2015/07/03

芭蕉の安堵と不安「あかあかと日は難面くも秋の風」

日はあかあかと

「難面くも」の意味

「難面くも」は「つれなくも」と読む。
「つれなく」は「つれなし」の連用形。
「も」は「・・・・けれども」の意の接続助詞。

「つれなし」の言葉の意味は、辞典で調べると以下の通りである。
  1. 素知らぬふうだ。平然としている。
  2. 冷淡だ。薄情だ。
  3. ままならない。思うにまかせない。
  4. 何事もない。変わらない。
芭蕉の下の句では、「つれなし」の全ての意味が使われていると私は思っている。

あかあかと日は難面(つれな)くも秋の風
松尾芭蕉


「照らす」や「過ぎ去る」が省略されている

「つれなく」は形容詞の連用形であるが、この句では「難面くも」に連なる用言(動詞)が省略されているように思われる。
この句では「日(陽)」の動作を表す「照らす」と、「日(月日)」が「過ぎ去る」がその用言にあたるのではないだろうか。

安堵と不安の入り混じった句

あかあかと太陽は、相変わらず地上を照らし続けているけれども、夕暮れになると涼しい秋の風を感じるようになったなあという旅人の安堵感が、この句に表れている。
と同時に、月日の過ぎ去るのは早く、もう秋になってしまったのかという不安感や焦燥感も表れている。

この句は古今集の藤原敏行朝臣の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」を踏まえた句であるように言われることが多い。
この短歌と同じように、「秋の風」を題材にしているのだが、芭蕉の句には多様なイメージの重なりが感じられる。

「秋の風」は安堵でもあり、不安でもあるというような・・・・。

劇を演じている旅人の独白

それは芭蕉の旅という「劇」のなかでの句であるからではないだろうか。
芭蕉の旅は「劇」であり、句は「劇」を演出するための「独白(モノローグ)」の役割を果たしているようにも思える。

秋の風

ことに孤独感を伴う旅の句では、独白的な色彩が濃いと私は思っている。
  1. 夏中、暑い陽の下を歩き続けてきた。夏の太陽は、私をつらい目にあわせて平然としているが、夕焼けがあかあかとあたりを染めるころには心地よい秋風が吹き始めている。
  2. 夏の太陽は薄情にも、もう若くはない旅人をジリジリと照らす。上空のあかあかとした太陽は、このように旅人を追い回しているが、次第に吹き始めた涼しい秋の風が私(旅人)を助け、私に旅の勇気を与えている。
  3. 四季を通して旅を続けている者にとって、あかあかとした夏の太陽はままならないもののひとつ。だがそれも、時が来れば秋の風に取って代わる。寒くて寂しい秋の風が、今度はままならないものになるのだ。本当は過ぎ行く時(日)が一番ままならないものなのかも知れない。
  4. あかあかとした夏の日は、そのように日一日何事もなく続いているように思われるが、日毎に季節は動いている。市井の日々は何事もなく過ぎていくようだが、旅の中で夏を終え、旅の中で秋を迎えている。暑い夏が終わったら、今度は寒い冬がやってくるのだ。
芭蕉の句の幾重にも重なるようなイメージは、旅(劇)の情景の多様な広がりでもあるようだ。
そんな情景の舞台を、芭蕉はコツコツと歩いている。

あかあかと
日はつれなくも
秋の風

夕暮れのあかい残照。
淡々と過ぎ行く月日は、薄情にも、
もう冷たい秋風を吹かせているのか!

「旅の劇詩人」は低く呟いた。

<関連記事>
◆松尾芭蕉おもしろ読み

スポンサーリンク