芭蕉の未来と過去「年の市線香買ひに出でばやな」
「年の市」とは
「年の市」は、「歳の市」とも書かれる。
「年の市」とは、正月を祝う品々の販売のために、年の暮れに開かれる「市」のこと。
地方によっては、毎月定期的に行われる「市」のうち、年末に行われるものが「年の市」と呼ばれていた。
江戸時代の「年の市」では、「注連縄(しめなわ)」など正月用の飾り物や雑貨などが売られていたという。
江戸では浅草観音、深川八幡、神田明神が、「年の市」が立つ場所として有名であったらしい。年の暮れのうちから「来る年」を祝う気運が高まっていたのは、昔も今も変わらない。
「年の市」とは、過ぎていく現在と、来るべき未来をつなぐ「市」であるのかもしれない。
句のイメージ
年の市線香買ひに出(い)でばやな
松尾芭蕉
貞享三年冬の、芭蕉四十三歳の発句。
掲句は榎本(宝井)其角編の「続虚栗(ぞくみなしぐり)」に収録されている。
原典は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」で閲覧できる。
巻末ページの前ページ最後に掲句が記載されてある。
「出でばやな」の「出で」は出かけるの意。
「ばや」は、自己の願望や意思を表す終助詞。
「・・・たいものだ」とか「・・・よう」という意味である。
「な」は詠嘆の終助詞で「・・・なあ」という意。
「年の市」の見物がてら、切らしている線香を買いに行きたいものだなあという芭蕉の様子が思い浮かぶ。
おそらく芭蕉庵の近くの、深川八幡へ出かけようとしていたのだろう。
正月飾りはまったく買う気が無いが、「年の市」の賑わいは見物してみたいという心境を句に詠んだものか。
はたして芭蕉は、新年のしめ飾りで戸口を飾らなかったのだろうか。
それはわからない。
しめ飾りを買うついでに、線香も買おうというイメージも思い浮かぶ。
貞享三年という年
掲句を作った貞享三年の春に、芭蕉は有名な句「古池や蛙飛び込む水の音」を作っている。「よく見れば薺花咲く垣根かな」もこの年の春の作。
この年の夏に、芭蕉は「芭蕉庵月見の会」を催した。
隅田川に船を浮かべて、参加メンバーが作句。
芭蕉は、「名月や池をめぐりてよもすがら」と吟じた。
秋には「ものひとつ瓢は軽き我が世かな」を詠む。
そして、その冬の寒夜に「瓶割るる夜の氷の寝覚め哉」を作句。
その後、「年の市線香買ひに出でばやな」と詠んだ。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」と旅立ちの句を詠んだ「野ざらし紀行」から江戸深川にもどったのが前年、貞享二年の春の終わり頃。
翌年の貞享四年には、「鹿島紀行」と「笈の小文」の旅に出ている。
貞享三年という年は、芭蕉にとって江戸深川の芭蕉庵にゆったりと落ち着いた年であったと思われる。
旅人であった芭蕉が、芭蕉庵に腰を落ち着けて数々の有名句を作った一年だったのだ。
以下は、「芭蕉年譜大成(今榮藏著)」からの引用。
人と会うのが面倒くさい「ものぐさの翁」が、月の美しい夜や、雪景色の美しい朝は、友が恋しくてどうしようもない。
雪景色をながめながら独りで酒を飲んだり。
物を書こうと、筆をとったりおいたり。
そんなことをしていると、人恋しさに物狂おしくなる私は「物狂ほしの翁」であるなあ。
というような文の意である。
芭蕉は厭世家ではない。
隠遁生活をしているわけでもない。
と、私は思っている。
俳諧師という生業上、人と会わなければならない。
人と会うのを嫌っていては、座の文芸である俳諧を生業にすることはできない。
旅に出れば、その土地々々の人々を頼らなくてはならない。
ときには営業接客も必要だったことだろう。
ときにはそんな人との交流が面倒くさくなる。
「ものぐさの翁」になるのだ。
だが、「ものぐさの翁」となっても、季節の美しい風景を目の当たりにすると人恋しくてたまらなくなる。
「物狂ほしの翁」になってしまう。
「ものぐさの翁」と「物狂ほしの翁」の間を行ったり来たり。
「年の市」の賑わいも気になる。
「年の市」という新しい年(未来)を祝う「市」へ芭蕉は「線香」を買いに行く。
「線香」は亡くなった人を偲ぶために供えるもの。
過去に思いを馳せるものである。
この未来(年の市)と過去(線香)の取合せが面白い。
「年の市」という民衆の活気で溢れている歳末の「市」へ、芭蕉は慰霊のための線香を買いに行く。
「年の市」と「線香」の取合せは、生と死の対比のようにも受け取れる。
年が明けてから新しい旅に出ようとしている芭蕉は、いかなる過去を偲ぼうとして「線香」を買い求めたのだろう。
それとも、「出でばやな」と願望を詠嘆しつつ芭蕉庵に閉じこもって、線香を買いに出ずに「ものぐさの翁」を決め込んだのだろうか。
「出でばやな」という微妙な表現には、「ものぐさの翁」が見え隠れする。
これは、芭蕉の反省か自嘲か決意か?
貞享三年の「古池や蛙飛び込む水の音」は蕉風開眼の句と言われている。
明けて貞享四年は新しい旅立ちの年。
「旅人と我が名呼ばれん初時雨」と出立の舞台で大見得を切った年である。
案外貞享三年が、芭蕉にとって俳諧の未来と過去の分かれ目だったのかもしれない。
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翌年の貞享四年には、「鹿島紀行」と「笈の小文」の旅に出ている。
貞享三年という年は、芭蕉にとって江戸深川の芭蕉庵にゆったりと落ち着いた年であったと思われる。
旅人であった芭蕉が、芭蕉庵に腰を落ち着けて数々の有名句を作った一年だったのだ。
「物ぐさの翁」と「物狂ほしの翁」
この年(貞享三年)の冬に書かれた芭蕉の面白い文章がある。以下は、「芭蕉年譜大成(今榮藏著)」からの引用。
引用文は「酒飲めばいとど寝られぬ夜の雪」という芭蕉の句の前文となっている。あら物ぐさの翁や。日頃は人の訪ひ来るもうるさく、人にも見(まみ)えじ、人をも招ねかじと、あまたたび心に誓ふなれど、月の夜、雪の朝(あした)のみ、友の慕はるるもわりなしや。物をも言はず、ひとり酒のみて、心に問ひ心に語る。庵の戸おしあけて、雪を眺め、又は盃をとりて、筆を染め、筆を捨つ。あら物狂ほしの翁や。
人と会うのが面倒くさい「ものぐさの翁」が、月の美しい夜や、雪景色の美しい朝は、友が恋しくてどうしようもない。
雪景色をながめながら独りで酒を飲んだり。
物を書こうと、筆をとったりおいたり。
そんなことをしていると、人恋しさに物狂おしくなる私は「物狂ほしの翁」であるなあ。
というような文の意である。
芭蕉は厭世家ではない。
隠遁生活をしているわけでもない。
と、私は思っている。
俳諧師という生業上、人と会わなければならない。
人と会うのを嫌っていては、座の文芸である俳諧を生業にすることはできない。
旅に出れば、その土地々々の人々を頼らなくてはならない。
ときには営業接客も必要だったことだろう。
ときにはそんな人との交流が面倒くさくなる。
「ものぐさの翁」になるのだ。
だが、「ものぐさの翁」となっても、季節の美しい風景を目の当たりにすると人恋しくてたまらなくなる。
「物狂ほしの翁」になってしまう。
「ものぐさの翁」と「物狂ほしの翁」の間を行ったり来たり。
未来と過去の取合せ
年末になると、浮世の慌ただしさをよそに「ものぐさの翁」に篭りがちだが、世間のことも気になる。「年の市」の賑わいも気になる。
「年の市」という新しい年(未来)を祝う「市」へ芭蕉は「線香」を買いに行く。
「線香」は亡くなった人を偲ぶために供えるもの。
過去に思いを馳せるものである。
この未来(年の市)と過去(線香)の取合せが面白い。
「年の市」という民衆の活気で溢れている歳末の「市」へ、芭蕉は慰霊のための線香を買いに行く。
「年の市」と「線香」の取合せは、生と死の対比のようにも受け取れる。
年が明けてから新しい旅に出ようとしている芭蕉は、いかなる過去を偲ぼうとして「線香」を買い求めたのだろう。
それとも、「出でばやな」と願望を詠嘆しつつ芭蕉庵に閉じこもって、線香を買いに出ずに「ものぐさの翁」を決め込んだのだろうか。
「出でばやな」という微妙な表現には、「ものぐさの翁」が見え隠れする。
俳諧の未来と過去の分かれ目
貞享三年の最後の発句は「月雪とのさばりけらし年の暮」だった。これは、芭蕉の反省か自嘲か決意か?
貞享三年の「古池や蛙飛び込む水の音」は蕉風開眼の句と言われている。
明けて貞享四年は新しい旅立ちの年。
「旅人と我が名呼ばれん初時雨」と出立の舞台で大見得を切った年である。
案外貞享三年が、芭蕉にとって俳諧の未来と過去の分かれ目だったのかもしれない。
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