2020/11/07

雪が降るというのでピックアップのタイヤをスタッドレスタイヤに交換した

9年目に入ったスタッドレスタイヤ。


天気予報では、9日から11日ごろまで、津軽地方は雪になるということなので、クルマのタイヤをスタッドレスタイヤに交換した。
軽四輪の乗用車とピックアップの合計2台のタイヤ交換。

気のせいなのか、気合いの入れようなのか、ピックアップのタイヤ交換の方が楽だった。
タイヤは大きいし重いし、ボルトの数も多いのに、なんで軽四輪よりもピックアップの方が楽なのか。
気合いの入れようなのだろうか。

歳をとって非力になって、タイヤ交換を自力で出来なくなったら、もうピックアップに乗るのは止めようと思っている。
そんな思いが気合いになって、タイヤ交換に向かわせているのだろう。

まだまだタイヤ交換ができるということは、まだまだ若いということ。
そう思いたいのだ。
だから筋トレするようにタイヤ交換している。

ピックアップのスタッドレスはこの冬で9年目になる。
タイヤの溝が浅くなっているし、ゴムも劣化しているはずだから、厳冬期になったら新品に替えなければならないだろう。

去年の今頃もそう思っていたのだが、昨シーズンは暖冬小雪だったので新タイヤを買わなかった。
八甲田の雪の山岳道路も特に問題はなかった。
でも今年は、暖冬小雪だろうがなんだろうが買わねばなるまい。
なにせ9年目だから。

このブログの過去記事を調べていたら、4年前にもピックアップのタイヤ交換の記事を書いていた。
4年前と今日と、タイヤ交換体力はそんなに変わっていない。
ピックアップのタイヤ交換も体力バロメーターのひとつ。
そう思うと、ちょっとうれしい気分。

ところで、ピックアップの前輪軸と後輪軸では、手動でジャッキアップする際に腕にかかる重さがだいぶ違う。
前輪軸にはキャビンやエンジンなどの重量がかかるので、ジャッキアップするのに力が要る。
それに比べると後輪軸は軽い。
荷台だけの重さなので、クランクが軽く回せて、車軸がスイスイ上がっていく。

車検証を見ると、前輪軸にかかる重量が1,070㎏。
後輪軸のそれが、720㎏とある。
その差は350㎏。

クルマの前後重量バランスは、割合にして50対50が理想的であると言われている。
私のピックアップの前後重量バランスは、約60(前)対約40(後)となっている。

一般にトラックは、前後重量バランスが悪く、雪道では後輪のグリップ力が弱いと言われている。
四輪駆動のトラックは、雪道での前後のバランスの悪さを前後の駆動力でカバーしているが、スタッドレスタイヤが経年劣化していればグリップ力がかなり落ちる。
その結果スリップしやすくなり、燃費も悪くなる。

路面が凍結する厳冬期になる前に、新品のスタッドレスタイヤを購入しなければ、と思っている次第である。



ナットを外すのに使うレンチとインパクトドライバー。

後輪のジャッキアップポイント。

前輪のジャッキアップポイント。

外したタイヤをボディの下に置いて、ジャッキが外れても作業者(私)が下敷きにならないように安全対策。

2020/11/05

近所の公園の紅葉模様

曇天に陽が射して。


近所の公園で、紅葉が散り始めていた。
赤、橙、黄と様々な色の葉が、散り際に輝いている。
折しも、曇天に陽が射して、あたりの色彩がちょっとにぎやかになった。

無人の公園に風が吹いて、色彩がざわめいている。
ざわめきながら、散っている。
いっときの真昼の静寂につつまれている感じ。
ざわめきながら、静寂。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」てな感じかな・・・
そんな公園散歩。

愛犬が、鼻をクンクンしている。
カツラの落葉が、かすかに甘く匂っているのだ。
雨上がりだから、なおさら。



ソメイヨシノの紅葉。

アオギリの大きな葉が黄葉。

甘く匂うカツラの黄葉。

今年は、モミジの紅葉がちょっと冴えない。

ケヤキの紅葉。この個体の「遺伝的要因」は紅葉するタイプ。

隣のケヤキは黄葉、ないしは橙葉。このケヤキの個体の「遺伝的要因」はそういうタイプ。

ポプラはとっくに落葉して、裸木状態。

あたりが紅葉したり落葉したりしている中で、常緑樹のヒイラギはマイペース。
白い花を咲かせている。
ちょっと芳香があるかわいらしい花である。
この花が黒く結実するのは年が明けてから。
クリスマスの装飾に使われる赤い実のヒイラギは、セイヨウヒイラギである。
この公園のヒイラギは、日本の「柊(ひいらぎ)」でモクセイ科モクセイ属。
モクセイの仲間だから芳香があるのだろう。
セイヨウヒイラギは、モチノキ科モチノキ属とのこと。

サクラの落葉の上で和んでいる愛犬。

2020/10/31

青森市・滝沢山地・赤沢散策

サモダシ(ナラタケ)。


好天の今日、青森市東滝沢山の滝沢山地・赤沢付近を散策した。
滝沢山地の沢巡りは、この夏と秋で四本目。
平沢、下折紙沢、上折紙沢、そして今日の赤沢。

駐車地点から赤沢までのアプローチは、けっこう長い。
赤沢に至る野内川沿いの林道を、のんびりと歩いた。

途中、野内川にそそぐ唐川沢と戸違沢を越え、みちのく有料道路の高架をくぐって、やっと赤沢沿いの林道にたどり着く。

赤沢には大きな堰堤がある。
その堰堤の手前50メートルぐらいで林道から離れて、沢岸を歩いた。
沢岸をちょっと歩いたら、サモダシのついている倒木を見つけた。
今晩の味噌汁の具を採集。
ここのサモダシは味が濃くておいしかった。

堰堤の左側を高巻きして、ダム湖の沿岸の高台を歩いた。
ダム湖が切れたあたりで、ヤナギの木が生い茂る広場に降りた。
広場は、陽があたっていて、ポカポカして気持ちが良い。
何やら気分が安らぐ。

ガスコンロでうどんを煮て、うどんとおにぎりのランチを食べた。
のんびりムードが漂うヤナギ広場だ。

堰堤の上流は、穏やかな感じの川岸が広がっている。
上流に向かって左手が河岸段丘みたいになっていて、その森を楽しく散策した。

もうちょっと上流へ歩くとヒバの林があったり、秀峰734へ続く尾根があったりで、楽しい所なのだが、今日は気分のいいヤナギ広場でのんびり過ごした。
平沢や下折紙沢や上折紙沢の下流域もそうなのだが、赤沢はこれらよりももっとのんびりとした気分になれる沢である。
景観が牧歌的というか、穏やかというか。

そんな赤沢から、秀峰734への峰越えハイキングに挑んだのは、今から6年前だった。
あの頃は、まだ体力があったなあ。
などと思い出しながら、ヤナギ広場でのんびりした次第である。


大きな楢の木。

赤沢の渓流。

熟したアケビを一個採集。

黄葉しているモミジ(上)とクロモジ(下)。

ドングリが根を出していた。

野内川の渓流

モミジの紅葉。コーレルフォトのガウス効果で炎のように演出。

2020/09/17

「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」異論もありかな

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

藤原敏行朝臣の作とされているこの歌は、秋になるとよく耳にする歌のひとつである。
すぐれた秋の歌として、多くの人たちに愛吟されている。

私もこの歌に出会ったころは、「ああ、なんて良い歌なんだろう」と思った。
秋の到来が風の音で表現されていて、心が洗われるような清々しさを感じたものだった。

ところが、このごろの私は、そんなに「良い歌だ」とは思わなくなっている。
この歌に、何か、しらじらしいものを感じてしまうのだ。

それは、なぜだろう。

私の感想などシロートの戯言のようなものなのかもしれない。
古来よりこの歌は、「古今和歌集」に入集(にっしゅう)するなどして称賛されてきた「秀歌」なのである。

現代における「古今和歌集」の評価はともかく。
当時「勅撰集」に採用されるということは、公に「良い歌だ」と認められることである。
大王(おおきみ:天皇や上皇)認定の「秀歌」に「しらじらしい」とイチャモンをつけるなど、無礼千万なこと。

しかし私のなかでは、秋は目で見つけるものであるという根強い思いがあるのだ。
その思いは、「秋きぬと」の歌との出会いのはるか前に、サトウハチロー氏の「小さい秋みつけた」という歌によって育まれたものである。

庶民詩人の詩を愛読していた私は、たしかに宮廷詩人との出会いに新鮮な感覚を覚えた。
だが、私のなかの庶民としての視点は根強いものだった。
私の庶民的な視点は、「秋きぬと」の歌に「小さい秋みつけた」的な思いが欠落していることを私に気づかせたのだった。

歌は季節を詠むものであるから、歌人が季節の変化を見逃すはずは無い。
というのが私の、この歌にたいする「疑念」の発端となっている。

優れた歌人なら盛夏の最中であっても、「ちいさい秋」を見つけることができるはずである。
当然、藤原敏行朝臣も秋の兆候である「ちいさい秋」に気がついていたことだろう。
どこからともなく飛んでくる赤とんぼを目にしたり、鈴虫の鳴き声を耳にしたり。
日中の暑さは夏のものだが、朝晩の涼しさに過ぎ去る夏を感じたり。
稲が実り、果物が実り、ススキが花を咲かせる。

でもそういう兆候から目を逸らして、「秋が来たという変化は、まだ私の目にははっきりと見えないけれど」というしらじらしい前提を、歌を読む者に突きつける。
その前提を盾にして、「風の音で、突然、秋の到来を知り、はっと驚いたよ」と今更ながら読者に告げる。
ずいぶんわざとらしい歌であると感じるのは私だけだろうか。

たとえ和歌の愛好者が平安時代の農民や商人であっても、彼らもまた歌人同様に自然の変化に敏感だったはずである。
自然からの情報をもとに暮しを成り立たせていたからである。
そんなファンを前にして「風の音で、突然、秋の到来を知り、はっと驚いたよ」はないでしょう。

「私の疑念の発端」に話をもどそう。
藤原敏行朝臣は、なぜ「ちいさい秋」を無視せざるを得なかったのだろう。

この歌は「古今和歌集」に、秋の部の巻頭歌として収録されている。
歌の前に「秋立つ日詠める」という詞書(ことばがき)がついている。
どうやら「秋立つ日」という詞書に、私の疑念の答えがありそうだ。

「秋立つ日」とは立秋のこと。
立秋とは、「二十四節気(にじゅうしせっき)」のひとつ。
「二十四節気」とは、一年を春夏秋冬の四つに分け、さらにそれぞれの季節を六つに分けたもの。
一年を二十四等分した形の暦で、春夏秋冬の自然を数理的に区切ったものである。

この方法は、中国の戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)の頃に作られたと言われている。
「二十四節気」が日本に伝わったのは、平安時代の初め頃とのこと。
藤原敏行朝臣は平安時代前期の歌人である。

さて、ここからは私のヘッポコ推理になる。
藤原敏行朝臣は多くの日本人同様に、季節の移ろいを目で追っていた。
ところが、世の中に「二十四節気」なる自然の見かたが流行りだした。

「二十四節気」は、古代中国での農作業の目安として作られた暦である。
それが平安時代に日本に伝わったということは、日本の農業が「二十四節気」を応用しようとしたのかもしれない。
あるいは、農作業とは無関係に、宮廷貴族の間で「春分」や「夏至」が風流であるからと「二十四節気」がもたらす季節感を重宝したのかもしれない。

いずれにしても、平安歌人たちは、「二十四節気」を頼りに、安易に春夏秋冬を感じとるようになった。
「二十四節気」は平安歌人達の「歌の参考書」になったのである。
極端なことを言えば、「立秋」になる前に秋の歌を詠むのは野暮とか、そんな傾向が頭をもたげていたのかもしれない。

このことに、藤原敏行朝臣は大いに驚いた。
まさに、「二十四節気」は、安易な季節感の「風の音」だったのである。
実際の季節の機微は、誰の目にも「さやかに見えねども」になりつつあるなと危惧した。
「二十四節気」には「小さい秋みつけた」が無いじゃないかと、藤原敏行朝臣がひそかに憤ったかどうかは定かではない。


定かであるかもしれないのは、紀貫之(きのつらゆき)の「二十四節気」に対する「執着」である。
「古今和歌集」の撰者であった紀貫之は、自ら「二十四節気」を意識した歌を「古今和歌集」に収録している。

袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ

この歌の詞書は「春立ちける日よめる」となっている。
「二十四節気」の「立春」の日に詠んだ歌である。

この歌を私は「夏に袖を濡らして水遊びをしていた水が冬には凍ってしまったが、『立春』の今日の風がその氷を溶かして再び夏の水にもどしている」と「解釈」している。
極端に言えば、「立春」になったから氷が溶けたのだという歌である。

さらに紀貫之の「古今和歌集」収録の歌をもうひとつ。

川風の涼しくもあるかうち寄する波とともにや秋は立つらむ

この歌の詞書は「秋立つ日、うへのをのこども、賀茂の河原に川逍遥しける供にまかりてよめる」となっている。
「立秋」の日に詠んだ歌であると詞書に記し、「立秋」になって川風が涼しくなったと詠っているのだ。

「うへのをのこども」とは、殿上人(てんじょうびと)たち、あるいは殿上に出仕する男性たちのこと。
「川逍遥」とは川遊びのこと。
平安貴族は、よほど水遊びが好きだったようである。

それはともかく、この歌でも紀貫之は「立秋」という暦の概念を題材にしている。
「立秋」という「二十四節気」の視点から自然を詠っているのである。


これに反して藤原敏行朝臣は、古来からの日本人の自然に対する視点を守りたかったのではないかと私は思っている。

紀貫之は、平安時代前期から中期にかけて活躍した歌人である。
紀貫之の、「二十四節気」自然観で作られた歌を、藤原敏行朝臣が読んでいたかどうかは私には不明である。
藤原敏行朝臣の没年は、901年(昌泰4年)とも907年(延喜7年)とも言われている。
一方、「古今和歌集」の奏上は、905年(延喜5年)とも912年(延喜12年)とも言われている。

だが、藤原敏行朝臣は、暦をもとにした歌作りが流行ることを予測していたのではないだろうか。
そしてそれを「秋きぬと」で痛烈に皮肉ったのである。
そう私は思っている。


ここでもう一度「秋きぬと」を見てみよう。

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

この歌の私なりの意訳は以下のとおりである。
「秋になったと暦が示すと、歌人たちはそのことに目を奪われて、目の前の自然を見ようとしない。あちこちから聞こえる『立秋』というささやきが、まるで暦に従えという『風の音』のように聞こえてきたので驚いてしまったよ」

この歌には、藤原敏行朝臣が「二十四節気」で季節感を理解することに、文化的な危機を感じている様子がうかがえる。
歌は、季節の兆候を見出して作るものだという藤原敏行朝臣の歌論のようなものを感じるといえばおおげさだろうか。

「秋の到来が風の音で表現されていて、心が洗われるような清々しさ」という表のムードの裏には、藤原敏行朝臣の「二十四節気」風自然観にたいする不満が貼りついているように私は感じている。
そういう作者の不満をこの歌に感じてしまうと、この歌の持っている情緒が薄れ、「ああ、なんて良い歌なんだろう」という感動が私の中で消えてしまうのである。


私をそういう気分にさせている藤原敏行朝臣のもうひとつの歌をここに上げよう。

白露の色はひとつをいかにして秋の木の葉をちぢに染むらん

 
この歌も、「古今和歌集」に収録されている。
「白露(しらつゆ)」とは、白く光って見える露のことであり、「二十四節気」の「白露(はくろ)」のことでもある。

この歌の一般的な解釈は以下の通りである。
「木の葉の上の白く光って見える露は一色なのに、秋になるとその露がどのようにして木の葉を様々な色に染め上げるのだろうか」
この歌の詞書に「是貞のみこの家の歌合によめる」とあるから、歌合せの相手に対して問いかけている歌であることがわかる。

しかしこの歌は、暦を歌の題材に多用しがちな風潮に対する問いかけのようにも私には思えるのだ。
「暦にある白露はひとつの概念でしかないのに、その概念をどのように用いれば秋の様々な紅葉や様々な自然の機微を表現することができるのだろうか」という藤原敏行朝臣の問いかけである。

「秋きぬと」の歌にしらじらしさを感じるとしたら、それは、季節感を「二十四節気」から得ようとする平安歌人にたいして感じた藤原敏行朝臣の興ざめした気持ちが伝わってくるからではあるまいか。

これがこの歌にたいして抱いた私の「疑念」の答えである。

2020/08/22

センニンソウかなと思ったらボタンヅルだった

ボタンヅルの花
ボタンヅルの花。


滝沢山地の沢に沿った広い林道の林縁で見つけた花。
センニンソウかなと思ったが、帰宅して調べたら、ボタンヅルだった。

ボタンヅルは、キンポウゲ科センニンソウ属の落葉つる性半低木。
キンポウゲ科には有毒植物が多いが、ボタンヅルも有毒である。

「半低木(はんていぼく)」とは、茎の根元の部分が木質化し「木本」と「草本」の中間の性質を持つ植物のこと。
地中や根元で数本の幹に分かれ、主幹が不明瞭のものが多いとされている。
半低木として知られている身近な野草にヨモギがある。

白い花弁に見えるものは萼片(がくへん)である。
萼片の役割は、蕾のときに花を包み込んで保護すること。
また萼片(萼)は、花が咲いたら、花弁を支える役割もあるとのこと。

花弁の役割は、内側にある雄しべと雌しべを保護すること。
その他に、花粉を運ばせるために、昆虫にたいしてアピールする役割もあると言われている。

ボタンヅルの花弁のような白いものは萼片であるから、ボタンヅルには花弁がないことになる。
というか、萼片が花弁の役割を果たしているのだ。
それならこの白いものは花びらでいいじゃないかと、トーシロの私は思いたくなるが、萼は萼であるらしい。
植物の世界は微妙である。

ボタンヅルとセンニンソウはそっくりに見える。
通りすがりに見た程度では区別がつかない。
センニンソウのほうが名が売れているので、この花を見るとセンニンソウかなと思いがちだ。
しかし、それぞれ明確な特徴を持っている。

以下にボタンヅルの特徴を上げる。
●葉が三出複葉【センニンソウ:奇数羽状複葉/小葉の数は5枚が多い】
●雄しべ(細くて多数あるやつ)が萼片とほぼ同じ長さ【センニンソウ:雄しべが萼片より短い】
●蕾の頭が丸い【センニンソウ:蕾の頭が尖っている】

ここにあげた写真ではわかりにくいが、おおきな違いは葉の付き方。
三出複葉(ボタンヅル)と羽状複葉(センニンソウ)の違いは明確である。
さらに、蕾の頭に注目すれば、見分けは私みたいなトーシロでも可能である。


ボタンヅルの蕾
蕾の頭が丸い。雄しべが萼片と同じ長さ。

葉の様子
葉は三出複葉。茎に稜角あり。

葉の様子
葉が牡丹の葉に似ているのでボタンヅル。

ヒバの林床に顔を出していたベニナギナタタケとキソウメンタケというキノコ

ベニナギナタタケ
独特の存在感で、ベニナギナタタケが束生している。


今日は、下折紙沢の沢の中を歩いて、ちょっと涼んだ。
沢から川原に上がると、川原のなかに平坦な丘のような場所があった。
まるで谷の中の舌状台地。
幅が10メートルぐらい、高さが2メートルぐらいのミニ舌状台地である。
沢に平行して下流のほうへ200メートルほど伸びている。
台地の上がヒバの林になっていた。

ここのヒバの林床には、草が生えていない。
ヒバの落葉や広葉樹の落葉が敷き詰められていて、黒っぽい地面になっている。
黒い地面からニョロニョロ、キノコが伸びていた。
猛毒のカエンタケかなと思ったが違うようだ。
カエンタケに似ているが、カエンタケはもっとズングリムックリしている。
このキノコは、細長くてヒョロヒョロ伸びている。

帰宅してから調べてみたら、ベニナギナタタケとキソウメンタケだった。
両者とも外形は、ほぼ同一。
色が赤っぽいのがベニナギナタタケ。
黄色いのが、キソウメンタケ。

二種ともシロソウメンタケ科のお仲間であった。
ベニナギナタタケは、古くなると脱色してオレンジ色とかピンク色になるという。
てことは、私がキソウメンタケとみたキノコは、脱色したベニナギナタタケである可能性もある。

いや、それはない。
オレンジ色がかった黄色いキノコは、地面から顔を出したばかりの細いものも、オレンジ色がかった黄色い色で、古くなって赤色が脱色したようには見えない。
ちょっとややこしいが、オレンジ色がかった黄色いキノコは、キソウメンタケに間違いない。

それはそうと、ヒバ林にキノコが生えるなんて珍しい。
青森ヒバには、抗菌作用のあるヒノキチオールという成分が豊富である。
キノコは、言わずと知れた菌類である。
抗菌作用が豊富である林のなかは、キノコにとって好ましくない生育環境である。
なのに、ニョロニョロとキノコ。

ヒバの林にキノコ類が少ないのは事実である。
私は、長年ヒバ林を散策してきたが、ヒバの倒木にキノコが付いているのを見たことがない。
ベニナギナタタケとキソウメンタケは、ヒバ林でも平気なキノコなのだろう。
ヒバ林のなかで、こんなキノコに出会ったのは初めてである。


ベニナギナタタケ
鮮やかな紅色のベニナギナタタケ。

ベニナギナタタケ
クネクネしているベニナギナタタケ。

キソウメンタケ
束生したり単生したりのキソウメンタケ。

キソウメンタケ
ヒバの大木の下にキソウメンタケ。

キソウメンタケ
束生しているキソウメンタケ。

下折紙沢沿いの林道脇で咲いていたツルニンジンの花

ツルニンジンの白っぽい花
広鐘形のツルニンジンの花。


滝沢山地の林道の林縁で、ツルニンジンの花に出会った。
ツルニンジンは、キキョウ科ツルニンジン属の多年草。
蔓植物である。
別名は「ジイソブ」。

ジイソブは、「爺のソバカス」という意味の長野県木曽地方の方言とのこと。
「ソブ」がソバカス。
ツルニンジンによく似た野草である「バアソブ」に引っ掛けて「ジイソブ」という呼び名が普及したと言われている。
婆に対して爺。

バアソブもキキョウ科ツルニンジン属の植物で、ツルニンジンのお仲間である。
お仲間というか、日本に自生しているキキョウ科ツルニンジン属の野草は、ツルニンジンとバアソブしか無いとのこと。
ツルニンジン属には爺と婆しかいない。

見分け方は、ツルニンジン(ジイソブ)の方が花が大きくて、花の表が白色であることが多いとされている。
バアソブの特徴は、葉の裏面や縁に白い毛が付いていること。

ツルニンジンに比べて、バアソブの個体数は希少であるとされている。
バアソブは、環境省レッドリストで「絶滅危惧Ⅱ類(VU)」に指定されている。
「絶滅危惧Ⅱ類(VU)」とは、絶滅の危険が増大している種のこと。

いつかバアソブにも出会いたいものだ。
バアソブの別名は、ヒメツルニンジン。
婆よりも姫の方が可愛い。

ツルニンジンとよく似た名前の植物にツリガネニンジンがある。
ツリガネニンジンはキキョウ科ツリガネニンジン属の植物で、割とよく見かける。
ツルニンジンは、ツリガネニンジンと名前が似ていて、科が同じお仲間であるようだ。


ツルニンジンの葉
ツルニンジンの葉。

蔓性植物
蔓性植物。

葉
葉。

下から撮影して、ツルニンジンの花の内側を見る
ツルニンジンの花を下から撮影。

2020/08/15

雲谷高原の林の中に咲いていたヌスビトハギ

ヌスビトハギの花
ヌスビトハギの花。


名前は聞いたことがあるが、まだお目にかかったことのない野草。
ヌスビトハギ。
雲谷高原の林の中を散歩していたら出会った。

雑木林の林床に群がって繁茂している。
群生というほどではないが、小規模の群れが点在している様子である。

ヌスビトハギは、マメ科ヌスビトハギ属の多年草。
私などは、マメ科とくれば、葉が羽状複葉が多いと決めつけているがヌスビトハギは三出複葉である。

同じマメ科のヤマハギも三出複葉。
なによりも、マメ科のシロツメクサ(クローバー)が三出複葉である。
マメ科の葉は、羽状複葉と決まっていない。
いろいろござる。

ヌスビトハギの花は蝶形花(ちょうけいか)。
蝶形花もマメ科の植物に多い花の形。
蝶形花とくればマメ科。
これも、私のあやしい「決めつけ」となっている。

花は小さくて可憐なのだが、名前が「ヌスビトハギ」とはどういうことだろう。
「盗人」と冠せられるほど、この草は悪さをしたのだろうか。

「ヌスビトハギ」の命名には諸説あるようだ。
いちばん出回っているのが、「果実が泥棒の足跡に似ているため」というもの。
私は、ヌスビトハギの実も泥棒の足跡も見たことがない。
ヌスビトハギが結実するころ、また雲谷高原に出かけてみよう。

ところで、「ヌスビトハギ(盗人萩)」のような変な名前をあてがわれている野草にたまに出会う。
「ヘクソカズラ(屁糞葛)」とか「ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)」とかが代表的なもの。

それ相応の由来があって変な名前が付けられたのか。
変な名前の後に、もっともらしい由来が付け加えられたのか。
私には、知る由もない。
草に付けられた変な名前が、世間一般に広く普及しているのだから、野草に対して変な思いを抱いている人が多いということだろう。

そういう人から見れば、多くの人が「雑草」として嫌っている草を愛でているのだから「野草ファン」も変な人に違いない。

追伸:「雑草」という草はない。草には、その存在を示す名前がある。


ヌスビトハギの三出複葉
葉は、三出複葉。

ヌスビトハギの花と茎と葉
花と茎と葉。

青い森セントラルパークで咲いていたイヌエンジュの花

イヌエンジュ
イヌエンジュ。


青い森セントラルパークは、八重咲きムクゲの花盛りだった。
のんびりと公園の中を散歩していたら、西の端でイヌエンジュの白い花が咲いていた。
こちらも花盛り。

イヌエンジュの総状花序に鼻を近づけると、かすかに甘い香りがする。
香りは、ハリエンジュ(ニセアカシア)ほど強くはない。
ハリエンジュは春に、強い香りをあたり一面に漂わせる。
その香りに誘われて、ミツバチが飛んでくる。
青森県産の「アカシア蜂蜜」は、ハリエンジュの花の蜜を原料にしている。

ハリエンジュの花期は5~6月である。
イヌエンジュのは、7~8月。
イヌエンジュの蜜も、「アカシア蜂蜜」の原料になっているのだろうか。
それは、私には不明。

イヌエンジュの総状花序を覗くと、なるほど花の形がマメ科っぽい。
葉も奇数羽状複葉でマメ科っぽいのだが、遠くから見るとマメ科の樹木には見えない。
ハリエンジュにくらべて、葉が大きいせいだろう。
それに、ハリエンジュの総状花序は垂れているが、イヌエンジュのは立ち上がっている。
このへんの違いでイヌエンジュは、同じマメ科のハリエンジュのお仲間にはなかなか見えない。

アイヌ民族は、イヌエンジュの木を「チクペニ」と呼んで、墓標にしたとのこと。
また、「悪い神様」や「魔物」や「伝染病」から身を守るために、チクペニの枝でお祓いをしたと言い伝えられている。

わたしたちにとっては、イヌエンジュはハリエンジュほどに知られていない。
利用されてもいない。
自然と共生する生き方が身についているアイヌ民族にとっては、イヌエンジュは生活や信仰に欠かせない資源だったのだ。
それだけに、イヌエンジュを熟知していたことだろう。

自然と共生するために、自然のことを知る。
自然を知って、生活のスタイルを変える。
わたしたちは自然を知って、それに関連した文化を知り、日常の気分を変える。

チクペニの幹や枝の強い香りで「コロナはらい」を行うのも気分転換に良いかもしれない。


イヌエンジュの総状花序
イヌエンジュの花

幹
幹。

マメ科っぽい花の形
花をアップ。なるほどマメ科だ。

イヌエンジュの葉をズームアップ。
葉。奇数羽状複葉。

海辺の草むらで繁茂しているブタクサ(ブタクサモドキか?)

ブタクサ属
これから伸びていく花穂。


海辺の空き地の草むらに咲いているオオアカバナを見に行ったら、ブタクサと出会った。
空き地の海寄りの場所に、かなりの勢いで繁茂している。
花穂がこれから伸びようとしているところである。

でも、ブタクサにしては葉が細い。
ブタクサの葉はヨモギの葉に似ているが、ここのブタクサの葉はニンジンの葉を連想させる。
インターネットで調べてみたら、ブタクサモドキではないかとも思えてきたが、判然としない。

モドキ(擬)と言われるだけあって、ブタクサとブタクサモドキはそっくりである。
花穂がもっと伸びて、花が開く頃でないと判別できないかもしれない。

いずれにしても、ブタクサ属の野草であることに間違いはない。
ブタクサもブタクサモドキもキク科ブタクサ属の植物。
ともに北アメリカ原産の帰化植物である。
「外来生物法」によって「要注意外来生物」に指定されている。

ブタクサ属は、花粉症の原因植物として有名である。
日本国内では、スギやヒノキに次ぐ患者数が存在するとのこと。
秋の花粉症の代表的なアレルゲンとなっている「嫌われもの」なのである。

私の知り合いにも、ブタクサ属がアレルゲンとなっている花粉症患者がいる。
彼女は「ブタクサ」と聞いただけで、鼻の奥がむず痒くなるという。
こんな写真を見せたら、クシャミ連発であろう。


ブタクサ属
葉が細め。

ブタクサ属
横顔はブタクサモドキか?

海辺の空き地に繁茂していたオオアカバナ

オオアカバナの花びら
オオアカバナの花弁。


海辺の空き地でオオアカバナを見たという話を、野草好きの知人から聞いたので行ってみた。
埠頭の突端の方へ進むと、なんとオオアカバナの群落が形成されつつあった。
草むらのなかにピンクの可憐な四弁花が点在している。

オオアカバナは、環境省のレッドリストで「絶滅危惧Ⅱ類(VU)」に指定されている。
青森県以外では、ほとんど見かけることが無くなったとされる野草だが、私の近所ではけっこうお目にかかれる花である。
2018年9月20日に車道脇の側溝から伸びているオオアカバナに出会ったこともある。

ここで私がオオアカバナを最後に見たのは、2015年9月6日であった。
それ以来今日まで、ここではオオアカバナの姿は見ていない。
ひょっとしたら、気がつかなかっただけかもしれない。
もうここのオオアカバナは無くなってしまったと思いこんで、注意深く探さなかったのだ。
先入観は旺盛だが、観察眼に欠ける「自称野草ファン」であった。

最初に私がオオアカバナを見つけたのは、ここから西側の石ころで埋まった荒れ地だった。
湿った草原を好むオオアカバナにとって、石ころだらけの荒れ地は、厳しい生息場所であったに違いない。
ここの埠頭は強い西風が吹いていることが多い。
きっと、オオアカバナのパイオニアの種子が、石ころだらけの荒れ地から西風に乗って、ここへ飛んで根付いたのだろう。

この草むらでは、秋の終わり頃になると雀の群舞が見られる。
なぜここで雀は群舞するのであろうか。
おそらくエサになる種子が多いからだろう。
夏から秋にかけて、この草むらには様々な野草の花が咲き乱れる。
その結果、豊富な果実が地面にばらまかれるのだ。
よりどりみどり。
雀の乱舞は、秋の実りのお祭りであったのだ。

オオアカバナの種子は、小鳥で運ばれることが多いと聞いたことがある。
ここのオオアカバナのパイオニアを救ったのは、秋の終わりに乱舞した雀かもしれない。
などと考えながら、一眼レフを携えて、猛暑の埠頭をさまよった次第である。


オオアカバナの茎
オオアカバナの立ち姿。

花びらの拡大写真
雌しべの柱頭が4裂している。

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