2015/10/25

芭蕉の自負「色付くや豆腐に落ちて薄紅葉」

「紅葉豆腐」と聞くと、秋に京都の料亭などで出されるシャレた一品のような印象だが、実際は、「豆腐小僧」という妖怪がお盆で持ち歩いている豆腐の事。

「豆腐小僧」とはあまり知られていない妖怪。
でも、江戸時代の草双紙(※江戸時代の娯楽本)などに多く登場している妖怪とのこと。

竹の笠をかぶって丸盆を持ち、その盆の上に「紅葉豆腐(モミジの型を押した豆腐)」を乗せて歩く小僧妖怪。
特に悪さはしないという。

色付くや豆腐に落ちて薄紅葉
松尾芭蕉

この句を読んでいたら、昔、水木しげるさんの漫画で見た妖怪「豆腐小僧」を思い出した。
もちろん、芭蕉のこの句は「豆腐小僧」の「紅葉豆腐」のことではない。

紅葉狩りの宴席での出来事というイメージ。
モミジの木の下で宴席を開いていたら、一枚の小さなモミジの葉が豆腐の上に落ちてきた。
まだほんのりとあかく色づき始めたばかりの葉なのだが、白い豆腐に映えて、その色合いが鮮やかに見えるという句である。

オシャレなパンフレットにでも載っているような秋のワンカット。
そして一品料理のコピー。

昔、萩原朔太郎という詩人が芭蕉と蕪村をくらべて、芭蕉は「音楽的詩人」、蕪村は「絵画的詩人」と評したという(「芭蕉私見」:萩原朔太郎)。
しかし掲句を読めば、この句がかなり絵画的であることがわかる。

私は、絵画的で音楽的なのが俳諧全般の魅力だと思っているので、区別する必要性は感じない。
それが、多くの人の感ずるところではないだろうか。

一般の人なら、豆腐の上に落ちたモミジ葉を見て、「あら、風流ね」とか、あるいは「なんだ汚いな」とか言って、それ以上には進展しない。

芭蕉は、豆腐の上の小さなモミジ葉を見て「チャンスが落ちてきた」と思ったかもしれない。
「俺はなんだって句に仕上げることが出来る。」
そう思ったかもしれない。

掲句は34歳の頃の作。
このころ芭蕉は、俳諧の宗匠になったと言われている。
宗匠は、興行や座を指導運営し、歳旦帳や撰集を刊行するなどして、一門を形成する立場。

宗匠となった芭蕉にとって「俺はなんだって句に仕上げることが出来る。」ぐらいの自負があってもおかしくはない。

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