2013/12/31

公園の松の枝を折って犬の糞にまみれた男の大晦日

帰り道の公園で、「バキッ!」と音がしたので振り返ると、大きな松の木の下に男がいた。

手には、葉っぱがフサフサの松の枝を持っている。

大晦日の夕暮れである。

男は、自分の家に松の枝を飾って新年を迎えようというのだろう。

市が管理している公園の松は、手入れが行き届いているので、寒い雪の中でも緑が鮮やかだ。

男はヒツジほどの大きな犬を連れている。

夕方の犬の散歩のついでに、手頃な松の枝を失敬したようだ。

どこかで青竹を手に入れれば、門松がつくれるかも知れない。

そんなことを思ってか思わないでか、男は私を追い抜いて、急いで公園から出た。

そのままヒツジ犬とともに細い街路を進む。

行く手には、もうひとつ公園があって、赤い実をたくさんつけたナナカマドが植えられている。

あれも、やるつもりだな。

帰る方角が同じなので、なんとなく後について歩いていると、男はその小公園の中へ。

また、「バキッ!」という音。

夕闇の中で、男の手元に、赤い色彩がぼんやりと見える。

赤い色をチラチラさせながら、男は路上にもどった。

明日の元旦は、公園で折った松の枝とナナカマドの枝で正月を祝うつもりらしい。

(1)正月を祝って、良い年を迎えたい。

(2)正月を祝うのは良いことだ。

(3)良いことのためには、少々の小悪亊は許される。

(4)何せ、正月だからね。

自身が良くなるためには、少々周囲を傷つけてもかまわない。

自分さえ良ければ、全て良しという自分本位。

独善的。

身勝手。

自己中心的。

なんたる我侭。

その我侭男のヒツジ犬が、背を丸めて座り込み、糞をたれ始めた。

私の行く手の路上には 、みるみる糞の山。

大きい犬だけに、糞も大きい。

ヒツジ犬の飼い主は、知らん振りして立ち去ろうとしている。

「おい、犬の糞を置いて行くつもりか!」

ついに私は大声を出した。

男は振り返って「なに!」と吠えた。

「小僧、どこの家のガキだ。貧乏人のガキがワシに文句をつけるんじゃない!」

たしかに裕福な身なり。

まるで、どこかの部長様。

それに対して私は、大晦日だというのに作業服姿。

「どうせどっかの職工だろう。職工風情がワシに意見するとは何事か!」

するとヒツジ犬が「ワン!」と大きく吠えて、急に走り出した。

おおかた、雌犬の臭いでも嗅いだのだろう。

手に松とナナカマドの枝を持っている男は、犬の急な行動をおさえきれない。

まして、後向きだったから、尚のこと。

突然、大型犬に引っ張られたものだから、バランスを崩して尻餅をついた。

いや、正確に言うと「尻糞」をついた。

男の後姿は糞まみれとなった。

あたりに犬の糞の臭気がたちこめる。


松は昔から、神様が天から降りてこられる木として考えられてきた。

そのため、お正月の松飾りとして重宝されている。

松はマツ科の常緑高木。

葉は針状。

花は単性で、雌雄同株。

球果はいわゆる「まつかさ」。

かの万葉集には、「松」を「待つ」に掛けた歌が数多くあるという。

誰もがこういう場面を待っていた。

私が呼び止めたから、部長様が転んだ訳ではない。

公園の立派な松の枝を折ったときに、すでに、こうなる顛末は決まっていたのだ。

これは松の祟り。

男は、公園の松の枝を折って、犬の糞にまみれた大晦日を過ごした。

もはや、良い正月に逆転できる術は無い。

逆に転んでも、そこにもヒツジ犬の大きな糞の山が、もうひとつ。

こうして男は、正月七日まで惑うことになる。

ナノカマドウ・・・・ナナカマド・・・・・。

これは枝を折られたナナカマドの祟り。


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2013/12/30

脚立に登るとオシッコが近くなる65歳大工

大工
65歳大工。
私の知り合いに、65歳になる大工さんがいる。
その大工さんと久しぶりに会ったとき、彼はこんな話をした。
歳をとったせいか、この頃オシッコが近くなったという。

つまり、オシッコの回数が増えた。
彼は仕事がら、脚立に登る事が多い。
若い頃と違って、体の柔軟性が失われたせいか、脚立の上で仕事をしながらバランスを保つことが容易でなくなった。
若い頃は簡単に出来た事が、この頃は、ちょっと面倒になった。

2013/12/25

ケヤキの木と、ツツジの雪囲いの関係

スズメ
雪囲いの下のスズメ。
ツツジの雪囲いの下を、数羽のスズメが歩き回っている。

雨も雪も降っていないので、ツツジの枝の下での「ナントカ宿り」では無さそうだ。

このツツジは常緑性で、真冬でも緑の葉で覆われている。

何をしているのだろうと、カメラ片手に近づくと、スズメたちは一斉に飛び去った。

ツツジの根元には、スズメたちの足跡が点々。

2013/12/22

幻想の演劇覚書

ポスター
「盲導犬」ポスター。
平穏な生活の繰り返しの連続を日常と呼ぶなら、
非日常とは、異様な日々の連続という面を持っている。

危うい非日常は、案外、平穏な日常のなかに潜んでいるのかもしれない。

演劇は、
そういう非日常を描いている。

観客は、
自身の日常から解放されて、
演劇の舞台に、刺激的な非日常の世界を求める。

セリフやストーリーに、私たちの日々の暮らしは見えない。

ときに、不可解なセリフや脈絡の消えたストーリーに、私たちは戸惑う。

舞台の役者たちは、
幻想的なセリフに現実的な意味があるように、技巧的に演じる。

彼らは、
脈絡の途切れたストーリーを、観客の日常と関連づけようと、
私たちの日々の暮らしを手繰る。

人々は、舞台に自身の日常ではない世界を見て心を動かし、
幻想世界の演技者は、観客席の覚めた生活感を見ている。

あるいは、自らがもたらした刺激によって、
生活の苦労を忘れ、
新鮮な感覚に興奮気味な観客たちの日常を見ている。

双方向の視線をつないでいるのは、
セリフの言葉だ。

その言葉を、役者たちが 放ち、
観客が受けとめる。

放つ視線と、受けとめる視線。

役者の口から放たれた言葉は、
音となったり、意味となったりしながら、
非日常の言葉として、観客の記憶に残る。

例えば、唐十郎作の「盲導犬」。

「不服従」という言葉が、
犬のように、観客の脳裏を駆け回る。

「ファキィル」という音が、
「不服従」という 意味を咥えて街を走り回る。

観客は、
芝居が終わっても、宮沢りえ演じる「銀杏」の視線を、
ときどき、思い出したり。


あるいは、観客や役者たちが待ち望んでいたのは、
演劇終了後の カーテンコールだったのかもしれない。

あの役者たちの、深々としたお辞儀に、
観客は安堵を得て、胸の奥に深々とした余韻を蓄えて、帰路につく。

人々は幻想から解放されて、現実の世界に戻りながら、
「良いカーテンコールだったね・・・。」
などと、つぶやいたり。

カーテンコールは、人々を現実の世界に送り返す儀式。

こうして、
仕舞いまで芝居を見た観客たちは、余韻の波にゆらゆら揺れて、満足げだ。

2013/12/20

雪が融けて凍り付き、足元が危険になった駐車場

凍った駐車場
凍り付いた駐車場。
ここしばらく気温の高い日が続いて、積もった雪が融けている。

真冬に突入したように見えた青森市内の冬景色も、積雪が減って地面が露出し、季節は逆戻り。

雪が消えて、ちょっとの間、雪の苦労が無くなったかと言えば、そうではない。

日中の温かさで融けた雪の表面が、朝晩の氷点下の冷え込みで凍る。

おかげで写真のように、駐車場は凍ってつるつる状態に。

車道脇の歩道も同様につるつる状態。

2013/12/18

マレット指が元の状態に回復して完治

マレットフィンガーが完治した左手中指
左手の中指(回復したマレットフィンガー発症指)。
後遺症を克服
今年の1月27日に発症した、左手中指のマレットフィンガーは、完全に治った。
元通りの指に復活したのだ。
マレットフィンガーを発症した指は、断裂した腱がくっついても、指に多少の「曲がり」が残るものだと、担当の医師に言われていた。
それが、 病院での治療が終わった後の自主リハビリと、手や指のトレーニングのおかげで完全復帰できた。

2013/12/17

雪の中の色彩

雪の中の草
雪の中の緑の草。


雪の中にも色彩はある。

積もった雪を長靴のつま先でほじくってみたら、右の写真のような青々とした色の草が出て来た。

雪の下一帯に広がる緑のシバ。

シバは、雪の中でも緑色なのか。

西洋シバは寒さに強いと言われているから、この緑の草は西洋シバなのだろう。

雪が融けて地面が露出しているところでは、イロハモミジの枯葉。

紅葉の頃、真っ赤だったモミジの葉は、枯葉になっても鮮やかな枯葉色だ。

その枯葉の下に、緑色のシロツメクサ。

年中見られるシロツメクサも、寒さに強いようだ。


厳冬期に入っても、緑の草は、雪の中でこのままだろうか。

雪の中では光合成ができないから、枯れてしまうのだろうか。

これは自然界の大きな謎・・・では無くて、無知な私にとってのちょっとした謎。


白い雪の世界はモノクロームだと前回書いたが、雪の中には、鮮やかな色彩が凍り付いていた。

冬の支配者である冬将軍といえども、色彩を消し去るほどの力を持ってはいない。

凍てつく寒さが強まれば強まるほど、豊かに輝く色彩を求める思いが働く。

その思いは、年老いた枯葉にもある。

色彩を消さない枯葉の強い思いを感じながら生活することが、冬将軍に立ち向かう方法。



枯葉の色彩
鮮やかな枯葉色。

枯葉と緑の草
枯葉の下の緑の草。

公園の木立と冬空の写真

冬木立と冬空
冬木立と冬空。


冬木立とは、冬の樹木が林立している様子を表している言葉だという。

常緑樹であっても、冬期の樹木は冬木立になるらしいが、枯葉が散って、裸の枝を空に突き出した落葉樹の方が、冬木立という言葉を一層ものさびしく感じさせる。

緑の葉を失った冬の木は、黒々としている。

空が晴れて陽が差し込んでも、曇りの日でも、吹雪の時も、冬木立の幹は黒一色。
白い雪が、モノクロームの世界を現出させている。

本当は、色彩豊かな世界なのに、モノクロームに見えてしまうのはなぜか?
それは、「雪はなぜ白く見えるのか」という事と関連が有りそうだが・・・。


久しぶりに青空が広がったので、犬の散歩の途中の公園で、空の写真を撮ってみた。
公園の木立を写真の下の方に入れると、冬木立が空に手を振っているように見える。

さらに、空の写真の下に家の屋根を入れると、冬の空に人々の生活感が滲み出てくるだろう。
人の生活感は想像できるが、樹木の冬の生活感は見当がつかない。

八甲田山の高山帯で樹氷を形作るアオモリトドマツは、厳冬期は枝・葉とも凍結した状態で越冬しているという。
八甲田山の森林限界に成育するハイマツも同様である。
高山帯の樹木の生活感は、凍結の一語に尽きる。

それに比べると、青森市内の公園の樹木の生活感は、もうちょっと緩いものになるだろう。
すぐそばで人間が生活している環境の中では、公園の木立の生活感にも色どりがありそうだ。
木の枝が、好天の冬空に手を振って応えるとか。

そんな雰囲気の写真は、素人の私には、なかなか撮れない。
が、公園の木立の生活感は、なんとなく感じとれる。

犬の公園散歩で、観察眼が、多少は鍛えられているのだろうか。
何度も行き会って、公園の木々と馴染みになっているからだろうか。

 斧入れて香におどろくや冬木立  与謝蕪村


冬の雲
木立の上の冬の雲。

冬の青空
冬の空は、雲と青空のせめぎ合い。

2013/12/13

ケヤキの木の上で鳴きながらケヤキの実を食べるスズメ

スズメ
ケヤキの枝の上のスズメ。
右の写真には、ピンぼけとブレで不鮮明だが、ケヤキの小枝にとまっているスズメが写っている。

おそらく、枯葉の付け根にあるケヤキの実を食べているのだろう。

比較的大きなケヤキの木に、スズメが十数羽集まっているのが確認できる。

チュンチュンとさえずりながら、枝から枝へと飛び回っている様子は、まるでお祭り騒ぎ。


「さえずる鳥は羽ばたかない」と言うが、このスズメたちはさえずりながら羽ばたいている様子。

おしゃべりしながら、同時にせっせと働いているのだ。

ケヤキの実を食べる野鳥には、スズメの他、ヒヨドリ、メジロ、シジュウカラ、カワラヒワなどがいるようだ。

が、私には、スズメにしか見えない。

高い木の上で忙しく動き回る野鳥を観察するには、知識と時間が必要だ。

野鳥は、植物のように「どうぞご覧なすって」とじっとしていない。

むしろ、見られることを嫌うように、動き回る。

野鳥にとって、見られるということは狙われるということなのだ。

そうであれば、もっとひっそりと、木の実を食べれば良いものを、興奮気味にさえずり、はしゃぎ回っている有り様。


ところで、野鳥の「さえずり」とは、繁殖に関わる鳴き声のこと。

春の時期の「さえずり」は、主に雄の求愛の鳴き声。

これに対して、仲間同士の合図の鳴き声は「地鳴き」と言って、「さえずり」とは区別されている。

「地鳴き」の 目的は、仲間に危険を知らせたり、自身の存在を知らせたり、であるらしい。

ウグイスは、「ホーホケキョ」とさえずり、「チャッチャ」と地鳴きする。

粗雑な私の耳には、スズメの鳴き声は、いつも「チュンチュン」としか聞こえない。

ケヤキの木の上のスズメは「さえずり」 では無く、「地鳴き」と言った方が正しいのだろう。


そういえば、「冬にスズメが騒ぐと雪が降る」という言い伝えがあったような・・・。

ケヤキの木の上でスズメが実を食べながら「チュンチュン」と騒いでいる。

「早く食べないと吹雪が来るぞ」と仲間に声をかけ合っているように聞こえなくも無い。

天気予報では、明日あさっては、風雪模様であるとか。

2013/12/12

雪が降ってもまだ飛ばない風散布の種子

翼果
イロハモミジの羽根が付いた種子(翼果)のアップ。
右の写真は、イロハモミジの羽根が付いた種子。

カエデ科の種子は、ほとんど、この「翼果」の形をしている。

この果実に付いた翼が 、風に乗って、イロハモミジの種子を遠方へ運ぶ。

写真のように、果実は、もうすっかり熟しているのに、まだ枝先を離れない。

2013/12/11

食堂街の、延々と続く偶然

いたずら者の口笛


ショッピングモールの2階に、十数軒の店が並ぶ大きな食堂街があった。
「ピュルルルル・・・」
食堂街に、午後のBGMが流れている。
ポールモーリアの「口笛の鳴る丘」
浮き浮きしてきて、何かいたずらをしたい気分になってくる。
そんな春の午後は、悪ガキが目を光らせているもの。

食堂街の端の方に、レンガの装飾がおしゃれなパスタ料理専門店があった。
赤レンガの壁に緑色のつたの葉が這っている。
シックな店内で、女性が 「あっ!」と頓狂とんきょうな声をあげる。
女性店員が食器を下げている途中、バランスを崩した様子。
彼女は背後に何かの気配を感じて、思わず体が硬直した。
それで上体が傾いたのだ。
まるで滑稽こっけいな喜劇役者のように。
やがて、数枚の皿やグラスの割れる音が店内に響いた。

「申し訳ありません。」と、皿の破片を片付けながら、困惑した表情の店員。
こんなことは、今までなかったこと。

様子を見ていた男性客が、テーブルをたたいて、大声で激しく笑った。
いい年の大人の無邪気な狂態は、醜悪なもの。
人の失態を高笑いするなんて。
なんて感情の貧しい人、という周囲の客の視線が男性客に集まる。

男性客は都合悪そうにパスタの皿に目を落として、一心に料理を食べ始めた。
「久々に可笑しかったが、大笑いしたのはまずかった」
男は、抱え込んでいた心の重圧が一瞬消し飛んで気が晴れかけたのだが、また、元の陰鬱いんうつな気分に戻った。
以前にも増して、いっそう気分が陰鬱になった。

入口に近い席で、独り食事をしていたご婦人。
彼女は、急にしょんぼりしたこの男を見やりながら、「バカな男ね」と低くつぶやいた。
グラスに手を伸ばして、冷たい水をおいしそうに飲み干した。

このとき、イタリアンなショーウィンドウを眺めて、何を食べようかと迷っていた父親が、婦人の吐き捨てるような「バカな男ね」を耳にした。
彼は、自身が決断力に欠けることを普段から気にしていた。
自分のことをなじられたのだと思い、婦人の方へ視線を投げる。
そうとも知らないご婦人は、グラスをテーブルに置き、「ふん」と一笑。
彼女もまた、日頃の鬱積うっせきを「バカな男」ともども一蹴したかったのだ。
一笑で一蹴。

その一笑が気に障った。
父親は、「食べたいものが無いなら、他の店に行こう!」と、小さい娘の手をぐいと引っ張り、急に歩き出した。
予期しない父親の行動に、女の子はたじろいだ。
たじろいだスキをついて、何かが女の子の肩を押した。
「あっ」と女の子は足を踏ん張る。
その拍子に、力の抜けた少女の手からボールが落ちて、食堂街の通路を弾んで転がった。

お昼過ぎの閑散とした食堂街。
ポールモーリアの軽快なBGM。
「ピュルルルル・・・」
ボールだけが、生き生きと 無心に弾んでいる。
まるで生き物のように。
愉快に弾んで、勢い余ったボールが、食堂街中央にあるステーキの店の内側へ消えた。

美味しそうなにおいが漂う店内で、「あっ!」と女性店員が声をあげる。
何か、バランスを崩した様子。
そのとたんに、数枚の皿の割れる音。
「申し訳ありません。」と、皿の破片を片付けながら、困惑した表情の店員。
その様子を見ていた男性客が、テーブルをたたいて、大声で激しく笑った。

昼下がりのルフラン。
空腹な小悪魔は、いたずらに夢中だ。
「ピュルルルル・・・」
午後の食堂街に流れるのは、繰り返しを楽しむいたずら者の口笛。


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