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2011/08/22

物忘れを防ぐ方法

物忘れについて、私がよく耳にすることを書きます。
これは俗説と言われている意見かもしれません。
「医学」上の知識に基づいての話ではありませんので、ご留意下さい。
年齢が進んでの物忘れには、病的な物忘れと老化による「自然」な物忘れがあるそうです。

2011/08/21

物忘れからくる生活の停滞

年齢が嵩むと、脳が老化するのか物忘れが頻繁に起こるようになってきた。
 年をとったせいだとは思いたくもないのだが、そう思わざるを得ないようなところもあります。
 でも、整理して考えると次の2点だけのような気がします。
 思い出せない事の「2大ポイント」のようなものでしょうか。

 (1)人の名前が思い出せない。
 (2)置き場所・しまい場所を思い出せない。

 (1)はあまり会っていない知人や仕事先の人の名前、役者や歌手の名前、歴史上の人物や作家の名前です。
 また地名や商品名、小説や映画のタイトル、化学物質の名称、科学現象の呼び名、動物や植物の名前等も含まれます。
 総じて言えば「言葉」の忘失とでも言うのか。
 (2)は部屋の中や仕事場といった空間的な事柄です。
 どこに何を置いたのか、どこに何があるのかが思い出せない。

 物忘れと言っても、この2項目です。
 これに対しては、メモで対処できます。
 でも、そこが問題です。
 若い頃から、記帳や整理整頓の習慣がある人は、年老いてもメモをとることが容易です。
 そういう習慣の無い人や整理整頓が出来ない人は大変です。
 物忘れと混乱の渦に飲み込まれそうになります。

 そうならないうちに、その人なりの生活の方法を探さなくてはいけません。
 そうでないと若い頃の勢いを維持できないでしょう。
 生活の停滞は老いからくるのではなくて、「生活の方法」の忘失からくるのかも知れません。

 私自身は、こうしてブログを書きながら「生活の方法」を模索しています。
 ですから、型にはまった見栄えの良い完全な記事を書く事よりも、模索の過程が見える記事の方が重要だと思っています。
 そのために、お読みになる方には苦痛なことでしょうが、まとまりよりも拡散的な記事になってしまいがちです。
 「整理整頓」もひとつの方法なら、「拡散」も方法になり得るかも知れません。

2011/08/16

卒業アルバムで同期会のための予習

4月14日(日曜日)に中学校の同期会に参加しました。
 卒業年度が同じ人達、つまり中学校時代同学年だった人達の再会パーテーです。
 実に45年ぶりの再開でした。

 感想は、「懐かしくて やがて寂しい 同期会」でした。

 少年少女だったその当時のように、姓(名字)では無く名前で呼ばれる懐かしさには癒されました。
 ああ私にはこんなにも親しみを持って語り合う人達がいたのだ、という安堵感がありました。
 それは、クラス会・同級会といった会合につきもののカタルシスと言ってもいいでしょう。
 日常からはちょっと離れた心地良い時間のなかに心を置いているという感傷がひろがりました。

 寂しさというのは、人を思い出せない悲しさのことです。
 お互いに思い出せないのはいいとして、相手の方が私を覚えてくれていたのに、私が相手の方をまったく思い出せないという悲しさです。

 相手に寂しい思いをさせてしまった自分が、寂しいのです。
 その寂しさは、当時の村里の寂しい風景、寂しい思い出と重なります。
 寂しさが寂しさを呼んで、楽しい気分が薄れていくのが実感できました。

 少年時代の思い出は、私と言う人間の原点かも知れません。
 それは他の人達もそうであると思います。
 同期会と言うパーテーのなかで自身の少年時代を振り返ると、今の私自身の在り方が解るような気がします。
 こうならざるを得なかった由縁です。
 ここに至った由縁が少年時代にあったのだという感慨と後戻り出来ないのだという悔しさ。
 今になって思えば、修正すべき交友関係がたくさんあったという後悔。
 ですから、同期会やクラス会に参加するには気楽にはできません。
 自身の今の在り方に対する正確な認識と、それを目の当たりに突きつけられることに対する覚悟が必要です。

 あと、卒業記念アルバムがあれば、かつての友人達に失礼の無いよう、面影と姓名を記憶に刻んでおくべきでしょう。
 これは重要なことです。
 アルバムの中の古い友人達を理解できなければ、今現在の彼ら彼女らと交友できないのです。
 同期会は、参加者自身の寂しさを噛み締める場であると同時に、今現在の生の彼ら彼女らと交友する場でもあるのです。
  
 長い時間の経過とともに、人生の知恵が充分身に備わってあるはずの年齢ですから、内面の寂しさは心の奥底にとどめて久しぶりの再開を喜ぶべきなのでしょう。
 
 復習(予習?)が同期会に参加するために大事な方法です。
 それがあれば、少しは寂しさが薄れるかもしれません。
 この単純で具体的な方法によって救われるかも知れません。
 
 観念の広がりは勢いがつくと押しとどめようがありません。
 観念の海に溺れるよりは、具体的な方法で現実を解明するべきです。
 
 残念ながら、私は卒業アルバムを消失していました。
 そして、卒業アルバムがこんなに尊いものだと言う事にはじめて気づきました。
 卒業アルバムは先人達の知恵の結晶なのですね。

2011/08/10

ブログの記事とパンダアップデートについて

たどたどしい更新ですが、このブログをなんとか書き続けていて、この頃考えることがあります。
それは、ブログの記事は「発見」でなくてはいけないんじゃないかということ。
ブログには、日々の「発見」の記事を書くべきなんじゃないかな。
あ、このことも、この頃のちょっとした「発見」ですね。

2011/08/07

ミズ採り

今日の日曜日は仕事だったが、午前中ミズ(ウワバミソウ)を採りに行った。

このあいだ家の者が採ってきたミズは、もう食べてしまったので、なんだか口寂しくなったのだ。
 
こういう風に、仕事の時間をある程度自由に調節できるところが自営業の良い所。

家からクルマで30分ほど走ったところが、ミズの「山」。
 
小さな杉山の麓は、天然のミズの畑のようである。

7月の半ばを過ぎると、この地方のミズは筋っぽく(ちょっと筋硬く)なってくる。

少しでも柔らかいミズを食べたいので、沢筋に自生しているものを採取。

水のあるところのミズの方が柔らかくて粘りが強くて美味しい。

一時間ほど、家の者と沢筋をうろつき回って、リュック一杯の収穫。

朝早くに人が入ったらしく、採られた跡が方々にあったが、それでも沢山の収穫といえる。

ただ、この時期の沢筋は虻が寄ってきて大変。
 
虫除けスプレーで武装してきたにも関わらず、彼らは容赦なく攻め込んでくる。
 
虻を払い払いのミズ採りとなった。

ちょうどお昼に家に到着。

私はシャワーを浴びて、仕事へ。

家の者がこれからミズの皮を剥くんだろうと思っていたら、彼女もどこかへ出かける様子。
 
日陰の、水をはったバケツに差し込まれたミズの束は、まるでずっとここに生えていたように、ワサワサ風に揺れていた。

もうすぐお盆。

夏は、まだまだ暑い。

栄養価の高いミズを食べて夏バテ対策だ。

山菜の「ミズ(ウワバミソウ)」についての記事のまとめ - 生活の方法山菜の「ミズ(ウワバミソウ)」についての記事のまとめ - 生活の方法

2011/08/03

大腸ポリープ検査後の便秘が改善

ガンの予防に効果があると言われている、ミズ(ウワバミソウ)の群落。
7月20日の大腸内視鏡再検査の後、ずっと続いていた便秘傾向がようやく改善しました。
この頃は、通常の便通です。

時間の経過によるものなのか、意識的に腹部周辺の筋肉のストレッチを心がけたせいか、あるいは大腸内視鏡検査とは因果関係がなかったのか。

2011/08/02

山菜 ミズ(ウワバミソウ)

ミズ(ウワバミソウ)
ミズ(ウワバミソウ)の群落。
この頃、山菜のミズを食べる事が多い。
というのも、家の者が親戚の人に誘われて山菜採りに出かけることが多くなったからだ。
 
ミズは癖の無い山菜で、ミズを油揚と一緒に炒めた料理は私の好物。
でも、あんまり大量に採ってくるものだから、ミズの皮むきを手伝わされて、ちょっと大変な思いをしている。

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