2020/05/20

こんな目

子どもの頃、私はこの家の長い廊下でよく遊んだ。
縁側の長い廊下に沿って、ガラス戸の向こうに広い庭があったが、外に出ることはなかった。
庭には、苔の生えた石灯籠があったり、朽ちたお社のような建物があったり、濁った沼があったりで、陰鬱な様子が怖かったのである。
庭の草薮に棲んでいる蛇が廊下に上がりこんで来たこともあった。
ガラス越しの陽光で、大きな蛇が日向ぼっこをしていたのである。
そんなことが度々あったので、縁側のガラス戸は堅く閉じられるようになった。

長い廊下の奥の灰色がかった漆喰壁に火灯窓がはめ込まれていて、雨の日には、よく窓枠から雨水が染み込んでいた。
火灯窓の左手に、厚い板戸で仕切られた部屋があった。
半分開いた板戸からは、格子状に組まれた太い角材の檻が見えた。

檻の内で、私の父が暮らしていた。
廊下の奥から聞こえる罵り声や泣き声や笑い声は、狂人である父が発したものだった。
子どもの私は、長い廊下を歩いて、ちょくちょく座敷牢を訪れていた。

それが見つかると、家の者に強引に居間に戻された。
居間には、居間で暮らしている父がいた。
のっぺらぼうな感じの、表情の読み取れない母がいた。
居間の父と母は、座敷牢に行くたびに私をなぐってこらしめたが、数日過ぎるとまた座敷牢を訪れるのが私の癖になっていた。

座敷牢の父は、私の顔を見るといつも穏やかになった。
体が小さかった私は、格子の隙間をくぐり抜けて、よく檻の内で父と遊んだ。
父は、私を膝の上に乗せていろんな話をしてくれた。
その話が面白くて、私は座敷牢通いを続けていたのだった。

そんな私に見切りをつけたのか、居間の父はしだいに何も言わなくなっていた。
母は、もともと何も言わない人だった。
私の座敷牢通いは自由になった。
いつしか私は、座敷牢のなかで父と暮らすようになった。
父の話は壮大で、私は檻の内でまだ見ぬ世界を思い描いていた。

私が18歳になったとき、父は座敷牢の内でひっそりと亡くなった。
朝に目を覚ますと、隣の父は穏やかな表情で息を引き取っていた。
私は、これを機会に檻の外へ出ようと思ったが、居間の父がそれを許さなかった。
遅かれ早かれ、おまえはこういう運命になるのだと父は私を蔑んだ。
もう小さくないので、私は格子の隙間をくぐり抜けることも出来なかった。

私は自分の運命を呪い、泣きわめき、そして嘲笑った。
そんな日々が続いたある日、檻の前の廊下で、小さな男の子が私を見ているのに気がついた。
「ほら、くぐっておいで、おれと遊ぼう」と私はその子に声をかけた。

その子は利発そうな目をして、じっと私を見つめるだけだった。
お伽噺にも、怪奇物語にも、幻想譚にも興味を持つことのない怜悧な視線。
このとき私は悟った。
私が子どものとき、こんな目をしていたら、こんな目にはあわなかったろうと。

長い廊下の奥から、家族団欒の笑い声が聞こえる。
父と母と子どもの楽しそうな会話が聞こえる。
あの陰鬱な庭は、埋められて、今は高層アパートが建っている。
火灯窓は取り払われて、大きな透明ガラスのFIX窓がついている。
FIX窓の向こうのビル街の上に、月が上っているのが見えた。

ゆらゆらと揺れている蒼い月の姿がなつかしかった。
座敷牢のなかで狂死した父の、蒼然とした顔色に似ていた。


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2020/05/19

メタセコイアの果実の殻の「松ぼっくり」

メタセコイアの公園樹
勝田公園のメタセコイア


今では公園樹として、多くの公園で見ることができるメタセコイアの樹木。
メタセコイアは、「アケボノスギ」という和名でも知られている。
古代から存在している樹木なので、「生きている化石」と呼ばれたりしている。
愛犬の散歩コースである勝田公園にも数本の「生きている化石」が植わっている。

今朝、そのメタセコイアの木の下を歩いたとき、無数の小さな「松ぼっくり」のようなものが落ちているのに気がついた。
この場所は、何十回も通っているので、今までに気がつかなかったということは無いはずである。
なんとなく目に入っていたが、それほど気にとめなかったのだろう。

今朝は、その「松ぼっくり」の可愛らしさが、特に目についた。
で、拾い上げてよく見ると、松の「松ぼっくり」よりも頑丈に出来ているようである。
乾燥した松の「松ぼっくり」ほどバサバサしていない。
触った感じは硬くて、よく締まっている。
殻の大きさは、大きいものでも2センチ×3センチぐらい。

乾燥して開いた鱗片の奥を覗き込むと、種子は見えない。
去年の秋に落下して、内側の種子が飛び散ってしまったようだ。

鱗片の陰になっている奥の方に、球果の芯のような柱のようなものが見える。
じっと見つめていると、メタセコイアの乾燥した球果が、巨大な建造物のように見えてくるから不思議だ。
いっときミクロの世界を旅した気分になった。
こういう不思議な感覚を体験させるために、この「松ぼっくり」が地面に転がっているのではないかと思えてくる。

大王松の大きな松ぼっくりは魔除けになると聞いたことがある。
メタセコイアの「松ぼっくり」も、クリスマスリースのパーツに使われたりしているから魔除けになるのかもしれない。
そう思って、三個拾ってポケットに入れた。

また、松ぼっくりは豊作のシンボルでもある。
魔除け(疫病除け)と豊作なら、アマビエ様の守備範囲。
魔や疫病は、古代でははびこっていたのだろうから、アマビエ様も古代の妖怪信仰のオブジェであったに違いない。
メタセコイアの果実の殻もまた、太古の怪しい力を感じさせるオブジェとして、私のポケットに収まっている。

これを魔除けとして、玄関の下駄箱の上に飾っておこう。
訪問客が玄関先でたじろいだら、その方は魔かもしれない。


地面に散乱している果実殻
果実の殻の「松ボックリ」

果実殻の拡大写真
落ちている殻の拡大写真

拾ってきたメタセコイアの果実殻の大きさを100円玉と比べる
メタセコイアの可愛い果実殻

鱗片の拡大写真
鱗片が尖った唇のようで面白い

2020/05/13

老事務員のお金の話

私は、ある会社で経理業務を担当している事務員です。
経理の仕事は、簡単に言えば、会社のお金の流れを記録することです。
現金や預金の管理とか、売上の入金確認とか、経費管理などが私の日々の業務でございます。

ご覧のように私の外見は老人ですが、中身は違います。
自分で言うのもなんですが、そんじょそこらの老いぼれではありません。
頭は、かなりしっかりしています。
計算を違えたことは、ありません。
会社上層部からの信任も厚いです。
 
この道50年、コツコツと帳簿をつけながら、お金の動きを見さしてもらっています。
この仕事から得たことは、お金は生き物であるということです。
そして、生き物だと気がついたときから、お金は生き物としての振る舞いを私に見せつけるようになったのです。
 
人はお金を手にとって、額を数えたり代金を支払ったりします。
それは、人がお金に触っているのですが、同時にお金もまた、人に触っているのです。
お金が人に触って、居心地が良いかどうか、その人を値踏みしているのです。
お金とは、そういう生き物なのです。
 
私の長年の経験では、お金は群れで行動します。
一匹狼のお金ってのは、あまりお目にかかったことがございません。
集まってくるときも大群なら、出て行くときも群れをなして出て行きます。

まるで獣の群れみたいなものです。
実際に獣の群れなんか見たことがないのですが、お金の動きを見ていると、見たことのない獣の群れが目に浮かんでくるのでございます。
鋭い牙からヨダレを垂らしながら獲物を狙う獣の群れです。
その群れが、遠くからじっと人間を観察しているのです。
奇怪なものです。

夜に事務室で一人ソロバンを弾いていると、ヒソヒソ声が聞こえてくるときがあります。
あれは、お金の群れが何かを相談しあっているのです。
まるで悪童連中が寄り集まって、なにか悪さの相談でもしている風であります。
 
もちろん、私みたいな平社員は、会社のお金に触れることはできません。
お金は、社長とか会社の経営に携わっている幹部の方達の手に触れています。
手に触れて、彼らを探っているのです。
ほら、ああやって、お金が人の体に触れて、探りながらなにやら相談している様子が、万年平社員の私には、よく見えるのでございます。
 
お金の出入りを「金運」という言葉で説明なさる方がいらっしゃいますが、それは違います。
お金の出入りは、もっと露骨な、生き物としての欲望なのです。
お金が人に触れて人を選ぶというのは、そういうことなのです。
このお金の欲望の妖怪的な存在感は、「金運」などという神々しいイメージではありません。
 
獣の群れのように、勢力を拡充しながら移動していく実態です。
この怒濤のような動きには「金運」などが入り込む余地はありません。
お金は「運」ではなく、生き物なのですから、生き物としての実態を持っているのです。
人に対して、欲の深い生き物としてつきまとうのがお金なのです。
 
その実態のひとつですが、お金は速い事が好きです。
速い動きを、嬉々とした表情で、しかも、ものすごい勢いで追いかけます。
そんなお金の動きを、私は何度も目撃しています。

ですから、お金を得ようとお思いでしたら、速く動くことです。
のんびり構えていては、お金を捕まえることはできません。
反対に、お金に喰われてしまいます。


雑然とした、まとまりのないことを申しました。
これ以上のことは、なにも申せません。
私は、ただの事務員として、この職に就いて50年を生きてまいりました。
高等な教育も受けていません。
マルクスもケインズも、名前は聞いたことがありますが、彼らの経済学のことはまったく知りません。
 
私がお金について抱いている考えは、高等な学問によるものではなくて、私が実感したことなのです。
この目で見たことによるナマの実感でございます。

あ、それから、もうひとつ。
これが、いちばん大事なことかも知れません。
お金という生き物は、「無料(ただ)」を憎みます。
「無料」が大嫌いなのです。
「無料」とは、ただこれだけで他には何も要りませんということです。
「これだけ」とは、「無料」のレッテルを貼られた品々のことです。

それを耳にしたら獣たちは憤ります。
「俺達がいないと生きられないくせに、俺達が不要だってか」と高い丘の上から人間を見下ろしますんです。

ですから、「無料サービス」などというものはいけません。
絶対やっちゃいけません。
それをやると、丘の上から駆け下りてきたお金に突き飛ばされてしまいます。
お金に突き飛ばされて、踏みつけられて、ぺしゃんこにされてしまいます。
くれぐれもご用心くださいませ。


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2020/04/26

「山は逃げない」か?

「山は逃げない」というお言葉。
山歩きを楽しんでいる方なら、一度は耳にしたことがある「文句」ではないだろうか。
気の利いた「文句」として使っている方も多いと思われる。

教訓なのか、諺なのか、故事なのか。

いずれにしても、「山が」に対して「逃げる」とか「逃げない」とか、ちょっと変な感じだと私は思っている。
なんて言うと、「言葉尻をとらえて言いがかりをつけている」と怒鳴られそうだが。

悪天をついて頂上を目指すクライマーもいる。
登山の障害となる雨や風や吹雪をものともせず、果敢に頂上アタックをする。
悪天の中を、まるで獲物を追いかけるように山に登るピークハンター。
そんな無茶をやる登山者の姿勢を戒めるために「山は逃げない」という言葉が生まれたように受け取れないこともない。

だが私は、こんな物語を思いついている。
深追いする若いマタギの行動を戒めるために、マタギの長老が言った言葉ではあるまいかという物語。
熊や鹿や兎は逃げるが、獣の棲み家である山は逃げない。
だから、「無理をするな」ということ。

対比である。
逃げる獣と動かない山を対比させた言い回し。

獲物を逃したからって深追いすることはない。
次回のために作戦を練って、上手くやればいいんだから。
ただがむしゃらに追いかければ、消耗するだけだ。
方角を失ったり、怪我をしたり。
そんな事態にもなりかねない。

無理をして消耗するよりも、楽をして獲物を捕らえる作戦が大事。
というマタギの長老の教訓ではあるまいか。
「山は逃げない」とは、そんな先人の知恵の言葉なのだと思う。
たぶん。

ところで、「新型コロナウイルス禍中」における、自粛すべき不要不急の外出の範疇に、登山も入っているとか。
それは、日本の山岳四団体(公益社団法人日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟、公益社団法人日本山岳会、公益社団法人日本山岳ガイド協会)が、2020年4月20日付で、新型コロナウィルスによる登山自粛に関する共同声明文を発表したことによる。

「新型コロナウイルス禍」に閉じ込められて息苦しさを感じたとき、山へ逃げ込んだらさっぱりした気分になる。
山歩きを趣味にしている多くの人は、きっとそう思っているに違いない。

こんな恐ろしいことは言いたくないが、人間が新型コロナウイルスに「狩られている」のが現状である。
こんな恐ろしい情況のなかで、私は新型コロナウイルスの手の届かない山に逃げたいと思う。
「新型コロナウイルス禍」が終息するまで、山に閉じこもって暮らしたいと思うことがある。

しかし、それは無理。
仕事もあるし「家庭」もあるし。

だから、仕事が休みの日はちょっとだけ山へ逃げる。
山へ逃げて残雪をスキーで滑って、英気を養う。
新型コロナウイルスに対して、強い抵抗力を発揮するために英気を養うのである。
新型コロナウイルスに狩られないために力を蓄えるのである。

マタギなら、ほとんど毎日のように山へ入るから、「山は逃げない」と言える。
ところが、週イチ山スキーヤーにとっては、山は逃げる。
残雪の雪解けが進む。
残雪の雪解けに伴って、雪山はどんどん逃げていく。

また、登山者が年老いていくに従って山は逃げる。
頂上が遠くなる。

山は逃げるから、健康で丈夫なうちに山を楽しもう。
趣味を全うして、人生に満足を得よう。

八甲田山は、酸ヶ湯温泉、ホテル城ヶ倉、八甲田山荘、八甲田ロープウェイなどが休業。
まだ雪が残っているが、スキー場も終了。
八甲田山ガイドクラブなどのスキーツアーガイドも、今季の営業を終了している。

きっと今度の連休は、地元スキーヤーだけの静かな山になっているはず。
「山は逃げない」と言って、活動を自粛する地元スキーヤーもいらっしゃるかもしれないが。

でも許される環境なら、活動しても良いのではと私は思っている。
八甲田山は、青森市の目の前にある。
自宅から八甲田山の登山道までは、マイカーで出かけるので「三密(密集、密閉、密接)」無し。
広い残雪の山の中は、「三密」とは無縁の世界。

そういう許される環境にありながら、なんでもかんでも「自粛」では、身も心も萎縮してしまう。
萎縮した人間こそ、人間を狩る新型コロナウイルスのいいカモである。

この連休に私は、静かな山でのんびりとスキー散歩するつもり。
新型コロナウイルスとは隔絶された世界で、よりいっそうの身体の活性化を図ろう。
身動きできない大都会(感染拡大地域)の春スキー愛好者には申し訳ないが・・・

というわけで、「山は逃げない」は、私にとって反語である。
「山は逃げない」か?
いや、山は逃げる!

2020/04/12

妖怪アマビエちゃんステッカーを作った

乗用車のリアウィンドウにアマビエステッカーを貼った。


この間描いた妖怪アマビエのイラストを修正してさらに可愛くし、それでステッカーを作った。

糊付き塩ビフィルムにラテックスプリンターでプリントし、ラミネート加工の後、プロッターにかけて輪郭カットしてアマビエちゃんステッカーのできあがり。
屋外用の上質マーキングフィルムにプリントして、UVカットのラミネートを施したので、耐候性は抜群である。

上の写真は、そのステッカーを自家用車のリアウィンドウに貼ったもの。
サイズが直径82ミリの円形で、大き過ぎず小さ過ぎず、ちょうどいい感じ。
下の写真のようにスキー板にも貼った。

ちなみに、凹凸の円形は、波立っている海を表している。
伝承によれば、妖怪アマビエは海中から出現するからである。

このステッカーは、お守りではないので、ご利益とかを期待するためのものではない。
いまや新型コロナウイルスを消滅させるためのマスコット的な存在となった妖怪アマビエを、可愛いキャラクターステッカーにして、元気を得ようというもの。

元気を得て免疫力を高め、その勢いで新型コロナウイルスに打ち克ってやろうという、いわば「元気グッズ」である。
したがって、普段から愛用している生活の道具や、趣味の道具にさり気なく貼るのが効果的かと思われる。

自身の日々の生活に対する愛着心が強ければ強いほど、疫病に立ち向かう強い力が生じてくるはず。
愛用の道具や趣味の道具は、その力を蓄える「入れ物」のようなもの。

危機的な状況を、穏やかに力強く過ごすために、妖怪アマビエは「シンボル」のひとつとなっている。
「シンボル」で日常をさり気なく飾り、生きる力を養おうというのが、このステッカーを作った目的のひとつ。

「疫病退散!」とか「ストップコロナウイルス!」とか、スローガンやキャッチコピーを加えると、どうも装飾性が落ちるような気がする。
「妖怪アマビエちゃん」のカワユサも、「叫び文句」でイマイチになる。

そこで今回は、文字無しで作ってみた。
妖怪アマビエちゃんの無言の存在感が、この危機的状況を沈静化してくれますように。


K2のテレマークスキー板のテールにもアマビエシール。

2020/04/10

神頼みよりも妖怪頼み、アマビエ様

疫病退散の妖怪アマビエのイラスト
妖怪アマビエのカワイ系。


新型コロナウイルス感染症が、全国的に拡大の一途をたどるなか、今ネットで話題になっているのが、上のイラストのような妖怪アマビエ。

上のイラストは、私がCorelDRAW2019で描いたアマビエの二作目。
これらのオリジナルは、イラスト素材集のページにアップしている。

一作目がキモコワ(気持ちが悪くて怖い)という評判だったので、二作目はちょっとカワユク描いてみた。
ネットに出没している妖怪アマビエは、どちらかというとカワユイものが多い。
ホントは怖くないと妖怪じゃないんだけど。

いつ終わるともしれない疫病に、コロナ疲れもひどくなりつつあるようで。
人々はコロナ禍を忘れるために、民話的な癒やしを求めているのでしょう。
癒やし効果で免疫力をアップさせ、コロナウイルスを一蹴しようという意気込みなのである。

神様仏様では通用しないコロナウイルス。
日本の民衆の心のなかに古より存在し続けてきた妖怪が、この時節に注目を浴びているのである。

そもそも妖怪は、その時代の人知では理解し難い「怪奇現象」を起こす「化物」や「怪物」のこと。
古代においては、人間に災いをもたらす存在であったのではなかったか。

古代のミニコミのなかで怖れられていた妖怪が、現代の発達したマスコミ世界では、人間の味方としてキャラクター化している。
神や仏をキャラクター化するのは畏れ多いから、人間と同じ地平に立っていると思わしき妖怪を人間の味方っぽくキャラ化しているのだろう。

神様の数える単位は「柱」だが、妖怪を数える単位はだいたいが「匹(ひき)」だそうで。
ちょっと見下している感が否めません。
せめて「体(たい)」で数えたらどうでしょう。
なんてことは、まあ置いといて。

ネットでは、アマビエに「様」をつけておすがりしている有様である。
窮したときの妖怪頼み。
どうかご利益がございますように。

ところで伝承では、アマビエは豊作や疫病の流行を予言する妖怪であるとのこと。
海中から現れて、それらのことを予言して立ち去っていく妖怪であるらしい。

「良い予言と悪い予言がある。先にどっちから聞くかね?」てな調子だろうか。
コロナウイルスのせいで、日本の経済が破綻しそうである。
豊作の予言はないのかね。

そういえば、中国の武漢市で未知のコロナウイルス感染症患者が見つかったとき、アマビエ様は、今の日本の状況を予言したのだろうか。
その頃は、誰もアマエビ様を見かけていない。

私の姿を描いた絵を、人々に早々に見せよ」というお言葉を聞いた方は、いらっしゃらなかったのではないかしらん。

ともあれ、日本の厚生労働省がアマビエのイラスト入り「ステッカー?」を作ったとのこと。
下の画像がそれである。
厚生労働省ではコレを「啓発アイコン」と読んでいるが、「啓発アイコン」て何?

私に言わせれば、「啓発」よりも「ご利益」でしょ。





アマビエのイラスト入りステッカー
厚生労働省ホームページより。

2020/04/08

さらば愛しき女よ

「オイ!なめるんじゃねーよ!」

すぐ耳のそばで怒鳴り声が聞こえた。
私は、身構える余裕もなく、声の出どころを目で追っていた。
しかし、私のすぐそばにも、あたりにも人影はなかった。

探偵を生業にしていると、この手の脅し文句を浴びる機会は多い。
そんな文句に慣れてはいるものの、耳のすぐそばで怒鳴られるとたじろいでしまう。

私は、小説に出てくる探偵のように、タフじゃないし、肝もすわってはいない。
臆病で、疑り深くて、慎重な調査員なのだ。
そのおかげで、今日までこの仕事を続けてこられた。

「おいキョロキョロしてんじゃねーよ」

「ねーよ」を長く伸ばす口癖に聞き覚えがあった。
あれは、誰だったろう。

私は唾を飲み込んだ。
三ヶ月ほど前から、右下顎の奥歯がグラグラ動いていた。
正確には、第二大臼歯。

その揺れの幅が、だんだん大きくなっている。
私が、動く奥歯を気にして、舌でいじるせいもあって、奥歯のグラグラはどんどん酷くなっていた。

唇をなめた舌が、また、その奥歯へ触れた。

「オイ!なめるんじゃねーよって言ってんだろう!」
やはり、怒鳴り声は耳のすぐ近くから聞こえる。
私は、姿の見えない男に向かって言った。

「いったいあんたは誰なんだ、どこにいるんだ」

「忘れたかい、スエだよ」
スエという呼び名と「ねーよ」という口癖がつながって、私の懐かしい記憶が蘇った。
スエは私の中学時代の同級生で、その地方一帯に悪名がとどろいた不良だった。
その乱暴さ、その残虐さにおいてピカイチの不良中の不良だったのである。

私は中学時代、スエによくいじめられた。
殴られたり蹴られたりしたのだったが、私に対するそんな暴行があるときを境にパッタリと止んだ。

それは北国の村にドカ雪が降った日だった。
スエは、雪の降り積もった田んぼで、私を殴ったり蹴ったりしたのだったが、その日はそれで収まらなかった。

倒れた私の体に馬乗りになって、私の首を締めはじめたのだった。
首を締めながら、グイグイと私の頭を雪の中へ押し込んだ。
このままだと、スエに殺されてしまうと思った。

私は、首に力を入れて、雪に埋まった頭を左右に激しく振った。
スエの手から逃れようと必死に抗ったのだ。

すると、スエの上体のバランスが崩れ、私の首を締めていた右手の親指が、私の口の端にずれてきた。
私は、その親指に思いっきり噛みついた。

「ギャーッ!」という悲鳴が、広い雪原に響いた。

スエは手をプラプラさせながら、ヨロヨロと立ち上がった。
スエの親指の根元から血があふれて、私の顔に滴り落ち、私の周囲の雪を赤く染めていた。


翌日の早朝、スエを従えた彼の母親が私の家に怒鳴り込んできた。
スエの母親は、村の人たちからトミエさんと呼ばれていた。

トミエさんは、村いちばんの美人だった。
その美貌は、全国レベルでも通用するものだと囁かれていたほどだった。
背が高くてスタイル抜群。
彼女のスラリと伸びた白い脚は、村の若者達の羨望の的だった。
子どもの頃の私は、何度その美しい脚を盗み見したことだろう。

トミエさんは、美しい顔を妖しくゆがめて、私の父に食ってかかった。
「うちのスエはおたくのガキのおかげで、指を失くすとこだったんだよ。七針も縫ってこのザマさ、どうしてくれんだよ!」

スエの腕をとって、それを父の目の前に差し出しながら、そう怒鳴った。
スエの腕は、手首から指の先まで白い包帯でグルグル巻かれていた。
包帯のいちばん膨らんだあたりに、うっすらと血が滲んでいた。

スエは黙って、彼の母親に腕をあずけたまま、じっと上の方を眺めていた。
気の弱い私の父は、スエの母親に相当額のお金を払ったらしい。
父は「おまえはワレを殺す気か」と涙声で私に嘆いた。
スエの父親のタカはヤクザ者であるという村の評判だった。

それから中学を卒業するまで、スエとは目立った接触はなかった。
私に対するスエの暴行は、ぱったりと止んだのだ。

トミエさんとは村の道路ですれ違ったりしたが、トミエさんは相変わらず美しかった。
私は、あの事件以来、トミエさんをより身近に感じていた。
私はトミエさんに憎まれながらも、なぜかトミエさんに認められたような気になっていた。

あれから何年たっただろう。
私は、またこうしてスエと出会う羽目になったのだ。
ところで、そのスエはどこにいるのか。

「キョロキョロすんじゃねーよ、ここだよここ。おめえの汚い口の中だよ」

「えっ!」
スエの声が耳のすぐそばで聞こえていたのはそういうことだったのか。
私は、グラグラ動いている奥歯を、舌でそっと押してみた。

「なめんなって言ってるだろう!」
スエの怒鳴り声が耳に響いた。
まちがいない。
私の第三大臼歯がスエの声の出どころだった。

でも何がどうしたことだろう。
「そんなこと知るかよ!」とスエが怒鳴った。

そうだろう。
こんな事態は、ただ乱暴なだけのスエに理解できるはずがない。
突然奥歯にのりうつられた私にだって理解できない。
私が中学生の頃、スエの親指を奥歯で噛み切ろうとしたことに関係があるのかもしれない。

それはそうと、のりうつったってことは、スエはもうこの世の者じゃないのか。
そう思ったとき、スエは「そうよ、オレは撃たれちまって、とっくの昔にオダブツさ」と静かに言った。

後で知ったことだが、スエは北海道でアウトローのような生活を送っていたが、札幌でもめごとを起こして東京へ逃げたということだった。
おそらく逃亡先がバレて、スエはそのスジの者に消されてしまったのだろう。

「こうしてオレが出てきたのは、探偵のおまえに頼み事があるからよ」
私が探偵業をやっていることは、裏社会で生きてきたスエにはお見通しだったようだ。

「へえ、探偵に頼み事って、あんた金があるのかい。こう見えても俺の調査料は高いぜ」
私は、奥歯を舌で弄びながら優位感を楽しんだ。
「おい、こらてめえ、なめてんじゃねーぞ!てめえが俺の母ちゃんに色目使ってたのは知ってんだからな!」
「何を言っているんだ、色目なんて。ガキの時分の話じゃないか」
私は、ドギマギしながらも平静を装った。

「いいか、頼みってのは、オレの母ちゃんと父ちゃんのことを調べてくれってことさ」
スエは中学三年生になってから、学校へ来ることが少なくなっていた。
中学を卒業することもなく家を出て北海道に渡ったのだった。
以来実家とは、まったく連絡をとっていなかった。
自分の母親と父親が、今どうやって暮らしているのか調べてほしいというのだ。

それっきりスエは黙ってしまった。
私が舌で奥歯をグラグラさせても、もう怒鳴ることもなかった。
スエも人の子だったのだ。
殺されて仏ゴコロがついたのだろう。
一人っ子だったスエは、年老いた親の身を案じているのだ。


私には、このところ仕事らしい仕事は入っていなかった。
かなり暇だった。
私の仕事を成り立たせている要因のひとつは、好奇心である。
スエに言われて、私は忘れていたトミエさんのことをなつかしく思い出した。
トミエさんに対する興味が、以前にも増して湧いてきたのも事実だった。

気晴らしに生まれ故郷へ帰ってみるか。
私は、千住の雑居ビルにある事務所を出て、駐車場に向かった。
飲食店街の埃っぽい駐車場の奥に、私の愛車であるオールズモビルスーパー88コンバーチブルクーペを置いてある。

私はいつも、この車の運転席でハードボイルドな気分を味わうのである。
首都高から川口ジャンクションを経て東北自動車道へ、オールズモビルスーパー88コンバーチブルクーペを走らせた。

生まれ故郷の村の通りを、私の愛車は一気に駆け抜けた。
三十年前と変わらない寂れた佇まい。

村の人の話だと、スエの両親は、私やスエが村を出てしばらくしてから、この村を離れていた。
この村のずっと北にある半島の突端で、トンネル工事が始まって、全国から工事関係者が小さな町に押し寄せたのである。

トミエさんは、これをチャンスと思ったのだろう。
夫のタカを説き伏せて、タカとともにトンネル工事の町でスナックを開いたのだった。

美人ママのいる店として、たちまちトミエさんのスナックは評判になった。
現場作業員や工事の監督や資材会社の営業マンでトミエさんの店は繁盛した。
タカも、金回りが良くなったので喜んでいたらしい。

しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
トミエさんは、常連客の若い男と恋仲になったのだ。
その男は、大学の工学部を出た掘削機械のエンジニアだった。

スエが都会の雑踏に憧れたように、トミエさんは都会的なシャレた物言いに惹かれたのだ。
タカにはまったく感じられないインテリ風なムード。

タカもまたスエ同様、自分の衝動を抑えられない破滅的な男だった。
タカは、トミエさんとエンジニアの逢引の現場に乗り込んで刃物を振り回した。
トンネル景気に湧いている北端の町に起こった凄惨な事件。
血だらけの若者がアパートの階段を転がり落ちる。
トミエさんは寝間着のまま、二階の窓からツツジの植え込みに飛び降り、海の方へ逃げた。

初冬の黒い雪雲が、強風に飛ばされて、海峡の空を西から東に脱兎のごとく走っていく。
時おり射し込む陽の光が、黒い岩でゴツゴツした断崖に濃い影を作っていた。
岬に白い雪片が舞う頃の、この地方特有の暗い景色である。

荒れた海に突き出た丘。
その丘を襲う強風が、トミエさんの寝間着を剥ぎ取ろうとしている。
鈍色の世界で、白い肌をあらわにしたトミエさんに血だらけの出刃包丁を構えたタカが迫り寄る。

目撃者の話では、「トミエーッ」と叫んだタカがトミエさんに体当たりし、二人は断崖から姿を消したということだった。
一瞬の出来事だったという。

海流は、大蛇のように海峡の中をウネリながら、日本海から太平洋に向かって流れている。
ここから海へ飛び込んだ者の遺体は、上がったことがなかった。

こうしてスエの両親の物語は北端の地で果てたのである。
それが、私なりの調査の結果だった。
私には、その事件の中心にいたトミエさんの姿が目に見えるようだった。


私は、岬の断崖に立って、スエの反応を待った。
だがスエは、私達が東京を出たときから黙ったままだった。

私が舌で奥歯を強く揺り動かしても無言だった。
スエは両親の末路の地を見届けて成仏してしまったのだろうか。
「な、どうなんだ、スエよ」
私は、断崖のはるか下の岩を喰む白波を見下ろしながら、そうつぶやいた。

私が舌で軽く奥歯を押したとき、それはポロリと抜けて、私の口の中に横たわった。
口の中にポッカリと広がった空虚感。
抜け落ちた歯は、抜け落ちたことで存在感を顕にしていた。

歯槽の溶解がかなり進んでいたのだろう。
歯が抜け落ちたとき、痛みはなかった。

私は奥歯を口の中から吐き出して手のひらに乗せた。
しっかりした大きな第二大臼歯だった。
失うにはもったいないほどの頑丈できれいな歯だった。

私はその奥歯を海峡の海に放り投げた。
白い歯は小さくなって、すぐに見えなくなった。

「トミエさんよ、タカよ、スエよ、成仏してくれよ」
私は心の底から、そう祈った。

祈りながらしょんぼりと佇んでいたとき、昔読んだチャンドラーの小説の題名が、私の脳裏をよぎった。
「さらば愛しき女(ひと)よ」

「けっ、マーロウ気取りかよ」
空耳か風の音か、スエの声が聞こえたような気がした。


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2020/03/25

宣伝チラシ投函お断りシール

宣伝チラシ投函お断りシール丸型
宣伝チラシ不要シール丸型


知人と雑談していたら、「ポスティングって、ホント迷惑よね」という話になった。

彼女は、宣伝チラシを読まないし、チラシはそのままゴミ袋に直行ということだった。
なので、彼女にとって宣伝チラシはゴミなのである。
そのゴミを置いていかれるのだから迷惑なことだという。

もちろん、宣伝チラシには貴重な情報がたくさんあって、それを生活の役にたてている方も多い。
しかし、限られた年金で暮らしていて、消費意欲も余裕もないひとり暮らしの老人には、宣伝チラシは不要のゴミなのである。
特に不動産関係の広告は、まったく縁のない世界だから、ゴミ以外の何物でもないと嘆いていた。

私は、そのポスティング事業を行っている会社を知っている。
その会社では、受け取りを拒否した個人宅や集合住宅には配布しないように配布スタッフに指導しているとのこと。

そこで、アドバイス。
チラシを配布している方に不要である旨を伝えたらどうかと彼女に言ったら、それも申し訳ないように思えて、なかなか言い出せないということだった。

それを仕事にして、一生懸命に歩き回っているのだから、面と向かっては何も言えないとのこと。
優しい心の持ち主である知人は、チラシ配布スタッフのお仕事を奪うようで申し訳ないと言うのだった。

口で言えないのなら、貼紙という手もある。
「投函お断りシール」というキーワードで、インターネット検索してみたら、この手のシールには、やや強い口調の文言で書かれたものが多いことがわかった。

「無断投函一切お断り!」とか「ポスティング厳禁!」とかは、まだやわらかい方。
「ポスティング目的で敷地内に侵入した場合は警察に通報する」なんて攻撃的な内容のシールもある。

たとえば、ご主人が脱サラしてベーカリーを始め、その新規開店の手作りチラシを町内に配布して回っている奥様の姿を見ると、多くの人たちは健気であるなあと感じる。
そういうチラシは、なかなか断れないもの。

むしろ、どういうパンがあるのかなと読みたくなってしまう。
パン好きな方にとっては、チラシは貴重な情報源である。
しかし、受け取る側はチラシを選べないのが実状。

郵便受けに大量のチラシを入れられると、チラシに紛れ込んでしまった大事な郵便物も一緒に捨ててしまいかねない。
不要のチラシは、ほんとうに困りものなのだ。

それじゃ私が、やんわりお断りできるシールを考えてみよう。
ということで、できたのがこのページに掲載した2種類のシール。

配布している方の労をねぎらいながら、「でもウチは要らないんですよ」というコンセプトでレイアウト。

愛用のグラフィックソフトCorelDRAWでチャッチャッと作ったもの。
使った効果は「等高線効果」と「ブロック影」。
このレイアウト見本程度の寸法線は、CorelDRAWで簡単に描けるから便利である。

シンプルだが、小さくても目立つような色使いで作った。
これを「糊付き塩ビフィルム」にプリントして「ラミネート加工」する予定である。
ラミネート加工すれば、かなりの耐候性アップが期待できる。

効き目のほどは、どうか。
まずは、心優しき知人に試作品を提供して、様子をみることにしよう。

もし、この「宣伝チラシ投函お断りシール」の効果があって評判が良ければ、商品化してみるのも面白い。
その場合はフォント(このデザインでは「HG創英角ポップ体」など)の商用利用について調べてみなければなるまい。

リコー製のフォント(HG系)を商用利用する場合は、商用利用ライセンスを購入しなければならないとか。

なるほど。
こんなシールでも、簡単には商品化できない。
「著作権」は尊重すべき権利なのです。


宣伝チラシ投函お断りシール細横型
宣伝チラシ不要シール細横型

2020/03/02

裏庭の縄文人

街外れの丘陵地に建っている借家を借りたときのことだった。

私はその借家に独りで住みながら、事業を営んでいこうとしていた。
チラシやポスターや看板などをレイアウトする仕事である。

古い和風の平屋には南向きの縁側がついていた。
陽当りの良い縁側から、広い原っぱが見渡せた。

原っぱには背丈が50センチ前後のチガヤが一面に繁茂している。
風が吹くと、細い葉を立てたチガヤの群落が海のように波打った。
それを見ていると目眩が起こりそうになるほどだった。

その原っぱの奥に雑木林が広がっていて、雑木林の向こうには高い山並みが連なっている。
そんな景色が気に入って、その住宅を借りたのだった。

夜に部屋の灯りを消して布団に入ると、野原や遠くの雑木林を吹き抜ける風の音が家の中に舞い込んでくる。
それは、この家が丘の原っぱの隅に建っている一軒家であることを私に実感させた。

引っ越してから3日ぐらい経った夜のことである。
その日はめずらしく風の無い日だったが、縁側からカサコソと音がした。
静まり返った寝室では、その音が微妙に気になる。

裏庭で野ネズミでもうろつき回っているのだろう。
そう決め込んで、うつらうつら眠りだした私の耳に、ヒソヒソと音が聞こえた。
それは話し声かと思われるような、かすかなざわめきだった。

いつものように寝入りばなに夢をみているのだと思った。
そうやって眠りに就くのが私の癖なのだ。
寝入りばなのぼんやりとした夢が、私を深い眠りへと導いてくれる。

そんな朦朧とした夢から私を醒ましたのは、薄いガラスが壊れるようなカシャカシャとい
う音だった。
夢から、暗い寝室の現へとひきもどされた。

私は布団を抜け出て障子を静かに開けた。
そろりと板敷きに這い出し、縁側のカーテンを少しめくって外の様子をうかがった。

遠くの山並みの上に、半月があがっていた。
月のまわりには、切れ切れに雲が浮かんでいる。
半月に照らされて黒々とした深い森に見えるのは、原っぱの奥の雑木林だ。

チガヤの原っぱとこの家の敷地は、三段の低いブロック塀で区切られている。
ブロック塀から縁側までの距離は、4メートルぐらいだった。
奥行きが4メートルで幅が10メートルぐらいの裏庭には、アカメガシやドウダンツツジやイヌツゲなどが雑然と植えられていた。

私は縁側の板敷きに腹ばいになって、月明かりに照らされた裏庭を覗き見しながら音の出どころを探った。
しばらくして、ブロック塀に沿って植えられたイヌツゲの根本あたりがぼんやりと明るいのに気がついた。
よく見ると、イヌツゲの繁みの下に、すり鉢を逆さにしたような土の突起が4つあった。

円錐形の小さな蟻塚のようにも見えるが、4つの土の突起の東側から、それぞれにぼんやりとした灯りが漏れているのである。

不思議な突起物に、私の目は釘付けになった。
じっと見ていると、一つの突起物の灯りが揺れ動いて、土の内側から出てくる人形の形をした小動物が目に入った。

夢を見ているに違いない。
と、私は思った。
しかし、腹ばいになった板敷きの冷たさは現実のものだった。
鳥肌がたっている両腕の感じも現実のものだった。

人形の形をした小動物は、歩いて隣の突起物の中に入った。
耳を澄ますと、土の突起の内側から鳴き声が聞こえた。
その鳴き声には、明瞭に聞こえる音もあったが、不明瞭な音も混じっていた。

文字で書くと「もXXXぎゃ、XXXこうXXXXじゃ」みたいな音の集まりの鳴き声なのである。
その鳴き声の合間に、カシャカシャと何かが壊れる音が聞こえる。

私は、もっとよく鳴き声を聞こうと、縁側のガラス戸を静かに開けて、パジャマ姿の半身を裏庭に乗り出した。
その気配を察してか、突起物の内側から漏れていた淡い灯りが一斉に消えた。

と同時に、土の内側から呼応するような鳴き声が聞こえた。

「でえXXXじゃ、くXXX」
「くXXX、けえXXXでぃ、けえXXXでぃ」
「けえXXXでぃっっっっっっっっっっ、もうXXXあXXXけぞ!」

これはもう小動物の鳴き声ではない。
あきらかに人の話し声である。

私は立ち上がり、寝室の棚にある懐中電灯をつかんで縁側の踏み石の上に立った。
そこから一歩庭に降りて、かがんで懐中電灯の光を土の突起にあてた。
それぞれの突起物の東側に開いている穴は、土塊の内側に通じている入口のように思われた。

その入口を塞いでいる戸のようなものが内側から取り払われ、中から小さな人間がぞろぞろと出てきた。
手に棒を持って、それを槍のように使って私を威嚇しているようだった。
ひとつの突起物から大人の男女二人が出てきた。

その男女の顔を見た私の仰天ぶりは、今までの驚きの比ではなかった。
「目を疑うような光景」とはこういうことを言うのだろう。

二人は、とうに亡くなった父と母だったのだ。
他の人達と同じように、作務衣のような布製らしい衣服を着てクツをはいている。
長い髪の毛を後ろで束ねているのも同様である。

ふたりはまぎれもない父と母だった。
いつも何かに怯えているような小心者の父の顔。
ときどき、ふてくされたような薄笑いを浮かべる母の顔。
忘れることのないふたりの特徴だった。

私は懐中電灯をあてながら、四つん這いのまま父と母に近づいた。
二人は警戒するような表情を一層強めながら、土の突起の中へ潜り込んだ。

入口を懐中電灯の光で照らして、私はおそるおそる中を覗き込んだ。
父は入口から下がったところで、恐怖に引きつった顔で棒を構えていた。
母は奥の方で、カシャカシャとなにかを壊している。

土の突起の内側は、小枝を張り巡らした壁に囲まれていた。
一段下がった土間の中央に、炉のようなものが見えた。
屋根を支えているらしい柱も数本建っている。

私の脳裏に「竪穴式住居」という言葉が浮かんだ。
土で屋根を葺いた土の住宅。
土の突起は、縄文時代を連想させる竪穴式住居だった。

そうすると、小さな人間の彼らは縄文人なのか。
もう私の頭は、理解するとか解釈するとかのために働いていなかった。
ただ目の前で展開している光景を、記憶のスクリーンに写し込んでいるだけだった。

他の竪穴住居からもカシャカシャと音が聞こえている。
住居の土間は、何かの破片で散乱していた。
母はその土間へ、瓶の中の水を撒いて松明を手にとった。

二人は私を威嚇しながら外に飛び出し、松明を住居の土間へ投げ入れた。
たちまち竪穴住居の内部は、竈のように炎が充満した。
瓶の中の水は、油だったのだろう。

他の住居も同様だった。
彼らはそろって駆け出し、ブロック塀に開いた穴からチガヤの原っぱへ消えていく。
母はブロック塀をくぐる前に私の方を振り返って、ちょっと立ち止まり、微笑んだようだった。
しかしそれは暗がりでのことだったので、私の思い込みかもしれない。

そうして彼らはチガヤの大海原へ消えていった。
残された竪穴住居は、次々と土の屋根が崩れ落ちた。

このとき、裏庭が赤い光に浮き上がった。
振り返ると、家の障子がメラメラと炎に包まれて燃え上がっている。
轟音とともに、家の屋根から火炎が噴き出した。

「大変だ、大変だ」という思いが、目まぐるしく頭の中を駆け回った。
あとは、どこをどう逃げたのか記憶にない。

気がつくと、道路に座り込んで、呆然と借家が焼け落ちるのを見ていた。
街のほうから消防車のサイレンの音が、だんだん近づいてくるのを聞いていた。


私が借りた借家は野中の一軒家だったので、幸い延焼はなかった。
消防官の火災調査結果は、「漏電による火災」だった。

屋根裏の配線が経年劣化していたのだ。
電線の絶縁被覆が損傷し、漏電火災が起きたということだった。

長い間空き家で電気の使用がなかったところへ、私が引っ越してきて急に電気が通った。それが漏電火災のきっかけになったのだという。

年老いた大家さんは、貸家の点検に不備があったと私に謝った。
まだパソコンとかプリンターとかの機器を運び入れる前だったので、私の被害は少なくて済んだ。

私は、数日経ってから火災現場を訪れてみた。
裏庭は、植え込みが焼失してしまったらしく、私が引っ越して来た頃の面影はなかった。

それにしても、あの半月の夜の光景は何だったのだろう。
竪穴式住居の跡は消防署員の硬い靴底に踏み荒らされて、付近の泥濘と見分けがつかなかった。
私は記憶をたどりながら、竪穴住居が建っていたと思われる場所を棒切れで探ってみた。
しかし、縄文人がカシャカシャと壊していたものの破片は見当たらなかった。

母が壊していたのは、土偶や瓶や注口土器ではなかったろうか。
縄文遺構から発掘された土器は、故意に壊されたものが多いと聞いたことがある。

私が津軽半島のある村で暮らしていた子どもの頃、母は不用になった皿や茶碗を石の上に落として壊していた。
「自分達の生活臭の染み込んだものを、他所の人の手にさわらせたくないから」というような意味のことを、母は口にしていたのだった。

私は、母の言葉を思い出して、しばらく焼け跡に佇んだ。
たった一晩の短い時間だったが、私の中では縄文人の父や母やその他の住民が懐かしい存在になっていた。

私は、彼らが消えていったブロック塀の穴をぼんやりと眺めた。
ひょっとしたら、彼らがあの穴から顔を覗かせるのではないかというあてのない期待感があった。
しかし穴からは、節のあるチガヤの茎が見えるだけだった。

かれらが住居に火を放って逃げたのは、私がここに引っ越してきたからに違いない。
平穏な生活を乱す者から避難したのである。
「自分達の生活臭の染み込んだものを他所の人に見せたくない」という思いで住居を焼き払ったのだろう。

火事にあった竪穴式住居跡も縄文遺構から発見されている。
それが故意の火事であるかどうかは、研究者の意見の分かれるところらしい。

痕跡を残さないというのが縄文人の生き方なのか。
もしそうであるなら、縄文人は現代でも痕跡を残さずに姿かたちを変えて、脈々と生きながらえているのかもしれない。
そういう感傷が湧いて出た。

なぜ亡くなった父と母が、縄文人としてここで暮らしていたのだろう。
それは、不思議な巡り合わせとしか言いようがない。
彼らはどこからやってきて、どこへ去っていったのか。

ただあの光景を目撃して以来、私の中にある考えが生じている。
それは、私もいずれは裏庭の縄文人として古代を生きるのかもしれないという漠然とした予感である。
それが縄文人を目撃した者の宿命なのではないだろうか。


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2020/02/09

北の旅人

町外れの飲食店街の奥に小高い丘があった。
その丘に、居酒屋が一軒。
赤ちょうちんが風に揺れているのが見えた。

飲食店街の小路から細い石段が、丘の上へ通じている。
その石段を上がると、潮の香りが一層濃くなった。
居酒屋の背後にある黒松の林の向こうには、暗い海が広がっている。

岬の町は、暗い海とは対象的に、小さな灯りが寄り集まっていた。
丘の上からは、その様子が、平穏で慎ましい物語のように見えた。
人の温もりが軒を連ねている町と、暗くて荒々しい海との境目。
平穏な物語と不穏な物語の間で赤提灯が風に揺れていたのである。


暖簾をくぐってガラス戸を開けると、目の前に和服姿のマグロが立っていた。

珊瑚色の単色の袷に、花柄の袋帯を締めている。
珊瑚色の明るさが、顔の黒さを際立たせていた。

「いらっしゃい、あら、この辺のお方じゃないわね」

マグロの女将はそう言って、ポンと破ったポリ袋からおしぼりを取り出して私に差し出した。
白っぽい襦袢の半襟から伸びている頭部はマグロだが、腕や腰は年増女のもののように見えた。

「そう、この土地は初めてだよ」と私は女将の挨拶に応えて、ビールを注文した。

ここは本州北端の地。
マグロの女将がいても不思議ではない。


私の脳裏に、南島の町へ捜査に行ったときの記憶が蘇った。
泊まったホテルの支配人は、スーツを着たハブだった。
そのハブ支配人に左の手のひらを咬まれ、私は瀕死の重症を負ったのだった。
あのハブに比べればマグロの方がまだいい。
マグロは毒を持っていない。

「お客さんは人を探していらしたんじゃないの」
女将はビールの栓を抜きながら、大きなマグロの目で私をジロジロ見ている。

「こんな北の果てに他所からおみえになる方は、男から逃げている女か、女を追ってきた男ぐらいですわ」
マグロ女将は、私から目を離さずに、奥へ声をかけた。
「ちょっとあんた、また人探しのお客さんがいらしたわよ」

奥から出てきた板前風の男は、カラフトマスだった。

小柄ながらも盛り上がった背中の筋肉。
鋭い目つきが、ただの板前ではないことを示している。

カラフトマスは長い刺身包丁を手にして出てきた。
「お客さんも女を追ってきたのかね?」
愛想のいい顔で話しかけてきたが、目は笑っていなかった。

「すると以前にもどなたか、人を探してここにやってきたのですか?」
私はビールを飲みながら、慎重に尋ねた。
某国の女スパイを追ってきた男が、この町で消息を絶っていた。

一瞬、板前は息を止めて全身の筋肉をバネのように縮め、それからゆっくりと息を吐きながら筋肉を緩めた。
私の筋肉も同じような反応をしたので、それがよくわかった。

消息を絶った男は、私の前任の捜査官だった。

場の緊張をほぐそうとしてか、女将が朗らかに言った。
「お客さん、何かお召し上がりになりません?いろいろと美味しい料理ができますわよ」

私は美味しい刺身が食べたかった。
この北の町は、魚の美味しいところと聞いている。
だが、マグロ女将とカラフトマス板前がいる店で、魚の刺身を注文するのは気がひけた。

それよりも、私は重大な間違いを犯していたことに気がついた。
拳銃のホルスターを左側の腰につけていたのだ。
左利きだった私は、ハブに左手を咬まれてから左手では銃を扱えなくなっていた。

銃を撃つ手を右手に替えていた今、ホルスターは右の腰につけるべきなのだ。
そうでないと動作がスムーズに行えない。
うっかりして、昔の習慣から左の腰にホルスターを装着してしまったのだった。

私は静かに左手でホルスターからリボルバーを抜き、それを左の太腿の上に置いた。
リボルバーを右手で握るには、右手を左側にクロスさせなければならない。

カウンターの陰になっていても、そんな下手な動きをしたら、カラフトマスに悟られてしまう。
すぐさま柳刃包丁が私の首めがけて飛んで来るに違いない。

平穏な町と、原子力潜水艦が航行する海峡。
この居酒屋は、そのどちらにも赤提灯を揺らしているレッドゾーンなのだ。

私は息をのんでカラフトマスの動きに備えた。
それに気がついたマグロ女将が、カウンターの下からショットガンを取り出し、銃口を私に向けた。
世界屈指の軍用ショットガンと言われているロシアのヴェープル12だ。

「お客さんもあの男のお仲間だったのだねえ」

私が右腕を動かせば、柳刃包丁が私の首を刺し、ショットガンが私を吹き飛ばすことだろう。

これで終わりかと腹を決めたとき、思いがけなく私の口から歌が洩れた。

「たどりついたら 岬のはずれ 赤い灯が点く ぽつりとひとつ・・・・・」

石原裕次郎の「北の旅人」だった。
それはこの北の地で滅んでいくであろう自分自身への鎮魂歌だった。


すると何を勘違いしたのか、カラフトマスが言った。
「ボス、こいつはマイトガイですぜ」
「えっ、マイトガイって、あのギターを持った渡り鳥のマイトガイなのかい」
マグロ女将がカラフトマスのほうへ目を向けた。

私は、その一瞬を見逃さなかった。
クロマグロとカラフトマス目掛けて、素早くリボルバーの引き金を引いたのだった。

さらば異国のスパイたちよ。
ギターを持った渡り鳥は、小林旭だよ。


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2020/02/05

人面瘡

【ご注意!ホラーです。この読物には、残虐な描写があります。】


父が人面瘡(じんめんそう)に喰われて消えたのは、私が中学三年のときだった。

自分の足にできた人面瘡を見て、呆然としていた父の姿が今でも目に浮かぶ。

数日後、落ち着きを取り戻した父は、気休めに病院へ行った。
しかし診察をした若い医師は目をそらして、カタカタと体を震わせているだけだったという。

年配の外科医は、「うーんうーん」と唸る他一言も発しなかった。
中年の看護婦が「ここでは治せませんから、神主さんかお坊様にお願いしてみてはどうでしょう」と言って、手を合わせて父を見送ったという。

「気休めに病院に行った」と書いたのは、私の家系では代々人面瘡が出る親類縁者が後を絶たず、過去に医療で治ったことがなかったからである。
もちろん、神社とかお寺で祈祷を頼んだこともあったが、治った例はなかった。

昔よりは医学も進歩しているだろうと、父は町の総合病院を訪れたのだったが、案の定それは気休めに終わった。
以来父は仕事にも出ずに、足の人面瘡を睨みながら酒浸りの日々が続いたのだった。

私の母は、私を産んでしばらくしてから、呪われた家系に気づき失踪したという。
なので私は男手ひとつで育てられた。
その父もまた人面瘡に取り憑かれてしまった。

足の人面瘡は、真っ赤な口を開けて父の手が近づくのを待ち構えていた。
というのは、父は酷い水虫を患っていて、いつも足の指の間を手でかきむしっていたからである。

その足の指に人面瘡が顔を出した。
第1趾(親指)と第2趾(人差指)の付け根がぱっくりと口を開け、第1趾と第2趾の指の先にキョロキョロとよく動く目のようなデキモノが出来た。
口の中には尖った歯が生えていて、カチカチと不気味な音を立てることもあった。

足の痒さを堪えることが出来ずに、足に手を伸ばして人面瘡に噛みつかれ、そのまま喰われて多くの親類縁者がこの世から消えていた。


そんなことが、私の父にも起こった。
あるとき、私がテレビを見ていたら、後ろの方で父の罵声が聞こえた。

「コノヤロウ!コンチクショウメ!」

振り返ると、足の人面瘡がものすごい形相で、父の手に襲いかかっていた。
父の足がバネ仕掛けのように跳ね上がって、手を噛もうとしていた。

父は傍らの一升瓶を握って、自分の足の人面瘡を叩き潰そうとしていたが、酒の酔がまわっている父は人面瘡の動きに追いつけない。
人面瘡の足はムチのようにしなって、何度も父の手に襲いかかっていた。

大きく口をあけた人面瘡は右手の一升瓶をかわして、背中に回していた父の左手に喰いついた。
悲鳴とともに父の背中のあたりからゴキッという背骨の折れる音がした。

中学生だった私は金縛りにかかったように身動きが出来ずに、この恐ろしい光景を見ているしかなかった。
足の人面瘡に手を喰われた父の体は円になって、腕を喰われ肩と頭を喰われ胴体を喰われて、その円がだんだんと小さくなっていった。

太腿が喰われスネが喰われた後、とうとう残った足も人面瘡に喰われてしまった。
そうして父の姿が目の前から消えた。
そのとき私には人面瘡も消えたように見えたのだが、何かが走り去る気配を感じてもいた。


私は中学を卒業したあと、実家に住みながら道路工事作業員の仕事についた。
山の中の村から町へ通じる狭い旧道の脇に、片側二車線の広くて快適なバイパスを建設する工事である。
山を切り開いて作る道路は、明るい陽光で村の隅々を照らしてくれそうな気がした。
私の幼少期は暗い思い出ばかりであったから、明るいものに憧れていた。

私は希望のようなものを感じながら仕事に励んだ。
仕事こそが、過去の恐ろしい思い出を忘れさせてくれる数少ない手段だった。

それともうひとつ。
私はテレビをよく見た。
町のビデオレンタル店で海外ドラマのビデオを借りて、仕事が終わってから眠りにつくまで、ドラマの世界に没頭した。
テレビドラマは、麻薬のように私を虜にした。

1話から2話へ。
2話から3話へ。
シーズン1からシーズン2へ。

次はどうなるのか、次に何が起きるのかと、見る者を捕らえて離さないドラマの仕掛け。
次々と繰り広げられる展開に、私は夢中になった。

テンポの早いドラマのストーリーに目を奪われて、一晩で10話ほど見てしまうこともあった。
そんなときの翌朝は、きまって目の前にギザギザの光の波が現れた。
それが閃輝暗点(せんきあんてん)という視覚の異常であると知ったのは、町の眼科医院へ行って診てもらったからである。
ギザギザの光の波は、四方に広がったり、視界の周囲を回ったりすることもあった。
老齢の眼医者は、「テレビの見過ぎが原因かもしれんね」と言った。

この頃、その閃輝暗点の出る回数がだんだん多くなってきた。
ときどき、黒っぽい影のようなものが視界の端に現れたりした。

その影は見覚えのある影だった。
テレビを消したとき、暗くなった画面にうっすらと現れる影に似ていた。

どんどん酷くなる閃輝暗点にも関わらず、私はドラマシリーズを見続けた。
そして、テレビを消すたびにその影が、だんだん顔のような形になってくるのに気がついた。

私は、閃輝暗点の症状が強くなったのだろうと思った。
テレビを見るのを、もうちょっと控えねばなるまい思った。

そう思いながらも、ドラマを見続けた深夜。
やっと踏ん切りをつけてテレビを消したら、いつものテレビ画面の影がより鮮明な顔の形になったような気がした。

私は、いったいなんだろうと、暗くなったテレビ画面を覗き込んだ。
するとその顔は、父を喰った人面瘡の顔になった。

私は、急いで身を引いた。
しかし遅かった。

人面瘡の大きな口が、私の頭を喰らい、胴体を喰らい、足の先を呑み込んでいく。
私は、その一部始終を暗闇の中で目撃していた。
暗いテレビ画面のなかに呑み込まれていく人体。

一族の最後の末裔である私が消えることで、呪われた血脈は途絶えることだろう。
そんな考えが、暗い心中に浮かんだ。


小鳥の鳴き声で私は目覚めた。
縁側のガラス戸から朝の光が居間の奥へ射し込んでいる。
「あれは夢だったのか」
私はあたりを見回した。

いつもの家の中だった。
私の生活が染み込んだ家の中である。
とても静かで、人の気配がなかった。
そして、私自身の身体もなかった。

この古い家の光景の中で、私は閃輝暗点の黒っぽい影だった。
テレビの画面に一瞬現れる人面瘡の影だった。
血脈は滅んでも、人面瘡は途絶えてはいないのだ。

バイパスが完成すれば、町からの人の行き来が多くなる。
今流行の、都会からの山村移住者も来ることだろう。
この村には、都会者を惹きつける古風な雰囲気があった。

私は、その道筋をつけるために道路工事作業員として働いていたのかもしれない。
都会からの移住者を人面瘡として待つために、私は父の残したこの古い家に住み続けていたのかもしれない。

住人がいなくなった古い家の中は、キラキラして妙に明るかった。


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2020/01/25

G3エンツォRに、まだうまく乗れない

ちょっと積雪が増した八甲田国際スキー場。


八甲田国際スキー場は降雪があったので、滑降コースの積雪量は、少雪ながらも良好になってきた。
本日もG3エンツォトレーニング。

だが、ビンディングのバネの強さに、まだ慣れない。
バネに引っ張られるせいか、脚が疲れてしまう。
ひょっとしたら、板に乗る位置が悪いのか。
すぐに後傾になってしまうのは、スキー板に上手く乗ってないせいなのでは。
などと悩む。

本日はリフト八本で、スキー場は吹雪。
脚は、ヨレヨレ。


寒水沢コースはパウダー。

スキーヤーはまばら。

2020/01/21

青森市内に久しぶりに雪が降った

雪が積もった自動車たち
久しぶりに雪をかぶったクルマ


朝起きたらご覧のような雪具合。
青森市内に久しぶりの降雪があった。
積雪深は20センチ弱ぐらい。

スキーヤーにとってはうれしい降雪である。
でも明日からは、雪が降る予報ではない。
なので家の駐車場の雪かきはしない。

現時点での予報は以下の通り。
22日/水:くもり夜遅く雨か雪
23日/木:明け方まで雨のちくもり
24日/金:くもり一時晴れ
25日/土~28日/火:くもり時々晴れ

たしか今年の1月25日は旧正月の元日。
いちばん雪が降る頃なのだが、「くもり時々晴れ」とは残念なこってす。


自動車道の積雪具合
道路の雪具合


八甲田山の酸ヶ湯温泉の積雪深は、今季初めての2メートル越とのこと。
お山の雪は減ることなく積もり続けてほしいもんです。


雪の花が咲いた木
雪の花が咲いた公園樹

雪囲いにも雪が積もった
雪囲いの上にも雪が積もった

雪の積もった公園を散歩する愛犬
雪の積もった公園を散歩する愛犬

公園のケヤキ広場の雪
公園のケヤキ広場の雪景色

2020/01/20

タワシの私

眠りからさめたら、私はタワシだった。

腕の太い農婦の大きな手に握られて桶の内側をこすっていた。

ザザザと慣れた手つきで桶の汚れを落としている。
熟練した仕事ぶりは、見ていて気持ちがいい。

そう思ったとき、私はタワシであることを実感した。
下手な手つきの人には握られたくないものだと思った。

桶の中を無駄なく動き回る。
それは舞踏のようでもあった。
その動きが繰り返されるうちに、私の脳裏にあるイメージが浮かんだ。

それは死のイメージである。
私は子どもの頃から「繰り返す」ものに「死のイメージ」を感じていたものだった。
「死のイメージ」というよりも、「死を招いているイメージ」というほうが正確である。

たとえば櫓をギッチラギッチラ漕ぎながら岸を離れていく川船。
編笠を目深にかぶった船頭。
川面からあがる白い靄。
そんな光景のなか、繰り返される櫓の動きに私は「死を招いている」ような印象をもったものだった。

通夜で坊さんがポクポクと木魚を叩く。
永遠に続くようなその繰り返しに、「死を招いている」イメージは拭い得ない。
オイデオイデと手招きしながら私を呼んでいる。
私の死を招いているのだ。

すると、私は死んだのか。
死んで私のタマシイがタワシになったのか。

この桶は、私の亡骸がおさまる棺桶なのか。
座棺で土葬。
私が育った村では、私が子どもの頃はみんなそうだった。

座棺で土葬。
私の人生もザ・完なのか。

いやおかしい。
棺桶は、一生に一度のものだからマイ・桶のはずである。

ところがこの桶は汚れている。
底のほうには黒いシミのようなものがついている。
よっぽど使い込まれている桶なのだ。
使い回しの棺桶なんてありえない。

桶を洗い終えた農婦は、私を井戸のそばに敷かれた板の隅に置いた。
その板の上には、無数の立派な大根が泥付きのまま積まれていた。

ははん、次は大根の泥落としだな。
してみると、この桶は棺桶ではない。
漬物用の大きな樽なのだ。

今の時代は火葬である。
私の亡骸は白木の箱に収まって、今頃は市営の火葬場で焼かれているころではあるまいか。
そんなことを思いながら、私は大根の泥を落とした。
土で汚れた大根がみるみる白くなっていく。
この仕事は、タワシとして気分がいい。

肉を焼かれて骨になっていく私と、大根を生き生きと洗っているタワシ。
肉体は滅んでいくが、霊魂は仕事を楽しんでいる。

ああ、死とはこんなものだったのか。
死んでみなければわからないものだ。

無数の大根を手際よく洗い終えた農婦は、私に付いた泥をきれいに洗い落として、私を流しの棚の上に置いた。
晩秋の穏やかな陽が、濡れた私を包んでいる。

タワシの毛が陽に輝いてみずみずしい。
私がこんなにもみずみずしかったことがあっただろうか。

などと感慨にふけっているとサクサクと音がした。
私の目の前で農婦が大根を切っている。
大根を上手に薄く切るそのスピードが素晴らしい。
それにしても切れ味のいい包丁である。
こんな包丁なら、きっとおいしい千枚漬けができるにちがいない。

サは、大根の肉を切る音。
クは、包丁がまな板に軽く触れる音。
サクサクと規則正しい動きを繰り返す包丁。

この包丁もまた、どなたかのタマシイなのか。
なんとシャープでスマートなタマシイであることか。
このタマシイも腕の良い農婦に使われて気分がいいことだろう。

輪切りにされた大根の切り口が艷やかである。
この包丁は美しい仕事をしている。

きっとこのタマシイの持ち主は頭の良い美しい人だったに違いない。
私の人生は、ジャガイモのような泥臭い人生だった。
だから私のタマシイはカメノコタワシなのだろう。

それはそれで悔いはない。
泥落としのカメノコタワシに満足している。
いいタマシイである。

などと思っていたら、少しづつわかってきた。
死ぬということは肯定することなのだ。
すべてを肯定しなければ、死んでなんかいられない。

死んでも尚否定する者が、化けて出るのだろう。
そう空想しながら包丁の繰り返しを眺めていたら、眠くなってきた。

秋の陽だまりは心地よい。
暑くなく寒くなく。
サクサクサクという音に誘い込まれて私は眠った。

繰り返しは「死を招いている」イメージ。
死んでもなお、死に招かれているのか。
永遠に続く繰り返し。
サクサクサク・・・・・・


川岸で誰かが呼んでいる。
編笠の船頭は、顎をあげて岸を振り返った。
あたりには視界を遮る白い靄が立ちこめている。

川岸の林がぼんやりと黒く見える。
船頭が手を止めたので、川船は流れに押されてゆっくりと弧を描いた。

「いくもよし、もどるもよし」
乗り合わせた川船の客がつぶやいた。

すべてを肯定しなければ、死んでなんかいられない。
タワシの私が、船頭に首肯いた。


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2020/01/19

八甲田スキー場で新テレマークスキーセットの初乗り

リフトの上から北八甲田連峰の田茂萢岳を眺める
リフトの上から北八甲田連峰の田茂萢岳を眺める


今日の八甲田スキー場は快晴。
積雪もそこそこ。
ここしばらく降雪がないらしく、ゲレンデの雪質は硬くてガリガリだった。

今日は購入したばかりの新テレマークスキーセットの初乗りである。

で、滑りの方はどうかというと予想通り、振るわなかった。
購入したビンディングであるG3 ENZO Rのバネが強くて調子が出ない。
踵を上げるのが怖いくらいバネの引きが強い。

山足の膝を思い切り折って、踵をあげた山足の拇指球でスキーをグッと押さえ込んでようやくテレマークターンができるような塩梅である。
これには力が要る。
おまけに今日のゲレンデは雪が硬いので、なおさらふんばらないとスキーのエッジがきかない。

すごく疲れてしまった。
これはビンディングのせいというよりも年齢のせいなのか。


ENZOの取扱説明書
ピンの設定についての説明


ある程度ビンディングの調整が必要だと思っていたので、ラジオペンチとドライバーを持参していた。
まず、ケーブルエンドを止めているピンの位置を変えた。

上の取扱説明書の写真にある通りG3 ENZO Rにはピンを差し込む穴が4つ用意されている。
これは、四段階のアクティビティ設定を意味している。
ビンディングの後方【写真の(4)の方】に向かうほどビンディングが強力(MORE ACTIVE)になる。
私の理解は、スキー靴を固定するバネの力がより強力になるということ。

購入したときは(3)の位置にピンがセットされていた。
その結果、ビンディングが固すぎて手に負えなかったので、よりニュートラルな(1)の穴にピンを差し込んだ。



ケーブルの張力を調整する説明書き
ケーブルの張力を調整する


次に上の図のようにアジャスターをドライバーで回してケーブルの張力を若干弱めた。

この調整の結果、ビンディングが少し柔らかい感じになり、どうにか以前のように滑れるようになったのだが・・・
情けないことに、滑れるようになったころには疲れで脚がガタガタになっていた。
まだまだ「慣らし滑り」をしないと、山へは行けないなと感じた次第である。

尚、このビンディングでのアルペン滑りは良好だった。
スキー場の横の林(ホントは立入禁止区域)の深雪を滑ってみたのだが、アルペンのクイックターンのようなことが出来て、緩斜面ではあったが、混んだ木々の間を容易に滑り降りることができた。

幅広のスキー板(K2 WAYBACK 84)が良かったのだね。


田茂萢岳のロープウェイ山頂駅をアップ
田茂萢岳のロープウェイ山頂駅をアップ

ガランとした様子の八甲田スキー場ゲレンデ
ガランとしたスキー場のゲレンデ

2020/01/12

「K2ウェイバック84」と「スカルパT2エコ」と「G3エンツォR」

K2のWAYBACK84
K2のWAYBACK84


前回(だいぶ傷んできたテレマークスキー用具)の続き

スキー板は、K2のWAYBACK 84を買った。
ちょっと幅広の板である。
セミファットとかいうやつ。

K2のWAYBACKシリーズはバックカントリー向きに開発された板であるらしい。
ショップで持ってみたら、ものすごく軽かった。
すでに重いビンディングを買ってしまっていたので、脚にかかる重量を少しでも下げようと思い、この軽い板を選んだ。

WAYBACK84は、テレマークでも良しアルペンでも良しとのこと。
パウダーでの浮きが良さそうで、パウダーを楽しめそうな板に感じた。


SCARPAのT2
SCARPAのT2


テレマークブーツは、今使っているSCARPA T2のバージョンアップ版である。
下の写真は新旧を並べたもの。
新モデルの方がカラフルで、バックルが3箇所で、ちょっとハイカットぎみ。
旧モデルと違って、歩きよりも滑りのほうを重視している感じである。

靴の後ろに付いているスキーモードとウオークモードの切替レバーは新モデルのほうが断然扱いやすくなっている。


新旧のSCARPA T2
新旧のSCARPA T2(手前が旧モデル)

G3 ENZO R
G3 ENZO R


ビンディングはG3のENZO(エンツォ) Rを買った。
かなりバネが強そうなケーブルビンディングである。
しかも重い。
ショップで半額で売っていたので、ついつい買ってしまった。

ホントはG3のタルガがほしかったのだが、売り切れていた。
Voileのスイッチバックもいいなと思っていたのだが・・・・
ショップの低価格誘惑の在庫セールにまけてしまったのだった。


以下の写真はビンディング取付の様子。

以前、仕事用に購入した「ドリルガイド13F」が役にたった。
垂直に穴あけができるし、穴の深さを9ミリに設定できる。

テレマークビンディングの取付位置は、人によって様々である。
  1. スリーピンの位置とスキーセンターを合わせる。
  2. 足の拇指球の位置にスキーセンターを合わせる。
  3. ブーツセンターとスキーセンターを合わせる。
この三つが代表的な取り付け方。
私がテレマークスキーを始めた28年ぐらい前は紐締めの革靴が多く、そのせいかスリーピンビンディングの取付位置は(1)の方が多かったように思う。

今はプラスチックブーツが主流になっているということで、ショップのニイチャンは(3)の取り付け位置を推奨。

私はいろいろ悩んだあげく、(3)の位置よりもブーツセンターを15ミリ下げたところにセットした。
(2)の意見も考慮しつつ(3)寄りな位置に取り付けた次第である。
なお、SCARPA T2 ECOにはブーツセンターが記されている。

それにしても気になるのはG3 ENZOのバネの強さ。
このバネで、踵をあげたテレマークフォームができるのだろうかと思うほど引っ張りが強い。

ENZOにはバネの強さが3種類あって、私が購入したものは一番ソフトなバネだったのだが。
Softにしてこの強さである。
いちばん強いStiffでは・・・・
などと考えるだに恐ろしい。

なにしろ欧米人の脚力を基準に作ったビンディングなのだから。
欧米人の脚力恐るべし。

このビンディングで、いきなり山は無理というもの。
スキー場でじっくり慣らさなければ、山へは行けない。
もう年も年だしね。

というわけで次回は八甲田スキー場で足慣らし滑りだ。


スコヤを使って板幅のセンターを出す
スコヤを使って板幅のセンターを出す

ビスの位置を記した型紙(自家製)を貼る
ビスの位置を記した型紙(自家製)を貼る

ドリルで穴あけ
ドリルでビス用穴をあける

6個のビスで止めてビンディング取付終了
6個のビスで止めてビンディング取付終了

ヒールパッド用のビス穴をあける
ヒールパッド用のビス穴をあける

ヒールパッドを付けて、取付完了
ヒールパッドを付けて、取付完了

2020/01/11

だいぶ傷んできたテレマークスキー用具

まったく古くなってしまったスキー板 FISHER eclipse connect
まったく古くなってしまったスキー板  フィッシャーのエクリプス


今まで使ってきたテレマークスキー用具がだいぶヘタってきた。
18年ぐらい経つものなので無理もない。
よくもったものだ。

スキー板は滑走面が傷だらけでワックスをかけても滑りが悪くなってきている。
この板はテレマーク用のものではなくてアルペン板である。
ツインチップがかっこいいなと思って買ったのだ。

この板で、カービング系の板のターンしやすさを初めて体験したのだった。
軽くてパウダーツーリングでは扱いやすい板だったが、そろそろオシャカが近い。

ビンディングは丈夫そうに見えるが、15年間の金属疲労は考慮すべきである。
チリケーブルのシンプルな造りと柔らかいバネが気に入っていた。

チリケーブルに別売りの専用プレートをつけて嵩上げした。
ビンディングは取付位置に悩みながらも自分でセットした。
ブーツのスリーピンをスキー板のセンターに合わせて取り付けたのだったが、はたしてそれで正解だったのかどうか・・・

見た目には、ビンディングがだいぶ後ろ側に付いている感じだが、パウダーでは後ろ側(セットバック)の方がトップが浮いて滑りやすい感じだった。
スキー場の硬いバーンでは横ズレが多かったように感じた。
すべては感じである。

スキーの腕前はあまりよろしくないので、感じでしかものが言えない。
この板とビンディングで楽しんできたのだから、まあこれでいいんじゃない。

靴はもうヨロヨロ状態で、2016年の春スキーのときに靴底が剥がれて接着剤で修理したこともあった。
インナーがヨレヨレで、蛇腹がキレキレとなっている。
ナンノコッチャ。

スカルパのT2は、テレマークスキーブーツとして歩き良し滑り良しのオールラウンドタイプ。
ロッテフェラーのチリケーブルと相性が良かったと自分では思っている。

いちばん緊急性のある用具はこのスキー靴であるが、この際みんな買い換えようときめた。

さて、何を買ったかは次回に「続く」ということで、いましばらくお待ちくだされよ。


ビンディングはシンプルなロッテフェラーのチリケーブル

スカルパのT2のテレマークブーツ
昔のスカルパT2のテレマークブーツ

2020/01/03

今シーズンの初滑りは少雪のモヤヘルズ

少雪のモヤヘルズ
曇り空

今年の青森県は雪が少ない。

青森市内では、年末の31日に15センチほどの降雪があったきり。
正月は、ほとんど降っていない。

正月3日の青森市内の最深積雪は22センチ。
年末31日の青森市内の最深積雪が24センチなので、積雪が年末から年始にかけて微妙に減っている

標高が麓で250メートルぐらいのモヤヒルズの積雪も、青森市内よりちょっと多いという程度だった。

少雪のため今日のリフトは4人乗りコスモスクワッドしか動いていない。
コスモスクワッド1基しか稼働していないので、リフト乗り場は長蛇の列だった。


リフト乗り場は大混雑
リフト乗り場は大混雑


シルバー料金で1,260円の7回券を買って遊んだ。
リフト待ちは5分ぐらい。

私のような単独者は、列の左側をスイスイ進めるのでちょっと早いのだ。
家族連れとかグループの、揃ってリフトに乗るお客さんは、もう少し待たなければならない。

全リフトが動いていれば、長い列ができるほど混まないスキー場なのだが、みんながコスモスクワッド1基に集中するので仕方がない。

てなリフト状態だったが、滑りはまあまあ。
そんなに衰えてはいないと自己満足。

ゲレンデは硬めだが、コスモススクワッドのすぐ西側が深雪になっていて、ここは楽しめた。
深雪の滑りもまあまあと自己満足。

滑りはまあまあだが、脚がすぐに疲れてしまうのが気になるところ。
硬い雪にテレマークなので、ジジイにはこたえる。

コスモススクワッドの東側のワラビゲレンデはテープが張られていて進入禁止。
青森市の中心街から近くて、上級者向きの急斜面もある楽しいスキー場なのだが、雪が少ないので、今日は寂しい正月スキーとなっていた。


リフト脇の深雪はまあまあ滑りやすかった
リフト脇の深雪

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