2014/01/31

指の爪を切りながら考えたこと

手の写真
器用に動く左右の指。
手の指の爪を切っていたとき、気がついたことがあった。

足の指の爪は、右手だけで切れるのに、手の爪を切るときは、左右の手を交互に使わなければならない。

自分で自分の爪を切る場合において、これは自然な動作なのだが。

2014/01/30

大人の女性向けひな祭り商戦が盛ん

ひな人形のイラスト
簡易なひな人形のイラスト。
ひな人形の展示
先日、ショッピングセンターに入って驚いた。
正面入口すぐの、やや広いホール付近に、ひな人形が展示してあった。
簡素な二人飾りのもので6,000円ぐらい。
三段の十人飾りだと300,000円ぐらいのものまで。
華やかな春の雰囲気を漂わせていた。

雪囲いの板の隙間から青空が見えた

雪囲いの雪が融けた
雪が融けた雪囲い。
昨日の青森市は、真冬日だった。

最高気温が、マイナス1.0℃。

最低気温が、マイナス5.5℃。


ところが、今日の13時現在の最高気温は9.8℃。

青森県内は、どこも、今年に入ってからの、この冬最高気温を記録している。

2014/01/29

もうひとつの「伝説のチョコレート」

(恐れ入りますが、お食事前の方や、食事中の方は、お読みにならない方が良いでしょう。)

バレンタインデー用ハート型チョコレート
バレンタインチョコレート。
「チョコレートの思い出って、ある?」と問われれば、「ある!」と答える人は少なく無いだろう。

たいていは、バレンタインデーに関連した、美しい思い出話が多いのだろうが・・・。

私の場合は、「虫下し用板チョコ」の思い出。


「虫下し」とは、体内に寄生する寄生虫を、排便とともに対外に排出すること。

おもにカイチュウの駆除を目的に、「虫下し用板チョコ」が登場した。

体内にカイチュウを「保持育生」している人が、「虫下し用板チョコ」を食べて、寄生虫を体外に排出する。

私が小学生だった昭和30年代では、田園地帯に暮らす児童の大部分が寄生虫に感染していた。

感染は、学校で定期的に行われる検便で判明する。

昭和30年代の津軽地方では、自家消費用の野菜作りに人糞を肥料として使用していた農家が多かった。

これが、寄生虫が蔓延した原因である。

しだいに化学肥料が普及するようになって、カイチュウの感染は大幅に減った。

私はその板チョコの名前を「サントニン」と記憶していたが、「サントニン」とは駆虫薬の名前で、「虫下し用板チョコ」の薬品名では無いらしい。

ネットで調べてみると、「虫下し用板チョコ」の正式名は「アンテルミンチョコレート」というそうだ。

「アンテルミン」という名前は、全く記憶にない。

あのチョコレートのような味をしていて、食べると、視界に黄色のフェルタをかけられたようになった薬の名前は、「サントニン」としか覚えていない。


それはさておき、現代ではもう、「虫下し用板チョコ」も、人体に寄生するカイチュウも、伝説になりつつある。

あれは果たして本物のチョコレートであったのか、それともチョコレート擬きであったのか。

いずれにしても、今風の、美しくラッピングされたバレンタインチョコレートとは、比ぶべくも無い。


世の中には、「伝説のチョコレート」というものがあるらしい。

それは、地中海のシチリア島の美しい町モディカに伝わるチョコレート。

独特の製法で作られた特徴あるチョコレートは「モディカチョコレート」と 呼ばれている。

伝説のチョコレート、モディカチョコレートの作り方は、マヤ文明の時代から伝わる製法であるという。

今年も、華やかなバレンタインデーで、「モディカチョコレート」がもてはやされることだろう。

「モディカチョコレート」を介して、様々な愛が語られることだろう。


では、先にあげた「虫下し用板チョコ」の、「伝説」はどうであろう。

「虫下し用板チョコ」は、華麗さを誇る表社会のチョコレートに対して、裏社会的である感を免れ得ない。

その当時は、今よりもかなり高級品であったチョコレートを、「低級な衛生環境」に原因する寄生虫の、駆除に利用したのだ。

チョコレートは美味しくて、社会の高級層につながる夢の食べ物。

それを駆虫薬の普及に利用した。

つまり、表社会の正統性(高級チョコレート)を、裏社会に持ち込んだのが「虫下し用板チョコ」である。

そして、化学肥料の普及とともに駆逐された寄生虫の、劇的な減少は 、同時に、「虫下し用板チョコ」を駆逐したのである。

今、カイチュウのいない世界で、華麗にバレンタインデーを楽しむ人々は、いつのまにか「虫下し用板チョコ」の存在を忘れてしまった。

名前さえ忘れ去られて、「虫下し用板チョコ」は、遠い伝説の世界に追いやられてしまったのだ。

もうひとつのチョコレートの伝説は、こうして作られた。

「人糞肥料」が不要になったおかげで虫が駆逐され。

それに伴って、「虫下し用板チョコ」が駆逐される。


自身が否定したものに、自身の存在を否定される。

製作者にしては、意図に反した結果のパラドックス?な伝説。


これが、もうひとつの「伝説のチョコレート」の「製法」かもしれない。

2014/01/28

バレンタインデーのチョコレートとジャック・ニコルソン

バレンタインデープレゼント
バレンタインプレゼント。

バレンタインデーが近づくと、スナックのママはチョコレートを買い集める。
それは、バレンタインデーに彼女の店を訪れたお客に、義理チョコをプレゼントするため。
スナックのママは、チョコレートを探しながら、「バレンタインデー」という言葉で連想できるものをいろいろと考えてみた。
もちろん、真っ先に「愛」とか「恋」とかが頭に浮かんだのだが。

その次に、昔観た映画の事も思い出した。
若い頃、恋人と観た「聖バレンタインの虐殺/マシンガンシティ」というギャング映画。
1967年製作のアメリカ映画を、ママとその恋人が観たのは’80年代半ばぐらいだったか。
ビルの地下にあった低料金の洋画専門館でだった。
この映画は、アメリカのシカゴで、実際に起きたギャングの抗争事件を題材につくられたもの。

ママはその頃、か弱い女の子だったから、ギャング映画なんか観たくはなかった。
1968年製作、オリヴィア・ハッセー主演の「ロミオとジュリエット」を観たかったのだ。
彼女は布施明のファンでもあった。
が、彼氏に「けっ、あんなもの」と却下されてしまった。
昔の彼氏が「けっ、あんなもの」と吐き捨てた対象は、「ロミオとジュリエット」の映画だったのか布施明だったのか、彼女は今も見当がつかない。

さて、ギャングの抗争事件に話をもどそう。
その虐殺事件は、1929年2月14日に起き、当時、「聖バレンタインデーの虐殺」とか「聖バレンタインデーの悲劇」とか「血のバレンタインデー」とか呼ばれていたもの。
「虐殺」とか「悲劇」とか「血」とかが「バレンタインデー」の語につながっていて、それは、バレンタインデーのイメージを、残虐なものに塗り替えるのに充分であるように思われた。
そう思い込むと、「バレンタイン」という語の響きが、どこかギャングっぽいと感じてしまう若き日のママだった。

映画を観ながら、小心な彼女は、1929年の2月14日のシカゴの現実を見る思いであった。
警官を装った殺し屋たちが、敵対するギャングのメンバーを壁際に立たせて、マシンガンで瞬時に 射殺してしまう。
映画を観て、こんなにリアルな恐怖を感じたことは無かった。
彼女は、ギャングになりたいとか思っているわけではない普通の女の子だったのだが、自分はどこかでこんな虐殺事件の巻添えを食うかも知れないという強迫観念に囚われた。
いろいろな刺激に支配されやすい性質だったのだろう。

だから今も、バレンタインデーのために、せっせとチョコレートを買い集めているのだが・・・。
彼女はギャング映画なんかに興味がなかったので、「聖バレンタインの虐殺/マシンガンシティ」に出演している異国の男優はまったく知らなかった。
その中で、彼女の関心をひいたのは、虐殺現場である倉庫へ、殺し屋達を乗せていくトラックの運転手のチョイ役で出ていた存在感のある男性。
癖のある笑顔。
彼氏に聞いても、知らない俳優だという。
憂い顔がどこか布施明に似ていると、どういうわけか彼女は思ったのだった。

彼女は後に、この男優の名前を知ることになるが、この映画ではチョイ役でクレジットもなかった。
そして、すっかりファンになって、「チャイナタウン」「カッコウの巣の上で」とジャック・ニコルソン主演の映画を次々と観るようになる。
だから、彼女のバレンタインデーで連想するイメージのなかに、ジャック・ニコルソンの顔が大きく登場するのは言うまでも無い。
「聖バレンタインの虐殺/マシンガンシティ」の映画を一緒に観た、当時の彼氏の顔は、もう思い出せない。

彼女は、店の壁に、大好きなジャック・ニコルソンの「シャイニング」の写真を掲げている。
それが、この頃のお気に入りの顔なのだ。
なぜか悲しげで、物憂げで、狂気なジャック・ニコルソン。
おお!バレンタインデーの日、カウンターの前には「シャイニング」を彷彿させるお客が数人。

積雪の少ない青森市内の冬?

降雪
大きな雪片が降って来た。
今年は、街に雪が少ない。
青森市内の現時点での積雪量(積雪深)は41センチ。
これは、同日同時刻の平年比の58%となっている。
つまり、平年の半分ちょっとの積雪しか無いことになる。

どうりで今まで、雪かきの回数が少なくて済んだ訳だ。
今年は雪かきが楽だ、という町の声を多く聞く。
冬の疲れが半減だ、という喜びの声。
積雪が少ないと、雪の多かった時がいかに大変だったかが分かる。

日々の生活の中に埋もれているブログのコンテンツ

パソコン
パソコンでインターネット。
「コンテンツ」とは、内容や中身を意味する言葉である。
私たちが日ごろ接しているテレビや新聞の記事は、その「コンテンツ」の質で評価されることが多い。
(1)新鮮で、面白いコンテンツか。
(2)有益で、多くの人々の役に立つコンテンツか。
しかし、既存のメディアである新聞の記事やテレビの番組のことを「コンテンツ」とはあまり言わないようでもある。

ところで、「コンテンツ」を「情報」という言葉で置換えても良いのでは、と思えてくる。

2014/01/27

雪の上の落葉

雪の上に落ちたケヤキの枯葉
雪の上に突き刺さったケヤキの落葉
白い雪の上に、ケヤキの枯葉が突き刺さっていた。

見上げると、ケヤキの木の枝は、まだたくさんの枯葉を残している。

あたりの木々は、すっかり枯葉を解き放ったのに。

もう1月も終わりだというのに、一体いつまで枝に付いているのだろう。

2014/01/24

もし、粒の細かい砂のようにさらさらした、乾いた雪が降ったら

雪の中の犬
フフフ、青森の雪は心地よいかも。
昨夜もちょっと降雪があり、駐車場の雪かきに追われた。

夕べの降雪は、比較的軽めの雪で、スノープッシャーで寄せ集める作業が楽だった。

日本の慣習的な雪の分類では、灰雪ぐらいの レベルだろうか。

軽いが、水分も適当に含まれているので、寄せ集めると雪片同士が結合するタイプだ。

2014/01/19

酸ヶ湯温泉から地獄沢の辺りまでスキーハイキング

湯坂
酸ヶ湯温泉裏の湯坂ゲレンデ。
青森市の朝の天気は、晴れ渡った上天気。

だが、家の前の雪かきやら、犬の散歩で、山への出発が遅れた。

トラックにスキーやリュックを積み込んで、家を出たのが10時過ぎになった。

八甲田スキー場を過ぎるあたりまで、上天気が続いたが、酸ヶ湯温泉の駐車場に着いた頃は、すっかり曇り空。

2014/01/17

2014/01/16

屋根の形状と落雪の、気になる関係

寄せ棟造り
寄せ棟屋根。
切妻造り
切妻屋根。

上の2枚の写真は「寄せ棟屋根」(上)と「切妻屋根」(下)を同時刻に写したもの。

屋根面の向きは、どちらも南向き。

2014/01/15

雪かきの効率アップ、長靴に軽アイゼンで滑り止め

長靴に軽アイゼン
長靴に軽アイゼンを装着。
軽アイゼンを付けたまま長靴を着脱できる。
足元が滑る
家の駐車場に積もった雪を排除するために、スノーダンプを押しながら自動車道路を歩かなければならない。
雪捨て場の公園まで、十数メートルほど。
自動車のタイヤで踏み固められた自動車道路は、圧雪状態でよく滑る。

植木の雪囲いにおける屋根板(天井板)の隙間の幅について

雪の中の雪囲い
雪が積もった植木の雪囲い。
ここ数日の寒波襲来で、公園の植栽の雪囲いの屋根に、50〜60センチぐらい雪が積もった。
屋根に雪を満載しても、造園会社のプロが作った雪囲いはビクともしない。
古い木造家屋の屋根だと、このぐらい雪が積もれば、そろそろ雪下ろしが必要となる。

2014/01/14

超音波検査を受ける際の注意書

超音波検査とは、「超音波」を対象物に当てて、その反響を映像化する画像検査法。

「超音波」が体内の組織にぶつかってはね返ってくることから、エコー検査とも呼ばれている。

先日、胃内視鏡検査を受けた時に、腹部超音波検査をすすめられたので 、その予約をしたのだった。

そのとき、また、A4サイズの紙にプリントされた1枚の注意書を手渡された。

深夜の除雪排雪作業と、雪の有益な側面

深夜の排雪風景
ダンプカーに雪を積み込む除雪ドーザ。


夜の12時近くに、家の近所の道路で重機の音がした。
外へ出てみたら、排雪作業の真っ最中。
交通整理の係員が、通行する自動車を止めて、排雪作業が進行中だった。
最も交通量の少ない時間帯に、排雪作業は行われる。

排雪作業とは、以下の通り。
(1)度重なる除雪で道路脇の「雪堤」が大きく成長する。
(2)その「雪堤」を除雪ドーザのスノーバケットですくいあげ、ダンプカーへ積み込む。
(3)雪を積んだダンプカーは、青森市公認の雪堆積場へ走る。
(4) 雪堆積場(雪捨て場)に雪をおろす。
(5)(1)〜(4)を、予定が終了するまで繰り返す。

もちろん運搬排雪作業は、青森市の財政でまかなう行政サービスである。

「雪堤」とは、除雪の際に除雪ドーザが路上に積もった雪を道路脇に押し寄せて、盛り上げて作った雪の山。
これが道路に沿って列状に築きあげられるから、「雪堤」と呼ばれている。

大量の降雪が続くと、この「雪堤」の幅が広がり過ぎて、除雪作業だけでは自動車道路の通行機能を維持することが出来なくなり、運搬排雪作業が必要となる。

市民にとって、除雪は家の前に雪塊(雪堤)を置いて行くので、気分的に歓迎しがたいものだ。
多くの人々は、早朝から、その重い雪塊を人力排雪する労苦に耐えなければならない。

これをしないと、朝の出勤に、クルマを出すことが出来ない。
これに対して、排雪作業は大歓迎になる。
邪魔な雪塊が消えて、家の前の空間が広がり、気分がスッキリするからだ。

冬期でも無雪期同様に勤めに出なければならない市民にとって、雪は障害物と同じだということになる。
行動の妨げであり、生活の妨げなのだ。

しかし、雪は様々に有益な側面を持っている。
(1)スキーヤーに、楽しみの場を提供する。
(2)子ども達にも、ソリ遊びの楽しみや、雪だるま作りなどの雪遊びの楽しさを提供する。
(3)一部のマニアックな市民は、「雪かき」が密かな楽しみになっている。
(4)冬場の運動不足の解消・健康意識の発展。
(5)除雪や排雪、屋根の雪下ろしは、冬場の仕事(収入)の確保に繋がっている。
(6)雪に関連する商品の販売・消費活動の発生。
(7)スキー場などの観光・レジャー産業の維持。
(8)雪がもたらす情緒(文化・芸能・お祭り)が、雪国に暮らす人々の心の支えになっている。
(9)水資源の確保。
(10)雪国の暮らし(衣・食・遊・住)の知恵・方法自体の資産的な価値。
(11)雪は雪国の、海の幸・山の幸・畑の幸と共存。
などなど、思いつくままに。

深夜の除雪・排雪作業を眺めながら、ぞんざいに扱われている雪の有益な側面について考える。
ああ、もうひとつ。
ぞんざいに扱えるというのが、雪の有益な側面かも知れない。

雪のタフさが、雪国に暮らす人々をタフにしてくれるかも知れない。
雪に関わることで、地域の様々なコミュニケーションが発生する。
雪は、タフな共同体の出現の契機となるかもしれない。


ダンプカーと除雪ドーザ
除雪ドーザのスノーバケットからダンプカーの荷台に雪を運び入れる。

無人の家の屋根は、雪が落ちにくい

屋根雪
妻側の軒先へせり出した屋根の積雪。
この3連休中の寒波で、青森市内は60センチ近くの積雪があった。

休み中は、住まいの方の雪かきに追われて、仕事の事務所は3日間留守状態になった。

戸外の気温はマイナスで、家の中が暖房無しの冷えきった状態だと、屋根の雪は右の写真のような状態に。

2014/01/11

冬場の温かい下着の方法と、寒いタイツのモモヒキ

街の冬景色
寒々とした街の冬景色


いよいよ青森地方は厳冬期に入り、寒い日が続くようになった。

一日の最高気温がプラスにならない日が数日続くと市内は底冷え状態になる。

そんな寒さも、家の内では暖房でカバーできるが、屋外では衣類に頼るしか無い。

私にとって、決め手は下着。

私は特に下半身の冷えがひどいので、ズボン下(モモヒキ)の着用は必要不可欠。

このごろは、体にピッタリフィットするタイツタイプのモモヒキが、若者に主流のようだ。

高齢者用の、分厚いモモヒキは温かいが、屋外作業では、その厚さがモコモコしたり突っ張ったりして動きにくい。

これが疲れの原因になって、肉体疲労で体が冷えて寒かったりする。

その点、タイツのモモヒキはスポーティーで動きやすいが、私には寒く感じられる。

最近、ヒートテックとか遠赤外線とか、いろいろな機能を持っているというものが売り出されている。

が、私には、薄くてピッタリタイプは、冷たく感じられて 仕方が無い。

理屈はともかく、薄くてピッタリは、体験的にダメなのだ。

厳冬期に着用する下着で一番重要な機能は、保温力。

その保温力を保持している構造のひとつに、肌と衣類のあいだにある空気の層がある。

どれだけたくさんの温かい空気を蓄えられるかが、下着の保温機能の決め手だと私は思っている。


下着選びの方法として、脚にフィットする薄い生地のタイツは、冷たく感じられて、体験上よろしく無かったので排除。

目をつけたのが、ルームウエア(部屋着)のパンツ。

これは、タイツモモヒキよりは生地が厚く 、ゆったりした着用感である。

それでいて、トレパンほど厚くは無い。

ズボンの下に履くには、薄過ぎず厚過ぎず、手頃な「モモヒキパンツ」だ。

Lサイズを購入したが、脚の短い私には「モモヒキパンツ」の裾が ズボンの裾からはみ出てしまう。

ルーズソックスならぬルーズモモヒキだ。

それを靴下の内にしまい込むと、足首付近に温もりが感じられる。

ルーズモモヒキの効用。

これを採用した結果、厳冬期ではタイツよりもはるかに温かいものであることが解った。

脚の肌と「モモヒキパンツ」との間に出来た空気の層の温もりが伝わってくる感じが良い。

さらに、「モモヒキパンツ」とズボンの間にも、温かい空気の層が出来る。

レイヤー(重ね着)効果だ。

ただ、ズボンが風を通しやすいものだと、衣類の間に出来た温かい空気の層が逃げてしまうので注意が必要。

防寒は、冷たい外気の侵入を防ぐことも重要。

そこで、風の強い日の現場仕事ではゴアテックスの薄いオーバーズボンを着用するとほぼ万全。

これが、冬場の温かい下着の方法である。

ただ、ルームウェアの「モモヒキパンツ」は、股部の前が開いていない。

歳をとって、オシッコが近くなった者には、これがかなり不便ではあるのだ。

それが難点。

2014/01/10

公園へ人力排雪(雪捨て)するための雪かき用スロープ

降雪状況
昨晩からの降雪は40センチぐらい。
新年になってから初めて、まとまった雪が降った。

周囲の雪の状況を見ると、夕べから今朝にかけて35〜40センチぐらいの降雪があったと思われる。

テレビニュースで、この冬一番の寒気が列島上空に流れ込んだ影響で、青森県内は本日、冷え込みが強まり、津軽や上北の一部で大雪となった、と報じられている。

2014/01/09

肉体を道具(物質)として客観視する意識の存在

昨夜は不思議な夢を見た。

たぶん、昨日の胃内視鏡検査の影響からだろう。
胃内視鏡検査の最中に、私はモニターに映し出された自分の胃の中の様子を凝視していた。

そのフィジカルな空間を、恐る恐る眺めていた。
だが、夢の中に胃の画像は出てこない。

久しぶりに、川でカヌー(カヤック)に乗っている夢だった。

現実に、15年ほど前まで、私は、少々ベテランのカヤックの漕ぎ手だった。
カヤックをやめてから久しいのだが、夢の中では、またカヤックを始めようとしていた。

しばらくぶりのカヤック漕ぎだったから、恐怖感もあって、なかなかうまく漕げない。
バランスを崩して水の中へひっくり返ってばかりだ。

周囲のカヤックの乗り手たちから、あきれ顔をされていた。

パドルもカヤックも一流品だったが、 乗り手は初心者だと、みんなあきれ顔なのだ。
そこで、誰もいない場所で特訓して、昔の私に復活しようと、流れの穏やかな川の流域にカヤックを担いで歩いて来た。

そこは流れの無い、カヌー乗り達から「静水」と呼ばれている状態の場所だった。
私は初心者の頃を思い出して、トレーニングに励んだ。

すると、昔のカンを取り戻したというのか、だんだん思い通りに操作できるようになった。
パドル(櫂)もカヤック(舟)も、もう自由自在だと感じた。

パドルもカヤックも一流品だったが、もう昔のものなので、だいぶくたびれている。
これは年齢相応の肉体なのだ、と思っている自分がいた。

そう思ったとき、パドルは自分の腕と手に、カヤックは自分のボディに変わっていた。
私は、自分の手でバランスと推進力を得ながら、自分のボディに乗っていたのだ。

私の肉体を操っている、肉体から離脱した私という存在。
そこで、目が覚めた。

布団の中で、不思議な夢だったと思うのと同時に、「夢の意味」を理解したような気になった。
夢というものは、現実離れした変なものばかりなのだが・・・。

私がこの夢を「不思議な夢」 と感じたのは、「夢の意味」を理解したような気になったからだ。
実に暗示的な夢だったから、「不思議な夢」と感じた。

私は胃内視鏡検査で自分の胃の中をモニターで見ながら、自分の胃に対する現実感を味わっていた。
そして、自身の胃の中を 眺めている自分を、意識の端で、夢のようだと感じた。

しかし、どれも現実なのだ。
私の胃の中も、私の意識も。
私という肉体と、私という意識。

ひょっとしたら私は、モニターの中に、私という意識から切り離された自身の肉体を見ていたのかも知れない。
胃内視鏡検査の最中に、私は肉体を客観視している醒めた意識を感じていたような気がする。

たぶん、それが夢にあらわれたのだ。
それは、肉体を道具(物質)として客観視する意識の存在だ。

スピリチュアリズムとか、 心霊主義とか、そういうことはよく解らないが、自身の肉体から離脱して自身を操り自身を見ているような、自身の意識の存在を感じたような気がした。
胃内視鏡検査のモニターを見て、そう感じ、カヤックの夢を見て、そう体験した。

高齢になって老いた肉体を、私は客観視しながら自身の肉体とつきあっていかなければならないことは、夢ではなく、現実のことなのだから。

2014/01/08

胃内視鏡検査(胃カメラ)からピロリ菌検査へ

今日は、予定通り胃内視鏡検査(胃カメラ)を受けた。

午前10時に胃腸科医院へ。

体温測定。

血圧測定。

脈拍測定。

その後、診察室へ。

2014/01/05

冬の奥入瀬渓流から十和田湖、八甲田山酸ヶ湯温泉へ

休憩所
奥入瀬渓流石ヶ戸(いしけど)の手前の休憩所。トイレ有り。
暖房もある。奥の建物は売店・食堂。


正月休みの小ドライブは、冬の奥入瀬渓流見物と十和田湖見物。
十和田湖からの帰り道に八甲田山を抜けた。

焼山から北八甲田田代平を通り、火箱沢林道から酸ヶ湯温泉へ。
冬の八甲田山の山岳道路は、除雪が行き届いており快適なドライブを楽しめた。

十和田湖は、正月休み期間だというのに、観光客の姿は無かった。
子の口から弘前方面に向かう道路は除雪されていない。
冬の十和田湖一周ドライブは、無理のようだった。

営業している店や旅館も少なく、ひっそりと静まり返っている。
奥入瀬渓流の方は、冬の渓流や滝を撮るのが目的のカメラマンがちらほら。
渓流沿いの自動車道路は、行き交う自動車もまばらだった。

観光地は、静まり返って、安息の時を過ごしている。
静かな観光地が良いという人もいるが、観光地は賑わいの場。
静かな場所なら、別に観光地じゃなくても、いっぱいある。

廃れた建造物。
静かな観光地にあるのは、独特の廃墟感。

冬の十和田湖はただ寒々としていて、旅情も哀愁も感じない。
大きな湖がどっかりあるというだけの風景では、情緒が無い。

人々の暮らしから湧いて出る活力が見えないのだ。
観光とは、その場所に行って元気をもらうこと。

「漁業と十和田湖」とか「産業と十和田湖」とか「温泉歓楽街と十和田湖」とか、そういう俗っぽい人の活力が感じられてこその観光地なのだろう。

「風光明媚」とか「花鳥風月」とか「雪月風花」とか、そんなムードだけでは人は見物に来ない。
和歌的な情緒よりも俳諧的な活力を。

冬の国立公園「十和田湖」は、つんとすました感じで面白くない。


雪の奥入瀬渓流
雪の奥入瀬渓流。


奥入瀬渓流
冬木立に囲まれた、静かな水面の奥入瀬渓流。


馬門岩のつらら
馬門岩に垂れ下がったつらら。


対岸の馬門岩
道路対岸の馬門岩。


馬門岩のオーバーハング
巨大な馬門岩のオーバーハング。


奥入瀬渓流の静寂
奥入瀬渓流の静寂の空間。


雲井の滝
雪の中を流れ落ちる雲井の滝(写真奥)。


雲井の滝近景
雲井の滝近景。


銚子大滝
銚子大滝とつらら。


十和田湖の白鳥
十和田湖の湖面に浮かぶ、つがいの白鳥。休屋にて。


十和田湖
一瞬、十和田湖に陽がさした。


十和田湖遊覧船
休屋桟橋に停泊している十和田湖の遊覧船。


酸ヶ湯温泉
北八甲田大岳山麓の酸ヶ湯温泉。


湯坂
酸ヶ湯温泉裏手の湯坂。まだ雪が少ない。

2014/01/04

葉の落ちた裸木を華やかにする雪の花

公園の樹木
落葉した木の枝に雪の花がつく。


昨夜、少し雪が降った。
落葉した公園の樹木の、裸の枝に白い雪が付いて、花が咲いたようだ。
裸木(はだかぎ)とは、冬になって落葉を終えた樹木のこと。

まとっていた紅葉を衣服に例えたのだろう。
鮮やかに彩られた葉が、すっかり散って、裸になった木。

寒々とした印象だが、木としての存在感を強く感じる。
裸木と同じ意味合いで、枯れ木という言葉がある。

枯木とは、葉がすっかり枯れてしまった木のことだが、木自体が枯れているような印象がある。
生命感が感じられない。

生命感と言えば、生命感あふれる新緑の木もいい。
生き生きと輝く紅葉の木もいい。
だが、一糸まとわず、天に向かって枝を差し伸べた裸木も美しい。

その美しい裸木に新雪がまとわりつくと、白い花盛りになる。
こうして見ると、冬には落葉樹がよく似合う。
公園には、ツゲやアオキ、カイズカイブキなどの常緑樹もあるが、見た目が、季節による変化に乏しい。

裸木は、辺り一面雪の原になると、黒々としたシルエットを空に浮かび上がらせる。
凛として立っているその影は、生命の形なのだ。
裸木の生命感は独特である。

血管のように枝を張り巡らして、この空間を息づかせている。
天に枝を差し出して、空の呼応を待っている。
それに応じるように、天が裸木に白い花を咲かせる。

鈍色の雲の間から、うっすらと青空が顔を出し、陽が射し込めば、公園の樹木が、歓喜の静寂を震わせる。
そのかすかな空気の振動が、見る者に感動を与えるのかもしれない。

落葉した裸木を華やかにする雪の花。
「雪の生命力を感じようではないか。」
堂々としたケヤキの大木が、そう言っているような雪景色の中で、呆然としている犬と私。


公園の木立
公園の木立が生き返ったような。

雪を被った大きな木
大きな木の雪の花は見応えがある。

青空と雪の花
うっすらと青空が顔を見せる。雪の花は一層華やかになる。

2014/01/02

胃内視鏡検査(胃カメラ)を受ける際の注意

健康犬
雪の中でも寒がらず、たくましく、健康そのもの。
大腸内視鏡検査を受けたとき、担当の医師から胃の内視鏡検査もすすめられたので、検査を受けることにした。

胃の検査は、大腸の検査ほど大変ではなかろうという「期待感」も手伝って、この際検査を受けようという気になったのだ。

検査日は、今月の8日。

検査日を予約した日に、A4サイズにプリントされた「胃内視鏡検査(胃カメラ)を受ける方へ」という注意書を手渡された。

2014/01/01

津軽地方の農耕馬のイラストを添えた年賀状

年賀状デザイン
2014年賀状。


今年は午年だということで、年賀状に馬のイラストを添えた。
上の年賀状の画像の馬は、馬といっても農耕馬である。
私が育った津軽半島の寒村では、私の記憶が正しければ、昭和34〜37年頃まで農耕馬を用いての農作業を行っていた。
まだ道路の除雪が行われていなかった頃は、積雪期の移動手段として馬橇を使用していた。