュウルルピュウルル」と鳴くようである。
アヒルみたいに「ガーガー」とは鳴かない。
笛の音のような鳴き声。
それを夕暮に聞けば、哀愁を感じるような「しらべ」となるかもしれない。

「黄色い声をあげる」という言い方があるように、声にも色がついている。
日が暮れるということは、だんだんあたりの白さ(明るさ)が消えていくということ。
したがって鴨の声も、白く見える鴨の姿と一緒に、闇のなかへ溶け込んでしまいそうだという情景なのだろう。

前回の「明けぼのや白魚しろきこと一寸」とは対照的な句である。
「明けぼの」の白には死のイメージが感じられたが、日暮れの白には安堵のイメージが感じられる。
鴨が、夜の休息に就く前の白い「しらべ」を奏でているようである。
そこには「白魚しろきこと」のような死のイメージが感じられない。
命の営みとしての「鴨の声」なのだ。

暮れていく冬の海という遠景の手前で、あたたかい鴨の命の存在が感じられる。
広大な海と、ちいさな生命が、風景として溶け合いながら一日の終わりをむかえる。

死のイメージの句を作ったり、命の営みの句をつくったり。
「野ざらし紀行」の旅は、その名の通り、芭蕉が生死をかけた旅だったのだろう。

夕暮れには鴨とともに、芭蕉も休息につく。
今日も無事旅の道を歩くことが出来た。
ほのかに白い鴨の声は、芭蕉にとって安堵の「しらべ」だったのかもしれない。

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