2016/12/31

禅寺の松の落葉や神無月

宝井其角(たからいきかく)が序文を担当した蕉門の俳諧選集「猿蓑(さるみの)」。
その「巻之一 冬」は、松尾芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」で始まる。
「猿蓑」の書名は、芭蕉のこの句に由来している。

「巻之一 冬」は、芭蕉の冒頭の句から、向井去来(むかいきょらい)の「いそがしや沖の時雨の眞帆片帆」という十三句目まで「しぐれ」を題材としたもので占められている。
以前「カッコいい句である」と私が感じて記事にした「時雨るゝや黒木つむ屋の窓あかり」という凡兆の句は九句目に並んでいる。

2016/12/27

鶏の声もきこゆる山さくら

現代ではオオヤマザクラ(大山桜)という山桜の品種を、街でもよく見かける。
「山さくら」と言えば、江戸時代の頃は、山にある自然の桜の木のことを指していたらしい。
であるから、「山さくら」は山間部でなければ見ることができない桜であったようだ。

(にわとり)の声もきこゆる山さくら
野沢凡兆

2016/12/23

凡兆の計略?「秋風の仕入れたを見よ枯れ尾花」

「秋風」は秋の季語だが、「枯れ尾花」は冬の季語となっている。
季節の違うふたつの季語がひとつの句のなかに入っている。
これを「季違い」と称して、句をつくる上では避けるべきことであるとされている。
などという約束事やら技術めいたことやらは、俳句の実作者ではない私には、よくわからない。
観賞者である私は、句の言葉にあるイメージを感じ取るのみ。

2016/12/18

凡兆のナメクジの句(2)「あばらやの戸のかすがいよなめくじり」

あのナメクジ君が帰ってきた。
放浪の旅に疲れて帰郷し、今は、捨てた家に閉じこもって、戸の「かすがい」になっている。
かつての冒険少年が、夢破れて、引きこもりのニートになってしまったのか。
しかも、捨てた家は、ボロボロのあばら家と化した。

あばらやの戸のかすがいよなめくじり
野沢凡兆

凡兆のナメクジの句(1)「五月雨に家ふり捨ててなめくじり」

奇妙な動物だが、古くから人の日常生活圏に生息してきた生き物。
ちょっと前までナメクジは、地方では日常生活の周辺でごく普通に見られる生き物だった。
私が子どもだった頃の旧稲垣村(現つがる市)では、梅雨時に家の周辺でよく見かけた。

江戸時代には、ナメクジはヘビやカエルとともに、「三すくみ」のメンバーになっている。
三メンバーとも、ちょっとキモい存在のものばかり。
嫌われ者ではあったが、いろいろと話題に上がった「軟体動物」であったらしい。

2016/12/17

○○○サービス㈱を名乗る者からの架空請求詐欺のショートメール

怪しいショートメールが届く

今日、怪しいSMS(Cメール)が私の携帯電話に届いた。
私がショートメールを受け取ることは滅多にない。
ほんのたまに、仕事の連絡事項が届くぐらいである。
ショートメールの受信音が鳴ったとき、得意先の営業マンの顔が頭に浮かんだが、メールの内容は仕事とは別のものだった。

2016/12/14

朝露や鬱金畠の秋の風

朝露は消えやすいので、和歌の世界では儚いものの例えに使われてきた。
現代でも、「露と消える」という言い方をする。
夢が破れるとか、志なかばで倒れるとか、計画がとん挫するというような意味で使われている。

朝露や鬱金畠(うこんばたけ)の秋の風
野沢凡兆

2016/12/12

凡兆のけんか腰?「吹風の相手や空に月ひとつ」

夜の空にも、いろいろある。
満天の星空とか、雲ひとつない夜空とか。
満天の星空は、月の光が弱い新月の頃に現れる。
月の光が強い満月の頃は、星の姿が見えなくなる。
月が明るいと星の幽かな光は、月の光にかき消されてしまうのだ。
満月の夜は、金星などの強い光を放つ星しか見えない。

雲ひとつない夜空に満月と星が少々。
上空にも風があるものの、その風によって吹き飛ばされる雲は見当たらない。

2016/12/11

凡兆の技?「まねきまねきあふごの先の薄かな」

凡兆の句は、どうしてこんなにかっこいいのだろう。
私は、凡兆の句のかっこよさに魅かれて、凡兆の俳諧を読んでいる。
だが、そのかっこよさの理由を解明するだけの能力は、私には無い。
ただかっこいいと感じながら、句を読み進めているのだ。

まねきまねきあふごの先の薄(すすき)かな
野沢凡兆

2016/12/10

青森市内にあるラーメン店「まるかいらーめん」のオープンフェアの長い行列

謎の行列。
愛犬の散歩で、アスパムへ行ったら、向かい側の歩道に長い行列ができていた。
いったい何の行列?
有名人の青空サイン会?

砂よけや蜑のかたへの冬木立

蜑(あま)とは、海で魚や貝を採ったり、塩を作ることを仕事とする人のこと。
漁師とか漁夫の意。
テレビや映画の時代劇で、江戸時代の商人や大工や農夫の姿は多く見かけるが、漁師はあまり見ることがない。
江戸時代の漁師の暮らしについて無知であることは、漁師の周辺を題材とした俳諧を読む上で妨げになるであろうか。

2016/12/08

鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ

句の前書きに、「「越(こし)より飛騨へ行くとて籠(かご)の渡りのあやふきところところ道もなき山路にさまよひて」とある。
「籠の渡り」とは籠渡しのこと。
籠渡しとは、橋を架けることができないほどの険しい谷の両岸の間に綱を渡し、その綱に籠を吊り下げたもの。
当時は、籠に人を乗せたり荷物を入れたりして対岸まで渡していたという。
江戸時代末頃の浮世絵師である歌川広重の「飛騨籠渡図」が、籠渡しの絵(版画)として有名である。
絵を見ると、急流の上にそびえる両岸は、目もくらむばかりの絶壁となっている。

2016/12/04

骨柴のかられながらも木の芽かな

「骨柴(ほねしば)」とは、枝や葉を取り去った柴のことと、ネットのWeblio辞書に書いてある。
凡兆の句を読むまでは、まったく知らない言葉だった。

骨柴のかられながらも木の芽かな
野沢凡兆

この句を読んだとき、私は冬枯れの裸木の細い枝のことが頭に浮かんだ。
「骨柴」とは、そういうものではあるまいかと思ったのだ。

2016/12/02

かさなるや雪のある山只の山

八甲田山の各峰の山頂に、白く雪が積もり始める頃は、山麓の雲谷周辺の山には、まだ雪が無い。
秋の中頃から終わり頃にかけて、青森市街地から北八甲田連峰の方を眺めると、ちょうど凡兆の句のような感じに見える。

かさなるや雪のある山只の山
野沢凡兆

2016/12/01

ドリルでの垂直穴あけに優れた工具、ドリルガイド

箱から取り出して組み立てる。組み立て簡単。

ドリルガイド13F

ネット通販で、優れものの工具「ドリル穴あけ補助ツール」を買った。
「ドリルガイド13F」という名の工具である。
製造元は、兵庫県の神沢鉄工株式会社。

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