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「問わず語り」という慣用表現について

「長い沈黙の後、彼女が問わず語りに言い出した話は、僕を身震いさせた。」
なんてのは、よく目にする文章である。

今まで何度もこんな文章を目にして、私は何の抵抗もなく読み流していた。
それがあるとき、この文章はちょっと変ではないかと思うようになった。
そう思いはじめると、私のなかでこの文章は、変以外のなにものでもないものになってしまっていた。

はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに

古くから、能を郷土芸能としている地域は、日本全国に割と多い。
青森県の東通村に伝わる郷土芸能。
能舞は、国の重要無形民族文化財に指定されている。
そんな立派な能もあれば、その地域だけでひっそりと行われる里神楽もある。
小さな村の、田舎芝居。
神楽のような能のような。

おくやまにもみぢふみわけなくしかのこゑきくときぞあきはかなしき

秋は物悲しい季節である。
葉を落として、黒く尖った木々の枝先が、曇天を刺すように連なる。 暗い雲の下を鳴きながら飛んでいく夕暮れの雁。 そんな晩秋の景色に触れると、いっそう物悲しい気分になってくる。
秋子は、自身の名前に季節の秋の字が用いられているせいか、秋に対する思い入れが人一倍強い。 秋は、冬が間近な季節。
過ぎていく秋を、物悲しく思う気持ちが募ると、人恋しい気持ちも募ってくる。
人恋しい気持ちには、しみじみとした哀愁が伴う。

布さらすうすや川辺冬木立

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布さらすうすや川辺(かわべの)冬木立
野沢凡兆

最初この句を読んだ時「うすや」の「うす」は「失す」だと思った。 「うすや」の「や」は詠嘆の間投助詞「や」。
「や」は、句の切れ字でもある。
それで、この句から感じたイメージは以下の通りであった。

季節は冬。
川に晒された布が、川べりの物干しに下げられている。
川の水で晒したあとは、天日に晒すために布を広げているのだ。
川から上がった布が、次々と干されていく。

あまのはらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも

冬になると、大根の煮物が食べたくなる。
寒さが増すたびに、大根の煮物を食べたいという気持ちが募る。

そうなると、度々訪れる天野原食堂。
ここの大根と豚バラの煮物は最高に美味しい。
豚バラの旨味が程よく染み込んだ飴色の大根。
口の中で、ジュワ~と広がる幸せの味。
もう絶品だと私は思っている。

天野原食堂は、天野という名字のご夫婦が経営している食堂。
奥さんの旧姓が原だったので、ふたり合わせて天野原食堂という屋号になったのだとか。

一茶の風とインターネット「焚ほどは風がくれたるおち葉かな」

「今日はヒトデ祭りだぞ!」というブログで、「【100万PV達成】雑記ブログでアクセスアップする方法を全て教える」という記事をみつけた。

【100万PV達成】とは、一ヶ月間にブログのページビュー数(PV数)が100万回あったということ。
ページビュー数とは、ブログのページが開かれた回数を表す数字のことである。
このページビュー数の数字が多いブログは、それだけ多くの訪問者が訪れているということになる。

月間100万PVと言うと、一日あたりの平均PV数が約33,000回。
これは、すごい数字。
私のブログ「雑談散歩」の、PV数の一ヶ月分でさえ33,000回には遠く及ばない。

意味のない音と無意味なことば

「あなたを思えばこそ言ったんですよ。」とその男が言った。

私が考え事をしながら道を歩いていたら、前方からやってきた男にぶつかりそうになったのだ。 私の不注意なのだが、「どこ見て歩いてるんだよ。」と高飛車に言われると、ムカつく。 「おまえが避けて通ればいいだろう。」と身構えて睨んでしまった。 男は中年の勤め人風。 私は、遊人風。

月花の愚に針たてん寒の入り

「寒の入り」とは、暦の上で寒が始まる「小寒」のこと。
一年を二十四等分して季節を分けたのが二十四節気。
「小寒」は、その二十四節気の二十三番目にあたる。

旧暦の十一月後半から十二月前半あたりに「小寒」の日があるという。
「小寒」の前の二十二番目は、おなじみの「冬至」。
「小寒」の後の二十四番目は、二十四節気の最後「大寒」。

「小寒」から一層寒い日が続くようになるので、「寒の入り」と呼ばれている。
江戸時代では、「寒の入り」が来ると本格的な冬が始まるとされていた。
現代では、「寒の入り」の頃には体調を崩す人が増え、風邪やインフルエンザが流行する。

月花(つきはな)の愚に針たてん寒の入り
松尾芭蕉

元禄五年十一月二十九日、「寒の入り」の日の発句。
「寒の入り」になったら、体の変調を治すために鍼治療を受ける習慣が、江戸時代にあったのだろうか。
寒くなると血の巡りが悪くなって、体のあちこちが凝ってくる。
それを解消するために鍼治療を受けることになる。
鍼治療が、筋肉の緊張をゆるめ血行状態を良くすることは一般に認められていることである。

「針たてん」の「針」は鍼治療の「針」のことと思われる。
「月花の愚」で、風雅に酔いしれることを愚行としている。
月や花に執着する風雅の生活を、愚かしい性癖であると自己批判。
寒さが厳しくなる前に、この愚かしい性癖を鍼治療で追い払ってしまおうという気持ちを詠んだ句のようである。
俳諧師としては自虐的な句のように見える。
「針たてん」には、鍼治療の「針」を自らたててやろうという強い意思が表現されている。

だが芭蕉は鍼灸師では無い。
俳諧師である。
鍼灸師では無いのだから、自らの病癖を治療することは出来ない。
俳諧師ならば、俳諧創作の不出来(愚)を自ら改めることが出来なくもない。

このとき芭蕉は四十九歳。
芭蕉は、出生地の伊賀上野で、十代後半頃俳諧に興味を抱いたとされている。
「春や来し年や行きけん小晦日」は芭蕉十九歳のときの作で、作年次が判明している最古の句となっている。
俳諧の世界に身を入れてから、元禄五年の「寒の入り」まで約三十年を経ている。

三十年の俳諧生活。
四十一歳からは、その俳諧生活に「俳諧行脚」の暮らしが加わる。
そうして四十九歳。

このごろは、風雅三昧に旅三昧。
ちょっと「風狂」が過ぎているから、そういう自分にお灸を据えねばならんな…

紫陽花の雪囲い、えっ紫陽花って木だったのか?

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愛犬の散歩で訪れている公園は、もうほとんど雪囲いが終わっている。
大掛かりなものは、板で組んだ屋根があり、まるで小屋のようになっている。

簡単なものは支柱を立てて、植え込みをその支柱ごと結わえているもの。
もっと簡単なのは、植え込みを荒縄で結わえただけのもの。




公園で、そんないろいろな雪囲いを眺めていたら、紫陽花が雪囲いされているのが目に入った。
側の立木を支柱代わりにして結わえられているもの。
ただ紫陽花の茎だけが荒縄で束ねられているもの。
そのなかには、上部の「房」が今朝の雨を吸って重くなり、地面へ頭を垂れているものもある。

なんだ丈の高いものは草まで雪囲いするのか、と違和感を覚えた。
枯れた茎を切ってしまえば、また来年の春に地面から伸びてくるものを、と思ったからだった。
それからすぐに「いや違うだろう。」という「訂正」が頭をよぎった。
毎年春になると紫陽花の枯れたような茎から新芽が出てくるのを、私は目撃しているではないか。
てことは、紫陽花って木(木本)だったかな?

散歩から帰って調べてみた。
結果、紫陽花は木本だった。
紫陽花は、アジサイ科アジサイ属の落葉低木の一種とウィキペディアにある。
紫陽花の枯れた枝が空洞になっているのをよく見かけたから、紫陽花は草だと思っていたのだが、なんと木だったのだ。
年輪が出来、幹が年々太くなるものを木だと思っていたのだが、そうではない木もあったのだ。

年輪ができるものが木であるという見方は多くの人に普及していると思われる。
であるから、私のように勘違いされる方はけっこういらっしゃるかもしれない。
勘違いするには勘違いするだけの理由があるのだ。
外見が木っぽくない(幹が草っぽいとか)。アジサイのサイがヤサイのサイを連想させ、アジサイは草本であると思い込みやすい。 以上が私の勘違いの理由。
ちょっとこじつけがましいが。

しかし実際草本と木本の見極めは難しい。
「立てば芍薬、座れば牡丹」で知られる芍薬と牡丹。
どちらも似たような大輪の花を咲かせるので、その見分けが難しいことでも知られている。
芍薬と牡丹の大きな違いとは、芍薬は草であり、牡丹は木であるということだという。
芍薬は、冬に茎が枯れてしまい、地中の根から春の新芽が出る。
牡丹は、幹のまま冬を越して、紫陽花のように春に幹から新芽を出す。

この違いは、冬の過ごし方の違い。
幹…

猫の恋やむとき閨の朧月

早春の猫の発情期の鳴き声を、「うるさいなあ」と感じる人は多い。
うるさいはずである。
発情期の鳴き声のなかには、メス猫を奪うためにオス猫同士がバトルする雄叫びも含まれるからである。

恋に焦っているオス同士が、あふれるばかりの敵愾心を相手に向かってぶつけているのだから大音量になる。
もちろん、オス猫を呼び込もうとしているメス猫の鳴き声もかなりうるさい。
それに応えて、メス猫の鳴き声をまねるように鳴くオス猫の声が、また一段とうるさい。
そんな猫達の鳴き声が、行き来し増幅する。

猫の恋やむとき閨(ねや)の朧月
松尾芭蕉

元禄五年の春の句。 芭蕉四十九歳のときの作。 芭蕉は、元禄五年の正月を江戸日本橋橘町の仮住まいで迎えている。 深川の第三次芭蕉庵への入居は五月中旬であるから、この句は橘町の仮居での作と思われる。

発情した猫の鳴き声は、深夜になってもなかなか止まない。
芭蕉にとっては、その鳴き声がやかましくもあり興味深くもあったのではなかろうか。
猫の鳴き声は千変万化。
芭蕉はそれを、人の言葉に翻訳しようと耳を傾ける。
メス猫の鳴き声に芭蕉は、「まったく奔放なもので・・・・」と思った。
源氏物語の「朧月夜」を思い出したのである。
「朧月夜」は、物語中随一艶やかで奔放な気性の女性である。
「朧月夜」はメス猫がモデルであったのか、などと芭蕉が思ったなんてことは、ただの私の空想。

地上の生き物の営みと、天空の月との取り合わせによって空間的な広がりが感じられる句である。
「猫の恋」の騒然とした様子と、それが止んだときの「閨の朧月」の静寂感との対比が、朧な春の夜を表現していて面白い。
などという感想を掲句に持ったのだが。
ただ、どうして芭蕉は「閨」という言葉を使ったのだろう。

「閨」とは寝室の意であるが、特に夫婦の寝室という意味合いが濃い。
いきなり「閨」では、句を読む者が戸惑う。
しかも「やむとき」の「とき」もなんとなく唐突な印象である。
「朧月」というボンヤリとしたムードに対して「とき」は、あまりにも端的で鮮明だ。
「猫の恋やむころ閨の朧月」と詠んだ方が雰囲気が良いのでは、とトーシロの私は勝手に思ったりしている。

ひょっとしたらこの句は、発句ではなく「歌仙(俳諧の連歌・連句)」の前句(長句・五七五)なのではあるまいか。
この句が、歌仙で表された物語のなかの一幕だとすると、なんとな…

雪国の冬の必需品、ゴム長靴にあいた穴(亀裂)を補修する

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三年前に買ったゴム長靴に穴(亀裂)が開いて、水が靴内に入り込むようになった。
釘かなんかで引き裂いてできた穴では無く、劣化によるひびわれが進んで細長い穴があいているような状態である。
雪かきをしているときに靴下が濡れて足が冷たくなってくる。
これは、とても我慢できるものではない。

三年経ったとは言え、冬場だけの使用なので、このまま捨てるのはもったいない。
それに、外見もそんなにヘタってはいない。
まだ黒ツヤが残っている。

まだ黒ツヤが残っているのに、浅いひびわれが生じて、劣化が進んでいるような部分もある。
「ミツウマ」のメーカー品なのにと思ったが、今時の合成ゴムは劣化が早いらしい。
ホームセンターで売っている千円前後の安いゴム長靴は一冬ぐらいの寿命だという。
合成ゴムより天然ゴムの方が劣化が早いと言われている。
でも、昔の天然ゴム製の長靴の方が、今の合成ゴムの長靴よりも寿命が長かったような気がする。

という気分で、近所のホームセンターをうろついていたら、「ゴム長靴補修キット」というのを見つけた。
インターネット販売のページにも出ていて、レビューが一件だけだったが、「上手く行きました・・・・すばらしい商品です。」とベタ褒めされていたものである。
一件だけのちょっとあやしいレビューなのだが。
ホームセンターでの値段が、税込みで511円だったので、試してみることにした。






付属の紙やすりで、亀裂部分周辺のゴム表面を荒らす。
ゴムの表面を適度に荒らした方が、接着剤の効き目が強い。




補修用パッチを適当な大きさに切ったら、下の写真のように四隅の角を落として角丸にしておくと剥がれにくくなる。
補修用パッチには、裏に粘着剤が施されているので、裏紙を剥いで長靴に貼り付ける。









補修用パッチの合成ゴムシートは、薄くてちょっと頼りない感じだったので、上の写真の「肉盛り補修剤」をパッチごと上塗りして補強した。
これで、パッチが端から剥がれるのも防げると思う。
ちなみに、セメダインの「クツ底の肉盛り補修剤・シューズドクターN」は、ホームセンターで1100円ぐらいだった。
修理材料の購入合計額は1600円ぐらいだが、今回は材料の2.5割ぐらいを使用した。
材料経費が400円のゴム長靴補修である。

「肉盛り補修剤」を塗ったあとは約24時間静置することと使用説明書に書かれてある。
さて、修理の出来栄えやい…

草いろいろおのおの花の手柄かな

芭蕉は元禄元年八月に、仲秋の名月を鑑賞するために美濃の地から信州更科への旅に出る。
「更科紀行」の旅である。
そのときに芭蕉は、見送りに来た岐阜の門人たちに留別吟を残している。
留別吟とは、旅立つ人があとに残る人に向けて詠む別れの句のこと。
芭蕉にとっては、「笈の小文」の旅へ出て以来、信州更科を経て、約十ヶ月ぶりに江戸へ帰る旅となる。

草いろいろおのおの花の手柄かな
松尾芭蕉

掲句は、その留別吟のひとつ。

見送りの門人たちを草に喩えているというのが一般的な「解釈」であるようだ。
いろいろな特長を持った草があるように、私(芭蕉)にはいろいろな特長を持った弟子がいる。
その弟子たちがそれぞれの特長を活かしてすばらしい花を咲かせている。
という、見送りの門人たちへの感謝と賞賛の念を表明している句であるとされている。
なるほど。
平易で馴染みやすい句である。

芭蕉の俳諧は様々なイメージを表現している。
ひとつの句の中にイメージが混在しているのではと思うこともしばしばである。
当然のことながら、新たなイメージを句から感じたときは、それまでとは異なる視点でその句に接していることになる。
視点を変えれば、別な世界が広がって見える。
これも芭蕉の俳諧を読む楽しさのひとつ。

草が大地に根を張って、雨風をしのいでいろいろ努力している結果、おのおのの開花が実現している。
花が咲いているのは草の手柄であるというイメージ。
そういうイメージがある一方、いろいろな草が豊かに生い茂っているのは、それぞれの花の手柄であるというイメージ。
花が受粉を促し結実して種子をつくる。
その種子が発芽して草を生い茂らせている。

鶏が先か卵が先かではないが。草と花の手柄あらそいという印象を掲句から感じている。
花は、芭蕉が師となっている蕉門の喩え。
草は、その門人の喩え。
そうであるとしたら、これは門人と蕉門(芭蕉)の一門発展の手柄あらそいを彷彿させる。

以下は「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」からの抜粋。
「近来各地の芭蕉人気の上昇を背景に、旅の経過地ごとに前回にも増した歓迎に逢う中で各地の蕉門勢力は増大する。再訪の地尾張では一月半にわたって多くの新参も交える連日の句会に引き回され、・・・・・・・・。歳末から翌春三月までの伊賀帰省中のは俳交の記録と参入の門人の顔ぶれも一挙に増え、滞在中に再訪した伊勢山田でも多数の新…

月はやし梢は雨を持ちながら

芭蕉は「鹿島紀行」の冒頭部分で「このあきかしまの山の月見んとおもひたつ事あり」と書いて、「鹿島紀行」の目的のひとつが鹿島での月見であることを記している。
鹿島にある鹿島神宮は、万葉集に集められた「防人の歌」の歌枕の地である。

また「旅立ち」や「門出」を意味する言葉である「鹿島立ち」は、防人が旅立つ際に道中の無事を鹿島神宮に祈願したことに由来すると言われている。

「鹿島紀行」の旅の後、その年内に「笈の小文」の旅。
さらに翌年の「更科紀行」、翌々年の「おくのほそ道」と芭蕉の旅は続く。
芭蕉の「鹿島詣」は、これから続く「俳諧行脚」への無事祈願も目的のひとつだったのかもしれない。

月はやし梢(こずえ)は雨を持(も)ちながら
松尾芭蕉

貞享四年八月十五日、鹿島根本寺の前住職、仏頂和尚の隠居所である長興庵に宿泊した際の発句である。
ここで芭蕉は仏頂和尚との旧交を温めながら月見をしようとしたのだが、あいにくの雨で空は曇っていたようである。
だが、未明(あかつき)に雨が上がって、月の光が見えた。
そのときのことが「鹿島紀行」に記されている。
以下、抜粋。
ひるよりあめしきりにふりて、月見るべくもあらず。ふもとに、根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此寺におはしけるといふを聞て、尋入てふしぬ。すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけむ、しばらく清浄の心をうるににたり。あかつきのそら、いさゝかはれけるを、和尚起し驚シ侍れば、人々起出ぬ。月のひかり、雨の音、たゞあはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし。はるゞると月みにきたるかひなきこそほゐなきわざなれ。 「人をして深省を発せしむ」とは、「発人深省(はつじんしんせい)」のことと思われる。
出典は杜甫の五言律詩「遊龍門奉先寺」であるとか。
「発人深省」とは、「人を発憤させ啓発して、物事を深く考えるようにさせること。」と辞書にある。
仏頂和尚は、そういう人物だったのだろう。
芭蕉は、そういう人物と語らい、「しばらく清浄の心をうるににたり」だった。
やがて「あかつき(未明)」に、空が少し晴れた。
皆が仏頂和尚に起こされて、雲間から差し込んだ月の光を眺めた。
もしかしたら月の光は一瞬だったかもしれない。

一瞬の「月のひかり」や「雨の音」、それらの趣があまりにも侘びしくて、句を詠もうとしても言葉がなかった。
はるばると江戸から月を見に来…

花にうき世我酒白く飯黒し

「銀シャリ」という言葉を初めて聞いたのは、子どもの頃。
テレビドラマを見ていたときだったような。
刑務所での食事の時間に、受刑者がつぶやく。
「もうクサイ飯は食い飽きた。早くシャバへ出て銀シャリが食いてえぜ。」
そうそう、「シャバ」という言葉もそのドラマで覚えたのだった。
テレビドラマは、津軽半島の寒村で暮らす子ども達にとって、未知の世界のボキャブラリーの宝庫だったのだ。

葱白く洗いあげたる寒さかな

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青森市は本格的な冬に入ったのか、ここのところ寒い日が続いている。 寒い日が続くと、私みたいな初老のオジンでも、体が寒さに慣れてくる。 津軽の冬仕様の体になってくるのだ。

馬ぼくぼく我を絵に見る夏野哉

芭蕉は時々、自身の姿を離れた位置から眺め、その姿を句に表現している。
自身の姿を客観視しつつ、句に登場させるというスタイル。
たとえば、「冬の日や馬上に凍る影法師」という句。
自身が身を置いている光景を叙景句として詠み、それを進行している「劇」のように読者に見せる。
読者に想像させる。
そして読者は、その「劇」の登場人物としての芭蕉の「抒情」に触れて感動する。

以前記事にした「埋火や壁には客の影法師」は、もっと間近で自身と応対している芭蕉の句。
ときに荒野を舞台に、ときには庵を舞台に、芭蕉は自身の「劇」を読者に示してきたように私は感じている。
「秋深き隣は何をする人ぞ」の句においても、そんな印象を持ったのだった。

公園のフジの木から出ているキノコは天然のエノキタケか?

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11月22日のキノコの状態 22日に愛犬の散歩で公園に寄ったら、パーゴラに絡んでいるフジの幹からキノコが出ていた。
幹の上の方は、なかば雪におおわれながら顔を出している状態。
このフジからキノコが出ているのを見るのは初めてである。
じっくり見たら、どうやら天然のエノキタケに似ている。
天然のエノキタケは、以前金木の山で採ったことがあり、私には馴染みのキノコ。
おいしい食菌である。




キノコの傘裏のヒダの様子がエノキタケに似ている。
全体の雰囲気もエノキタケ。
と言っても、スーパーで売っている栽培物の白く細長いエノキタケしか見たことがない人にはピンとこないかもしれませんが。

天然のエノキタケのいちばんの特徴は、柄(茎)にある。
柄の表面は、細かい毛で被われて、ビロードの感触。
柄の色のポピュラーなスタイルは、柄の上部が茶色。 それが下に行くほど色が濃くなり、柄の根元は黒褐色になる。
柄全体が黒いビロード状の場合もある。 これが、エノキタケの同定の目安。
次に特徴があるのは傘の裏のヒダ。 色は白色から乳白色。 ヒダの間隔は密ではない。
よく見ると、大きなヒダの間に小さなヒダがある。 これも、エノキタケを同定するときに注意する点である。

さて、このフジの幹についたキノコはというと、ヒダの特徴はエノキタケに酷似している。
問題は、いちばんの決め手である柄の特徴。
柄の表面を細かい毛が被っているかどうかは、ちょっと確認しがたい。
毛があるような無いような・・・。
柄の色については、黒い部分がない。
柄の色は、一様に茶色である。
株の中には黒っぽい柄の個体もあるにはあるのだが。

過去に採ったことのあるエノキタケは、柄がすべて黒いビロード状だった。
というか、そういうキノコでなければエノキタケと認めていないのが私の選択基準であった。
このフジの木のキノコは、はたしてエノキタケであるのかどうか。
インターネットで検索して、写真を調べてみると、柄の色がこのフジのキノコに似たエノキタケもたくさんあった。

柄に細かい毛が生えていて、柄の色が茶色から黒っぽい茶系なら、ほぼエノキタケに間違いなしということなのだろう。
であるから、柄の色に関して言えば、このキノコがエノキタケであってもおかしくはない。

エノキタケに似たキノコに、猛毒のコレラタケがある。
コレラタケのヒダの色は、傘の色とほぼ同じであ…

雑水に琵琶聴く軒の霰哉

「琵琶」で真っ先に思い浮かぶのは平家物語。
平家物語といえば、琵琶法師である芳一が登場する「耳なし芳一」の話。
芳一が得意とするのは平家物語の「壇ノ浦の段」の弾き語りであった。

子どもの頃、その怪談話の映画をテレビで見て震え上がったものだった。
以来、「琵琶」という楽器に対しては、どちらかというと暗いイメージを抱いていた。
子どもの頃のイメージが払拭されたのは、NHK-FM放送の「邦楽百番」で琵琶の豊かな音色を聴いたときだった。
今にして思えば至極当然。
映画「耳なし芳一」での琵琶による劇中演奏は、子どもが怯えるほどに怪談らしく脚色されたものだったのである。

まだ11月なのに突然の大雪、青森の街は一夜にして真冬の景色に

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天気予報通り大雪となった青森市。
クルマも駐車場も雪に覆われて、この冬最初の雪かきとなった。
昨晩から今朝にかけて30cmちょっとの降雪。
昨日の朝はほとんど雪が積もっていなかった青森市が、一夜明けたら真冬状態になった。
最深積雪値32cmは、この時期にしては大雪である。




一日の平均気温は昨日に引き続きマイナス。
最低気温が-2.5℃。
最高気温は0.8℃。
体がまだ寒さに慣れていないので、強く寒さを感じた一日だった。

夕方6時頃のテレビニュースでは、「青森で80cm 北日本で大雪」というテロップが出た。
アナウンサーは「今日は青森県の酸ヶ湯(すかゆ)で80cmの積雪を記録」とおっしゃる。
青森のことをよく知らない人が聞いたら、「青森県の酸ヶ湯っていう町で、もう80cmも雪が積もったんだって。青森って、スゲー雪の多いところだねえ」とたまげるに違いない。
確かに青森は雪の多い所である。
でも、酸ヶ湯っていう町は無い。
酸ヶ湯という住所も無い。

酸ヶ湯は、北八甲田山中標高890mの場所にある一軒家の温泉地のこと。
酸ヶ湯温泉という宿以外に、民家は一軒もない。
一軒の民家も無いのに、なぜ毎年酸ヶ湯の積雪が話題になるのか。
それは、ここに「アメダス」と呼ばれる気象庁の無人観測施設があるから。

青森では、山に雪が大量に降るのはあたりまえ。
こんな集落もないところの積雪情報が何の役に立つんだい、と思われる方も多いかもしれない。
そう、そう。
でもこの情報は、北八甲田山の冬山を滑る山スキーヤーにとっては貴重な情報となっているのだ。

それは、さておき。
酸ヶ湯温泉の住所は、「青森県青森市荒川南荒川山国有林酸湯沢50番地」。
八甲田山の山の中とは言え、青森市内なのである。
なので、まだ11月20日なのに「酸ヶ湯で80cmの積雪を記録」とくれば、それは、まだ11月20日なのに「青森市で80cmの積雪を記録」となるのである。
厳冬期に入って、「酸ヶ湯で4mの積雪を記録」とくれば、それは「青森市で驚異の4mの積雪を記録」となる。
これが、青森市は世界一の豪雪都市という説に拍車をかけている。

世界には、青森市よりももっと雪が降り積もる山間部の町や村がたくさんある。
でも人工が30万人クラスの都市では、その降雪量において青森市は世界一になるらしい。
酸ヶ湯抜きでも、そうなるらしい。

こんな雪の…

晩秋のドウダンツツジの紅葉に白い雪

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青森上空に強い寒気の流れ込みがあり。
そのせいで、今日も少し雪が降った。
気象庁発表の今日の降雪は18cm。
最深積雪値も18cm。

青森市内の初雪は、先一昨日の16日だった。
去年より十日遅いという。
今年は雪の降るのが早いなあと思っていたのだが、平年と比べても十日も遅いとか。

愛犬の散歩で公園を歩いたら、ドウダンツツジの紅葉に白い雪がのっかっていた。
白い雪がかぶさると、紅葉の赤が一層鮮やかに見える。
紅葉の始まりの頃は、ドウダンツツジの葉は褐色がかった色で、あまりきれいではない。

このまま枯れてしまうのではないかと思うくらい褐色が濃い葉もある。
それが、雪が降るくらいに冷え込むと、真紅に豹変して燃え上がる。
褐色の葉は、ドウダンツツジの紅葉がまだくすぶっている状態なのだ。

白と言えば、ドウダンツツジは春に、壺型の白く小さな花を無数に咲かせる。
まるでツツジっぽくない花だが、ドウダンツツジはツツジ科ドウダンツツジ属の植物。
八甲田山でよく見かけるウラジロヨウラク(ガクウラジロヨウラク)は白っぽい淡紅色の壺型の花を無数に咲かせる。

雰囲気が似ているので、ドウダンツツジはヨウラクツツジの仲間かなと思ったことがあったが、違うようだ。
ドウダンツツジは、ヨウラクツツジ属ではなくてドウダンツツジ属。

花は葉が出はじめてからすぐに咲くので、ドウダンツツジは、春に花の白でにぎわい、秋に雪の白で葉を落とす。
白で始まって白で終わるようなものである。

ドウダンツツジの紅葉が、この公園の最後の紅葉である。
ドウダンツツジは耐寒性に優れていると言われている。
なので雪が降るようになっても、なかなか葉を落とさないのか。

この赤い葉が散ると、公園の色彩は、だんだんとモノクロームに近づいていく。
古代中国の陰陽五行説では冬のことを「玄冬」というらしい。
「玄」は黒。
青森の都市公園のほとんどは、冬になると黒い木々に囲まれた侘しい空間になる。

ドウダンツツジの紅葉を眺めながら、ピックアップのタイヤをスタッドレスタイヤに交換した。
タイヤ交換中も、雪が舞っている。
雪片がボルトやホイールの裏につくと、ボルト締めが充分にできない。

そこで、OA機器清掃用のエアダスターで、付着した雪片を吹き飛ばしながらスタッドレスタイヤを装着。
無事終了した。
明日は大雪になるという予報。
ボリュームのあるドウ…

留主の間に荒れたる神の落葉哉

元禄二年八月二十一日に、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅の最終地美濃大垣に着く。
同年九月六日、伊勢に向けて揖斐川から船出するところで「おくのほそ道」の旅を終えている。
その結びの句は、「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」。

芭蕉は、伊勢神宮の式年遷宮を奉拝し、そのあと伊賀上野の郷里と大津、膳所(ぜぜ)、京都を漂泊することになる。
この間、「幻住庵記」や「嵯峨日記」を書き、京都で「猿蓑」を監修し刊行している。

津軽地方北西部新田開発の象徴、つがる市「銀杏ヶ丘公園」の大イチョウ

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つがる市にイチョウの巨樹があるというので寄ってみた。
その大イチョウは、「銀杏ヶ丘公園(いちょうがおかこうえん)」のなかに立っている。
「銀杏ヶ丘公園」の場所は、住宅地のなかにあり、ちょっとわかりにくい。

住所は、つがる市木造(きづくり)曙(あけぼの)。
国道101号線を五所川原から鰺ヶ沢に向かって走り、つがる市役所方面へ右折。
国道101号線上には、道路標識でつがる市役所方面への右折を示す交差点が2箇所ある。
「銀杏ヶ丘公園」へ行くには、そのうちの二つ目の交差点を右折したほうがわかりやすい。
右折して350mぐらい走ると五能線の踏切に出る。
踏切を越えて道なりに750mぐらい走ると右手に生垣に囲まれた公園が見えてくる。




大イチョウは、公園の西側に立っている。
敷き詰めた黄色い落ち葉のせいで、根元一面が輝いている。
イチョウを囲っている木柵に固定された看板によると、このイチョウは昭和六十年四月現在、幹の周囲は7m、樹高は25mであるという。

青森県深浦町の「北金ヶ沢のイチョウ」の幹の周囲は22m、樹高は31m。
この「北金ケ沢のイチョウ」は、日本一の大イチョウであるとされている。
さらに、青森県十和田市にある「法量のイチョウ」は日本で四番目のイチョウの巨樹であるという。

その他、青森市に「宮田のイチョウ」あり、青森県黒石市に「袋のイチョウ」あり。
ともに樹齢を重ねたイチョウの巨樹である。
言うまでもなく青森県は全国に知られたヒバ王国。
だがこうしてみると、イチョウの巨樹が県内各地に点在しているイチョウ王国でもあると言えそうだ。

これらのイチョウに比べたら「銀杏ヶ丘公園」のイチョウは小さいし、まだ若い。
若くて小さいが、間近に見ると大きい。
その存在感に圧倒される。
歴史のなかで消えずに存在し続けているという内に秘めたエネルギー。
その存在感は、大イチョウの秘めたエネルギーから伝わってくるのかもしれない。

看板によると、この大イチョウは、「新田開発の大業完成近く津軽4代藩主信政公が木作御刈屋改築の工事を起こし、これが落成した貞享元年(西暦1684年)8月自ら鍬をもって庭前(北の方)に1株お手植えされたものであります。」とある。

貞享元年八月と言えば、松尾芭蕉「野ざらしを心に風のしむ身哉」と詠って「野ざらし紀行」の旅に出た頃。
芭蕉の「俳諧行脚」はこの年から始まった…

北八甲田黒森の山麓でのキノコ採りを断念して藪漕ぎ黒森登山

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北八甲田・黒森山麓 北八甲田黒森の山麓は、自動車道路から眺めると、歩くのに快適そうなブナの森が広がっている。
地形図を見ると、小さな沢が集結している北東向きの谷もある。
これはキノコが大量にあるのではと期待して、コンパスを合わせて山に入ったが、キノコは見当たらない。

谷をふたつばかり越えても、キノコのニオイもカケラも無い。
天気は良いし、時刻はまだ早い。
そこでキノコ採りを断念して、黒森登頂をめざすことにした。
黒森は、去年の春の残雪期にツボ足で登っている
そのとき、無雪期でもいけるのではと思ったのだが、それを実行することにした。

北八甲田黒森は国立公園の「普通地域」 黒森(標高1022.7m)の東西に張り出した稜線の北西側(市町村境界の青森市側)は、「十和田八幡平国立公園」の「普通地域」に指定されている。
国立公園の「特別地域」や「特別保護地区」では、原則として指定遊歩道以外に立入る場合は、環境省(環境大臣)などへの許可申請が必要だが、「普通地域」への立入りはその限りでは無いという。
黒森には登山道や遊歩道は無いが、自然散策目的での入山に規制はない。
またキノコ採りも、その行為自体に規制はない。
そういう「自然公園法」の「解釈」のもと、黒森藪漕ぎ登山を楽しむことにした。

尾根直下はネマガリタケの猛烈な藪 標高750mから850mぐらいまでの傾斜の緩い部分は、ネマガリタケの藪が少なく快適に登ることが出来た。
標高850mあたりから急登を強いられる。
それまで膝ぐらいの高さだったネマガリタケが、2mぐらいの丈に変わる。

足を滑らせると転落の危険があるような急斜面登高。
むしろ、丈2mの太いネマガリタケが幸いした。
両手それぞれでネマガリタケの茎を2~3本束ねて掴み、それを手掛かりにして上体を引き上げる。
一歩一歩確実に斜面を踏んで、足場を確保し高度を稼ぐ。
三点支持の方法で、ハシゴを登るように斜面を這い上がった。

66歳には思えない程、バカなことを楽しんでいる。
もがきながら藪漕ぎしてると、やがて前方が開けてきた。
稜線がすぐそこに。
斜度は緩くなり、ネマガリタケの丈も低くなる。

尾根の上で一呼吸。
急斜面を登っているときは、2~3度引き返そうかなと思ったが、登りきってしまったら気分は爽やか。
ひと仕事終えた気分。
体が活性化して四肢に力が漲っている。
尾根に上がれば…

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