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大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも

岩を砕く波
海水面は、風や月の引力の影響で波を作る。
風の強い日は、その波が沖合いから陸地めがけて押し寄せ、大きな音をたてて磯に衝突する。

岩にぶつかって割れる波。
大きな岩に砕かれる波。
岩の細い隙間に入り込んで裂ける波。
そして最後には、波の先端が飛沫となって空に散る。

海辺での波の変化を思い描いていると、あることに気づいた。
磯に押し寄せる波は、岩によって砕かれているように見える。
だが、割れたり砕けたり裂けたり散ったりしてできた波の破片は、すぐにまた一体化してもとの姿に戻っている。

破壊されているのは波ではなくて、磯にある岩の方なのだ。
波の浸食によって磯が、割れ、砕け、裂けて、その破片が海の底へ散っている。

心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮

「国定忠治・赤城山」での頑鉄の台詞 「ああ、雁が鳴いて 南の空へ飛んで往かあ!」
という赤城山での台詞を、私は国定忠治のものと長い間思っていた。
ところが、実際は忠治の子分の清水頑鉄の台詞だった。
「国定忠治・赤城山」のあらすじを何かの本で読んだときに、その勘違いに気付かされた。

頑鉄は、役人に包囲されているピンチな状況のなかで、南の空へ飛んでいく雁の姿に感動したのである。
自分も雁のように空へ飛び立って、このピンチを切り抜けたいと切望した。 そう願いつつ、月に照らされて夜空を飛んで行く雁の姿に感動したのだ。
私は、新古今和歌集に収録されている西行の次の歌に接するとき、この赤城山の場面を思い起こすことがある。

心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮
西行

頑鉄の感動 「西行の歌に、新国劇の任侠物芝居を持ち出すなんて!」
研究熱心な国文学ファンの方に叱られそうである。
トウシロのくせに、格調高い西行の歌を大衆演劇と一緒にするなんてケシカラン、と。

だが、忠治の子分の頑鉄は、鳴いて飛んでいく雁に、「あはれは知られけり」だったのだと私は思っている。
頑鉄は、自分の身の上を「心なき身」と感じていたのかもしれない。

沈みかけた名月に映ったのは、夜を通して飛ぶ渡りの雁の姿。
それを眺めて頑鉄は、「こんなヤクザな俺でも、自ずと感動できる心があったのだなぁ」と思い、しみじみと感じ入る。
もしかしたら自身の感動している姿に、自身が驚いているのかもしれない。

こういう劇のシーンを描いた作者は、人間の詠嘆を自然の情景で表現する「短歌的な抒情」という日本の伝統美を、踏まえていたに違いない。
観客は、日本人の感性に染み込んだ「短歌的な抒情」に喝采をおくる。
頑鉄の心情に一体感を覚えるのである。

「心なき」の意味 西行の歌にある「心なき」を岩波古語辞典で調べてみた。

こころなし(心無し)【形ク】
思いやりの心がない。無情である。思慮がない。不注意である。非常識だ。情趣を解さない。物心がつかない。無心である。 「心なき身にも」は「思いやりの心がない無情な私でも」という意味であると私は感じている。
西行のどのへんが、「心なき身」なのだろうか。
追いすがる妻子を縁側から蹴落として出家したという西行の伝説の虚実は私には不明だが、西行の心情の比喩としては合っているのではないだろうか。

西行の出…

青森市滝沢、折紙山方面574ピーク尾根へ

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今日はトレーニングがてら、「みちのく有料道路料金所下」と「滝沢574ピーク尾根」を往復のショートコース。

青森市滝沢にある山は、私好みのスキーツアーが楽しめるところ。
低山が連なった山地だが、奥が深く変化に富んでいて、スキーツアーの様々なコース取りが組めるお気に入りの場所である。

積雪期にこの山に通いだして、十五年ぐらいになる。
それでも、私なりに魅力的と思われる未踏の尾根は、まだたくさんある。

どちらかと言うと、スキーでの尾根歩きを主に楽しめる山だが、滑りを楽しめる斜面もないことはない。
八甲田山のような無立木の大斜面には巡り会えない。
でも、快適な林間中小斜面なら無数にある。

そんな斜面と尾根をコースに組み入れる。
今日のようなショートコースや、健脚者向きのロングコース。
この山でのコース取りは、体力しだいである。

津軽半島の積雪期の低山も魅力的ではあるが、冬場は自動車が林道に入れないので、アプローチが遠すぎる。
その点、滝沢は自動車道路(一般県道 天間舘馬屋尻線)が通っているので、駐車場所から尾根の取り付きまでが近い。

今のところ、道路の空きスペースに路上駐車という駐車スタイルであるが・・・
みちのく有料道路料金所の側に、乗用車10台分ぐらいの駐車場と公共トイレが完備されている。
しかしこれは、有料道路利用者のための駐車場なので、登山者は遠慮しなければならない。

バックカントリースキーヤーは広大な急斜面をガンガン滑るために山へ入る。
そういう方たちに滝沢の山は向かない。
気に入った尾根ルートを歩く楽しみと、到達点から戻るための滑り。

山行目的は、雪山散策である。
スキー滑降は副次的な楽しみとなる。

お天気に恵まれれば、気分の良い尾根歩きが楽しめる。
ヒバの森やブナの森。
そういう景観も、この山の楽しみのひとつである。

滝沢の山には、スキーよりもスノーシューに向いている山域も少なくない。
時間をかけてのんびり山歩きを楽しむには、スキーよりもスノーシューの方が適しているかもしれない。
ときにはスキーで、ときにはスノーシューで山を歩く。
これが、この山地の自然を深く体験する贅沢な方法である。

滝沢には折紙山という名前を知られた山があるので、折紙山を目指して残雪期に山に入る登山者が多いと聞く。
しかし、私は、山行中に登山者と遭遇したことはない。

折紙山が知られてい…

水深く利鎌ならす真菰刈

真菰(まこも)の思い出
子どもの頃、水田の用水路の泥底から生えた細長い草の茎を食べたことがあった。
歯で茎の皮をかじって剥いて、その白い芯を食べていた。
美味しいものではなかったが、不味くもなかった。

かすかに甘みが感じられるクセのない味。
新鮮なネマガリタケのタケノコは、皮を剥いて生でも食べられるが、昔食べたその草の芯も似たような味だったなと記憶している。
私が育った村(西津軽地方)では、その草のことを「ガジギ」と呼んでいた。
「ガジギ」の葉は剣状で、それで笹舟のような「葉舟」を作って遊んだこともあった。

「利根の川風『マコモ』に吹けば」
その「ガジギ」が、マコモ(真菰)という抽水植物の地方名だと知ったのは二十歳を過ぎてからだった。

そもそもマコモという植物の名は、ある歌謡曲で知ったのである。
その当時学生寮に入っていた私は、お決まりのメンバーでよく酒を飲んだ。
そして酔いが進むと、よく歌った。
その歌のひとつに、三橋美智也の「一本刀土俵入り」があった。

私は、いつも「利根の川風マコモに吹けば」と歌う。
この歌を、そう聞き覚えていたのだ。
そして、マコモはススキのような草だろうと、漠然と思っていた。

ところがある夜、メガネをかけた賢顔のひとりの寮生が、それは「利根の川風まともに吹けば」だろうと言った。

「へっ、まともだって、それはまともじゃないねえ。」と私。
「だって、正確な歌詞に従って歌えば『利根の川風まともに吹けば』だぜ。」と賢顔ハンサム。
「けっ、『まとも』じゃ詩情に欠けるじゃないか!『マコモ』のほうが断然イイ!」と阿呆面私。
「詩情に欠けるとか欠けないとか言ってるんじゃないよ、歌詞を正しく歌えば『まとも』だと言ってるんだよ。」と賢顔。
「へっ、てめえはまともなつもりかよ!」とメチャクチャ阿呆面。
「じゃキミは、マコモってどういう植物か知って言ってるのか。」
「けっ、なんかススキのアレだろ・・・」
「アレって、何だよ。」
「へっ、アレって、アレに決まってるだろ・・・」

ガジギ=マコモ
利根の川風に吹かれて似合うのは、ススキみたいなもの以外にはない。
私の頭のなかでは、そう決まっていた。

その後、学校の図書室でマコモ(真菰)の正体を知った。
野生植物図鑑に、イネ科の大形多年草で水辺や水中に群生するとあった。
新芽は食用になる。
東北地方では、カツミ、カッツギの呼…

青森市滝沢の神堤山へスキー散歩

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去年の秋に山麓周辺を散策した滝沢の神堤山。
この山を残雪期に登ってみようと地形図を見ながら思いをふくらませていたのだが、今日それが実現した。
地形図を見ながら思いをふくらませる時間は楽しい。
実際に登ってみると、なお楽しい。
「楽しい」×「楽しい」のスキー山行。

道路脇の駐車場所(スタート地点)の標高は、約95メートル。
神堤山は、標高465.6メートル。
今日は、標高差にして370メートルのスキー散歩を楽しんだ。

滝沢の名有山(なありやま)シリーズ 今シーズン初回の山スキーなので、神堤山は足慣らしにちょうど良い。
この山は、滝沢の山の中では名前がついている数少ないピーク。
去年の春の高地場山に続いて、滝沢の名有山(なありやま)シリーズ4回目となった。
振り返って見れば、初回は折紙山(標高920.7メートル)2回目が葉抜橋山(標高615.2メートル)3回目が去年の高地場山(標高459メートル)

神堤山の山裾の林道は、無雪期に何度か散策したことはあるが、無雪期有雪期を通して登頂は今回が初めて。
未知のルートを歩く楽しさは、好天のおかげもあって最高だった。

変化に富んだ行程 下折紙沢の渓谷有り、青森県に特有なヒバ林有り。
尾根の形状も、細い尾根や広い尾根、緩い尾根や急傾斜の尾根といろいろあって、変化に富んだ雪山山行が楽しめた。
ま、山はどこでも変化に富んでいるのだがね。

青森市街を背にして、みちのく有料道路の「新折紙橋」を越えた付近に、左側へ抜ける林道がある。
林道は、積雪のため自動車は通れない。
なので、林道入口の広くなっているところにクルマを路駐した。

しばらくは林道歩き 上の地形図にあるように、駐車地点から林道をしばらく歩く。
下折紙沢を渡るまでは、下折紙沢の渓谷沿いに林道が続いている。
ときどき急峻な渓谷を覗き込みながら歩いていると、林道は二手に分かれる。
右手に進み、下折紙沢に架かったコンクリート製の橋を渡る。

橋を渡ってから林道は、やや傾斜を増して、神堤山の山裾を巻くように上に伸びている。
橋付近の河原には、太いヒバの木の林がある。

山腹を巻く林道に、雪崩の起こりそうな箇所は見あたらない。
ただ、落石が転がっているところが数箇所あったので注意が必要だ。

林道から尾根へ 傾斜の緩い尾根への取り付き地点は、そのそばを高圧線が走っているので、それが目印になる。
緩…

今シーズンの初滑りは八甲田ロープウェイコース

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今日がスキー初め。 いろいろあって、今シーズンは遅い初滑りとなった。
山で滑る前に、今年の滑りをスキー場で点検しなければならない。 高齢者のバックカントリースキーは、入念なチェックが必要だ。 去年と同等の滑りができるのかどうか。 チェックポイントは、腰とか膝とか関節系。 これらの調子が悪いと雪山で動けなくなる。
スキー場で滑りながら、腰や膝のご機嫌をうかがう。
『今年も雪山へ行っても良いですか?』 自身の身体と対話できるようになったのも山歩きのおかげか。
筋力チェックも大事。 ちょっと滑って大腿部の筋肉がパンパンに突っ張るようではトレーニングが必要。 去年の状態が維持されているのか、衰えているのか。 まあ、衰えていると自覚したほうが無難でしょう。
身体と同時に、用具の点検も。 スキー板の劣化状態、まだ山での使用に耐えそうかどうか。ビンディングのネジが緩んでいないか。スキー靴にヒビ割れがないか。などなど。 これらは、毎回チェックすることでもある。
スキー初日は、チェック項目を再確認するようなものですね。
さて、八甲田国際スキー場へ着いたらリフトは故障のため動いていない。 レストハウスも臨時休業。 ガランとした無人のゲレンデが目の前に広がっているだけ。 リフトの休業を知って、そのままモヤヒルズへUターンするスキーヤーもいたが、私はロープウェイを使うことにした。
八甲田ロープウェイの片道券が1,180円。 2本滑って2,360円。 あんまり使うことのないロープウェイだが、今日はお天気が良いので楽しむことにしたのだ。
一本目はダイレクトコース、二本目はフォーレストコースを滑った。 どちらも雪がガリガリに凍ったコンデション。 横滑りやらボーゲンやらでやっと降りてきた有様。 でもまあ、それなりに滑れたし、それなりに楽しめた。 66歳にしては体力がある方じゃないかねえ。 のんびりペースでやれば今年も大丈夫そうである。 無理をせず、安全第一を心がければ、まだまだ雪山を楽しめそうである。








初時雨猿も小蓑を欲しげなり

時雨
松尾芭蕉の忌日の呼称は、「芭蕉忌」の他に「時雨忌」というのもある。
亡くなった頃が「時雨(しぐれ)」の多い時期であることと、芭蕉が「時雨」をよく句作に用いていたことによるという。
そういえば、「旅人と我が名呼ばれん初時雨」という貞享四年の「笈の小文」旅立ちの句にも「時雨」は使われている。
芭蕉にとって「時雨」は、旅のシーンを演出するキーワードのひとつであったのかもしれない。

「時雨」とは晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする冷たい雨のこと。 寒冷前線がもたらす雨(驟雨)であるから気温は低めである。

帰省途上の山の中で作った発句
初時雨猿も小蓑を欲しげなり 松尾芭蕉

元禄二年の初冬(九月末頃)、芭蕉四十六歳のときの作である。
奥州・北陸の旅(おくのほそ道)を岐阜大垣で終えた芭蕉は、元禄二年九月から元禄四年十月二十九日まで、二十五ヶ月間の長期に渡って上方(関西地方)にとどまっている。
芭蕉年譜大成(著:今榮藏)に「上方漂泊期」と記されている期間である。

掲句は、その「上方漂泊期」の初期に作られたもの。
伊勢神宮式年遷宮奉拝の後、伊賀上野への帰省途中での発句とされている。
また掲句は、蕉門の撰集「猿蓑」の冒頭句に掲げられていて、撰集名「猿蓑」の元となっている句でもある。

句の前書きに、以下の詞がある。
五百里の旅路を経て、暑かりし夏も過ぎ、悲しかりし秋も暮れて、古里に冬を迎へ、山家の時雨に逢へば この前書きにある「悲しかりし秋も暮れて」とは、北陸の旅の途上、金沢で門人小杉一笑の死を知らされたことと思われる。
この年の七月十五日に金沢入りした芭蕉は、会うのを楽しみにしていた一笑が、去年の冬にすでに亡くなっていたことを初めて知らされ、深い悲しみにとらわれる。
その追善句会で「塚も動け我泣声は秋の風」という句を詠んだ。
また、前書きの「山家」とは、山村とか山里とかのことであろう。

初時雨と山の猿
芭蕉は、帰省する途中の山村で「初時雨」にうたれた。
蓑で身をつつみながら、こんなに冷たい雨なら山の猿も小さな蓑を欲しかろうにと思ったことだろう。

山のなかで、冷たい「時雨」にうたれて寒そうにしている猿を、芭蕉は実際に見たのかもしれない。
当時は、現代のように優れた防寒着などない時代である。
冬の寒さに対する恐れは、現代人には推し量れないほどのものであったに違いない。

冬の雨の日は、雪の…

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