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2015/07/20

青森市郊外の山の中にある「小牧野遺跡」の環状列石を見物

出典:国土地理院ホームページ(http://maps.gsi.go.jp/?vs=c1&z=16#16/40.745225/140.733576)
小牧野遺跡赤丸表記:ブログ管理人書き込み。
国指定史跡「小牧野遺跡」は青森市野沢字小牧野にある。
遺跡へは県道122号線(酸ヶ湯・高田線)を下湯温泉を目指して進む。
途中、高田中学校前を通り「野沢」に入ったあたりに、「小牧野遺跡」の案内看板がある。
注意しないと見落としそうな頼りない案内看板を辿って、「小牧野」に至り、看板に従って林道(農道)を山へ向かう。

小牧野遺跡は、荒川と入内川に挟まれた「舌状台地」上、標高140メートル付近にある。
「小牧野」から遺跡までは未舗装の林道(農道)を進む。
林道(農道)に入って、ようやく明確な案内標識が現れる。

遺跡のある場所は、地元住民が営む「畑作地」が点在する山の中である。
従って観光地とは違い、売店とかは皆無。
遺跡への路線バスも無い。
市営バスを利用する場合は、「大柳辺線」に乗り、「野沢」停留場で下車、そこから林道を30分ぐらい歩く。

道沿いの林は、杉林だったり、雑木林だったり。
夏であれば、林縁に大型の植物、「オオウバユリ」の蕾や花の姿を見ることが出来る。
遺跡駐車場そばに、「小牧野の森・どんぐりの家」という遺跡観察施設が建っていて、その建物にトイレや休憩スペースが備わっている。
林道(農道)の分岐点に案内看板。
分岐点を左折し、開けた農道を進む。
畑作地の奥に駐車場と「小牧野の森・どんぐりの家」がある。

オニグルミの果実。
大きな立石。
上の写真、左側の大きな立石には嘉永7年(1854年)の年号が刻まれた江戸時代末期の馬頭観世音碑となっている。
この場所一帯は、江戸時代に馬の放牧場として使用され、「小牧野」の地名はそのことに由来しているという。
馬頭観世音碑は、元からその場所にあった環状列石の石を利用したものと考えられている。
小牧野式配列。
森に囲まれた環状列石。
環状列石の中心部(中央帯)。
土坑墓遺構が発見された個所を盛り土して「整備?」。
住居跡。
土坑墓。
捨て場跡。
展望所から青森市内を眺める。
小牧野の森・どんぐりの家。
休憩スペースとパネル展示スペースを兼ねたホール。
「小牧野遺跡について」の説明パネル。
パネル「小牧野遺跡について」に書かれている記事の概略は以下の通り。
小牧野遺跡は、縄文時代後期前半(約4,000年前)につくられた環状列石(ストーンサークル)を主体とする遺跡。
遺跡は、八甲田山系から青森平野に向かって延びている台地上に位置する。
この台地は、荒川と入内川に挟まれている。
1995年3月17日に国史跡に指定され、約90,000㎡が史跡の範囲として保護されている。
「小牧野の森・どんぐりの家」のパネル。
パネル「小牧野の森・どんぐりの家」に書かれている記事の概略は以下の通り。
この施設の愛称の由来や、施設の外観が、どんぐりや縄文住居を思わせるような形状になっていること。
●入館料:無料
●開館時間:5月1日~9月30日(9:00~17:00)
        10月1日~11月15日(9:00~16:00)
●休館日:11月16日~翌年4月30日

「環状列石の発見」の説明パネル。
パネル「環状列石の発見」の記載内容概略は以下の通り。
小牧野遺跡の環状列石は1989年(平成元年)に地元の高校生たちによって発見された。
「石神平(いしがみたい)」と呼ばれている場所で、丸みを帯びた河原石が地面の上に転がっていた。
そこを発掘調査したら、縄文時代の環状列石が発見された。
「環状列石の配置」の説明パネル。
パネル「環状列石の配置」の記載内容概略は以下の通り。
全体の直径は、外径が55m。
外帯が直径35m。
内帯が直径29m。
直径2.5mの中央帯の三重の輪や特殊組石、環状配石などで構成される。
「小牧野式配列(配石)」:小判型の石を縦に置き、その両側に平らな石を3~6個ぐらい積み重ね、これを繰り返してつくられている。
「石はどこから」の説明パネル。
パネル「石はどこから」の記載内容概略は以下の通り。
石の数は約2,900個。
これらの石は、遺跡東側の「荒川」一帯から運ばれたものと推定されている。
石1個あたりの重さを平均すると、10.8㎏となる。
「発見された遺構」の説明パネル。
パネル「発見された遺構」の記載内容概略は以下の通り。
竪穴(たてあな)住居跡や貯蔵穴(ちょぞうけつ)、捨て場、湧水遺構など生活に関わる遺構の発見。
土坑墓、土器棺墓など墓に関わる遺構の発見。
「土器」の説明パネル。
パネル「土器」の記載内容概略は以下の通り。
この遺跡からは、鉢(はち)、壷(つぼ)、注口土器(ちゅうこうどき)の出土が多い。
日常生活用のものと祭祀用のものと、使い分けされていた。
「小牧野遺跡の墓」の説明パネル。
パネル「小牧野遺跡の墓」の記載内容概略は以下の通り。
この遺跡には100基をこえる土坑墓(どこうぼ)環状列石の東側斜面に分布している。
土坑墓とは、土を掘って穴をつくり、そこに亡くなった人の遺体を埋葬する墓のこと。
埋葬した後は、土盛りをして墓を完成させたと考えられている。
「小牧野遺跡の土器棺墓」についての説明パネル。
パネル「小牧野遺跡の土器棺墓」の記載内容概略は以下の通り。
土器棺墓(どきかんぼ)とは、一度墓に埋葬した遺体が数年後に骨になったのを取り出し、土器棺におさめ、再び埋葬する施設のこと。
この遺跡の環状列石から合計4基の土器棺墓が発見されている。
「石器」の説明パネル。
パネル「石器」の記載内容の概略。
小牧野遺跡からは、2,709点の石器が出土している。
ナイフとして使われたと考えられる不定形石器は、出土した石器の6割。
磨石(すりいし)や敲石(たたきいし)といった、木の実などを磨りつぶしたりするための道具は約2割。
「弥生時代の小牧野遺跡」についての説明パネル。
パネル「弥生時代の小牧野遺跡」の記載内容概略
箆状(へらじょう)石器やスクレイパーなど弥生時代の遺物も出土。
「続縄文土器」も多く見られる。
「土製品と石製品」説明パネル。
パネル「土製品と石製品」の記載内容概略。
土偶やミニチュア土器・鐸型(たくがた)土製品などが852点。
三角形岩板や円形岩板などが919点出土している。
アクセサリーとして使用されたと考えられる有孔石製品なども出土。

環状列石(ストーンサークル)は縄文時代の共同墓地と考えられている。
もしそうであるなら、近くに大規模の集落跡があるのでは。
それが、この遺跡の北側約10㎞に位置する三内丸山遺跡では、ちょっと離れすぎているように思われる。
なによりも、三内丸山遺跡は縄文時代前期から中期の遺跡。
小牧野遺跡は、縄文時代後期の遺跡。
地理的な距離も年代も離れすぎている。

やはり、この舌状台地のどこかに、大きな集落があったのではと、勝手な空想を楽しんでいる。
それは、「環状列石」のある場所よりも低い場所であったに違いない。
ストーンサークルが尊い場所であったなら、そう考えるのが自然。

環状列石のある場所は、それが造られた時代に幾度かの大規模な造成工事が行われたと考えられている。
また、谷を流れる荒川から大量の大きな石が運び込まれている。
この工事には、かなりの屈強な人手が必要だったはず。
その人々が暮らしていた集落跡が見つかれば、「環状列石」という施設の意味も、もっと解明されるのでは、と空想は尽きない。

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