投稿

2018の投稿を表示しています

上林暁の「野」を読んだ感想

イメージ
「野」についての、宮本輝氏の読後感想 本棚を整理していたら、二十年ぐらい前に読んだ「本をつんだ小舟(文藝春秋)」という本が奥のほうから出てきた。
この本の著者は、宮本輝氏。
「本をつんだ小舟」は、宮本輝氏の中学時代から高校時代にかけての読書歴をまとめたエッセー集である。

「本をつんだ小舟」をめくると、【上林暁(かんばやし あかつき)「野」】というページが目にはいった。
そうだ、思い出した。
二十年ぐらい前に「本をつんだ小舟」を読んだとき、この「野」という小説を読んでみようと思ったのだった。

いつのまにか、すっかり忘れていた。

宮本輝氏は「野」について、【いい小説を味わいたいと思う人は、ぜひ「野」を初めから終わりまで精読してもらいたいものである。】と述べておられる。

家の周辺にある「野」の散策物語 そこでいろいろ調べて、市内の書店から上林暁の「聖ヨハネ病院にて/大懺悔(講談社文芸文庫)」という文庫本を取り寄せた。
文庫本なのに価格が1,500円(税別)とは、ずいぶん高いんじゃねーかと思いながら。
「野」はこの短編集の二作目にあった。

「野」は「二年ばかり前のこと、薄い靄のかかった或る晩秋の日の午後、私は或る郊外電車のG駅へ通ずる広いバス道路を歩いていた。」という文章で始まる。
ひとつのセンテンスのなかに「或る」がふたつも続けてあるのがちょっとくどいなと思ったが、この「くどさ」が「野」の微妙な味付けになっている。

「私」という主人公が暮らしている家の周辺に広がる「野」。
おそらく舞台は東京都(旧東京市?)の武蔵野あたりと思われる。
小説「野」は、その「野」を散策する物語であると、わたし(ブログ管理人のことね)は感じた。

主人公の境遇 まず、「私(小説の主人公のことね)」とは、いかなる人物か。
それを小説の文章からひろってみると以下のようになる。
「敗残の身を持て余し、生きているとも思われない日々を過ごしている」「日々の食事も乏しく」「からだは病み」「文学への希望は報われず」「あばらや同然の家の中に、親子五人が生活とも言えない生活を営んでいる」
(2)の後に、「朝飯二杯、昼飯二杯、夕飯三杯ときめて」とか。
(5)の前に、「畳は破れ、襖には穴があき」とある。
こういうところが、わたしには「くどさ」であり、微妙な味わいに感じられるのだ。
「敗残」なのに、ちょっとユーモラスでもある。

小滝の森でナメコ採り

イメージ
きのうの日曜日は仕事だったので、きょうは代休をとって、ことし初のキノコ採りにでかけた。
毎年キノコ採りハイキングに出かけている「小滝の森」。 お天気にめぐまれて、気分のいい一日を過ごすことができた。
収穫は、ナメコが少々。 サモダシ(ナラタケ)は、大きくそだったものが黒く腐っている。 そんな状態のものがほとんどで、私の行く森では、ナラタケは発生終了のようである。
ナメコも、傘が開ききったものが腐っているのをたくさん見かけた。 同時に、ナメコの幼菌も、まだ発生している。 ナメコの収穫は、もうちょっと期待できそうである。

ツキヨタケ(毒)は終了したのか、姿をみかけなかった。
ツキヨタケが終了しそうなころに出てくるムキタケ(食)も幼菌しかみかけなかった。
猛毒のドクツルタケの白い姿は皆無。

毎年毎年、キノコの出方には変化がある。
毒キノコも食菌も、豊作の年もあれば不作の年もある。
今年はナメコが豊作と聞いたが、私はその恩恵に授かっていない。
八甲田山麓の紅葉は、そろそろ終わりかけ。 色づいた葉が枯れはじめて、散る準備をしている。
初冠雪の話はまだない。
でも、山は寒波来襲とともに初冠雪・初雪の時期。 雪が降る前の森のにぎわいは紅葉だが、キノコは隠れたにぎわい。
その隠れたキノコを見つけ出して採るのだから、キノコ採りは宝さがしに似ている。
楽しい遊びだが、キノコ採りは山岳遭難や食中毒の危険をともなう遊びでもある。

そんな危険をクリアして、今年もキノコ採りを楽しむことができた。
キノコ採りは、自身の判断力と体力を確認する遊びである。

いわば、キノコ探しは自分探し。
今年も元気な自分を見つけることができた。
それは、大豊作。
いえいえ、少し過大評価。




















地に倒れ根に寄り花の別れかな

「劇的な句」とは 芭蕉の追悼句のなかで「劇的な句」と言えば、「塚も動け我泣声は秋の風」があげられる。
私の知るかぎりでは、こんなに激情をあらわにした芭蕉の句は他に見あたらない。

私が言う「劇的な句」とは、芭蕉が激しい感情をあらわにして詠いあげた句のこと。
あたかももうひとりの芭蕉が、ヤマ場の舞台で台詞を発するように。
そういうシーンを思い起こさせる句のことである。

「塚も動け我泣声は秋の風」の句では、自身の「劇」のなかへ観客を誘い込み、その「劇」のなかで芭蕉は亡き友の面影をよみがえらせようとしたのではあるまいか。

現実には登場しえない故人を、芭蕉の「劇」のなかに「我泣声」を発するもうひとりの芭蕉とともに登場させたのである。

伝えるための「劇的な句」 舞台上での感情過多な台詞は、芝居をみている観客に劇の内容を鮮明に伝えるために必要である。
舞台を間近でみている観客は、その迫力に圧倒される。

芭蕉は、自身の悲愁を門人以外の者にも広く伝えるために「劇的な句」を詠んだのであろう。
伝えることで、死者は芭蕉の「舞台」の上でよみがえる。

亡き担堂和尚のための追悼句地に倒れ根に寄り花の別れかな
松尾芭蕉

貞享三年の春の句であると「芭蕉年譜大成(著:今榮蔵)」では推定されている。
前書きに「坦堂和尚を悼み奉る」とある。
知人の死に対する追悼の句である。

地に倒れたのは芭蕉か? この句にある「地に倒れ」たのは、芭蕉なのだろうか。
悲しみのあまり、地面に倒れ伏す芭蕉。
倒れたまま、桜の木の根元に寄りすがる。
これもまた「劇的」なシーンである。

知人の死を悼むように花びらが散っている。
故人は、花を愛した俳諧師であったのだろう。
その花が、ひらひらと散っている様は、故人との別れを惜しんでいるようである。
そういう情景を芭蕉は演じようとしたのだろうか。

地に倒れたのは担堂和尚か? また、「地に倒れ」たのは、担堂和尚であるようにも受けとれる。
旅に死すというイメージである。
旅の途次で病が高じてか、担堂和尚は地面に倒れ伏す。
傍らで桜の花が咲いている。
せめて桜の花の下で死のうと、木の根元へ身を寄せる旅人。
やがて、花に包まれた旅人の亡骸が、桜の下で発見される。
そういう「劇」も思い浮かぶ。
芭蕉もまた「野ざらしを心に風のしむ身かな」と「劇」的に宣言した旅人なのである。

担堂和尚の死を、地に落ちた花…

三尺の山も嵐の木の葉哉

私ぐらいの年代(1951年生まれ)では、一尺が約30cmであることを知っている。
したがって三尺は、約90cmとなる。
また三尺(さんじゃく)と聞けば、子供のころ着ていた浴衣の帯のことを思い出す。 子どものころ生活した家の、畳の短辺の寸法も、三尺に近い値だった。
現在では、ベニヤ板やコンパネなどでサブロク板といえば、三尺×六尺の大きさの板のこと。 90cm×180cmは、ホームセンターなどで売られているベニヤ板やコンパネのポピュラーなサイズである。
このように三尺は、今でも身近な存在である。

三尺の山も嵐の木の葉哉 松尾芭蕉

元禄三年十二月末の句とされている。
前書きに「大津にて」とある。
芭蕉が「おくのほそ道」の旅を終えて、上方近辺を漂泊した時期の作である。
元禄三年の大晦日ごろに、芭蕉は京都から大津の義仲寺(ぎちゅうじ)境内の無名庵(むみょうあん)に移っている。

さて、掲句の「三尺の山」については、インターネットにいろいろな書き込みがある。
その多くは、「三尺の山」は存在しないというもの。
この句の「三尺の山」とは、きわめて低い山のたとえであるという「解釈」がほとんどである。

それは上五の「三尺の」の「の」を、比喩に用いられる格助詞としているからだろう。
そこから、「三尺しかないような低い山も」という「解釈」を導きだしている。

そこで、古文の格助詞「の」について調べてみると、「比喩」の働きをもつ格助詞「の」は、用言を修飾する連用修飾語になるとのこと。
ところが、「三尺の」に続く「山」は体言(名詞)である。
この句に用言は無い。
体言と助詞だけでできた句なのである。

もしかしたら芭蕉は、「山」の前につけるべき「低い」とか「小さい」とかの形容詞を省略して、「三尺の」でその省略した形容詞を修飾したのだろうか。
とすれば「山も」の「も」は、強意を示す係助詞の「も」であろうか。

高い山は風当たりが強いので、嵐の影響を強く受けるのは当然のこと。
このたびは、三尺しかないような低い山でも、まあ嵐の影響で木の葉がすっかり散ってしまっている。
それだけ今回の嵐は強烈だった。
というような。
だが、それではあまりにもそのまんま過ぎる。

私は、違うイメージを感じている。
「三尺の山」は義仲寺の庭に存在したのではあるまいか。
三尺の石灯籠があるように、三尺の作られた山があったのではないか…

津軽半島中泊町の「不動の滝」への遊歩道が、土砂崩れのために通行不能だった

イメージ
私の知っている限りでは、津軽半島にふたつの「不動の滝」がある。
五所川原市飯詰の「不動の滝・不動滝」。 中泊町中里の「不動の滝」。
「不動の滝・不動滝」という名の滝は、全国に多くあるらしい。 ご近所では、岩手県八幡平市にある「不動の滝」。 昔の修験者の道場だったと伝えられている。 滝の左岸に不動明王が安置されているという。
全国の「不動の滝・不動滝」も、不動明王がその名の由来になっている滝が多いとのこと。 かつての「行場(ぎょうば)」※だった滝が多いとか。 はたして、津軽半島の「不動の滝・不動滝」はどうなのだろう。 津軽山地を闊歩した修験者の滝だったのだろうか。 【※行場とは、修験道の修行道場】
今日は愛犬の散歩がてら、中里の「不動の滝」見物にでかけた。 が、残念ながら滝の手前100メートルぐらいのところで土砂崩れが発生していた。 そのため、遊歩道が通行不能になっていた。
狭いV字峡谷の奥にある滝なので、滝に近づくほど谷は険しくなっている。 そのせいで、滝に近づくほど土砂崩れの痕跡が目立っている。
この谷は、土砂崩れが常に発生しているような地形である。 こんな場所に遊歩道を作って観光客を呼び込んでよいものだろうかと、私的には心配になるような峡谷である。
ところどころに「落石危険」の看板が立っている。 「転落危険」の看板も見える。
遊歩道入口の看板には、「危険箇所もあるので、自己責任で行動して下さい」というような意味合いの注意書きが記されている。 たしかに命がけの修験者なら「自己責任」で通じると思うが、老若男女の観光客ではどうなのだろう。
遊歩道は、スタートから行程の三分の一ちょっとは、深谷沢の右岸に設けられている。
途中で沢を越えてから遊歩道は沢の左岸に替わる。

道が左岸に替わったあたりから谷が急峻になる。
沢から15メートルぐらい上がった山肌についている遊歩道を歩くことになる。 深谷沢は中里川の支流(枝沢)で、この沢の名が谷の険しさを示している。
幅1メートルぐらいの平坦な遊歩道は、よく整備されている。 滝までは、1kmちょっとで、片道徒歩20分~30分の行程である。
よく整備された遊歩道ではあるが、行程のあちこちに土砂崩れの痕跡がある。 大雨の翌日などの入山は、やめたほうが良いと思う。
「不動の滝」への遊歩道入口周辺は、「滝ノ沢ふるさと砂防愛ランド」という親水…

安藤サクラと江口のりこが、うりふたつに見える

2014年後半のNHKの朝ドラは、「マッサン」だった。
ドラマの主人公は、大正時代から昭和にかけて、国産のウイスキーづくりに情熱をかたむける造り酒屋の長男。

「マッサン」というのは、この主人公のニックネームである。
ニッカウヰスキーの創業者の、竹鶴政孝氏をモデルにしたドラマだとされている。

このドラマのはじまりの頃に、主人公が若い頃勤めていた大阪の住吉酒造というちいさな造り酒屋のシーンが登場する。
その会社の事務員を演じている女優を、私は「安藤サクラ」だと思いこんでいた。

面長な顔に、一重のちょっとはれぼったいような目。
私から見れば、彼女は安藤サクラにそっくりなのである。
ドラマのタイトルバックに流れる役者名にあまり注意しない私は、そのまちがいに気づくことはなかった。
「安藤サクラ」の演技って面白いなあと思っていたのだった。

2015年のNHKの大河ドラマは、「花燃ゆ」。
このドラマの主人公は、吉田松陰の妹である文(フミ)。
井上真央さんが演じておられた。

そのフミが、長州藩の奥御殿につかえるシーンで、また「安藤サクラ」が「女中頭補佐」のような役柄で登場した。
ここで「安藤サクラ」は、「マッサン」のときとは違う印象で演じていた。
私は、「安藤サクラ」ってなかなか存在感のある女優だなあと思ってドラマをみていたのだった。

そして、今年後半の朝ドラ「まんぷく」に安藤サクラは主役で出演している。
「えっ!」と私は思った。
「マッサン」や「花燃ゆ」のときとぜんぜん表情が違うではないか。
さすが安藤サクラは名優だね、ドラマの内容に合わせて自分の顔をイメチェンできる女優なんだ。
と感心してしまった。

昨夜、NHKの「LIFE!~人生に捧げるコント~」をみていたら、「安藤サクラ」が「自撮り」というコントに年増のOL役で出ていた。

このとき、私ははじめて違和感をおぼえた。
違和感をおぼえつつも、感心もしていた。
「まんぷく」とは違う表情に豹変していたからだ。
「安藤サクラ」って、顔つきをガラリと変えることができる女優なんだ。
ちょっとチャラけたような、こんなセリフの言い回しもできる女優なんだ。
と感心したのだ。

安藤サクラが「まんぷく」で笑顔を演じるときの三日月目は、なんとも愛嬌のある演技だが。
「LIFE!~人生に捧げるコント~」では、ときおり見せるややシャープな視線。
こうま…

無雪期の高地場山登頂と、山腹のすばらしいヒバ林

イメージ
有雪期や無雪期に、「滝沢山地」にある名前のない山、道のない山にちょくちょく登っている。
今日は、「滝沢山地」では貴重な名前のある山に登った。
去年の春の残雪期にスキーで登った高地場山(たかじばやま:標高459m)である。

高地場山は、名前はあるが道(登山道)のない山。
無雪期に「滝沢山地」の、名前があって道のない山に登るのは、葉抜橋山(はぬきばしやま:標高615m)以来2度めである。

「滝沢山地」で、名前がなくて道のない山で好きな山は、なんと言っても大毛無山南尾根に鎮座する734峰
赤沢から平沢への峰越ハイキングは、今でも忘れられない「滝沢山地」のパノラマコースであった。

それは、さておき。
「滝沢山地」はほとんどが国有林で、自然公園ではないので遊歩道は備わっていない。
道と呼べるものは、営林署が管理している林道ぐらいである。
その林道も、現役の伐採道だったり伐採道が廃道になったりで、遊歩道には向かないものばかり。

東北森林管理局では、『「レクリエーションの森」「スキー場」「野営場」「登山道」「その他遊歩道」「休憩小屋等の施設が設置されている箇所」に入林する場合は、事前の入林届の提出は不要です。』とサイトに注意事項としてアップしている。

私の入山は、「入林届の提出は不要です。」という枠からはちょっと外れていると思う。
だが風変わりな森林愛好者として、かんべんしてやってください。

さて、平沢林道沿いの平沢には、一ヶ所だけコンクリート製の立派な橋がかかっている。
大型のダンプカーでも渡れそうな橋だが、橋の両端に自動車道路はない。
特に橋の山側は、下の写真のように、深いヤブになっている。

橋を渡って、すぐ右手のヤブの中へ入り、少し進んでから左手に曲がる。




すると、下の写真のような踏跡がついている。 かつての林道跡のようなところに、かすかについている踏跡をたどって、ゆるい傾斜を登る。



踏跡は、ミズが群生している原っぱを横切って上へとのびている。 ここのミズは、茎が細め。 探すと、手頃に太いものもあるので、帰りにいただくことにしよう。



林道跡(伐採道の廃道)は、ゆるい傾斜地を登ったり下ったりして続いている。 草薮に覆われているので、ちょっと分かりにくい。 去年の春の残雪時には、明確だったのだが、すっかり草薮に隠れている箇所もある。 残雪時の記憶をたよりに進む。





しばらく歩…

選挙候補者掲示板の支柱が単管(鉄パイプ)で組まれていた

イメージ
青森市議会議員一般選挙の投票日は10月28日(日曜日)。
10月21日が告示日となっている。
告示日には、候補者のポスターが掲示板に貼られる。 その掲示板を取り付ける支柱が、公園に組まれていた。 いつもは木製角材で組んでいたような気がするが、今回は単管で組んである。
台風の時期なので、頑丈な部材を使っているのだろう。 単管とは、おもに建築工事現場の足場補強材として使われている鉄パイプのこと。 単管パイプの略称である。
単管を組み立てるための金具に、クランプとジョイントがある。 クランプには、直交クランプと自在クランプがある。
直交クランプは、単管同士を直角に交差させて固定する締め金具。 自在クランプは、単管同士を自在な角度に交差させて固定する締め金具。 付属のボルトのナットを締めて、強く固定できる仕組みになっている。
ジョイントは単管同士をつなぐ金具のこと。 直線方向につないだり、コーナーをつくってつないだり、T字状につないだり、いろいろな機能を備えたジョイントがある。
写真の掲示板の支柱は、直交クランプと自在クランプだけで組み立てているように見える。 単管についての多少の取扱知識があっても、素人ではこんなにきれいには組めない。
建築工事現場の足場を組むのは、鳶(とび)職人の仕事である。 単管を整然と組む技術を持った職人でなければ、安全な足場は組めない。 この単管の掲示板支柱も整然と組まれているので、専門の鳶職人の仕事に違いない。 単管は、こんな使い方もできる便利な部材である。
「青森ねぶた祭」の観覧席(桟敷席)もこの単管で組まれている。 もちろん組んでいるのは、専門の鳶職人である。 このほか、フェンスとか仮設小屋とかパーゴラとかビニールハウスの設営などに単管が応用されている。 また、悪しき使用例として、「鉄パイプ」という呼び名で、1970年代に「過激派」の凶器として使われたこともある。

単管は、ホームセンターなどで売られていて、一般の人でも入手することができる。
心得とラチェットレンチなどの道具があれば、単管での簡単な工作物なら一般の人でも製作可能である。
青森では、単管を用いた雪よけの柵や、簡易カーポートなどをときおり見ることがある。

工作資材としての単管のよいところは、安価で丈夫で取扱が比較的簡単であること。
溶融亜鉛メッキ(ドブメッキ)で仕上げられている…

スポンサードリンク