
芭蕉と柳「田一枚植ゑて立去る柳かな」
田植えをしているのは、もちろん早乙女である。 この句をはじめて読んだとき、私はそう感じた。 そして立ち去ったのも早乙女なのだ。 この句の「柳」には2重のイメージがあると思った。 ひとつは女性である早乙女。 もうひとつは、芭蕉がその木陰で憩った畔道の柳の木。 芭蕉の...
山スキーやハイキング、イラストや江戸俳諧、山野草や散歩のことなど。
田植えをしているのは、もちろん早乙女である。 この句をはじめて読んだとき、私はそう感じた。 そして立ち去ったのも早乙女なのだ。 この句の「柳」には2重のイメージがあると思った。 ひとつは女性である早乙女。 もうひとつは、芭蕉がその木陰で憩った畔道の柳の木。 芭蕉の...
今年、ドウダンツツジの紅葉が冴えない。 毎年、公園の生垣になっているドウダンツツジの真紅の紅葉を、散歩の楽しみにしていたのだ。 それが、今年の紅葉は黒っぽい赤。 鮮やかさに欠ける。 この夏に枯れかかったせいなのだろうか。 それはある程度復活した のだったが、完ぺき...
もう少しで10月も終わる。 11月に入ると年の暮れも間近。 のどかな秋の日も終わり、せわしない年末に入る。 津軽地方は、そろそろ雪の季節を迎える。 春や来 (こ) し年や行きけん小晦日 (こつごもり) 松尾芭蕉 芭蕉19歳のときの作として有名な句である...
春から初夏にかけて、低山の山道を散歩しているとスミレに出会うことがある。 山野で出会う花としてスミレは、そんなにめずらしい植物ではない。 ハイキングでよく見かける小さな花。 小さい花だが、その紫色の美しさはすばらしい。 山路(やまじ)来て何やらゆかし菫草(すみれぐさ)...
木槿(ムクゲ)はアオイ科の落葉低木。 観賞用は、大きいもので4メートル近くまで成長する。 しかし野生の木槿は10メートルを越えるぐらいまで大きくなるものもあるという。 木槿の花は、朝咲いて夕方には萎みかける。 初夏に花が咲き始めると、一本の木で毎日次々と咲き続ける...
私が子どもの頃、津軽半島の村では、雷の閃光のことを「イナビカリ」と呼んでいた。 「あっ、イナビカリが光った!」と叫んで耳をふさぎ、身を縮こませる。 すぐに「ドドドーン」という音が響き渡る。 「あっ、落ちた、近い近い!」と騒ぐ。 子ども達にとって、雷鳴の恐怖は、まだ遊びの...
「紅葉豆腐」と聞くと、秋に京都の料亭などで出されるシャレた一品のような印象だが、実際は、「豆腐小僧」という妖怪がお盆で持ち歩いている豆腐の事。 「豆腐小僧」とはあまり知られていない妖怪。 でも、江戸時代の草双紙(※江戸時代の娯楽本)などに多く登場している妖怪とのこと。 ...
芭蕉にはふたつの風景が見えている。 無数の蝉が嵐のように鳴き盛る風景と、音も無く静まり返った風景。 喧騒と静寂のふたつの風景を対比させ、そのなかで、夏の一日を鳴き暮らす命の営みを浮かび上がらせようとしている。 地上に出た蝉が、成虫として生きている期間は、現代では2...
上五が数え歌の出だしのようで調子が良い。 勢いが感じられる。 芭蕉が発する宣言のようなものか? ものひとつ我が世は軽 (かろ) き瓢 (ひさご) 哉 松尾芭蕉 「ものひとつ」は持ち物は一つというイメージ。 「我が世」とは、芭蕉自身の人生(旅)のことと思われ...
カツラの落葉の絨毯。 犬の散歩に、いつもの公園に立ち寄ったら、カツラの落葉の匂いが地面からたちこめていた。 カツラの紅葉(黄葉)は終わりかけていて、ほとんどが落葉している。 その落葉の絨毯に足を踏み入れた時、甘い香りがしたのだ。 砂糖醤油がちょっと焦げかかったよう...
ネットでは芭蕉の様々な句に出会う。 だが、そのすべての句が、ほんとうに芭蕉の作であるかどうか、私には調べようもない。 芭蕉作と伝えられている俳諧には、「存疑句」や「誤伝」、「贋作」も少なからずあるという。 信頼できる文献として、今栄蔵氏校注の「芭蕉句集」(新潮日本古典集成...
吉本隆明氏に「言葉からの触手」(河出書房新社)という刺激的な題名の著作がある。 「あとがき」で吉本氏自身が言っているように、この本は、 「生命が現在と出合う境界の周辺をめぐって分析をすすめている」 断片集でできている。 その「断片集」の60ページ目に「11 考える 読...
「一葉」にはいろいろなイメージが含まれている。 一枚の写真を一葉の写真と言ったり。 「その部屋の畳の上には、一葉の古い写真が落ちていた」なんてね。 俳諧では、「一葉」とは桐の葉を指すとか。 「一葉(いちよう)落ちて天下の秋を知る」という故事・格言もある。 もっとも...
石山の石より白し秋の風 松尾芭蕉 私がこの句を読んで真っ先に思い浮かんだのは、北原白秋のこと。 「白し秋」で白秋となり、北原白秋を連想してしまったのだ。 これは芭蕉の誘導によるものか。 おっと、芭蕉は、明治の詩人北原白秋のことを知るはずもない。 芭蕉が誘導し...
「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に おもひて旅立ければ、」 と、句の前文にある。 「野ざらしを心に風のしむ身哉」 という思いは、旅(野ざらし紀行)の間中ずっと芭蕉の心の中にあったのだろう。 ポジティブな思いで旅を続ける芭蕉...
名月や座に美しき顔もなし 松尾芭蕉 これは、ロングショットとクローズアップの「芭蕉視点」の典型的な句のひとつではあるまいかと、私が感じた句である。 天空に名月、地上に「名月観賞会」の人々とその顔つき。 この句を読む読者の視線は、芭蕉に誘導されて名月を眺め、そして一座...
快晴の今日は、坂梨峠へ紅葉見物。 坂梨峠とは、青森県平川市と秋田県鹿角郡小坂町の県境にある国道282号線の峠、 国道7号線を大館方向に走り、碇ヶ関で鹿角方面という道路標識に従って、左手側道に入る。 古遠部温泉への分岐を過ぎると、国道282号線は山道に入る。 その山...
元禄五年、芭蕉49歳の作とされている。 芭蕉は、元禄七年の冬に51歳で亡くなっているから、他界する2年前の句。 「炉開き」とは、一般では、冬を迎える準備として囲炉裏の蓋を開けること。 茶の湯では、10月の終わりから11月の初めにかけて、茶事の風炉に変わって炉を開いて用いる...
おとといの晩に降った雪が山陰に白く残っている今日の八甲田。 紅葉と滝見ハイキングに出かけた。 国土地理院発行の北八甲田の地形図を見ると滝のマークは3箇所程度しか見当たらない。 北八甲田には地図には記されていない滝がたくさんあるようだ。 今日訪れた滝もそのひとつ。 ...
前回、芭蕉の句の改作についてちょっと書いた。 今回も気になる「改作」を見つけたので、これについて書いてみたい。 枯枝に烏 (からす) のとまりたるや秋の暮 松尾芭蕉 掲句が、初案。 それを改作したのが、次の句。 かれ朶 (えだ) に烏のとまりけり...
前回、松尾芭蕉の辞世の句についてちょっと書いた。 辞世の句とは、死に面した俳諧師が、この世に別れを告げるためにつくる句のこと。 芭蕉の場合は、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が辞世の句として世に知られている。 しかし、芭蕉が書いたと言われているこの句の前書きは「病中吟」...
八甲田山の紅葉は、山麓一帯がピーク。 山の中腹付近は、落葉が始まっているから、そろそろ八甲田大岳の初冠雪がありそうなこの頃。 この日曜日も八甲田山の山麓でキノコ採り。 紅葉の森の中へ入る。 昼過ぎから、山は雨降り。 雨に濡れた紅葉がきれいだった。 帰り道の城ヶ...
病床にて 「秋深き隣は何をする人ぞ」 と自身の幻に語りかけた芭蕉だった。 それでもまだ旅(俳諧)をイメージして道を探し続ける。 この「秋深き・・・」の3日前に作った「此道や行く人なしに秋の暮」の「此道」のことを、芭蕉は考え続けていたのかもしれない。 此道 (このみち) や...
今年の青森市周辺の山では、ナラタケが大豊作。 そのおかげで、キノコ採りの入山者が増大しているという。 平日でも、八甲田山周辺の山岳道路には、キノコ採り達の路上駐車が多く、交通の妨げになっている程だと、知り合いのトラック運転手が言っていた。 「道路脇の空き地に駐車してく...
芭蕉の句は、映像的なものが多いと感じている。 舞台の一場面のような句や、映画のワンシーンのような句。 それが、私が芭蕉を劇の詩人と感じた所以のひとつとなっている。 特に旅の始めの句には、人物(主人公)が登場して、ダイナミックな動きのある句が多いような。 「野ざらし...
公園の生垣になっているドウダンツツジが紅葉し始めている。 夏の盛りに雨不足が続いて枯れかけたドウダンツツジ が、 秋の初めに復活 。 そのときの新芽が葉に成長して、今は紅葉を準備中。 今年も、 炎のような紅葉 を見ることができるだろうか。 一旦枯れかけて葉を落とし...
今年も 恒例のヌメリスギタケモドキ採り のために金木(かなぎ)の山へ。 キノコの収穫はまあまあだった。 今年の特徴は、かなり大き目のものでも、腐ってないものが多かったこと。 例年だと、下の写真のような大きさ(傘の直径が8センチぐらい)のものは、ヒダが黒く腐りかけている...
十二本ヤスの看板。 青森県五所川原市金木町喜良市字相野山にヒバ(ヒノキアスナロ)の巨木がある。 この巨木の名は「十二本ヤス」。 ヒバとは、ヒノキアスナロの青森県での呼び名。 青森県内で産出されるヒノキアスナロの木材は青森ヒバと呼ばれている。 青森ヒバの...
勤め人だったころ、風邪をひいてアパートの部屋で寝込んだことがあった。 そのアパートは、隣の部屋とは階段が別だったので、隣人と顔を合わせることが無いような造りになっていた。 仕事を休んで、日中病床についていると、隣からカタカタと音が聞こえた。 隣の部屋の住人が、中年の女性で...
日暮れて道遠し 私は、この句から感じられる豊富なイメージが好きだった。 こんなに短い言葉なのに、様々な情景が思い浮かんで、空想が広がる。 その道は学校帰りの小学生の下校の道か、戦争から故郷の家へ帰る兵士の道か、サラリーマンの帰宅の道か、漂泊者の帰るあてのない彷徨...