西行の「命なりけり」について、年たけたスキーヤーの独り言
雪の斜面を、荒い息を吐きながら登っているとき、頭に思い浮かぶのは西行の次の歌である。
年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山
(としたけて またこゆべしと おもひきや いのちなりけり さやのなかやま)
私はこの歌を、芭蕉の「 命なりわづかの笠の下涼み(いのちなり わずかのかさの したすずみ)」という句で知った。
この句は、芭蕉が帰郷の途中、旧東海道の難所である「小夜(さよ)の中山(静岡県掛川市)」で詠んだものとされている。
芭蕉が深く敬慕した西行の「小夜の中山」の歌を意識して作った句だと、多くの方が解説されている。
それらを読んで、西行の「小夜の中山」の歌を知ったのだった。
この歌の「解釈」は、「年老いて体力もなくなった私が、またこの難所を越えられたのは、命があるからこそだ」という「命の賛歌」が一般的である。
白洲正子氏は著書「西行」の「富士の煙」の項で、以下の様に述べておられる。
この時西行は六十九歳で、四十年以上も前に、はじめて小夜の中山を越えた日のことを憶(おも)い出して、はげしく胸にせまるものがあったに違いない。その長い年月の経験が、つもりつもって「命なりけり」の絶唱に凝結したのであって、この歌の普遍的な美しさは、万人に共通するおもいを平明な詞で言い流したところにあると思う。私はこの文章を読んで、「命なりけり」という「絶唱」が、なぜ「平明な詞」なのだろうと感じたのだが。
氏は、「命なりけり」という一語だけではなく、歌全体の表現の平明さを評価したのであろう。
確かにこの歌の言葉は驚くほど率直である。
しかもその率直さの中に、長い歳月を生き抜いた実感があるという見方には、大いに頷ける。
しかし私は、「思ひきや」という逆説的な言葉に引っかかっている。
「思ひきや」は、古語の用法として、「思いもしなかった」という驚きや反転の響きを持つ語である。
しかもこの場合、「また越ゆべしと」と結びつくことで、「再びこの難所を越えることになろうとは、思いもしなかった」という含意が強い。
私が注目するのは、その「思いもしなかった」という感慨の主体である。
これを単純に「老いた自分自身の内省」と読むこともできるが、私はむしろ、「世間一般の見方」が背後に響いているように思うのである。
それに対して西行は、「命なりけり」と応じている。
難所越えも含めて、年老いても旅をするのが私の生き方なのだと「絶唱」しているのではないだろうか。
前述の引用文には続きがある。
芭蕉は延宝四年(1676)にここを通り、西行の歌を踏まえて「命なりわづかの笠の下涼み」と詠じ、言い得て妙とは思うものの、西行の歌の大きさと深さには比すべくもない。と言い切っている。
はたして、そうであろうか。
このとき、芭蕉は三十三歳。
西行の運命は、自身の運命でもあると思わなかったとは言い切れない。
西行と同じく、旅に生きた芭蕉は、「一所不在」という居所を定めぬ生き方であるから、家は無いに等しい。
強いて家と言えば、それは小さな笠の下であろうという諧謔。
それが自身の生き方であるということを暗に示している句であるとも読める。
話を最初にもどそう。
なぜ私が、雪山で西行の歌を思い浮かべるのか。
それは、とうてい「西行の歌の大きさと深さには比すべくもない」が、いい年をして、なお荒い息を吐きながら斜面を登っている自分の姿に、「思ひきや」という世間の皮肉を思い浮かべ、「命なりけり」と自信に言い聞かせる瞬間があるからである。
西行の「命なりけり」という言葉が、「命ある限りずっと続く生」を引き受ける言葉として、胸の内に響いてくる。
同様の感慨を抱く「年たけた山愛好家」は少なくないのではないかと感じている。