2016/12/31

禅寺の松の落葉や神無月

宝井其角(たからいきかく)が序文を担当した蕉門の俳諧選集「猿蓑(さるみの)」。
その「巻之一 冬」は、松尾芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」で始まる。
「猿蓑」の書名は、芭蕉のこの句に由来している。

「巻之一 冬」は、芭蕉の冒頭の句から、向井去来(むかいきょらい)の「いそがしや沖の時雨の眞帆片帆」という十三句目まで「しぐれ」を題材としたもので占められている。
以前「カッコいい句である」と私が感じて記事にした「時雨るゝや黒木つむ屋の窓あかり」という凡兆の句は九句目に並んでいる。

禅寺の松の落葉や神無月
野沢凡兆

前述した「巻之一 冬」の、十八番目にある凡兆の句。
この句の毅然とした様子も、なかなかカッコいいと私は感じている。

凡兆が暮らした京都に「禅寺」は多い。
金閣寺や銀閣寺、高台寺。
「石庭(方丈庭園)」で有名な龍安寺。
紅葉の名所となっている東福寺。
松並木の美しい大徳寺。
全て「禅寺」である。

「禅寺」には清浄なイメージがある。
常緑樹である「松」は、冬でも青々とした葉をつける。
その姿が不老長寿の象徴となり、昔から魔除けや神様を迎える樹として大切にされてきた。
「神無月」は初冬の季語。
「神無月」とは陰暦の10月のこと。
「神無月」には日本中の神様が出雲の国に集まるという。
そこで、出雲以外は神不在の月であるから「神無月」と名付けられたという「説」は有名である。

初冬の「禅寺」の境内の、凛とした清々しい空気が伝わってくるような句である。
境内に、まだ青々とした松葉が落ちていた。
まるで、不浄なものが足を踏み入れるのを拒むように。
凡兆が足元を見つめ、それから上を見上げると、澄んだ青空を背景に、太い松の枝が天に向かって伸びている。
凡兆は、「禅寺」のこの光景に神々しいものを感じたのではなかろうか。

掲句は、真っ直ぐなイメージで貫かれている。
「禅寺」には、背筋をピンと伸ばした真っ直ぐなイメージ。
「松」の葉の真っ直ぐなイメージ。
「神無月」の、初冬の寒気が張り詰めたような真っ直ぐなイメージ。

訪れた「禅寺」の境内の空間で、凡兆は、静寂で真っ直ぐなイメージに心打たれる。
無音の世界。
凡兆は、聖域を強く感じたのかもしれない。
そして、この清々しい叙景句が、思い浮かぶ。
「禅寺」と「松の落葉」の取り合わせが、清浄で静まりかえった空間に句の読者を誘う。
禅宗は江戸時代に武士や町衆の間に広まったと言われている。
これは私の想像だが、京都の町衆はその時々、清浄なものに触れようと「禅寺」の境内を訪れていたのかもしれない。

「禅寺の松の落葉や神無月」


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2016/12/27

鶏の声もきこゆる山さくら

現代ではオオヤマザクラ(大山桜)という山桜の品種を、街でもよく見かける。
「山さくら」と言えば、江戸時代の頃は、山にある自然の桜の木のことを指していたらしい。
であるから、「山さくら」は山間部でなければ見ることができない桜であったようだ。

(にわとり)の声もきこゆる山さくら
野沢凡兆

「猿蓑集 巻之四 春」に収められている凡兆の句である。
山の奥深くへ分け入って、美しい「山さくら」の木を見つけた。
こんなに人の気配のない山奥まで入ったのだから、この桜は誰にも知られてはおるまい。
美しい桜を独り占めに出来たような、そんな気分でいたら、どこからか「鶏」の鳴き声が聞こえた。
こんな山奥にも里があって、人が暮らしているのだと、凡兆は感心する。

同時に凡兆は、「鶏」の鳴き声に里の温もりを感じる。
人知れず咲いて散る桜よりも、人の目を楽しませる桜の方に親しみを感じる。
それが、人の暮らしに目を向けて句を作る凡兆の思いであるように私は感じている。

「桜の花に集まってくる小鳥は、なんという鳥だろう?」と、以前、野鳥好きの知り合いに訊ねたことがある。
「主にヒヨドリとかメジロ、シジュウカラ、スズメが花の蜜を吸いに来るようだよ。」と知人は教えてくれた。
おそらく、これらの愛らしい小鳥が、句を詠むうえで桜に似つかわしいのだろう。
凡兆は桜の取り合わせに「鶏」を撰んだ。
風雅を重んじる観点からは、いささか野暮ったい外見の「鶏」。
生活臭が漂っている「鶏」を桜と取り合わせるところに、凡兆らしい視点を感じる。

もしかしたら凡兆は、山で賑やかな人声を聞きつけて、その方に向かって歩いていたのかもしれない。
笑い声と歓声、それに歌声まで聞こえる。
これは、何の騒ぎだろう。
興味津々、凡兆は人声に誘われて進む。
すると開けた谷に出た。
谷の両側にそびえている山の中腹部には、「山さくら」の薄紅色がそこかしこに。
広い原っぱで、谷の集落の村人たちが花見に興じている。
村人たちの宴のざわめきに混じって、鶏の鳴き声まで聞こえる。
のどかな山里を囲むような「山さくら」。

「きこゆる」とは、「聞こえる」の他に、「評判の」とか「名高い」とか「有名な」という意味もある。
これが評判の山里のさくらであったか。
凡兆は、村人と花との饗宴をしばしの間見とれていた。
句に人々の姿は描かれてはいないが、そんな村人の存在を感じさせるような「山さくら」の句である。

このイメージは、凡兆の句から私が感じたことを作文にしたもの。
想像力を刺激するような凡兆の俳諧だから、こんな楽しみ方ができるのではなかろうか。

「鶏の声もきこゆる山さくら」

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2016/12/23

凡兆の計略?「秋風の仕入れたを見よ枯れ尾花」

「秋風」は秋の季語だが、「枯れ尾花」は冬の季語となっている。
季節の違うふたつの季語がひとつの句のなかに入っている。
これを「季違い」と称して、句をつくる上では避けるべきことであるとされている。
などという約束事やら技術めいたことやらは、俳句の実作者ではない私には、よくわからない。
観賞者である私は、句の言葉にあるイメージを感じ取るのみ。

2016/12/18

凡兆のナメクジの句(2)「あばらやの戸のかすがいよなめくじり」

あのナメクジ君が帰ってきた。
放浪の旅に疲れて帰郷し、今は、捨てた家に閉じこもって、戸の「かすがい」になっている。
かつての冒険少年が、夢破れて、引きこもりのニートになってしまったのか。
しかも、捨てた家は、ボロボロのあばら家と化した。

あばらやの戸のかすがいよなめくじり
野沢凡兆

凡兆のナメクジの句(1)「五月雨に家ふり捨ててなめくじり」

奇妙な動物だが、古くから人の日常生活圏に生息してきた生き物。
ちょっと前までナメクジは、地方では日常生活の周辺でごく普通に見られる生き物だった。
私が子どもだった頃の旧稲垣村(現つがる市)では、梅雨時に家の周辺でよく見かけた。

江戸時代には、ナメクジはヘビやカエルとともに、「三すくみ」のメンバーになっている。
三メンバーとも、ちょっとキモい存在のものばかり。
嫌われ者ではあったが、いろいろと話題に上がった「軟体動物」であったらしい。

五月雨に家ふり捨ててなめくじり
野沢凡兆

この句は「猿蓑集 巻之二 夏」に収められている。
「なめくじり」とはナメクジのこと。
当時ナメクジは、カタツムリの殻を抜け出た姿だと信じている人も多かったという。
現代では、カタツムリなどの巻貝(軟体動物門腹足綱)のなかで、殻が退化したものがナメクジであるというのが定説。

「ふり捨てて」は、放っておくとか置き去りにするというような意。
捨てて顧みないという意味もある。
とすれば、この「家」とはカタツムリの殻のように受け取れる。
湿気が多い梅雨時に、もう家(殻)に閉じこもっている必要のないナメクジが、重い家を捨てて歩き回っている。
少しユーモラスな、そんなイメージだろうか。
凡兆は、ナメクジとカタツムリが同一ではないことを知ってか知らずか。
この句は、ナメクジがカタツムリの殻を脱いだ姿だと想定して作られている。

あるいは、「家」とは人間の家のことかもしれない。
主人公のナメクジ君が、今まで住み処としていた人間の家を捨てて、梅雨時の空の下へ旅立っていくという物語のプロローグのようでもある。
どちらにしても、この句の「家」には重荷のようなイメージがつきまとう。
振り捨ててしまいたい労苦。
家を背負って生きる労苦。
同一の空間のなかで、一生を送る労苦。

叙景詩人である凡兆が、カタツムリの殻に対して「家」という暗喩表現を用いたとすれば、「家」に対する凡兆の感情(感想)が、垣間見えるような句である。
擬人化された「なめくじり」が「家」をふり捨てるという、「なめくじり」の意志が感じられる。
この「なめくじり」の意志が凡兆自身の意志なのかどうか。
それはわからない。

凡兆は、「猿蓑」以後何年かに獄中の人となった。
その訳は、登芳久著「野沢凡兆の生涯」に以下のようにある。
野沢凡兆の没後70年目に刊行された加賀金沢出身の高桑蘭更(らんこう)の『俳諧世説』(天明五年刊)には、「嘗(かつ)て罪ある人に、したしみ、其連累をかふむりて獄中に年を明しけるに」とあって、その罪状は明らかではないが、誰かの巻き添えをくって獄にあったことは確かである。
凡兆出獄は、元禄十一年(1698年)頃。
年齢は58歳前後か。
出獄してからは、病死する74歳ぐらいまでの約16年間 、妻の羽紅(うこう)と一緒に働き暮らしていたというから、貧しくても平穏な日々を過ごしていたかもしれない。
羽紅は、病に苦しんだ凡兆の最期を看取り、その8年後に他界したという。

凡兆にとっての「家」とは、羽紅と一緒に過ごす場所のことで、「ふり捨て」る場所ではなかったと思われる。
こう考えると、句にある「家ふり捨てて」が凡兆の意志とは考えにくい。
やはり、凡兆の空想のナメクジ君が、厄介な殻を脱ぎ捨てて冒険の旅に出る物語のプロローグなのか。
それとも、今まで住み処にしていた人間の家を飛び出して、気兼ねのいらない自然世界を目指すナメクジ君の物語の始まりなのか。

「五月雨に家ふり捨ててなめくじり」。
梅雨時の「なめくじり」をユーモラスな視点で描いた凡兆だったのではあるまいか。

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2016/12/17

○○○サービス㈱を名乗る者からの架空請求詐欺のショートメール

怪しいショートメールが届く

今日、怪しいSMS(Cメール)が私の携帯電話に届いた。
私がショートメールを受け取ることは滅多にない。
ほんのたまに、仕事の連絡事項が届くぐらいである。
ショートメールの受信音が鳴ったとき、得意先の営業マンの顔が頭に浮かんだが、メールの内容は仕事とは別のものだった。

2016/12/14

朝露や鬱金畠の秋の風

朝露は消えやすいので、和歌の世界では儚いものの例えに使われてきた。
現代でも、「露と消える」という言い方をする。
夢が破れるとか、志なかばで倒れるとか、計画がとん挫するというような意味で使われている。

朝露や鬱金畠(うこんばたけ)の秋の風
野沢凡兆

2016/12/12

凡兆のけんか腰?「吹風の相手や空に月ひとつ」

夜の空にも、いろいろある。
満天の星空とか、雲ひとつない夜空とか。
満天の星空は、月の光が弱い新月の頃に現れる。
月の光が強い満月の頃は、星の姿が見えなくなる。
月が明るいと星の幽かな光は、月の光にかき消されてしまうのだ。
満月の夜は、金星などの強い光を放つ星しか見えない。

雲ひとつない夜空に満月と星が少々。
上空にも風があるものの、その風によって吹き飛ばされる雲は見当たらない。

2016/12/11

凡兆の技?「まねきまねきあふごの先の薄かな」

凡兆の句は、どうしてこんなにかっこいいのだろう。
私は、凡兆の句のかっこよさに魅かれて、凡兆の俳諧を読んでいる。
だが、そのかっこよさの理由を解明するだけの能力は、私には無い。
ただかっこいいと感じながら、句を読み進めているのだ。

まねきまねきあふごの先の薄(すすき)かな
野沢凡兆

「猿蓑集 巻之三 秋」に収められている凡兆の句。
句の前書きに『八瀬おはらに遊吟して、「柴うり」の文書ける序手に』とある。
『「柴うり」の文』とは、凡兆の唯一の俳文「柴売ノ説」のこと。
「柴売ノ説」については、「骨柴のかられながらも木の芽かな」の記事に、ほんのちょっと書いた。
八瀬や大原から京の市中へ柴を売りにくる女達の風俗・行動を、凡兆が書いたものである。

「あふご」とは、天秤棒のこと。
和歌では、「会ふ期(あふご)」に掛けて用いられるという。
「会ふ期」とは、会う時という意味。

句の前書きから察すれば、「大原女(おおはらめ)」が天秤棒に「骨柴」を下げて売り歩く様を句にしたのであろうか。
しかし「大原女」は、京都市中を薪を頭に載せて売り歩くことで有名である。
ごくたまに、天秤棒を担ぐこともあったのかもしれない。
これはあくまでも私の憶測。
柴を頭に載せて売り歩くのが京の風物詩となっていたのだから、天秤棒は使わなかったことだろう。
定番のセールススタイルがセールスポイントなのだから。
特有の衣装をまとった「大原女」に天秤棒はやぼ。
やぼは、その日の売り上げに差し障る。
やはり、「あふご」は「会ふ期」に掛けたと思われる。

「大原女」が京の都に続くススキ野を歩いていると、天秤棒の先にあたるススキの穂が風に揺れて、まるで「大原女」を招いているようであるというのは仮のイメージか。
好きな人に会いにススキの野原を歩いていると、その人と会う時刻へとススキの穂が揺れて招いているようであるという艶っぽいイメージが、仮イメージの裏に隠されているという仕掛けか。

凡兆は、叙景詩人。
だが掲句には、感情がこもっているような「まねきまねき」という語句が見える。
感情を含めて、艶っぽい句に仕上げているのか。
こういう技もできるぜ、という凡兆のアピールなのか。

どちらにせよ、リズミカルな句である。
それは「まねき」の「き」、「先」の「き」、「薄」の「き」と「き」音が脚韻を踏んでいるからだろう。
18文字(1字字余り)のなかに4文字の「き」が繰り返し使われている。
これが、句の持っているイメージと一体となって読者の視線を先へ先へと進めている。
ススキの原を進むたびに、天秤棒の先とススキの穂のふれあいが繰り返される。
その動作が、「き」音の繰り返しのリズムで刻まれている。
さらに、「あふごの先の」と、助詞の「の」を繰り返すことでリズムにスピード感が生まれる。

ひょっとしたら、凡兆の句は「流線型」なのかもしれない。
だから、かっこいいのか?
凡兆って、芭蕉よりもカッコマン?
おっと、これは調子に乗り過ぎ。

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2016/12/10

青森市内にあるラーメン店「まるかいらーめん」のオープンフェアの長い行列

謎の行列。


愛犬の散歩で、アスパムへ行ったら、向かい側の歩道に長い行列ができていた。
いったい何の行列?
有名人の青空サイン会?

行列は角を曲がって、アスパム通りを南方向へ延びている。
その行列の先頭部分が、また角を曲がって 、見慣れない建物のなかに吸い込まれていく。
そこは、以前「まるかいラーメン」の店があった場所。
建物の壁面には、看板らしき文字が見える。
「まるかいらーめん」と、ひらがなの立体文字が壁に貼りついている。

知らなかった。
「まるかいラーメン」の旧店舗跡に、「まるかいらーめん」がリニューアルオープンしていたのだ。


角を曲がっても続いている。


なんでも一昨日(8日)から今日(10日)までの3日間、オープンフェアを行っているとのこと。
フェアの目玉は、中盛り100円のラーメン。
それに、「まるかい」のロゴ入りラーメン丼のプレゼント。
今日はオープンフェアの最終日。
それで、この行列なのだ。

青森市では、なかなかお目にかかれない長蛇の列。
しかも、小雪舞う冬空の寒い中。
午前11時開店で、数量限定とあるが、並んでいる方達全員が食べることができたのだろうか。
私がこの行列を目撃したのは、午前11時15分ぐらい。
行列の最後尾に、次々と人が押し寄せていたのだが。


行列の人数は120~130人ぐらい?


「まるかいラーメン」とは、青森市内にある有名ラーメン店。
青森県観光物産館アスパムの向かい側(南側)に立地している。
ここのラーメンの特徴は、酸味のきいた煮干しスープと、うどんのように太い麺。
好きな人は徹底的に好きなのだが嫌いな方は徹底的に嫌いという、青森のラーメン好きを二分しているラーメン店なのだ。

しかしこの行列では、ラーメンにありつけるのは1時間後か。
あるいは、1時間後に品切れでオアズケを食うか。
それでも、まるかいファンにとっては、1時間の待ち時間なんかまったく気にならないのだろう。
冬の寒さも、強い北風も、まるかいのラーメンを食べるための妨げにはならないようだ。
並んで得られる幸福感に比べれば、順番を待つ苦労など無に等しいということか。
むしろ、並ぶこと自体が楽しいのか。
まるかいファン同士の連帯感に支えられて、待たされるという苦行が快楽に昇華していくってか。
それはまるかいファンでなければわからないこと。

今年の7月1日から工事のために休業していたらしい。
約5か月間、好きなラーメンを食べることが出来なかったのだ。
5か月も待ち焦がれていたものに、やっとお目にかかれる。
この長い行列は、無理もないこと。
青森市には、「まるチューピープル」と呼ばれている「まるかいラーメン中毒者」がいらっしゃるとのこと。

禁断症状と闘いながら、じっと待ち続けたものが、やっと手に入る。
胃袋から全身に、その達成感が満ちていくことこそラーメン好きの幸福実現なのだろう。
一杯のラーメンの力恐るべし、と思った今日だった。
「まるかいラーメン中毒者」の実態を目の当たりにした今日だった。

そういう私はどうかと言うと。
休業も新装開店もまったく知らなかったのだから、「言わずもがな」ってところでしょう。


この行列は、「まるかいラーメン」を目指している。

「まるかいラーメン」改め「まるかいらーめん」のリニューアルオープンフェア3日目(最終日)の行列だった。

砂よけや蜑のかたへの冬木立

蜑(あま)とは、海で魚や貝を採ったり、塩を作ることを仕事とする人のこと。
漁師とか漁夫の意。
テレビや映画の時代劇で、江戸時代の商人や大工や農夫の姿は多く見かけるが、漁師はあまり見ることがない。
江戸時代の漁師の暮らしについて無知であることは、漁師の周辺を題材とした俳諧を読む上で妨げになるであろうか。

2016/12/08

鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ

句の前書きに、「「越(こし)より飛騨へ行くとて籠(かご)の渡りのあやふきところところ道もなき山路にさまよひて」とある。
「籠の渡り」とは籠渡しのこと。
籠渡しとは、橋を架けることができないほどの険しい谷の両岸の間に綱を渡し、その綱に籠を吊り下げたもの。
当時は、籠に人を乗せたり荷物を入れたりして対岸まで渡していたという。
江戸時代末頃の浮世絵師である歌川広重の「飛騨籠渡図」が、籠渡しの絵(版画)として有名である。
絵を見ると、急流の上にそびえる両岸は、目もくらむばかりの絶壁となっている。

2016/12/04

骨柴のかられながらも木の芽かな

「骨柴(ほねしば)」とは、小枝や葉を取り去った柴のこととインターネットのWeblio辞書に書いてある。
凡兆の句を読むまでは、私には未知の言葉だった。

骨柴のかられながらも木の芽かな
野沢凡兆

この句を読んだとき、私は冬枯れの裸木の細い枝のことが頭に浮かんだ。
「骨柴」とは、そういうものではあるまいかと思ったのだ。

そう思うと、自ずとそういう空想が広がる。
冬を越すための暖房用として、山へ柴を刈りに行く。
柴刈りの対象となる枝が「骨柴」なのである。
手短なところから、勝手気ままに枝を切って、それを薪にしたのでは森林資源が枯渇してしまう。
むしろ、山の木々の成長を促すための枝切り(剪定)として、柴刈りが行われたのではないだろうか。

山里の集落では、「骨柴」と特徴づけられた枝以外は刈り取ってはいけないという取り決めが、代々受け継がれていたと想像してみる。

山菜採集、狩猟、木炭作り(炭焼き)、水源の確保など。
当時(江戸時代)の山里の集落にとって森林は、生活を維持するためのかけがえのない資源であったことは容易に想像できる。
柴刈りは、森林保全のための重要な仕事だったのだろう。
その仕事の副産物として薪を得ていたのではないだろうか。
縄文時代からずうっと、自然とともに生きてきた人の知恵である。

しかし、「骨柴」という冬の季語は無い。
この句には出てこない言葉だが「柴刈り」という季語も見当たらない。
掲句にある季語は「木の芽」で、これは春の季語。

柴刈りを秋や初冬に行うもの思ったのは私の勘違いだったのかもしれない。
薪は暖房用だけではなく、炊事にも必要である。
柴刈りは、春も夏も秋も行われていたに違いない。
そう考えたとき、蕪村の句が頭に思い浮かんだ。

「柴刈に砦を出るや雉の聲」与謝蕪村

雉は春の季語であるから、この「柴刈」の句は春の句である。
となれば、柴刈りは春にも行われる。
凡兆の「骨柴のかられながらも」は、「木の芽」という春の季語があるのだから、春の句であることは確かである。

「木の芽」とは春に芽吹く予定の芽。
ところで、芽は春になって顔を出すわけでは無い。
前の年の夏から秋にかけて樹木の冬芽が葉陰に顔を出す。
この芽が冬に休眠して、暖かくなった春に芽吹く。

春の芽吹きのために長い時間をかけて準備された冬芽。
それは、燃料となる骨柴にも出ていた。

木の成長を促すために、成長し得ない枝であると判定された「骨柴」を伐採して薪にする。
その「骨柴」に出ている「木の芽」を、凡兆は静かに見守りながらこの句を作ったのではあるまいか。

尚、この句の元となっている句が、凡兆の唯一の俳文「柴売ノ説」の文の終わりに書かれている。

「骨柴のかられながらも芽立ちかな」

「柴売ノ説」は、八瀬や大原から京の街へ柴を売りにくる女達の風俗・行動を書いたもの。
凡兆は客観的叙景の詩人という印象を、私は強く感じている。
「大原女」が売り歩いている「骨柴」の「芽立ち」に、凡兆自身がどういう心情を含めたのかについては、「柴売ノ説」で何も語ってはいない。

「柴売ノ説」には、「唯世渡りのよすがにして、女は都に出てこれを売り、」とある。
暮らしの手段として「大原女」が売り歩く「骨柴」。
その「骨柴」は、ただの薪のように見えるが、山で育まれた「芽立ち」も見える。
刈られたものではあるが、まだ滅びてはいないものをも山から連れてきている。
そんな自然の息吹を、「大原女」は各家庭に届けているのだ。

骨柴のかられながらも木の芽かな

この句もまた、凡兆の日常に対する独特の視点が感じられて興味深い。

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2016/12/02

かさなるや雪のある山只の山

八甲田山の各峰の山頂に、白く雪が積もり始める頃は、山麓の雲谷周辺の山には、まだ雪が無い。
秋の中頃から終わり頃にかけて、青森市街地から北八甲田連峰の方を眺めると、ちょうど凡兆の句のような感じに見える。

かさなるや雪のある山只の山
野沢凡兆

2016/12/01

ドリルでの垂直穴あけに優れた工具、ドリルガイド

(箱から取り出して組み立てる。組み立て簡単。)

ドリルガイド13F

ネット通販で、優れものの工具「ドリル穴あけ補助ツール」を買った。
「ドリルガイド13F」という名の工具である。
製造元は、兵庫県の神沢鉄工株式会社。

値段は、税込みで12,830円。
これに送料が税込みで972円。
代引き手数料が0円。
合計13,802円の導入費用だった。

このあいだ、安いからと買って失敗した「電動ドリルスタンド」とは大違い。
ドリルガイド13Fを仕事で使用した結果、私はこの道具が優れものであることを改めて実感した。

ネットの評判が良かったので購入したのだが、予想以上の働きぶりだった。
5ミリ厚の透明アクリル板に直径4.5ミリの垂直の穴をきれいにあけることができて、仕事が大いにはかどった。


(インパクトドライバをセット。)

きちんとした梱包状態

まず気に入ったのが、箱の中にしっかりと梱包されて納まっていたこと。
ダンボールできちんとふたつに分かれて整然と梱包されていたので、安心感が湧いた。
きちんとした梱包のおかげで、この工具がきちんとしたものであるという印象を持った。
説明書の類は、箱には入っていない。
でも箱の表に、丁寧にいろいろ図解されているので、それで用が足りた。

インパクトドライバにセットできた

ドリルガイド13Fは電動ドリル用で、インパクトドライバ装着用のガイドは同メーカーで製造しているインパクトガイドというツールがある。
でもインパクトドライバに「六角ビット付ドリルチャック」を装着すれば、上の写真のように使用可能だった。

動作が安定していて、精度の高い仕事にも対応

二本の黒いガイド棒のスライド感は良好。
私はガイド棒に、「CRC 5-56」を軽く吹き付けて、ドリルがより滑らかにスライドしやすいようにした。
すると、心地よいほどの滑らかなスライド感が得られた。
こんなに簡単な作りなのに、ドリルの動きはぶれることなく安定していて、精度が求められる仕事にも対応できる。

アルミダイキャストボディ

軽くて小さいので、持ち運びが楽で、現場で使うのにぴったりの道具であった。
軽くて小さいが、姿かたちは立派で、堂々とした印象である。
本体は、強くて丈夫な軽量アルミダイキャストボディ。
工具全体ががっしりしていて丁寧な作りになっている。

ドリルガイドの特徴

このツールの特徴が箱に箇条書きされているが、ほぼその通りであった。
以下にその特徴をまとめる。
  1. 30度から垂直までの傾斜穴をあけることができる。
  2. 正確に垂直の穴をあけることができる。
  3. パイプ、丸棒の中心に穴をあけることができる。
  4. ドリルのスライド量は200ミリで、穴の深さを調節できる。
  5. 13ミリのチャック付。

(ドリルガイドの箱。)

本物のプロユースツール

なんといってもいちばんの特徴は、しっかりしたガイド棒(スライドバー)に支えられているので、手振れや、ドリル錐先の刃のズレが生じにくいこと。
腕の悪い職人である私にとっては、これが頼りの綱である。

この記事の写真でわかるように、製品が入っていた箱には、「プロ仕様!」とか「プロフェッショナル」とか「世界のクラフトマンが認めるプロユースツール」とかのコピーが記載されている。
それだけメーカーは、この工具に自信を持っているのだろう。
「電動ドリルスタンド」のような、「家庭用」という情けない但し書きは、どこにも見当たらない。

ドリルガイド13Fのような優れた工具を手に入れると、仕事が楽しくなってくる。
良い道具はありがたいものだと実感した次第。


(説明書きが箱にプリントされていて、説明書はない。)


(箱には、プロユースツールとかプロフェッショナルの文字が。)