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2017年のアーカイブ
「問わず語り」という慣用表現について

「問わず語り」という慣用表現について

「長い沈黙の後、彼女が問わず語りに言い出した話は、僕を身震いさせた。」 なんてのは、よく目にする文章である。 今まで何度もこんな文章を目にして、私は何の抵抗もなく読み流していた。 それがあるとき、この文章はちょっと変ではないかと思うようになった。 そう思いはじめると、私...

はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに

はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに

古くから、能を郷土芸能としている地域は、日本全国に割と多い。 青森県の東通村に伝わる郷土芸能。 能舞は、国の重要無形民族文化財に指定されている。 そんな立派な能もあれば、その地域だけでひっそりと行われる里神楽もある。 小さな村の、田舎芝居。 神楽のような能のような。 ...

おくやまにもみぢふみわけなくしかのこゑきくときぞあきはかなしき

おくやまにもみぢふみわけなくしかのこゑきくときぞあきはかなしき

秋は物悲しい季節である。 葉を落として、黒く尖った木々の枝先が、曇天を刺すように連なる。 暗い雲の下を鳴きながら飛んでいく夕暮れの雁。 そんな晩秋の景色に触れると、いっそう物悲しい気分になってくる。 秋子は、自身の名前に季節の秋の字が用いられているせいか、秋に...

布さらすうすや川辺冬木立

布さらすうすや川辺 (かわべの) 冬木立 野沢凡兆 最初この句を読んだ時「うすや」の「うす」は「失す」だと思った。 「うすや」の「や」は詠嘆の間投助詞「や」。 「や」は、句の切れ字でもある。 それで、この句から感じたイメージは以下の通りであった。 季節は冬。...

あまのはらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも

あまのはらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも

冬になると、大根の煮物が食べたくなる。 寒さが増すたびに、大根の煮物を食べたいという気持ちが募る。 そうなると、度々訪れる天野原食堂。 ここの大根と豚バラの煮物は最高に美味しい。 豚バラの旨味が程よく染み込んだ飴色の大根。 口の中で、ジュワ~と広がる幸せの味。 もう...

一茶の風とインターネット「焚ほどは風がくれたるおち葉かな」

一茶の風とインターネット「焚ほどは風がくれたるおち葉かな」

「今日はヒトデ祭りだぞ!」というブログで、「【100万PV達成】雑記ブログでアクセスアップする方法を全て教える」という記事をみつけた。 【100万PV達成】とは、一ヶ月間にブログのページビュー数(PV数)が100万回あったということ。 ページビュー数とは、ブログのページが開...

意味のない音と無意味なことば

意味のない音と無意味なことば

「あなたを思えばこそ言ったんですよ。」とその男が言った。 私が考え事をしながら道を歩いていたら、前方からやってきた男にぶつかりそうになったのだ。 私の不注意なのだが、「どこ見て歩いてるんだよ。」と高飛車に言われると、ムカつく。 「おまえが避けて通ればいいだろう。」...

月花の愚に針たてん寒の入り

月花の愚に針たてん寒の入り

「寒の入り」とは、暦の上で寒が始まる「小寒」のこと。 一年を二十四等分して季節を分けたのが二十四節気。 「小寒」は、その二十四節気の二十三番目にあたる。 旧暦の十一月後半から十二月前半あたりに「小寒」の日があるという。 「小寒」の前の二十二番目は、おなじみの「冬至」。 ...

紫陽花の雪囲い、えっ紫陽花って木だったのか?

立木に結わえられて、雪囲いされている紫陽花。  愛犬の散歩で訪れている公園は、もうほとんど雪囲いが終わっている。 大掛かりなものは、板で組んだ屋根があり、まるで小屋のようになっている。 簡単なものは支柱を立てて、植え込みをその支柱ごと結わえているもの。 もっと簡単...

猫の恋やむとき閨の朧月

猫の恋やむとき閨の朧月

早春の猫の発情期の鳴き声を、「うるさいなあ」と感じる人は多い。 うるさいはずである。 発情期の鳴き声のなかには、メス猫を奪うためにオス猫同士がバトルする雄叫びも含まれるからである。 恋に焦っているオス同士が、あふれるばかりの敵愾心を相手に向かってぶつけているのだから大音量...

雪国の冬の必需品、ゴム長靴にあいた穴(亀裂)を補修する

ゴム長靴補修キット。   三年前に買ったゴム長靴 に穴(亀裂)が開いて、水が靴内に入り込むようになった。 釘かなんかで引き裂いてできた穴では無く、劣化によるひびわれが進んで細長い穴があいているような状態である。 雪かきをしているときに靴下が濡れて足が冷たくなってくる。...

草いろいろおのおの花の手柄かな

草いろいろおのおの花の手柄かな

芭蕉は元禄元年八月に、仲秋の名月を鑑賞するために美濃の地から信州更科への旅に出る。 「更科紀行」の旅である。 そのときに芭蕉は、見送りに来た岐阜の門人たちに留別吟を残している。 留別吟とは、旅立つ人があとに残る人に向けて詠む別れの句のこと。 芭蕉にとっては、「笈の小文」の...

月はやし梢は雨を持ちながら

月はやし梢は雨を持ちながら

芭蕉は「鹿島紀行」の冒頭部分で「このあきかしまの山の月見んとおもひたつ事あり」と書いて、「鹿島紀行」の目的のひとつが鹿島での月見であることを記している。 鹿島にある鹿島神宮は、万葉集に集められた「防人の歌」の歌枕の地である。 また「旅立ち」や「門出」を意味する言葉である「鹿...

花にうき世我酒白く飯黒し

花にうき世我酒白く飯黒し

「銀シャリ」という言葉を初めて聞いたのは、子どもの頃。 テレビドラマを見ていたときだったような。 刑務所での食事の時間に、受刑者がつぶやく。 「もうクサイ飯は食い飽きた。早くシャバへ出て銀シャリが食いてえぜ。」 そうそう、「シャバ」という言葉もそのドラマで覚えたのだった。...

葱白く洗いあげたる寒さかな

昨夜の降雪で白くなった公園。凛とした寒さが、この公園を美しくしているようだ。 青森市は本格的な冬に入ったのか、ここのところ寒い日が続いている。 寒い日が続くと、私みたいな初老のオジンでも、体が寒さに慣れてくる。 津軽の冬仕様の体になってくるのだ。

馬ぼくぼく我を絵に見る夏野哉

馬ぼくぼく我を絵に見る夏野哉

芭蕉は時々、自身の姿を離れた位置から眺め、その姿を句に表現している。 自身の姿を客観視しつつ、句に登場させるというスタイル。 たとえば、 「冬の日や馬上に凍る影法師」 という句。 自身が身を置いている光景を叙景句として詠み、それを進行している「劇」のように読者に見せる。 ...

公園のフジの木から出ているキノコは天然のエノキタケか?

雪をかぶったキノコ 11月22日のキノコの状態 22日に愛犬の散歩で公園に寄ったら、パーゴラに絡んでいるフジの幹からキノコが出ていた。 幹の上の方は、なかば雪におおわれながら顔を出している状態。 このフジからキノコが出ているのを見るのは初めてである。 じっくり見...

雑水に琵琶聴く軒の霰哉

雑水に琵琶聴く軒の霰哉

「琵琶」で真っ先に思い浮かぶのは平家物語。 平家物語といえば、琵琶法師である芳一が登場する「耳なし芳一」の話。 芳一が得意とするのは平家物語の「壇ノ浦の段」の弾き語りであった。 子どもの頃、その怪談話の映画をテレビで見て震え上がったものだった。 以来、「琵琶」という楽器...

まだ11月なのに突然の大雪、青森の街は一夜にして真冬の景色に

クルマはすっぽり雪をかぶり。 天気予報通り大雪となった青森市。 クルマも駐車場も雪に覆われて、この冬最初の雪かきとなった。 昨晩から今朝にかけて30cmちょっとの降雪。 昨日の朝はほとんど雪が積もっていなかった青森市が、一夜明けたら真冬状態になった。 最深積雪値3...

晩秋のドウダンツツジの紅葉に白い雪

雪をかぶったドウダンツツジの紅葉。 青森上空に強い寒気の流れ込みがあり。 そのせいで、今日も少し雪が降った。 気象庁発表の今日の降雪は18cm。 最深積雪値も18cm。 青森市内の初雪は、先一昨日の16日だった。 去年より十日遅いという。 今年は雪の降るのが...

留主の間に荒れたる神の落葉哉

留主の間に荒れたる神の落葉哉

元禄二年八月二十一日に、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅の最終地美濃大垣に着く。 同年九月六日、伊勢に向けて揖斐川から船出するところで「おくのほそ道」の旅を終えている。 その結びの句は、「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」。 芭蕉は、伊勢神宮の式年遷宮を奉拝し、そのあと伊賀上野の郷...

津軽地方北西部新田開発の象徴、つがる市「銀杏ヶ丘公園」の大イチョウ

「銀杏ヶ丘公園」の門。  つがる市にイチョウの巨樹があるというので寄ってみた。 その大イチョウは、「銀杏ヶ丘公園(いちょうがおかこうえん)」のなかに立っている。 「銀杏ヶ丘公園」の場所は、住宅地のなかにあり、ちょっとわかりにくい。 住所は、つがる市木造(きづくり)...

北八甲田黒森の山麓でのキノコ採りを断念して藪漕ぎ黒森登山

本日の行程図(赤色点線:登り、青色点線:下り。行程線はブログ管理人の書き込み)。出典:国土地理院ホームページ。 北八甲田・黒森山麓 北八甲田黒森の山麓は、自動車道路から眺めると、歩くのに快適そうなブナの森が広がっている。 地形図を見ると、小さな沢が集結している北東...

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