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ノートパソコンで複数のディスプレイを使うときは、「表示画面を拡張する」に設定すると便利である

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「表示画面を複製する」から「表示画面を拡張する」にノートパソコンに大型ディスプレイを接続したと、この前の記事で書いた。
複数のディスプレイを使うときのパソコンの設定は、「表示画面を複製する」を選択して使っているのだが。
Windows7では、「表示画面を拡張する」という機能も用意されている。

今使っている「表示画面を複製する」は、ノートパソコンの画面が大型ディスプレイに拡大複製されるだけ。 小さいものが大きく見えて快適であるというもの。
それに対して「表示画面を拡張する」は、ノートパソコンの小さいディスプレイではスクロールしないと見えない部分までもが、大型ディスプレイのサイズに合せて同解像度で表示されるという仕組み。 「表示画面を拡張する」の方が、断然使い勝手が良さそうである。
そこで「表示画面を拡張する」で大型ディスプレイを使うことにした。

デスクトップを右クリック 上の写真のように、デスクトップ画面を右クリックすると、デスクトップ画面に関するメニューが現れる。
メニューのなかの「画面の解像度」をクリックする。



「ディスプレイ表示の変更」で「表示画面を拡張する」を選択 すると、上の写真のような「ディスプレイ表示の変更」のウィンドウが開く。
「複数のディスプレイ」という欄は、「表示画面を複製する」になっている。
そのプルダウンメニューを開いて「表示画面を拡張する」を選択。




「表示画面を拡張する」を選ぶと、上の写真のように(1)と(2)のふたつのデスクトップアイコン(サムネイル?)が表示される。 左側の(1)のアイコンをクリックすると、アイコンが青い囲み線でハイライト表示され、「ディスプレイ」の欄にディスプレイの名前(種類)が表示される。
「メインディスプレイ」をノートパソコンにする (1)がノートパソコンのディスプレイである。 「これをメインディスプレイにする」にチェックを入れる。 メインディスプレイには、パソコンのデスクトップがそのまま表示される。



上の写真のように(2)のアイコンをクリックすると、「ディスプレイ」の欄に大型ディスプレイの名前が表示される。
「解像度」の欄も、大型ディスプレイのものになっている。

実際のディスプレイの配置も、設定画面のアイコンのように(1)を左に、(2)を右に置くと解りやすい。

でも私の場合は、スペースが限られている。
それで、下の写真…

CorelDRAWX8をCorelDRAW2018にバージョンアップした。

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おととし(2016年)の12月に導入した「CorelDRAW Graphics SuiteX8」を「CorelDRAW Graphics Suite 2018」にバージョンアップした。
その結果、動作がちょっと速くなった。 これが、いまのところいちばん気に入っている点である。
ほんのちょっとの変化だが・・・・
ツールボックスでツールを選択しても、ファイルが重いときは、なかなか選択が反映されなかった。
その動作が、ちょっと速くなったのだ。

起動も少し速くなったような気がする。
でも、上の写真のように起動画面が静止したまま、なかなか次に進まないときもある。
フリーズかな?まだ生きているのかな?と思うほど待たされてから、ようやく動き出したり。

結局、ソフトの起動や動作が、目に見えて改善したわけでは無い。
ほんのちょっと速くなったような気がするという程度である。
並行して使っているAdobeのIllustratorにくらべると、CorelDRAWはまだまだ気分屋さんな「グラフィックデザインソフトウェア」である。

それでも私にとっては面白いソフトなので、奮発してアップグレード版を購入した。
費用は、税込みで26,784円だった。

新機能はというと、そんなにめぼしいものはない。
下の写真は、新機能であるブロックシャドウ効果とインパクト効果を使って、ロゴのようなものをお試しに作ってみたというもの。

「まあボチボチこれからですワ」とか、
「使っていて楽しいんだから、良いんじゃない」とか、
「Adobe Illustratorでの作業もマンネリ化してきたからなぁ」とか、
まあ、心のつぶやきですな。

だが、これだけは言える。
仕事のソフトをアップグレードしたということは、仕事へのやる気もアップグレードしたということ。

もうすぐ67歳。
私の鮮度を保つ方法である。

ちなみに私は、CorelDRAWを事務所のWindowsPCと事務所備品のノートパソコンにインストールしている。
パソコン2台にインストールすることは、Corel社の「エンドユーザーライセンス契約」に反してはいない。

Corel社の「エンドユーザーライセンス契約」は、以下(「赤文字」:Corel Japan Ltd.様サイトより抜粋)のようになっている。

「中国、インド、インドネシアまたはベトナムに居住している場合を除き、2 …

ノートパソコンに27インチディスプレイを接続して作業効率をアップ

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事務所で使用しているパソコンは、MacintoshもWindowsもデスクトップタイプ。
ディスプレイは、それなりに大型のものにしてある。

ところが、自宅での作業用パソコンは、中古で買ったWindowsのノートパソコンひとつだけ。
上の写真が、そのノートパソコンである。

このノートパソコンのディスプレイが、「15.6型ワイドTFTカラー液晶(HD:1366×768ドット LED液晶)」というもの。
サイズが15.6インチでは、グラフィックソフトを使ってのレイアウト作業は、画面が小さ過ぎてやりにくい。

細部を見るために拡大表示。
全体を見るための縮小表示。
また細部を見るために拡大表示。
さらに、全体を見るための縮小表示。

こんな動作のくり返しに時間をとられてしまう。
目の疲れも進むことになる。




そこで、大き目のディスプレイをノートパソコンに接続して、表示画面を複製することにした。
購入したのは「株式会社アイ・オー・データ機器」の「KH275V」という製品。
27インチのディスプレイということでかなり大きい。

上の写真は、キーボードも加えてディスプレイをセットしたもの。
接続は、付属の「HDMIケーブル」を使った。
格好は、デスクトップパソコンの本体部分をノートパソコンに置き換えたというもの。
ノートパソコンのディスプレイよりも、「KH275V」の方が広々としていて気持ちが良い。

また、ノートパソコンのディスプレイでは、見る角度によって表示画面の色合いに濃薄があった。
ところが、「KH275V」では、それが軽減されている。
ディスプレイを見る位置や角度での色やコントラストの変化が、ノートパソコンよりもかなり少ない。

残念なのはノートパソコンの解像度。 古いものなので、最高でも1366×768しか無い、 しかし、ディスプレイ「KH275V」の最大解像度は、1920×1080。
ノートパソコンの解像度が劣っているので、「KH275V」の表示能力を活かせないでいる。
そのため、インターネットのブラウザーの文字が微妙に潤んでいるように見えたり。 そうであっても、今までにくらべたら大きく見えることは素晴らしい。
66歳で、老眼になりかけている私の目には、大助かりである。 自宅での見積書作成や、CorelDRAWを使用してのグラフィックデータ作りも楽になった。 ノートパソコン…

美味しいミズ(ウワバミソウ)が育つ谷

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今年初めてのミズ採りに出かけた。
場所は、去年の秋にミズ採りに下りたミズの谷

ここの林道は、年々人の足が遠のいて荒れ放題。
特に、ここ3~4年のツキノワグマ出没騒ぎで、入山者が減っている。

私がこの谷を見つけた15年ぐらい前は、人の訪れた形跡がけっこう残っていた。
道もはっきりとついていた。
ところがこのごろは、この谷底でミズを採るのは、私だけになってしまったようである。

クマを畏れてか。
あるいは、ここでミズを採っていた御仁が、高齢になって歩くのがつらくなったのか。

いずれにせよ、谷に下りる踏跡は藪に覆われて、谷底へは誰も来なくなった。
おかげで、手付かずの上物を採ることができた。



上の写真は、谷へ下りる直前の小尾根。
以前ここは、草や灌木が無くて、地面が露出した広場だった。

伐採された木が丸太になって積み置かれていた。
転がっている丸太に座って休憩できる場所だったが、今は深い藪の中である。
林業の伐採道としての役割を終えた廃道なのだ。

さて、ミズ採りは今年初めてだが、ミズはけっこう食べている。 知人にもらったり。 スーパーで買ったものを、油炒めして食べたり。
でも、なんだか物足りない。 やっぱり、自分で採集したミズを食べたい。 そういう気分が強くなって、谷へ下りたのだった。 クマは恐いが、美味しいミズが食べたい。

この間見物に行った「山王坊遺跡」では、たくさんのミズが杉の林床に生育していた。
あのとき、今度はこの谷へミズ採りに出かけようと思ったのだった。
とは言うものの、真夏になるとミズの茎が筋っぽくなって、あまり美味しくなくなる。 この時期にスーパーに出回っているミズに、そういうものが多い。
ミズの美味さの条件は、柔らかくて、シャリシャリの歯ごたえと独特の粘りが豊富であること。 私を含めて、多くの人々がそう思っているに違いない。



上の写真は、ミズの谷へ下りる急坂。
ここの藪がいちばん深い。
灌木の小枝が、行く手を阻む。

ここでは、踏跡も見当たらない。
斜面を確認しながら、ひたすら下へ下りていく。

この谷から採ってくるミズは、私の知人のあいだでは評判が良い。 美味いミズだと皆が褒める。
真夏に、この谷のミズを採ったことは無い。
真夏のミズは、だいたい硬い。
ミズは、涼しい秋になると食感の柔らかみが回復すると言われているので、去年も秋になってからミズ採りに出…

五月雨や色帋へぎたる壁の跡

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「嵯峨日記」は、芭蕉が上方漂泊期に、嵯峨の「落柿舎」で十八日間過ごした日々を綴ったものである。
発句と、日記風文章で構成されている。

「落柿舎」は、京都在住の門人向井去来の、嵯峨野にある別荘。
芭蕉はこの「落柿舎」に、元禄四年四月十八日から五月四日まで滞在した。
ちなみに、芭蕉が「落柿舎」を初めて訪れたのは、元禄二年十二月だといわれている。

以下の「赤文字」部分は、「芭蕉紀行文集(岩波文庫)」より書き写した「嵯峨日記」冒頭の文である。

「元禄四辛未(しんび)卯月十八日、嵯峨にあそびて去来ガ落柿舎(らくししゃ)に到(いたる)。凡兆(ぼんてう)共ニ来りて暮に及(および)て京ニ帰る。予は猶(なほ)暫(しばらく)とゞむべき由にて、障子つゞくり、葎(むぐら)引(ひき)かなぐり、舎中の片隅一間(ひとま)なる處伏處(ふしど)ト定ム。机一、硯、文庫、白氏集、本朝一人一首、世継(よつぎ)物語、源氏物語、土佐日記、松葉集(しょうえふしふ)を置(おく)。并(ならびに)唐(から)の蒔絵(まきゑ)書たる五重の器(うつわ)にさまゞの菓子ヲ盛(もり)、名酒一壺(いっこ)盃を添(そへ)たり。夜るの衾(ふすま)、調菜(てうさい)の物共(ども)、京ゟ(より)持(もち)来りて乏しからず。我貧賤をわすれて清閑ニ楽(たのしむ)。」

以下は、私の現代語拙訳。

「元禄四年かのとひつじ四月十八日、嵯峨野を散策して向井去来の落柿舎に着いた。野沢凡兆が同行して、夕暮れになって京都に戻った。私はさらにしばらく滞在するということで、障子が修繕され、庭のムグラ(トゲのある蔓草の一種)がむしり取られていて、別荘の片隅の一部屋が寝室として提供されていた。この部屋には、机一つ、硯(すずり)、蔵書は白氏文集、本朝一人一首、栄華物語、源氏物語、土佐日記、松葉集が備えてあった。これらとならんで、中国の蒔絵を描いたような五種類の器にさまざまの菓子を盛り、名酒一本に盃を添えてあった。夜に寝る布団、副食物などは、京都より持ってきたもので貧弱ではない。自身の貧しく身分賤しいことを忘れて、世俗から離れた静かさを楽しんでいる。」
「嵯峨日記」は上記のように、「野ざらし紀行」や「笈の小文」、「おくのほそ道」の宣言調の書き出しと違って、のんびりとおだやかな語り口で始まる。
芭蕉は、「落柿舎」でゆったりとした日々を過ごしたようである。 滞在期間中は、…

十三湖北岸の中世宗教遺跡「山王坊遺跡」を見物

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「道の駅十三湖高原」方面から国道339号線を小泊へ向かって走っていると、右手に上の写真の鳥居が現れる。
赤い鳥居は、かなり手前からでもよく目立っている。

山王坊川にかかっている山王坊橋を越えたところに道路案内標識が建っている。
それには「山王坊遺跡 日吉神社」と記されている。

ここを通るたびに気になっていた鳥居だった。
津軽半島にあるものにしては、かなり違和感が漂っている。
通常の鳥居の上に、小さな鳥居状のものが載っている。
「なんだ、これは?」てな感じである。

今日は、前から気になっていた「国指定史跡 山王坊遺跡」を見物した。
国道339号線沿いの鳥居は、近年に建てられたシンボル塔であるとのこと。




上の写真は、「東北自然歩道 安東史跡をめぐる道」と題された看板。
この看板の太い赤線で描かれた道は、自動車でも通れそうな印象である。
だがこのルートは、山間部に急坂があったり、道が狭かったり、自動車では通行困難な箇所もあるので注意が必要である。
看板マップ上の「山王坊日吉神社」と「春日内神社」間は、クルマでは通行不可能。
「安東史跡をめぐる道」は、看板通りの「歩道」のルート。
自動車通行可能な箇所は限られている。
また、上の看板で表示されているエリアの、道端に建っている案内看板には、残念ながら不明瞭・不明確なものもあるので、これも要注意である。



国道から1.35km入ると、上の写真の広い駐車場に着く。 左側の看板の手前が、舗装された駐車場で、普通乗用車が50台ぐらいは駐車できそうな広さである。 奥のタクシーが停まっている場所は、参道前の広場のようなところ。 広い駐車場が整備される前の、旧駐車場だったのかもしれない。




参道の右側に立派な看板が建っている。 この地が、本当に由緒ある場所だと訴えているような看板である。
看板右側には、「山王坊遺跡と日吉(ひえ)神社」と題された説明書きが書かれている。 以下の「赤文字」部分は、その説明書きを書き写したもの。
『 山王坊川が流れる山間の奥まった谷間に日吉神社が勧請されている。この一帯は「山王坊」とも呼ばれ、山林に囲まれた境内地は古来より霊地として地域住民に畏敬の対象とされ、大切に守られてきた。  これまで①安藤氏に関する日吉神社の地である②「十三往来」に記載される阿吽寺跡の地である③南部氏によって焼き打ちされた地であるといった伝承…

川風や薄柿着たる夕涼み

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江戸時代に京都四条の河原(鴨川)では、陰暦の六月七日から六月十八日の十二日間、「夕涼み」が行われていた。
京都盆地は、冬は底冷えがして酷く寒く、夏は酷く蒸し暑い。 この夏の暑さをしのぐために、水辺の涼を楽しんでいたようだ。

芭蕉は元禄三年の夏、上方漂泊中の京都で、四条の河原の「夕涼み」に出かけている。
上の写真は、四条の河原で行われていた「夕涼み」のイラスト。
江戸時代に描かれたものである。

このイラストも面白いが、「夕涼み」の様子を書いた芭蕉の文章がもっと面白い。
当時の「夕涼み」の様子が目に浮かぶようである。
以下の「赤文字」は、「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」に載っている芭蕉の文を書き写したもの。

「四条の川原涼みとて、夕月夜のころより有明(ありあけ)過ぐるころまで、川中に床を並べて夜すがら酒を飲み、物食ひ遊ぶ。女は帯の結び目いかめしく、男は羽織長う着なして、法師・老人ともに交(まじ)り、桶屋・鍛冶屋の弟子子(でしご)まで、暇得顔(いとまえがお)に歌ひののしる。さすがに都の気色(けしき)なるべし」

「暇得顔(いとまえがお)に」とは、「良い機会を得たとばかりに」という意。

別に現代語に訳さなくても、その賑わいの様子が伝わってくる文章である。
川風や薄柿(うすがき)着たる夕涼み 松尾芭蕉

元禄三年の夏の句。 京都四条の鴨川の河原で行われた「夕涼み」を詠った句である。
「薄柿」とは、柿渋で染めた薄い赤茶色(薄柿色)。 また、その色の帷子(かたびら)のこと。
帷子とは、麻で仕立てた夏用の単衣の着物。

薄柿の帷子は、その当時流行したのではあるまいか。
それで、「夕涼み」の河原では、「法師・老人ともに交(まじ)り、桶屋・鍛冶屋の弟子子(でしご)まで、暇得顔(いとまえがお)に」薄柿を着ていたと私は想像している。

薄柿を着て鴨川の川原で夕涼み。
それが、京都の夏のファッションだったのかもしれない。

その様子を、「さすがに都の気色(けしき)なるべし」と芭蕉は楽しんでいるように思える。

ところで、日本の伝統色である薄柿とは、「和色大辞典」というサイトによると以下の色である。








薄柿を、CMYKカラーモデルで表すと「C=20% M=38% Y=26% K=0%」となる。 そこで、京都の町人風の男性をCorelDRAWで上の図のように描いてみた。
芭蕉の文に、「男は羽織長う着なして」とあ…

世の人の見付けぬ花や軒の栗

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この時期の青森市近辺の里山では、栗の花が満開である。
山沿いの道をクルマで走る。
すると、あちこちの山の麓で、白く細長い栗の花が風に揺れているのが見える。
夏の濃い緑に、白っぽい花はよく目立つ。 花が咲いて初めて栗の木の存在がわかる。 栗の木って、山にけっこうあるんだなあと思う。
里山の山桜もそうだし藤もそうだ。 花が咲くってことは、木々が、私達はここにいる!って叫んでいるようなもの。 「咲け」という言葉は「叫べ」と通じているんじゃないだろうか。
などと思ってしまう。
穂状の花をひらひらさせているので、栗の花は風媒花かと思ったら虫媒花だった。 「しまった!」 知ったかぶりして、栗の花って風媒花なんだぜと、ある人に教えてしまった。

「風媒花って、なに?」とその人は聞いた。
花粉が風で運ばれて受粉する花さ、風を媒体にするから風媒花。
「じゃ花粉症の原因は、風媒花のせいなんだ。」
「そ、そうなるね・・・」

世の人の見付けぬ花や軒の栗
松尾芭蕉

元禄ニ年四月の句。
「おくのほそ道」の旅の途上、須賀川で詠んだ句。

掲句の初案は、四月二十四日、可伸(栗斎)庵で行われた七吟歌仙の芭蕉の発句「隠れ家や目だたぬ花を軒の栗」である。
この句は、亭主である栗斎への挨拶句。
栗斎の脇句は「まれに蛍のとまる露草」。

「遁世して暮らす草庵にふさわしく、軒の栗が目立たないようにひっそりと花を咲かせているよ。」と芭蕉が詠う。
栗斎は、「訪れる人はめったに無いが、たまにホタルが草庵の草むらにやってくるよ。」と芭蕉の挨拶に応ずる。

時期になると栗の花は賑やかに咲くので、よく目立つ。
見ようとしなくても目に入ってくるのが栗の花である。
しかし栗斎の草庵の栗の木は、主人の遁世の心をよく知っているので、目立たないように咲いている。
芭蕉は、初めて訪れる栗斎の草庵に対して、そういう挨拶を述べた。

「おくのほそ道」に収められた改案の掲句には、以下のような前書きがついている。

『この宿(しゅく)のかたはらに、大きなる栗の木陰を頼(たの)みて、世をいとふ僧あり。橡(とち)拾ふ太山(みやま)もかくやと閒(しづ)かにおぼえられて、ものに書き付けはべる、その詞(ことば)、「栗という文字は、西の木と書きて、西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生 杖にも柱にもこの木を用ゐたまふとかや。」 世の人の見付けぬ花や軒の栗』
『「おくの…

芦野公園に展示されている旧津軽森林鉄道の酒井C-19形5屯機関車

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芦野公園西側エリアの西端に建っている「五所川原市金木歴史民俗資料館」は休館中だった。
定休日による休館ではなくて、開館する予定は当分無いという休館状態。

「金木歴史民俗資料館」には、、芦野七夕野遺跡などの出土土器を展示する「考古資料展示室」があるということなので、楽しみにしていたのだが残念だった。

資料館の建物の前には、津軽森林鉄道で活躍していた機関車が展示されている。
津軽森林鉄道は、「日本の森林鉄道の歴史は、1909年(明治42年)12月20日に開通した津軽森林鉄道に始まる。」とウィキペディアにも記載されているように、日本で初めての森林鉄道である。

明治42年(1909年)12月20日に開通式が行われ、昭和42年(1967年)11月に津軽森林鉄道は58年の歴史に幕を閉じた。
その後も一部の支線の運行は続けられたが、昭和45年(1970年)にすべての支線が廃止されたという。

現在でも津軽半島の山間部各所に、その軌道跡を見ることができる。




上の写真は、運転席の後ろの窓から運転席の内部を撮ったもの。
運転席は、けっこう狭い。
軽四の乗用車の運転席よりもちょっと狭いぐらい。
座席がふたつあるので、この狭い空間で運転士と助手が操縦に関わっていたのだろう。







下の写真は、この機関車の説明看板。
真鍮の板に彫刻文字で製作されている。
重厚な歴史を感じさせる演出である。

インクジェットプリンターで出力したフィルムをアルミ複合板に貼り付ける安価な看板では、58年の歴史の重みは出ない。

以下の「赤文字部分」は、この看板の内容を書き写したものである。


わが国最初の森林鉄道

 津軽半島を縦に走る中山山脈、そこに広がるヒバ林は、日本三大美林の一つに数えられ、最盛期ここから切り出される木材は質、量とも国内有数であった。中でも金木営林署は木材輸送及び集積の拠点として、県内最大の規模を誇り、それに伴い町も大いに栄えた。
 この木材輸送手段として森林鉄道が計画され、金木(喜良市)、青森間67kmが明治39年着工から明治42年までの、わずか3年5か月で完成した。当時の土木技術とすれば驚異的記録であり、これを可能にしたのは、当時の鉄道院の協力により、東北・奥羽本線から優秀で経験豊富な技術者や労働者を多数得られたためであるとされている。そして、この区間は我が国の森林鉄道開通第一号であり、この地方の良質のヒバ…

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