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「問わず語り」という慣用表現について

「長い沈黙の後、彼女が問わず語りに言い出した話は、僕を身震いさせた。」
なんてのは、よく目にする文章である。

今まで何度もこんな文章を目にして、私は何の抵抗もなく読み流していた。
それがあるとき、この文章はちょっと変ではないかと思うようになった。
そう思いはじめると、私のなかでこの文章は、変以外のなにものでもないものになってしまっていた。

はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに

古くから、能を郷土芸能としている地域は、日本全国に割と多い。
青森県の東通村に伝わる郷土芸能。
能舞は、国の重要無形民族文化財に指定されている。
そんな立派な能もあれば、その地域だけでひっそりと行われる里神楽もある。
小さな村の、田舎芝居。
神楽のような能のような。

おくやまにもみぢふみわけなくしかのこゑきくときぞあきはかなしき

秋は物悲しい季節である。
葉を落として、黒く尖った木々の枝先が、曇天を刺すように連なる。 暗い雲の下を鳴きながら飛んでいく夕暮れの雁。 そんな晩秋の景色に触れると、いっそう物悲しい気分になってくる。
秋子は、自身の名前に季節の秋の字が用いられているせいか、秋に対する思い入れが人一倍強い。 秋は、冬が間近な季節。
過ぎていく秋を、物悲しく思う気持ちが募ると、人恋しい気持ちも募ってくる。
人恋しい気持ちには、しみじみとした哀愁が伴う。

布さらすうすや川辺冬木立

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布さらすうすや川辺(かわべの)冬木立
野沢凡兆

最初この句を読んだ時「うすや」の「うす」は「失す」だと思った。 「うすや」の「や」は詠嘆の間投助詞「や」。
「や」は、句の切れ字でもある。
それで、この句から感じたイメージは以下の通りであった。

季節は冬。
川に晒された布が、川べりの物干しに下げられている。
川の水で晒したあとは、天日に晒すために布を広げているのだ。
川から上がった布が、次々と干されていく。

あまのはらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも

冬になると、大根の煮物が食べたくなる。
寒さが増すたびに、大根の煮物を食べたいという気持ちが募る。

そうなると、度々訪れる天野原食堂。
ここの大根と豚バラの煮物は最高に美味しい。
豚バラの旨味が程よく染み込んだ飴色の大根。
口の中で、ジュワ~と広がる幸せの味。
もう絶品だと私は思っている。

天野原食堂は、天野という名字のご夫婦が経営している食堂。
奥さんの旧姓が原だったので、ふたり合わせて天野原食堂という屋号になったのだとか。

一茶の風とインターネット「焚ほどは風がくれたるおち葉かな」

「今日はヒトデ祭りだぞ!」というブログで、「【100万PV達成】雑記ブログでアクセスアップする方法を全て教える」という記事をみつけた。

【100万PV達成】とは、一ヶ月間にブログのページビュー数(PV数)が100万回あったということ。
ページビュー数とは、ブログのページが開かれた回数を表す数字のことである。
このページビュー数の数字が多いブログは、それだけ多くの訪問者が訪れているということになる。

月間100万PVと言うと、一日あたりの平均PV数が約33,000回。
これは、すごい数字。
私のブログ「雑談散歩」の、PV数の一ヶ月分でさえ33,000回には遠く及ばない。

意味のない音と無意味なことば

「あなたを思えばこそ言ったんですよ。」とその男が言った。

私が考え事をしながら道を歩いていたら、前方からやってきた男にぶつかりそうになったのだ。 私の不注意なのだが、「どこ見て歩いてるんだよ。」と高飛車に言われると、ムカつく。 「おまえが避けて通ればいいだろう。」と身構えて睨んでしまった。 男は中年の勤め人風。 私は、遊人風。

月花の愚に針たてん寒の入り

「寒の入り」とは、暦の上で寒が始まる「小寒」のこと。
一年を二十四等分して季節を分けたのが二十四節気。
「小寒」は、その二十四節気の二十三番目にあたる。

旧暦の十一月後半から十二月前半あたりに「小寒」の日があるという。
「小寒」の前の二十二番目は、おなじみの「冬至」。
「小寒」の後の二十四番目は、二十四節気の最後「大寒」。

「小寒」から一層寒い日が続くようになるので、「寒の入り」と呼ばれている。
江戸時代では、「寒の入り」が来ると本格的な冬が始まるとされていた。
現代では、「寒の入り」の頃には体調を崩す人が増え、風邪やインフルエンザが流行する。

月花(つきはな)の愚に針たてん寒の入り
松尾芭蕉

元禄五年十一月二十九日、「寒の入り」の日の発句。
「寒の入り」になったら、体の変調を治すために鍼治療を受ける習慣が、江戸時代にあったのだろうか。
寒くなると血の巡りが悪くなって、体のあちこちが凝ってくる。
それを解消するために鍼治療を受けることになる。
鍼治療が、筋肉の緊張をゆるめ血行状態を良くすることは一般に認められていることである。

「針たてん」の「針」は鍼治療の「針」のことと思われる。
「月花の愚」で、風雅に酔いしれることを愚行としている。
月や花に執着する風雅の生活を、愚かしい性癖であると自己批判。
寒さが厳しくなる前に、この愚かしい性癖を鍼治療で追い払ってしまおうという気持ちを詠んだ句のようである。
俳諧師としては自虐的な句のように見える。
「針たてん」には、鍼治療の「針」を自らたててやろうという強い意思が表現されている。

だが芭蕉は鍼灸師では無い。
俳諧師である。
鍼灸師では無いのだから、自らの病癖を治療することは出来ない。
俳諧師ならば、俳諧創作の不出来(愚)を自ら改めることが出来なくもない。

このとき芭蕉は四十九歳。
芭蕉は、出生地の伊賀上野で、十代後半頃俳諧に興味を抱いたとされている。
「春や来し年や行きけん小晦日」は芭蕉十九歳のときの作で、作年次が判明している最古の句となっている。
俳諧の世界に身を入れてから、元禄五年の「寒の入り」まで約三十年を経ている。

三十年の俳諧生活。
四十一歳からは、その俳諧生活に「俳諧行脚」の暮らしが加わる。
そうして四十九歳。

このごろは、風雅三昧に旅三昧。
ちょっと「風狂」が過ぎているから、そういう自分にお灸を据えねばならんな…

紫陽花の雪囲い、えっ紫陽花って木だったのか?

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愛犬の散歩で訪れている公園は、もうほとんど雪囲いが終わっている。
大掛かりなものは、板で組んだ屋根があり、まるで小屋のようになっている。

簡単なものは支柱を立てて、植え込みをその支柱ごと結わえているもの。
もっと簡単なのは、植え込みを荒縄で結わえただけのもの。




公園で、そんないろいろな雪囲いを眺めていたら、紫陽花が雪囲いされているのが目に入った。
側の立木を支柱代わりにして結わえられているもの。
ただ紫陽花の茎だけが荒縄で束ねられているもの。
そのなかには、上部の「房」が今朝の雨を吸って重くなり、地面へ頭を垂れているものもある。

なんだ丈の高いものは草まで雪囲いするのか、と違和感を覚えた。
枯れた茎を切ってしまえば、また来年の春に地面から伸びてくるものを、と思ったからだった。
それからすぐに「いや違うだろう。」という「訂正」が頭をよぎった。
毎年春になると紫陽花の枯れたような茎から新芽が出てくるのを、私は目撃しているではないか。
てことは、紫陽花って木(木本)だったかな?

散歩から帰って調べてみた。
結果、紫陽花は木本だった。
紫陽花は、アジサイ科アジサイ属の落葉低木の一種とウィキペディアにある。
紫陽花の枯れた枝が空洞になっているのをよく見かけたから、紫陽花は草だと思っていたのだが、なんと木だったのだ。
年輪が出来、幹が年々太くなるものを木だと思っていたのだが、そうではない木もあったのだ。

年輪ができるものが木であるという見方は多くの人に普及していると思われる。
であるから、私のように勘違いされる方はけっこういらっしゃるかもしれない。
勘違いするには勘違いするだけの理由があるのだ。
外見が木っぽくない(幹が草っぽいとか)。アジサイのサイがヤサイのサイを連想させ、アジサイは草本であると思い込みやすい。 以上が私の勘違いの理由。
ちょっとこじつけがましいが。

しかし実際草本と木本の見極めは難しい。
「立てば芍薬、座れば牡丹」で知られる芍薬と牡丹。
どちらも似たような大輪の花を咲かせるので、その見分けが難しいことでも知られている。
芍薬と牡丹の大きな違いとは、芍薬は草であり、牡丹は木であるということだという。
芍薬は、冬に茎が枯れてしまい、地中の根から春の新芽が出る。
牡丹は、幹のまま冬を越して、紫陽花のように春に幹から新芽を出す。

この違いは、冬の過ごし方の違い。
幹…

猫の恋やむとき閨の朧月

早春の猫の発情期の鳴き声を、「うるさいなあ」と感じる人は多い。
うるさいはずである。
発情期の鳴き声のなかには、メス猫を奪うためにオス猫同士がバトルする雄叫びも含まれるからである。

恋に焦っているオス同士が、あふれるばかりの敵愾心を相手に向かってぶつけているのだから大音量になる。
もちろん、オス猫を呼び込もうとしているメス猫の鳴き声もかなりうるさい。
それに応えて、メス猫の鳴き声をまねるように鳴くオス猫の声が、また一段とうるさい。
そんな猫達の鳴き声が、行き来し増幅する。

猫の恋やむとき閨(ねや)の朧月
松尾芭蕉

元禄五年の春の句。 芭蕉四十九歳のときの作。 芭蕉は、元禄五年の正月を江戸日本橋橘町の仮住まいで迎えている。 深川の第三次芭蕉庵への入居は五月中旬であるから、この句は橘町の仮居での作と思われる。

発情した猫の鳴き声は、深夜になってもなかなか止まない。
芭蕉にとっては、その鳴き声がやかましくもあり興味深くもあったのではなかろうか。
猫の鳴き声は千変万化。
芭蕉はそれを、人の言葉に翻訳しようと耳を傾ける。
メス猫の鳴き声に芭蕉は、「まったく奔放なもので・・・・」と思った。
源氏物語の「朧月夜」を思い出したのである。
「朧月夜」は、物語中随一艶やかで奔放な気性の女性である。
「朧月夜」はメス猫がモデルであったのか、などと芭蕉が思ったなんてことは、ただの私の空想。

地上の生き物の営みと、天空の月との取り合わせによって空間的な広がりが感じられる句である。
「猫の恋」の騒然とした様子と、それが止んだときの「閨の朧月」の静寂感との対比が、朧な春の夜を表現していて面白い。
などという感想を掲句に持ったのだが。
ただ、どうして芭蕉は「閨」という言葉を使ったのだろう。

「閨」とは寝室の意であるが、特に夫婦の寝室という意味合いが濃い。
いきなり「閨」では、句を読む者が戸惑う。
しかも「やむとき」の「とき」もなんとなく唐突な印象である。
「朧月」というボンヤリとしたムードに対して「とき」は、あまりにも端的で鮮明だ。
「猫の恋やむころ閨の朧月」と詠んだ方が雰囲気が良いのでは、とトーシロの私は勝手に思ったりしている。

ひょっとしたらこの句は、発句ではなく「歌仙(俳諧の連歌・連句)」の前句(長句・五七五)なのではあるまいか。
この句が、歌仙で表された物語のなかの一幕だとすると、なんとな…

雪国の冬の必需品、ゴム長靴にあいた穴(亀裂)を補修する

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三年前に買ったゴム長靴に穴(亀裂)が開いて、水が靴内に入り込むようになった。
釘かなんかで引き裂いてできた穴では無く、劣化によるひびわれが進んで細長い穴があいているような状態である。
雪かきをしているときに靴下が濡れて足が冷たくなってくる。
これは、とても我慢できるものではない。

三年経ったとは言え、冬場だけの使用なので、このまま捨てるのはもったいない。
それに、外見もそんなにヘタってはいない。
まだ黒ツヤが残っている。

まだ黒ツヤが残っているのに、浅いひびわれが生じて、劣化が進んでいるような部分もある。
「ミツウマ」のメーカー品なのにと思ったが、今時の合成ゴムは劣化が早いらしい。
ホームセンターで売っている千円前後の安いゴム長靴は一冬ぐらいの寿命だという。
合成ゴムより天然ゴムの方が劣化が早いと言われている。
でも、昔の天然ゴム製の長靴の方が、今の合成ゴムの長靴よりも寿命が長かったような気がする。

という気分で、近所のホームセンターをうろついていたら、「ゴム長靴補修キット」というのを見つけた。
インターネット販売のページにも出ていて、レビューが一件だけだったが、「上手く行きました・・・・すばらしい商品です。」とベタ褒めされていたものである。
一件だけのちょっとあやしいレビューなのだが。
ホームセンターでの値段が、税込みで511円だったので、試してみることにした。






付属の紙やすりで、亀裂部分周辺のゴム表面を荒らす。
ゴムの表面を適度に荒らした方が、接着剤の効き目が強い。




補修用パッチを適当な大きさに切ったら、下の写真のように四隅の角を落として角丸にしておくと剥がれにくくなる。
補修用パッチには、裏に粘着剤が施されているので、裏紙を剥いで長靴に貼り付ける。









補修用パッチの合成ゴムシートは、薄くてちょっと頼りない感じだったので、上の写真の「肉盛り補修剤」をパッチごと上塗りして補強した。
これで、パッチが端から剥がれるのも防げると思う。
ちなみに、セメダインの「クツ底の肉盛り補修剤・シューズドクターN」は、ホームセンターで1100円ぐらいだった。
修理材料の購入合計額は1600円ぐらいだが、今回は材料の2.5割ぐらいを使用した。
材料経費が400円のゴム長靴補修である。

「肉盛り補修剤」を塗ったあとは約24時間静置することと使用説明書に書かれてある。
さて、修理の出来栄えやい…

草いろいろおのおの花の手柄かな

芭蕉は元禄元年八月に、仲秋の名月を鑑賞するために美濃の地から信州更科への旅に出る。
「更科紀行」の旅である。
そのときに芭蕉は、見送りに来た岐阜の門人たちに留別吟を残している。
留別吟とは、旅立つ人があとに残る人に向けて詠む別れの句のこと。
芭蕉にとっては、「笈の小文」の旅へ出て以来、信州更科を経て、約十ヶ月ぶりに江戸へ帰る旅となる。

草いろいろおのおの花の手柄かな
松尾芭蕉

掲句は、その留別吟のひとつ。

見送りの門人たちを草に喩えているというのが一般的な「解釈」であるようだ。
いろいろな特長を持った草があるように、私(芭蕉)にはいろいろな特長を持った弟子がいる。
その弟子たちがそれぞれの特長を活かしてすばらしい花を咲かせている。
という、見送りの門人たちへの感謝と賞賛の念を表明している句であるとされている。
なるほど。
平易で馴染みやすい句である。

芭蕉の俳諧は様々なイメージを表現している。
ひとつの句の中にイメージが混在しているのではと思うこともしばしばである。
当然のことながら、新たなイメージを句から感じたときは、それまでとは異なる視点でその句に接していることになる。
視点を変えれば、別な世界が広がって見える。
これも芭蕉の俳諧を読む楽しさのひとつ。

草が大地に根を張って、雨風をしのいでいろいろ努力している結果、おのおのの開花が実現している。
花が咲いているのは草の手柄であるというイメージ。
そういうイメージがある一方、いろいろな草が豊かに生い茂っているのは、それぞれの花の手柄であるというイメージ。
花が受粉を促し結実して種子をつくる。
その種子が発芽して草を生い茂らせている。

鶏が先か卵が先かではないが。草と花の手柄あらそいという印象を掲句から感じている。
花は、芭蕉が師となっている蕉門の喩え。
草は、その門人の喩え。
そうであるとしたら、これは門人と蕉門(芭蕉)の一門発展の手柄あらそいを彷彿させる。

以下は「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」からの抜粋。
「近来各地の芭蕉人気の上昇を背景に、旅の経過地ごとに前回にも増した歓迎に逢う中で各地の蕉門勢力は増大する。再訪の地尾張では一月半にわたって多くの新参も交える連日の句会に引き回され、・・・・・・・・。歳末から翌春三月までの伊賀帰省中のは俳交の記録と参入の門人の顔ぶれも一挙に増え、滞在中に再訪した伊勢山田でも多数の新…

月はやし梢は雨を持ちながら

芭蕉は「鹿島紀行」の冒頭部分で「このあきかしまの山の月見んとおもひたつ事あり」と書いて、「鹿島紀行」の目的のひとつが鹿島での月見であることを記している。
鹿島にある鹿島神宮は、万葉集に集められた「防人の歌」の歌枕の地である。

また「旅立ち」や「門出」を意味する言葉である「鹿島立ち」は、防人が旅立つ際に道中の無事を鹿島神宮に祈願したことに由来すると言われている。

「鹿島紀行」の旅の後、その年内に「笈の小文」の旅。
さらに翌年の「更科紀行」、翌々年の「おくのほそ道」と芭蕉の旅は続く。
芭蕉の「鹿島詣」は、これから続く「俳諧行脚」への無事祈願も目的のひとつだったのかもしれない。

月はやし梢(こずえ)は雨を持(も)ちながら
松尾芭蕉

貞享四年八月十五日、鹿島根本寺の前住職、仏頂和尚の隠居所である長興庵に宿泊した際の発句である。
ここで芭蕉は仏頂和尚との旧交を温めながら月見をしようとしたのだが、あいにくの雨で空は曇っていたようである。
だが、未明(あかつき)に雨が上がって、月の光が見えた。
そのときのことが「鹿島紀行」に記されている。
以下、抜粋。
ひるよりあめしきりにふりて、月見るべくもあらず。ふもとに、根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此寺におはしけるといふを聞て、尋入てふしぬ。すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけむ、しばらく清浄の心をうるににたり。あかつきのそら、いさゝかはれけるを、和尚起し驚シ侍れば、人々起出ぬ。月のひかり、雨の音、たゞあはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし。はるゞると月みにきたるかひなきこそほゐなきわざなれ。 「人をして深省を発せしむ」とは、「発人深省(はつじんしんせい)」のことと思われる。
出典は杜甫の五言律詩「遊龍門奉先寺」であるとか。
「発人深省」とは、「人を発憤させ啓発して、物事を深く考えるようにさせること。」と辞書にある。
仏頂和尚は、そういう人物だったのだろう。
芭蕉は、そういう人物と語らい、「しばらく清浄の心をうるににたり」だった。
やがて「あかつき(未明)」に、空が少し晴れた。
皆が仏頂和尚に起こされて、雲間から差し込んだ月の光を眺めた。
もしかしたら月の光は一瞬だったかもしれない。

一瞬の「月のひかり」や「雨の音」、それらの趣があまりにも侘びしくて、句を詠もうとしても言葉がなかった。
はるばると江戸から月を見に来…

花にうき世我酒白く飯黒し

「銀シャリ」という言葉を初めて聞いたのは、子どもの頃。
テレビドラマを見ていたときだったような。
刑務所での食事の時間に、受刑者がつぶやく。
「もうクサイ飯は食い飽きた。早くシャバへ出て銀シャリが食いてえぜ。」
そうそう、「シャバ」という言葉もそのドラマで覚えたのだった。
テレビドラマは、津軽半島の寒村で暮らす子ども達にとって、未知の世界のボキャブラリーの宝庫だったのだ。

葱白く洗いあげたる寒さかな

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青森市は本格的な冬に入ったのか、ここのところ寒い日が続いている。 寒い日が続くと、私みたいな初老のオジンでも、体が寒さに慣れてくる。 津軽の冬仕様の体になってくるのだ。

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