Latest Posts

  雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

Latest Posts
津軽半島大倉岳ハイキングその1(阿弥陀川登山口~前大倉岳~大倉岳山頂)

津軽半島大倉岳ハイキングその1(阿弥陀川登山口~前大倉岳~大倉岳山頂)

駐車場付近にハイキングコース案内の看板(ここがスタート地点であり、循環コースのゴールでもある)。逆時計回りに赤倉岳に向かう場合は、ここが登山口となる。 15年ぶりぐらいで、津軽半島大倉岳(677m)へハイキング。 蓬田村から大倉岳阿弥陀川(あみだがわ)登山口までの...

2015/11/01

芭蕉と柳「田一枚植ゑて立去る柳かな」

田植えをしているのは、もちろん早乙女である。 この句をはじめて読んだとき、私はそう感じた。 そして立ち去ったのも早乙女なのだ。 この句の「柳」には2重のイメージがあると思った。 ひとつは女性である早乙女。 もうひとつは、芭蕉がその木陰で憩った畔道の柳の木。 芭蕉の...

2015/10/30
今年のドウダンツツジの紅葉は色が冴えない

今年のドウダンツツジの紅葉は色が冴えない

今年、ドウダンツツジの紅葉が冴えない。 毎年、公園の生垣になっているドウダンツツジの真紅の紅葉を、散歩の楽しみにしていたのだ。 それが、今年の紅葉は黒っぽい赤。 鮮やかさに欠ける。 この夏に枯れかかったせいなのだろうか。 それはある程度復活した のだったが、完ぺき...

2015/10/30

まだ傍観者であった芭蕉「春や来し年や行きけん小晦日」

もう少しで10月も終わる。 11月に入ると年の暮れも間近。 のどかな秋の日も終わり、せわしない年末に入る。 津軽地方は、そろそろ雪の季節を迎える。 春や来 (こ) し年や行きけん小晦日 (こつごもり) 松尾芭蕉 芭蕉19歳のときの作として有名な句である...

2015/10/29
芭蕉の誘導「山路来て何やらゆかし菫草」

芭蕉の誘導「山路来て何やらゆかし菫草」

春から初夏にかけて、低山の山道を散歩しているとスミレに出会うことがある。 山野で出会う花としてスミレは、そんなにめずらしい植物ではない。 ハイキングでよく見かける小さな花。 小さい花だが、その紫色の美しさはすばらしい。 山路(やまじ)来て何やらゆかし菫草(すみれぐさ)...

2015/10/28
芭蕉の視線「道の辺の木槿は馬に喰はれけり」

芭蕉の視線「道の辺の木槿は馬に喰はれけり」

白いムクゲの花。 木槿(ムクゲ)はアオイ科の落葉低木。 観賞用は、大きいもので4メートル近くまで成長する。 しかし野生の木槿は10メートルを越えるぐらいまで大きくなるものもあるという。 木槿の花は、朝咲いて夕方には萎みかける。 初夏に花が咲き始めると、一本の木で毎...

2015/10/27

農民たちの祈願「あの雲は稲妻を待つたより哉」

私が子どもの頃、津軽半島の村では、雷の閃光のことを「イナビカリ」と呼んでいた。 「あっ、イナビカリが光った!」と叫んで耳をふさぎ、身を縮こませる。 すぐに「ドドドーン」という音が響き渡る。 「あっ、落ちた、近い近い!」と騒ぐ。 子ども達にとって、雷鳴の恐怖は、まだ遊びの...

2015/10/25

芭蕉の自負「色付くや豆腐に落ちて薄紅葉」

「紅葉豆腐」と聞くと、秋に京都の料亭などで出されるシャレた一品のような印象だが、実際は、「豆腐小僧」という妖怪がお盆で持ち歩いている豆腐の事。 「豆腐小僧」とはあまり知られていない妖怪。 でも、江戸時代の草双紙(※江戸時代の娯楽本)などに多く登場している妖怪とのこと。 ...

2015/10/25

芭蕉の無常「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」

芭蕉にはふたつの風景が見えている。 無数の蝉が嵐のように鳴き盛る風景と、音も無く静まり返った風景。 喧騒と静寂のふたつの風景を対比させ、そのなかで、夏の一日を鳴き暮らす命の営みを浮かび上がらせようとしている。 地上に出た蝉が、成虫として生きている期間は、現代では2...

2015/10/24

芭蕉のミニマムライフ宣言「ものひとつ我が世は軽き瓢哉」

上五が数え歌の出だしのようで調子が良い。 勢いが感じられる。 芭蕉が発する宣言のようなものか? ものひとつ我が世は軽 (かろ) き瓢 (ひさご) 哉 松尾芭蕉 「ものひとつ」は持ち物は一つというイメージ。 「我が世」とは、芭蕉自身の人生(旅)のことと思われ...

2015/10/24
雨上がりの朝、公園のカツラの落葉が甘く匂っている

雨上がりの朝、公園のカツラの落葉が甘く匂っている

カツラの落葉の絨毯。 犬の散歩に、いつもの公園に立ち寄ったら、カツラの落葉の匂いが地面からたちこめていた。 カツラの紅葉(黄葉)は終わりかけていて、ほとんどが落葉している。 その落葉の絨毯に足を踏み入れた時、甘い香りがしたのだ。 砂糖醤油がちょっと焦げかかったよう...

2015/10/24

芭蕉の重複「年々や猿に着せたる猿の面」

ネットでは芭蕉の様々な句に出会う。 だが、そのすべての句が、ほんとうに芭蕉の作であるかどうか、私には調べようもない。 芭蕉作と伝えられている俳諧には、「存疑句」や「誤伝」、「贋作」も少なからずあるという。 信頼できる文献として、今栄蔵氏校注の「芭蕉句集」(新潮日本古典集成...

2015/10/23

芭蕉の岐路「旅に飽きてけふ幾日やら秋の風」

吉本隆明氏に「言葉からの触手」(河出書房新社)という刺激的な題名の著作がある。 「あとがき」で吉本氏自身が言っているように、この本は、 「生命が現在と出合う境界の周辺をめぐって分析をすすめている」 断片集でできている。 その「断片集」の60ページ目に「11 考える 読...

2015/10/22
芭蕉の旅情「よるべをいつ一葉に虫の旅寝して」

芭蕉の旅情「よるべをいつ一葉に虫の旅寝して」

「一葉」にはいろいろなイメージが含まれている。 一枚の写真を一葉の写真と言ったり。 「その部屋の畳の上には、一葉の古い写真が落ちていた」なんてね。 俳諧では、「一葉」とは桐の葉を指すとか。 「一葉(いちよう)落ちて天下の秋を知る」という故事・格言もある。 もっとも...

2015/10/22

芭蕉と白秋「石山の石より白し秋の風」

石山の石より白し秋の風 松尾芭蕉 私がこの句を読んで真っ先に思い浮かんだのは、北原白秋のこと。 「白し秋」で白秋となり、北原白秋を連想してしまったのだ。 これは芭蕉の誘導によるものか。 おっと、芭蕉は、明治の詩人北原白秋のことを知るはずもない。   芭蕉が誘導し...

2015/10/21

「野ざらしを心に」から持続する旅「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」

「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に おもひて旅立ければ、」 と、句の前文にある。 「野ざらしを心に風のしむ身哉」 という思いは、旅(野ざらし紀行)の間中ずっと芭蕉の心の中にあったのだろう。 ポジティブな思いで旅を続ける芭蕉...

2015/10/20

芭蕉が見る天空と地上絵「月見する座にうつくしき顔もなし」

名月や座に美しき顔もなし 松尾芭蕉 これは、ロングショットとクローズアップの「芭蕉視点」の典型的な句のひとつではあるまいかと、私が感じた句である。 天空に名月、地上に「名月観賞会」の人々とその顔つき。 この句を読む読者の視線は、芭蕉に誘導されて名月を眺め、そして一座...

2015/10/19
坂梨峠の紅葉と大舘のきりたんぽ鍋

坂梨峠の紅葉と大舘のきりたんぽ鍋

快晴の今日は、坂梨峠へ紅葉見物。 坂梨峠とは、青森県平川市と秋田県鹿角郡小坂町の県境にある国道282号線の峠、 国道7号線を大館方向に走り、碇ヶ関で鹿角方面という道路標識に従って、左手側道に入る。 古遠部温泉への分岐を過ぎると、国道282号線は山道に入る。 その山...

2015/10/18

芭蕉のカメラワーク「炉開きや左官老い行く鬢の霜」

元禄五年、芭蕉49歳の作とされている。 芭蕉は、元禄七年の冬に51歳で亡くなっているから、他界する2年前の句。 「炉開き」とは、一般では、冬を迎える準備として囲炉裏の蓋を開けること。 茶の湯では、10月の終わりから11月の初めにかけて、茶事の風炉に変わって炉を開いて用いる...

2015/10/17
八甲田山の紅葉と,森のなかの滝

八甲田山の紅葉と,森のなかの滝

おとといの晩に降った雪が山陰に白く残っている今日の八甲田。 紅葉と滝見ハイキングに出かけた。 国土地理院発行の北八甲田の地形図を見ると滝のマークは3箇所程度しか見当たらない。 北八甲田には地図には記されていない滝がたくさんあるようだ。 今日訪れた滝もそのひとつ。 ...

2015/10/17

広告

広告