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4月, 2013の投稿を表示しています

長靴に軽アイゼンをつけて、残雪多い春の折紙山へ

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曇り空だが、大きな天気の崩れは無いという予報だったので、青森市滝沢地区の折紙山(おりがみやま)へ出かけた。 この時期の残雪の量(規模)とスキーの滑走コースを確認するのが副目的。 主目的はもちろん、折紙山の山歩きを楽しむこと。 久々に、愛犬同行の山歩きとなった。 山歩きの装備は、長靴に簡易アイゼン、スキーストック。

葉が出てきたシダレカツラ

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平和公園のサンシュユの隣には、シダレカツラの小木が立っている。
シダレカツラといえば、岩手県盛岡市の「龍源寺のシダレカツラ」が有名だ。
国指定天然記念物となっている大木のシダレカツラで、樹高が21メートルもあるらしい。
推定樹齢は180年。

平和公園のサンシュユが開花

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今日の朝は小雨模様。
犬の散歩のついでに、平和公園にサンシュユの花を見に行った。
4月13日に見た時は、まだつぼみだったが、今日はすっかり花が開いている。
「散形花序」の7〜8割ぐらいが開花していて、その傍らに、まだ開いていないつぼみがちらほら見える。
紡錘形のかわいいつぼみが少し残っている今頃が、サンシュユの花の見頃だ。

かわいいつぼみとかわいい花が、空に向かって弾けたように開いている。

サンシュユの花盛り。

曇り空でも、平和公園の西側の入り口からサンシュユの黄色い花が輝いて見える。
近づいて見ると、雨露に濡れた小さな花が、おしべやめしべを中空に突き出して咲いている。
花とつぼみが混在しているように見えるサンシュユの「散形花序」だ。
サンシュユの「散形花序」に開花の順番はないのだろう。
ニシキギなどの「集散花序」は、主軸の茎頂の花が咲き、次に主軸から分かれた側枝の茎頂の花が開いていくという明解な開花の順番がある。
サンシュユの「散形花序」はてんでに、バラバラに花開いて、開花の順番は見当がつかない。
その「乱調子」が面白い。






青空へ飛び出したサンシュユのつぼみ

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青空が気持ちよかったので、散歩がてら、公園のサンシュユを見に行った。
このあいだ見た時より、つぼみ達が飛び出している。 パッと飛び出しているやや紡錘状の黄色いのを、サンシュユの花と見間違えそうだが、まだまだ花になっていない。
花になる前のつぼみ達の場所取り合戦なのだ。 みな、いい位置を占めようと背伸びしている。 一番目立つ位置で花を咲かせようという努力。 精一杯伸び上がりながら、早く外に出たい幼児のように外界を見渡している。

サンシュユのつぼみ

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この前より、公園のサンシュユのつぼみが開きかけている。

おそらく、この公園の木の花のなかで、真っ先に開花するのはサンシュユに違いない。
サンシュユのつぼみといっても、右の写真のアップした一個がつぼみではない。
この中の、たくさん黄色い顔を出している一個一個がサンシュユのつぼみなのだ。
こういうのを「花序」と言うそうだ。

サンシュユのような花の姿は「散形花序」と呼ばれている。
サンシュユの黄色い花は、木の枝先いっぱいに広がる。
もうちょっとしたら、そういうサンシュユの花が見られる。

桜の気配は命の気配

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このところ割と暖かい日が続いているので、桜のつぼみも膨らみ始めている。 以前と比べて、芽の先端が若草色っぽくなってきた。 この間見た時は、花芽はまだ「鱗」に被われていて、先端が尖っていたが、今は丸く膨らんでいる。 内部の生命力に押されて、花芽の先が柔らかくなり、その柔らかさが外の世界と接している。
「鱗」で防御されて内にこもっていた冬芽の力が、柔和に外界と触れつつある。 成長するということは、力が柔和になるということなのだろう。 殻にこもって孤立していた時期を終えて、冬芽が柔らかく外へ開きかける。
やがて柔和な花が開き、虫や小鳥が集まり、人の目が集まる。 成長とはいろいろなものを引き寄せる事だと、桜の木が示しているようである。

冬を乗り越えた雪囲い集落の日常

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公園の残雪も少しずつ減って、雪囲い集落に春が来た。
後は、解体を待つばかりの静かな雪囲い集落。
今年も大量の雪が積もったのに、雪囲いの板は無傷である。
冬の最中に何度か、雪囲いの「雪下ろし」があったにしても、釘を打った箇所の板割れが見当たらないのは、やはりプロの仕事のせいなのだろう。

地味な仕事にコツコツと体を動かしている多くの人たちが、平穏な公園の日常を支えている。
雪囲いの板は大事に仕舞っておかれて、今年の冬の初めに、また利用される。
ものを大事に扱う気持ちが、写真の雪囲いに込められているのだ。
そういう気持ちに囲まれて、公園の植栽が美しく育っていくのだろう。

そういう方法で、公園の日常が優しく整えられていく。
公園と言う場所は、そういう「気」に包まれていなければならない。
人々が安らぎを求めに訪れる公園だから、優しさに満ちていなければならない。
冬を越えた雪囲い集落を見て、人々はほっとする。
今年も春が来た。

しかし、いろいろな事件は、季節の到来やムードとは無関係に起こる。
穏やかな季節の到来は、天体のサイクルに過ぎない。
カレンダーの数値は、一面では、虚しい数字の羅列である。
やがて勃発するかも知れない権力間の衝突は、私たちの平凡なカレンダーには記されていない。
この公園から世界を見ることは出来ないが、平穏を脅かす視線が、日常のあらゆる場所に注がれている。

それがやっかいな事かどうかは別として、世界の日常は、私たちの日常とつながっているのだ。

戦争や疫病の流行や自然災害、巨大事故。

それら、世界で日常的に起こっている事は、この穏やかな公園でも起こり得る。

冬を乗り越えた雪囲い集落の日常は、春の陽気を浴びて穏やかだ。

冬を乗り越えた植栽の芽が、予期できない日常の進行に合わせて、蕾を開きかけている。


投稿や記事を書く際に留意すべき事

つい最近公開になったGoogleのウェブマスターアカデミー日本語版では、次のような事が言われている。
Google検索結果で上位に表示されやすいサイトを作成するためにするべき事は、Google のランキングのアルゴリズムやランキングを決定する要素の心配をすることではなく、優れたコンテンツを作ることに集中することだ、と。
そのために、Googleウェブマスターアカデミーでは、投稿や記事を書く際に留意すべき点として以下の事を上げている。

これは、このブログの投稿や記事にも当てはまることなので、私の解釈を交えて、まとめてみようと思う。
私のまとめ方に少し誤解釈があるかも知れないが、そこがこのブログ(方法)の独自性でもある。

(1)、そのブログの記事に書かれてある情報が信頼できるものであるか
(2)、通り一遍の解り切った内容ではなく、新しい視点や観点で書かれた有益で役に立つものか
(3)、独自の情報やレポート、独自の発見、研究、分析が含まれているか
(4)、検索結果に上がった他のページに比べて、十分な価値や、興味をそそる内容であるかどうか
(5)、そのブログに書かれた内容が、雑誌や百科事典、書籍などに記載されるだけの価値があるか
(6)そのブログのテーマにおいて、権威を認められているサイトか

(1)の、情報が信頼できるものかどうかは、私のブログの場合、個人的な体験を元に書いているので何とも言えない。
ただ、私のブログは「正確な情報」を得るためのヒントには、大いになり得ると思っている。
(2)の、有益で役に立つものであるかどうかは、人それぞれだと思っている。
解り切った内容のものを、ことさら目新しい事実として掲げるようなことはしていない。
このブログに有益な情報は少ないかも知れないが、たまにユーザーをリラックスさせる記事はあると思う。
そういう点では、ユーザーの気分転換のため、ほんの少しは役に立っているかも知れない。

(3)の、独自の情報やレポート、研究、分析が含まれているかは、これも、ほんの少しはあるかも知れない。
「個人的な体験」についての記事は、その人自身の「独自性」に満ちているからだ。
その体験の情報を、単なる個人的な内容に踏みとどまらせることなく、いかに一般的・普遍的な事実として解明するかがブログの課題だと思う。
しかし世の中には、専門的な研究や分析が…

BloggerのLightBox機能が回復

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先日の記事で、BloggerのLightBox機能の不具合について書いたが、いつの間にか回復していた。

ブログの写真(画像)をクリックすると元通りにページ全体が暗くなって、写真がページの真ん中に拡大表示されるようになった。

さすが、Google Bloggerである。

今や写真情報(画像)はブログの表現力を高めるために欠かせないもの。

その写真の詳細を見ようとクリックしたら、読んでいるブログのページが消えて、写真だけの拡大ページへ移動する。

これでは、ブログの記事と写真情報との関連性がつかみにくい。

せっかくの写真情報の効力が半減してしまう。

これが回復したことによって、Google Bloggerの進化は加速しそうな予感がある。


ブログ管理画面の「レイアウト」を覗いたら、新しいガジェット「Wikipedia」が追加されていた。

これはサードパーティーの開発者によって作られたガジェットということだが、Google Bloggerを支える裾野の広がりを示している。

Google Bloggerは日本国内ではあまり知られていないという評判が以前はあったらしい。

でも今は、その高機能さ故にユーザー層が広がっていると言われている。

複数のブログを運営できるのも魅力のひとつ。

容量がほぼ無制限で、この記事で話題にした写真(画像)も800px×800px以下なら無数にアップロードできるのが良いね。

春のコブシの冬芽

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去年の12月の初め頃に見かけたコブシの冬芽を見に行った。

この地方ではコブシの花は、桜(ソメイヨシノ)よりも先に咲き、桜が散った後も花はまだ枝先に残っている。

綿毛のコブシの冬芽は、去年見た時とあまり変わっていないように見える。

下の拡大写真をよく見ると、芽自体がちょっと膨らんだ感じと緑っぽく色づいた様子が、去年と違う点のようだ。

今年は桜の開花が例年よりも早いという予報なので、もしそれが当たっていれば、コブシの開花も早いに違いない。

ある胃ガン患者の死

昨日の夕方、仕事関係の知人の通夜に参列した。

彼は去年の2月の終わり頃、胃がんと診断されて公立病院で手術を受けるために入院。

胃を三分の二摘出して3月の終わり頃に退院。

その後、鉄工所を経営しながら、抗がん剤治療と検査を繰り返していた。

現場仕事にも出ていたので、つい最近まで、建築現場の足場に上がっての作業も元気にこなしていたという。

去年の暮れのCT検査では、異常が見つからず、本人も安堵していたという奥様の話だった。

それが、今年の2月のはじめに、激しい腹痛のため、かかりつけの病院で診察を受けたら、胃の周囲の内蔵にたくさんのガンの転移が認められたという。

彼は3月28日に亡くなった。

私より若く、満58歳の生涯だった。


通夜の喪主挨拶の場で、奥様は、去年の暮れのCT検査で異常が見つからなかったことを悔しそうな口調で参列者に告げた。

その口調から、CT検査に疑念を持っているように私には感じられた。

個人的に詳しい話は伺っていないので、真意は不明である。

そう感じたのは、あくまでも私自身の受けた印象に過ぎない。


CT検査での医師による見逃しがあったとすれば、酷いことだと思った。

病院におけるいろんなミスがニュースの話題によく上がるので、そういうこともあるのかも知れない。

病院選択、医師選択も、命運を分ける重要な要素であるだろう。

そう思いながらも、もうひとつ頭に浮かんだのは、彼は「スキルス性胃がん」と呼ばれる病気ではなかったかということだ。

「スキルス性胃がん」とは20年ぐらい前に、フリーアナウンサーの逸見政孝さんが亡くなったことで話題になった病気だ。


「スキルス性胃がん」は胃粘膜表面の変化を起こさずに胃壁の中に広く浸潤するために内視鏡検査での発見は難しいらしい。

ガンの進行が早く、転移もしやすい。

手術しても再発度が高いというのが「スキルス性胃がん」の特徴であるという。

去年の12月のCT検査に何も出なかったということは、それ以後、急速にガンの再発・転移が進行し、2ヶ月後の腹痛でそれが発覚したということになる。


いずれにしても確かな情報が無いので、私の推測の域を出ない。

「推測や憶測でものを言ってはいけない」とおっしゃる方もいるが、それは間違いである。

「推測や憶測で断言してはいけない」が正解。

推測や憶測も、ひとつの考える方法。

それさえ封じ込められたら、素人は…

サンシュユの春の花芽

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まだ残雪が目立つ平和公園で、サンシュユの花芽がほころびかけている。

下のサンシュユの花芽の拡大写真を見ると、小さな「散形花序」の頭が今にも飛び出しそうだ。
花の頭が今にも飛び出しそうに見えて、なかなか咲かないのがサンシュユの花。
写真の状態から花が開くまでは、しばらくかかる。
サンシュユの蕾は用心深く外の世界を偵察している。
人気者の桜と違って、パッと咲かないのである。

存在の自己主張期間を長く持っている。
そこがサンシュユの花の魅力かも知れない。
サンシュユの花の写真は、去年の春の記事にある。
黄色い小さな花が、葉よりも先に出て、枝いっぱいに咲き広がる。
下の拡大写真をよく見ると、花芽のそばに褐色のとがった冬芽がある。
この冬芽が、サンシュユの葉芽である。
「冬芽」という漢字のイメージから、冬芽は冬期に落葉樹が準備するものと思っている方も多いようだ。
しかし、冬芽の多くは夏に準備される。
植物は暑い夏に、もう、寒い冬の準備をしている。
着実でなければ生命を維持できないのが植物の在り方。
それがまた植物の生きる方法でもある。


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