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路上で眺める、紅葉する街の木々

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朝の、犬の散歩コースのあちこちで、紅葉が鮮やかだ。

右の写真は、見事なナナカマドの赤。
ナナカマドの奥に、鮮やかな赤の紅葉の木があるが、この木の名前は不明。
下の写真が、その紅葉している木。
奥の黄色に染まっている木の名前も不明。
不明な紅葉の路上を、迷い歩く犬の散歩。
雑然としているが、常緑樹の柊の垣根の濃い緑との対比がなかなか良いね。

この柊の棘に閉ざされた空間は何なのか。
先行き不明な犬の散歩男と、明瞭な季節の変化の証の紅葉。
その対比もなかなか意味不明。


路地の奥に、イタヤカエデの黄葉を発見。

手前の赤は、ナナカマド。

ちょこんと立っている一旦停止の標識が、可愛く見える。

この路地の角の離層のところで切り離されて、迷い歩きは落葉するのか。


標識に従って一旦停止したら、赤い鳥居が見えて、辿り着いた場所は、路上の迷宮。

ひょろ長い木々が、矢印のように空を指している。

ここから枯れ野の旧式な、戦後の路地が続くのかと思ったが、雲の合間から陽が差し込んで、犬とその散歩人は現実の朝に帰ったのだった。

大腸ポリープのガンとガン保険

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最近、大腸ガンが増えているという話をよく聞く。
私の知人関係にも、大腸ガン経験者が三人ぐらいいるが、大腸ポリープ保持者はそれ以上に沢山いる。
大腸ガンが増えているという情報が飛び交っているので、大腸内視鏡検査を受ける人が増えたせいなのだろう。
最近、ある知人が、大きくなった大腸ポリープが見つかり、それを内視鏡で切除してその細胞を調べてもらった。

10月の赤と緑と青い空

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以前にも書いたが、公園の樹木の赤と緑が際立ってきた。

紅葉は、曇天の下でも好発色だが、上空が青空であれば、これに越した事は無い。
右の写真はエゴノキとハウチワカエデ。
まだ緑が残っているエゴノキ。
赤の深みが増していくハウチワカエデ。
ハウチワカエデの赤さに、少し焦燥して、エゴノキが黄葉していくようだ。

緑の発色と赤の発色が、あたりを目映くしている。

エゴノキの名前の由来は、果実を口に入れると、その実の成分が喉や舌を刺激してえぐい(えごい)ことによるのだそうだが、私はその果実を口に入れたことは無い。
エゴノキの実の果皮には、有毒なサポニンを多く含んでいるそうだから、安易に口に入れないほうが良いだろう。
エゴノキの果実を食べて、「えごい・・・エゴノキだっ」とうめきながら命名した人物は、その後どうなったことやら。

上の写真は、ナナカマドの赤とトチノキの緑。
空の青さが良い加減。
トチノキの大きな葉は、これから黄葉するのだろう。
トチノキの葉の黄葉にオレンジ色が加わると、見栄えの良いオブジェとなる。
そういう葉を、秋になると八甲田の山でよく見かけた。
今の時期に緑を保っている木の葉は、黄葉か褐葉(かつよう)するものが多いようだ。


上の写真はアオギリの葉の緑。
この緑色も、やがて黄葉する。
10月の青い空に、赤と、黄色を含んだ緑色。
空が晴れていれば、これらの色彩が輝いて、白い雪の冬のイメージはまだ遠い。

ケヤキの紅葉のナゾ

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今日の青森市の天気予報は、「くもり日中一時雨」となっていたが、朝方は晴れて陽がさしていた。

犬の散歩に足を運んでいる公園の、ケヤキの大木がだいぶ色づいてきている。
この公園に植えられているケヤキの木は、大木が多い。
ケヤキの大木は、真夏に良い木陰をつくってくれる。
ここのケヤキの葉は黄葉しているが、私が仕事で通る道路の、街路樹のケヤキの葉は、赤だったり橙色だったり。
それも、割と鮮やかな赤色の紅葉になっている。
ケヤキの種類によって、紅葉の色が違うのだろうか、とネットで調べてみた。
「独立行政法人 森林総合研究所 材木育種センター」というサイトに詳しい説明のPDF書類がある。
サイトの下層のページは消されてリンク切れになることが多いので、このブログではPDF書類のページはリンクしない。
興味のある方は、検索してご覧下され。
表題が「ケヤキの紅葉は色とりどり」となっているその書類には以下のようなことが書かれている。
『ケヤキの 紅葉色は、その個体によって異なる。その紅葉色は、赤色・橙色から黄色にかけての様々な色となっている。同じケヤキの個体であればどこに植栽しても概ね同じような色に紅葉する。研究によって、ケヤキの紅葉色は遺伝的要因で決められていることが明らかになった。』
ということらしい。

写真のケヤキの大木は、黄葉の「遺伝的要因」を持ったケヤキなのだろう。

この大木が、鮮やかな赤色の紅葉の「遺伝的要因」を持ったケヤキだったら、さぞかし見応えがあったことだろう。

だが、このケヤキの紅葉は、上記引用(赤色文字部分)の事情によって、決して赤に変わることは無いのだ。



咳が長引いている人のマナー

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知人の子どもが風邪をひいて、咳が3週間ぐらい続いている。

その他の風邪の症状は消えて、激しい咳だけが残っているような状態だ。 子どもと言っても、もう30過ぎの男性なのだが、病院には行ってないという。 私はその男性と仕事で一緒になることが、たまにある。 彼は、現場への移動中のクルマの中でも、作業中でも、咳ばかりしているという有様だ。

曇天でも色鮮やかな紅葉の木々

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今日は、午前中曇りで昼ぐらいから雨の天気予報。

曇天でも、公園の木々の紅葉の色彩は、鮮やかに映えている。

紅葉が、暗い雨空を明るく照らしているような感じである。

紅葉の発色の具合が複雑であればあるほど、見応えのある紅葉となって、私たちの目を楽しませてくれる。
落葉広葉樹の紅葉の発色は、木の種類や樹齢、日射量、天候、気温、土壌成分、水分などの多くの自然環境因子によって影響を受けていると言われている。
夏の時期に均一のように見えた公園の木の葉の緑色が、秋になって様々な色の変化を見せる。
その日々の変化を眺めるのも、公園を楽しむひとつの方法である。


上の写真のように、サンシュユの紅葉は、濃い赤色に変わってきた。
サンシュユの赤い落ち葉と、隣のツタカツラの木の黄色い落ち葉が地面の上で混じって奇麗な色合いになっている。


公園の外の、銀杏の街路樹も色づいてきた。
曇天でも、黄色の発色が鮮やかである。


上の写真のナナカマドの紅葉も、鮮やかになってきた。
今日のような曇天でも色鮮やかさが曇っていない。
秋の曇り空を明るく照らしている。



ハウチワカエデは日一日と鮮やかさを増している。
この色彩の複雑さ、奥深さが、この公園の存在感を際立たせているようだ。
公園から感じる生命感のようなものに彩色を施しているのが、曇天でも色鮮やかな紅葉の木々であることが、その複雑な色合いを見ているとよく解る。



公園の赤と緑の好対照

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公園の木々の葉の、赤と緑の対比が際立ってきた。
上の写真は、ハウチワカエデの鮮やかな紅葉。 八甲田の山で見るハウチワカエデの紅葉は見事だが、都市公園のこの木の紅葉もそれに劣らない鮮やかさになっている。
山のツタウルシの紅葉と同様、人工的には作れない鮮やかな赤の色合いである。 曇天の下でも鮮やかに見える葉の赤は、発色が良くて、紅葉自体が発光して輝いているように見える。

公園のサンシュユの紅葉

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このところの気温の低下で、公園の紅葉がだいぶ進んでいる。

右の写真は、公園の池の「中の島」に立っているサンシュユの木の紅葉。
サンシュユの赤い実も、赤く紅葉した葉の陰に隠れて見えにくくなっている。
赤いサンシュユの実を摘んで噛んでみたが、意外と実が固かった。
サンシュユはグミの一種なので、グミ同様柔らかいだろうと思って口の中に入れたらそうではなかった。
味も酸味が強くてちょっと渋みがあって、甘酸っぱいグミとは大違い。
ネットで調べてみたが、グミみたいにそのまま生で食べるようなことは、しないらしい。
熟した赤い実を乾燥させて、それを煎じて飲んだり、サンシュユ酒を作って飲んだりという摂取方法が一般的であるということ。
サンシュユの実を煎じて服用すると、利尿作用・滋養強壮・強精・補腎・止血・疲労回復・腰痛などに効果があるらしい。
腰痛に良いというのが、腰痛持ちの私にとっては、ちょっと気になるところである。

疲労回復に効果的なら、疲労性の腰痛にだって効くのだろう。

公園のサンシュユの紅葉は、とてもきれいで、眺めているだけで疲れが消えるようだ。

これも、サンシュユの効用かな。


成長が止まってしまった(?)ナラタケ

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このあいだの日曜日(21日)に見つけた倒木が気になって、今日、半日仕事を休んでキノコを採りに山へ入った。

右の写真が、その倒木の21日の状態。
小さなナラタケ(サモダシ)は次回に採取しようと残しておいたのだ。
中2日おいた今日は、あの子どもナラタケが、さぞ大きく成って群がっていることだろうと、期待ワクワクで現場に足を運んだのだが、状態は下の写真の通り。
大きくなったものも少しあったが、全体として、そんなに変わりは無い。
成長が止まってしまったような感じである。
上の写真を見ると解るが、小さいままながら、ひからびているようでは無い。
子どもナラタケは、まだみずみずしい様子で元気そうなのだが、大きく成れないでいるのだ。
山の麓で食堂を営んでいる知人に、その話をしたら、それはなんらかの天気の加減で成長が止まってしまったキノコだということである。
幼菌が顔を出した時に、山に霜が降りたりしたら、ナラタケの成長が止まってしまって、そのまま乾燥したり腐敗したりするのだそうだ。
せっかく出てきたのにもったいない話だ。
キノコは野生の生物だから、山の天候の急変とかの影響をもろに受けてしまうのだろう。
成長出来ない子どもナラタケは野生の姿の一端なのだ。
と思いつつも、こんなに元気そうなキノコが、本当にそうなのだろうか?と思ってしまう。
今度の日曜日に、それを確かめに、またここへ来なければなるまい。
そうやって観察することが野生のキノコを楽しむ方法であると思う。

下の白いキノコは、偶然見つけたウスヒラタケ。
まだウスヒラタケが出ている一方で、ナラタケは成長が止まって終わりかけているのか。
八甲田の山頂部は、白い雪をかぶり始めた。
季節が押し詰まって、野生のキノコ達と自然との闘いの間を、私のようなキノコ採りがウロウロと山を徘徊している。

自然の営みと人の営みの接点で、大きく成ったり成長が止まったりしているキノコの生き様。

ウロウロと山を徘徊している私もまた、成長が止まっているのかも知れない生活未熟者だ。


ナラタケ(サモダシ)はこれからか?ナメコが出始めた

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今日も、先週同様、山へキノコ採り。

今日のキノコ山は、八甲田周辺。 八甲田の麓の森は、それほど紅葉も落葉も進んでいない。
紅葉の進み具合を待って、キノコも出遅れている感じだ。 今朝の青森市内は雨模様だったが東八甲田周辺は晴れたり曇ったりの、比較的良いお天気になった。
今日こそは「キノコXデー」かな、と思って山へ入ったが、「Xデー」と呼べるほどの収穫は無かった。

山全体が、「キノコXデー」という日は無いものか。




キノコが出遅れているということが、このツキヨタケの状態を見ればよく解る。
例年だと、この時期のツキヨタケは、傘を黒くして大きく成長しているか、大きく成り過ぎて腐ってしまっているかのどちらかなのだが、上の写真のツキヨタケはまだ若々しい。




こんなナラタケ(サモダシ)の子どもは方々で見かけた。 今年の山で、シーズンはじめにキノコを見かけなかったのは、キノコの不作のせいではなく、キノコが出遅れているせいかも知れない。
今頃になって、津軽半島の山や白神山地周辺の山で、ナラタケ(サモダシ)大収穫の情報が飛び交っている。 今年の山は、キノコ大不作転じて、キノコ大豊作になりつつあるのか、今後次第である。




ようやくナメコに巡り会えた。
このナメコは倒木の先のほうに出ていて、倒木の根元に近いほうは、下の写真のようにナラタケ(サモダシ)が大量に頭を出していた。 ただ、全体としては、まだ小さすぎる成長ぶりである。
あと2〜3日もすれば、この倒木は見事なナラタケ(サモダシ)の「Xデー」になったに違いない。 下の写真のような、比較的大きなものだけ選んで採取した。










ナラタケ(サモダシ)の幼菌を多く見かけたから、その発生は、まだこれからのような山の様子である。 ナメコも出始めて、これからどんどん顔を見せることだろう。 そう願いつつ山を下りた。


公園の紅葉(サンシュユ、サクラ、シダレカツラ、モミジ)

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犬の散歩で通る近くの公園の紅葉が、ゆっくりと進んでいる。
池の中の島に立っているサンシュユの実は真っ赤に色づいて、その葉も紅葉し始めた。
この赤く熟したサンシュユの実は食用可能で、サンシュユを使った漢方薬は強精の効果が強いらしい。 こんなに沢山、実が残っているのだから、誰も採る人はいないのだろう。
もっとも都市公園の樹木の実であるから、勝手に摘んではいけないということもある。 公園のカラスが摘んで、旺盛な繁殖力を獲得するのだろうか。

あばら家に吹く不景気風

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友人と、この頃の不景気の話をしていたら、「あばら家」という言葉が友人の口から出た。

不景気風が吹くようになってから、家を手放す人が多くなって「売家」が増えた。

その「売家」もなかなか買い手が付かず、年月が経つに従って「あばら家」化しているようだ、と友人が言ったのだった。


「あばら家」とは懐かしい匂いのする言葉だ。

私が子どもの頃暮らしていた田舎の村では、放置された住宅が「あばら家」と化していた。

それが、子ども達の格好の遊び場となった。

その「あばら家」の中の埃っぽくて湿った匂いが、「あばら家」という懐かしい言葉の響きに連れられて思い出された。

そう言えばこの頃、放置された住宅があちこちで目につくようになった。

「あばら家」の破れガラスの隙間を不景気風が通り抜けていく。


だが、「あばら家」という言葉には、暮らしの営みの温もりがあって、「廃屋」というイメージでは無い。

私たちが子どもの頃遊んだ場所は、「あばら家」ではなくて「廃屋」だったのだ。

「あばら家」は捨てられた「廃屋」ではなくて、隙間だらけでも暮らしの営みを被っている「家」なのだ。


ネットで調べてみると「あばらや」には、「荒家」と漢字があてがわれている。

「荒家」は、古くなって壊れかけた家というイメージだ。

「あばら家」と聞くと、「あばら骨」という言葉を連想する方も多いだろう。

「あばら骨」とは肋骨のことだ。

肋骨は、間隔をおいて配列された胸部の骨で、映画などで、動物の死骸が砂漠に放置されているシーンでは、まず目につく部位である。

大きな動物の骨だと、「あばら骨」の隙間を砂埃が吹き抜けていったりする。

「廃屋」のイメージは、白日の下に晒された死骸の「あばら骨」に近い。

「あばら家」の「あばら」は、「あばら骨」の「あばら」と関係がありそうだが、死に絶えたという印象は無い。

「あばら家」の中には元気な暮らしが息づいていて、起死回生の方法を模索している生活者の姿が感じられる。

しかし不景気風は、「あばら家」を「廃屋」に転落させようとして吹いているようだ。

この頃の政治の空疎感に、それを感じる。

まったく「あばら」な政府になってしまった。

食中毒か?、胃腸風邪か?

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3日続いた下痢の症状がようやく治まり、お腹が落ち着いた。 食欲も、平常にもどった。
発端は、3日前の昼食後だった。 昼食後1時間ぐらいしたら、急にお腹がムカムカしだして下痢。 下痢は3回続いた。 その後、急激な脱力感と悪寒に襲われ、布団の上で横になった。 お腹がムカムカしだしてから、吐き気も同時に起こったが、吐いたのは、下痢が一時的に治まってから1時間後。

金木町の山へヌメリスギタケモドキ採り

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八甲田周辺は、まだキノコが出ていないようなので、今日は、毎年1〜2回は通っている五所川原市金木町の山へヌメリスギタケモドキの様子を見に行ってきた。

結果は、ヌメリスギタケモドキとナラタケ(サモダシ)、それにエノキタケが少々の収穫。
この山も、まだキノコの最盛期では無いようだが、それなりに各キノコ達が顔を出していた。

ナラタケは不作、ブナハリタケはいつも通りの発生量

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今日もキノコを探して森の中を歩いた。

今日は昨日とは違う山域の森。

去年初めて入って、ナメコを採った森だ。

まだ森は青々としていて、紅葉の気配がない。

去年は、紅葉真っ盛りの森の中でナメコを採ったのだった。

今年は温かいので、まだナメコは早いだろうと、サモダシ(ナラタケ)ねらいで山へ入った。

昨日の山はほとんど採れなかったが、今日の山は環境がちょっと違うのでサモダシが採れるかも知れないという淡い期待があった。

結果は、サモダシ少量。

カノカ(ブナハリタケ)が割と出ていたので、少々頂戴した。


右の写真は、コナラの倒木に貼り付いたカノカ(ブナハリタケ)。

独特の甘い香りが強くなかったので、虫も少ししか付いてなかった。
炒め物の料理に適しているキノコだ。
方葉(かたは)のキノコなので、根元をナイフで切って採ると、汚れが付かずに家での処理が楽である。


右の写真のように、モミジの枝の先端が紅く色づいている程度の紅葉の進行状態である。

木々の葉っぱが、こんなに青々としていては、まだナメコどころではない。

森の中はホカホカと温かくて、キノコが頭を出す条件ではないようだ。

ナラタケは発生している気配がなくて、やはり今年は、ナラタケは不作なのだろうと思われる。

やっとササやぶに被われた倒木にサモダシ(ナラタケ)の株を見つけた。
みそ汁ひと鍋分の、少量の収穫である。
それでも、サモダシが採れて嬉しかった。
天気も良かったので、気分の良い山歩きができた。
ナラタケは不作、ブナハリタケはいつも通りの発生量であるというのが、今日の山を歩いての感想だ。

期待したサモダシ(ナラタケ)の収穫は微量だった

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今年はキノコが不作だと言われているが、それでも、それなりに発生しているだろうと山へ出かけた。
よそは不作だが、自分の知っている山だけは、そろそろサモダシ(ナラタケ)が沢山出ているかもしれない、という期待を抱いて山を彷徨い歩いた。
おそらく、キノコ採り達は、みんなそう思って山に入るに違いない。
そういう、「我だけは沢山採れる」という期待の気持ちが無ければ、誰も山へは入らない。
結果は、ごく微量のサモダシの収穫だけだった。 この時期で、サモダシが見当たらない。 やはり今年は、サモダシに関しては大不作のようだ。


右の写真の白いキノコはスギヒラタケ。 このキノコは大量に発生していた。
スギヒラタケは2004年まで、この地方では食用キノコとして重宝されていた。 歯ざわりが良くて、淡白でクセの無い味のため、愛好者の多かったキノコであった。
ところが、2004年(平成16年)の秋に、腎機能障害を持つ人がスギヒラタケを食べて急性脳症を発症する事例が、東北地方や北陸地方などで相次いで報告された。
このことで、スギヒラタケには「毒性」があるのでは、という疑いが濃くなり、今では食品安全委員会などの政府関係機関から摂食を控えるように言われている。
長年愛食されていたスギヒラタケが、突然「毒キノコ」のような扱いを受けるようになったのは、不思議なことである。

このごろ山で、右の写真のような、ねじ切れたような倒木を多く見かけるようになった。
台風などの大風の影響で生じた倒木は、根もろとも倒れているのだが、写真の倒木は幹がねじ切れて折れてしまっている。
竜巻のような風でなければ生じ得ない倒木のように思われる。

この新しい倒木にも、数年後には美味しいキノコが生えるのだろう。

この時期は、森を見る目が完全にキノコ採りの目になってしまう。


手に入ったのは、右の写真の美しいサモダシ(ナラタケ)だ。
朝、期待して山へ入ったのだが、サモダシ(ナラタケ)の収穫は写真通り、微量だった。
キノコを求めて山を彷徨い歩き、キノコには巡り会えなかったが、キノコ採り以外に山の彷徨い歩きも目的の一つだったので、それはそれで楽しかった。
道のない山の自然を楽しむのが、私の、山歩きを楽しむ方法のひとつとなっている。

雨とキノコ

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今日は、午前中、雨となった。

この雨が、山のキノコにどういう影響を与えるのか。
今度の7日、8日に山に入ってみればわかる事だが、たぶん良いお湿りとなったと思う。
高温少雨の最近では、今日の雨が、キノコの生育にとって良い環境を整えたに違いない。
キノコは菌類であるから、カビの仲間である。
カビもキノコも湿気のある場所で増殖する。
今年の夏は高温少雨であったから、山での夏キノコの発生は極端に少なかったようだ。

だが、この高温少雨が秋のキノコの菌の発生を阻害していたら、今頃雨が降っても、もう手遅れかも知れないという素人考えが湧いてくる。
私たちが目にするキノコという物体は、菌の子実体であるから、大元の菌の発生が無ければ、キノコの存在も無い。

キノコが子実体まで生育していない状態、いわば「カビ」のような状態のとき、少雨で山に湿り気が無ければ、キノコ菌である「カビ」は死滅してしまうか、それ以前に発生しないか、ということになりはしないか。

山にキノコ菌が無い状態では、今更雨が降ったところで手遅れである、と素人考えで心配してしまう。


キノコの原木栽培などでは、原木に十分に菌糸が蔓延し、適した温湿度条件が続くとキノコが発生する、とある。

通常は種付けの翌年から子実体(キノコ)が発生するらしい。

ということは、毎年キノコが発生する山には、すでにキノコの菌が倒木や土の中に存在するということだ。

生態系を変えるほどの、よっぽどの悪条件が続かない限り、これらの菌糸までが滅びるということは無いだろう。

何年も続いているキノコ山には、キノコの「温床」が確保されてあるとみて良いだろう。

やはり、キノコの出る出ないは、「適した温湿度条件」に因るのだ。

気象条件がキノコにとって悪天でも、山の地形がキノコの生育条件と合致していたら、全体にキノコ不作の年でもいくらかの収穫が望める。

高温少雨が続いていても、山の谷間の地形は比較的冷涼で、沢の水分が周囲の湿り気を保っていたりする。

キノコ大不作である今年のキノコ採りの方法は、高温少雨の影響を受けない場所を広く探し歩くことになるだろう。

今日の雨が、そういう好条件な場所のキノコに、より沢山の発生を促してくれれば良いのだが。

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