2015/11/13

あらたふと青葉若葉の日の光

「あら」は、現代語では「ああ」で、驚いたり感動したりしたときに、思わず発する言葉。
「たふと」は、形容詞「たふとし(尊し)」の語幹用法。
「あらたふと」は、「ああ尊いことだ」という意
この句をストレートに読むと、芭蕉の自然賛歌が輝いているようにみえる。

あらたふと青葉若葉の日の光
松尾芭蕉

降っていた雨が止んで、陽がさしこむ。
陽の光が、新緑の葉を透かして、地面に濃淡様々な影をつくる。
光が地面に届くことが尊いのだ、と芭蕉は思ったのかもしれない。

「おくのほそ道」で日光での作とされている句。
しかし、初案は「室の八島」という「歌枕」で、日光での作ではないという説もあるらしい。
初案の句は「あらたふと木の下闇も日の光」。
闇に光が届くほど尊く、霊験あらたかというイメージ。

それを改めたのが掲句「あらたふと青葉若葉の日の光」。
その「日の光」と地名の日光を掛けて、「おくのほそ道」では日光での作としているらしい。

それまで降っていた雨が止んで、雲が去って青空がひろがり、陽光がかがやく、というのは私の空想。
この句を読むと、そんなシーンが思い浮かぶ。
若葉を通して降りそそぐ日の光が神々しく感じられる。
豊かな森と輝く光のシンフォニー。

「日の光」=日光=東照宮=徳川家康=徳川幕府という図式で、この句は時の権力に対する芭蕉のヨイショだという説もあるらしい。

だが、名所としての日光は、東照宮だけでもっているわけではない。
中禅寺湖があり、華厳の滝があり、男体山があり、戦場ヶ原もある。
その自然景観が尊いのだ。
神々が宿っている自然が豊かである故に、この国は「四民安堵(しみんあんど)の栖穏(すみかおだやか)なり」と芭蕉は、句の前文で言っているのではないだろうか。
徳川幕府の治世のおかげばかりでは無いとは、芭蕉はあえて言わない。
「憚多くて筆をさし置ぬ」と述べるのみであった。

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