2015/10/24

芭蕉のミニマムライフ宣言「ものひとつ我が世は軽き瓢哉」

上五が数え歌の出だしのようで調子が良い。
勢いが感じられる。
芭蕉が発する宣言のようなものか?

ものひとつ我が世は軽(かろ)き瓢(ひさご)
松尾芭蕉

「ものひとつ」は持ち物は一つというイメージ。
「我が世」とは、芭蕉自身の人生(旅)のことと思われる。
「瓢」とは、容器としての瓢箪。

自分の人生の持ち物は、旅に携帯する瓢箪ひとつであるなぁというのが、この句から感じとれるネガティブな印象である。
あるいは、自分の人生は、ものひとつない家の中に転がっている軽い瓢箪のようなものという感慨か。
これもネガティブ。

だが、「ものひとつ」を先頭に配置したことで、「ものひとつ」が芭蕉のポジティブな意志として感じられる。
次に「我が世は」と続けて大見得を切る。
劇である。

「ものひとつ我が世は」とくれば、それは「わしの人生は、ものひとつでいいんだよ。」という態度を表している。
「ものひとつでいいんだよ。」とは「あまりものを持たずに、シンプルでいいんだよ。」という風に感じとれる。

現代の「ミニマムライフ」に通じるような暮らしぶり。
衣服や食器、電化製品なども、なるべく持たずに身軽になり、もっと自由な発想で暮らそうぜというのが「ミニマムライフ」の基本姿勢。
その「ミニマムライフ」が、芭蕉にとっては「ものひとつ」ということなのだ。

「軽き瓢哉」は、「わしの人生は、目のまえに転がっている軽くて丈夫で便利な瓢箪みたいなものさ。」という感じ。

「シンプルでいいんだよ」、「瓢箪でいいんだよ」というのがこの句のポジティブなイメージである。

そして、芭蕉の「ミニマムライフ宣言」はかなり劇的である。
  1. 「我が世は」は「旅人と我が名呼ばれん初時雨」の「我が名」に通じる劇的さ。
  2. 「軽き瓢哉」は、「野ざらしを心に風のしむ身哉」の「風のしむ身哉」に通じる劇的さ。
ともに旅立ちの宣言的な句である。
「ものひとつ我が世は軽き瓢哉」とは芭蕉43歳の頃の作だとされている。
43歳は、「野ざらし紀行」の旅から帰って2年目、「笈の小文」の旅の1年前の年である。

芭蕉は、次の旅の準備として、暮らしぶりを「ものひとつ」にしようと、自分自身と周囲に宣言したのだろう。

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