岡本かの子の「家霊」を読んだ。 どじょう鍋。 岡本かの子の小説は初めて。 短篇小説「家霊」を読んで、その過剰とも思える「修辞」にまず驚いた。 例をあげると、以下のような文章である。 「いのち」という文字には何か不安に対する魅力や虚無から出立する冒険や、黎明(れいめい)に対しての執拗(しつよう)な追求性――こうい... 2024/10/29
ゲレンデハイキングして雲谷峠へ 本日の行程。 10時頃までに用事を片づけて、 毎度様の雲谷へ向かった 。 P-7に駐車して、11時からのんびりとハイキング開始。 今日は変則コースを楽しんだ。 ゲレンデが刈り払われてあったので、ワラビゲレンデを登って、オダマキペアリフトの終点へ。 刈り払われたゲレンデは、硬い切り... 2024/10/26
「別れの朝」の馴染めない慣用句「ちぎれるほど手を振る」 YouTube「別れの朝」より。 混んできたので、三連休は仕事になった。 仕事のBGMに、YouTubeの歌謡曲をよく聴く。 最近は、ペドロ&カプリシャスの代表曲である「別れの朝」がお気に入りだ。 若い頃に好んで耳にした歌は、聴いていると若返るようで、元気が出て作業もはか... 2024/10/14
月光の滝から東岳山頂と滝沢展望所(通称:青森のマチュピチュ)へ 本日の行程。 五十肩の回復期に入ってから、 二度雲谷峠で足慣らし をして、もうそろそろと思い、東岳の月光の滝コースを歩いてみた。 月光の滝コースは、去年の十月が初めて で、このときと同様に、今回も急登に揉まれた。 揉まれて、下山時に両膝の外側が痛んで苦労したが、その分鍛えられたの... 2024/10/07
内田百閒の「尽頭子(じんとうし)」を読んだ感想・「皿鉢小鉢てんりしんり」 「尽頭子」のページ。 小説の題名になっている「尽頭子(じんとうし)」とは何か? インターネットで検索して、色々調べたが解らない。 ただ「尽頭」については、ネットに記載があった。 明治・大正時代に「尽頭」という漢字表記があって、それを「はずれ」と読み、「尽頭」は空間的な「はずれ・端... 2024/09/30
傘を持って雨模様の雲谷峠を山散歩 今日の行程。 晴れなら滝沢の東岳へ行こうと思っていたが、午前中は雨降りだった。 お昼近くに小降りになったので 、先週に引き続き雲谷峠へ出かけた 。 クルマで30分と家から近いし、2時間もあれば山頂往復できるので、雲谷峠は時間に余裕のないときの山散歩にちょうどいい。 急登もあって、... 2024/09/21
川崎ゆきお氏亡くなる 川崎ゆきお作「猟奇王」より。 寂しい。 今月の2日に、川崎ゆきお氏が亡くなられていたとのこと。 私はかつて川崎ゆきお氏の漫画のファンだった。 若い頃「月刊漫画ガロ(青林堂)」を購読し、氏の哀愁と郷愁漂う変な漫画「猟奇王」を愛読していたのだ。 なによりも、猟奇王の住処となっている廃... 2024/09/20
雲谷峠で山歩きトレーニング 今日の行程。 ようやくリュックサックを背負えるぐらいまでに五十肩が回復したので、足慣らしに雲谷峠を歩いた。 山歩きは、 去年の12月に酸ヶ湯近辺をスキー散歩 して以来で、今年初めてである。 五十肩から解放された気分になれて、うれしい山散歩だった。 11時頃、標高237.5mの第7... 2024/09/14
内田百閒の短篇小説「柳藻」の私の読み方 水中のヤナギモ。 女の子 内田百閒の短篇小説「柳藻」の登場人物は、語り手の「私」と婆と「女の子」の三人である。 そのうち、婆の姿態の描写は比較的豊富だが、「女の子」を印象付けるような文章は、ほとんど見かけない。 「女の子」を形容する言葉は、冒頭部分の、彼女が登場するところの 「若... 2024/09/13
内田百閒の短篇小説「白子」について・夢幻と現実 短篇小説「白子」 「夢幻」小説 内田百閒の短篇小説には、描かれている光景や登場人物の行動が夢幻的であるものが少なくない。 その「夢幻」の中に現実が混在している。 または、現実の中に「夢幻」が混在している。 「夢幻」と現実の境界は曖昧である。 それが、内田百閒の「夢幻」小説を読み解... 2024/09/07
隣のヨシ原のヨシがブロック塀基礎の下から進入 ヨシのジャングル。 5~6年前から、隣の二百坪ほどの原っぱのヨシが、家の庭に忍び入っている。 地下茎が、ブロック塀の基礎の下を潜って、こちら側に勢力を広げている。 地下茎は、1メートルぐらいの深さまで延びるそうなので、浅い基礎なら容易に潜航できる。 それまでスギナとかヨモギが主だ... 2024/08/17