2012/02/29

閏日の春の耳鳴り

今日は晴れ。
上空に青空が広がって、気分の良い日です。
昼頃の気温は3℃。
気温が高いせいか、積もった雪がうなだれて、水っぽい感じに見えます。

昼食後、軽い耳鳴りがあります。
耳鳴りの経験はあまり無いのですが、今日はジージーと、遠くで蝉が鳴いているような感じの耳鳴りです。

午前中は感じませんでした。
昼食後、事務所に戻って暖房を点け、部屋の中が温まってきたなと感じた頃から、ジージー鳴り出したのです。

季節の変わり目の耳鳴り。
今日が閏日だからという訳ではないでしょう。
この春めいた気候は関係があるかも知れません。
気候が暖かで、部屋の中も温かくなったという環境の変わり目みたいな時であるから、耳鳴りが起ったのでしょう。

それに昼食直後であるのも関係があるかも知れません。
今日が閏日で、2月の月末であるのも原因かも知れません。
月末は、なんやかやの支払いで、お金が出ていきますからね。

この耳鳴り、事務所の外の冷気に触れると、気にならなくなります。
それだけ、晴れた冬の外の空気が心地好いのです。

疲れも耳鳴りの原因かもしれません。
昨夜は、何度も犬が吠えて、その度に目を覚ましました。
よく眠れていないのです。

あと、考えられる原因は、風邪のひき始め?
今日は目立って鼻水が出ます。
喉もちょっといがらっぽい。
ひょっとしたら、花粉症?

いずれにしても、険悪さは感じない症状です。
自己診断ですが、病気が原因しているとも思われません。

そうこう思っているうちに仕事の電話が入り、打ち合せその他色々話して電話を切ったら、
耳鳴りは静かになりました。
ほとんど消えている状態です。

ともあれ、季節の変わり目は、身体に変調をきたしやすい時期でもあります。
自律神経の失調など、注意が必要です。
日常の健康生活の方法にチェックを入れる時期かもしれません。

突然湧いて出て、静かに消えて行った「春陽気の耳鳴り」。
「閏日の春の耳鳴り」でした。

2012/02/27

雪が降ればコンビニが混む

「風が吹けば桶屋が儲かる」というのは、日本のことわざだったか、笑い話だったか。
その「論証」には、いろんな俗説があって、本当のところどうなのかは不明のようです。

この地域では、しばらく止んでいた雪が、昨夜から今日の日中にかけて降り、今日の夕方で15〜18センチほどの積雪になりました。

あちこちの家々で、雪片付けの人影が動き回り、また「雪運び」が活況を呈しています。
「雪が降れば、人が雪片付けで動き回る」のは当然の事ですが、「雪が降れば、コンビニが混む」ようなのです。
私の見た限りでは、雪が降り続いている日はコンビニが混んでいることが多いです。

2012/02/25

スナック菓子ばかり食べていると・・・。

知り合いの男の子(5歳)が、スナック菓子を2袋抱え込んでいるのを見て、思わず、
「そんなにスナック菓子ばっかり食べていると、骨が弱くなるよ」
と言ってしまいました。

言ってしまってから、今言った事は本当に正しいのだろうか、という疑念が生じました。

その瘠せ気味の、骨格の弱そうな男の子の体格につられて、何気なくそう言ってしまったのです。
その子どもが、スナック菓子を多食している様子に、あまり良い印象を持っていないことも事実です。

その男の子の性癖に対して、大人げなく、皮肉を言いたかっただけではないか・・・。
その皮肉に、根拠が無いとしたら・・・。
というような不安が湧いた訳です。

食べ過ぎたスナック菓子の満腹感で、栄養が偏る。
日頃、私は「スナック菓子」とよく言っているが、スナック菓子とはどんなものかよく解らないということもあります。
そこで、ネットで調べてみると、下記のようなものである事が解りました。

スナック菓子とは、軽食の代わりに食べられる菓子類の総称で、炭水化物(主に、いも類・豆類・トウモロコシ)を食用油で揚げて作られたものだということです。

スナック菓子は子どもにとって口当たりが良く、ついつい食べ過ぎてしまう傾向が強いようです。
そのため、スナック菓子を食べているだけで満腹になってしまい、本来の食事を遠ざけてしまうことになり、栄養が偏ってしまうという問題が発生する可能性もあるということです。

リン酸塩の摂り過ぎが、子どもの骨の成長を妨げる。
一般に加工食品の多くには、食品添加物が使われています。
スナック菓子に使われている食品添加物の「リン酸塩」は、摂りすぎると体内のカルシウムを体外に排出する働きがあるということです。
このため、子どもの骨の成長を妨げるおそれがあると言われています。

なるほど、私の言ったことは当たっていないことも無いわけです。

ほぼ自然食品で育った私達の年代は、特に農村育ちの同年代の人達は、加工食品を敵視してしまいがちです。
加工食品の中には、摂りすぎると身体に有害な食品添加物をあまり含まないものもあります。

正しい知識と選択眼が必要です。

健康に良いと言われているビタミン類でも、異常に摂りすぎると有害に働くものが多数あるようです。

「スナック菓子」ばかり敵視するのも、食品に対する考え方の偏重かもしれません。

スナック菓子も含めて、食べ過ぎは良く無いのだということで、私の「骨が弱くなる」発言に対して、自身で納得した次第です。

私に言われた男の子は、もう、その事を忘れてしまっていることでしょう。
スナック菓子は子どもにとって、それだけ魅力的なのです。

鈍臭い私のような大人だけが、自分の言ったことに対して、くよくよと考え込んでいるのです。

2012/02/24

スキーシールで深雪の山を登る

陽がさしてきたモヤヒルズのスキー場。

この間の日曜日(2月19日)、モヤヒルズの裏山へスキーハイキングに行ったときのこと。
前回はスノーシューでしんどい思いをしたが、この日は新調したスキーシールでのミニ山行。

スキーシール(クライムスキン)はゲッコ(Gecko フリーライド)を購入した。
定価は10センチ幅で18,900円。
今回は、アウトドアショップのバーゲンで、ほんの少し安く買う事ができた。

冬型気候が緩んで暖気しています

この地方では、冬に寒さが緩む事を「暖気してきた」と言います。

今日はその、「暖気してきた」お天気具合です。

日中の最高気温が3℃まで上がるようです。
道路に積もった雪も、積雪状態が薄いところでは、溶けて水になって道路を黒く濡らしています。

積雪状態が厚い道路では、ゲチャゲチャしたシャーベットタイプの雪になっており、自動車のタイヤがシャーベットの雪の谷間に埋もれて揺れ動き、運転しづらい状況になっています。

冬場にしては温かいお天気なので、街を歩く人々の顔も明るい表情の方が多く見受けられます。

この地方では、冬の季節の3℃の気温といえば、かなり温かいのです。
それだけ、身を寒さに馴らされているのでしょう。
寒さに馴れているということが実感出来る温かさです。

ですから、暖気と言っても、通常の温かさとは違うのです。
この時期にしては、この地方では相対的に温かいなと感じる温かさなのです。

この地方の人が温かいと感じても、南の地方から来たばかりの旅行者は、3℃では、すごく寒いと感じるかも知れません。

気温の感じ方は個別で相対的で、絶対的なものでは無いのですね。
でも気温40℃では、誰もが暑いと感じることでしょう。
気温40℃では、若い女の子が「今日は絶対暑いよねぇ。」と言いそうです。
自分の体温よりも高いのですから。

サウナ室の温度は、その設定によって様々なようです。
高温サウナと言われているサウナ室の温度は85℃〜95℃です。
低温サウナにはいろいろな種類があるようですが、設定温度は50℃〜70℃のようです。

90℃のサウナ室に限界ギリギリまで我慢して居た人が、気温40℃の場所に出ても、暑いとは感じないかも知れません。
経験が無いから、確実とは言えませんが・・・。

気温40℃の街で、ミニスカート姿の女子高校生達が「暑くてウザイよねぇ〜。」と言っている真っただ中に、サウナ室から出たばかりの汗だくの裸オヤジが「うわぁー、チョー涼しい。」と歓声をあげる、女子高生からは悲鳴があがる、なんてシーンもあるかもしれない。

それはともかく、今日は、冬型気候が緩んで、3℃にまで気温が上がって、温かく過ごしやすい冬の一日となりました。
久しぶりに、暖気しています。

2012/02/23

ぶら下がり健康器で行う「自律訓練法」

自律訓練法というリラクセーション法があります。
リラクセーションとは、心身の緊張を解いて、身体や心の状態をゆるめることです。

心身の緊張状態は、私の場合、不安を感じたり恐怖を感じたり嫌悪を感じたり強い義務感を感じたりするときに起ります。
そういう感じ方も、自身を守るために必要な反応なのでしょうが、過度な緊張状態の継続は心身の疲労や障害につながる可能性があります。

休息が必要な時に休息できないのでは、真に緊張が必要な時に身体が機能しないような気がします。
仕事でミスをするとか、イライラして対人関係がうまくいかない時や体調不良の時は、休息が足りないことも原因だと思っています。

自分でリラックスしようとしても、なかなかリラックスできない時があります。
私自身、心に不安が高まっているときは特にそうです。

そういう時にリラックスできる方法が、自律訓練法と呼ばれている方法です。

自律訓練法。
自律訓練法は、自律神経の働きのバランスを回復させる治療法のひとつで、体調を整えることに役立つということです。
自律神経機能が正常になると、血流がよくなり、皮膚温が上がり、呼吸が落ち着き、胃腸の働きもよくなって健康が回復すると言われています。
興味のある方は「自律訓練法」で検索して、信頼出来るサイトでお調べ下さい。

ぶら下がり健康器で心身のストレッチ。
私は腰痛持ちなので、ぶら下がり健康器を愛用しています。
ぶら下がっていると、腰や肩の筋肉が伸びているのが実感出来て快適です。
さらにぶら下がったままでいると、自分の身体の内臓が伸びているのを感じます。
自身の臓器のリラックス感を感じるのです。

これを私は、自作の「ぶら下がり自律訓練法」だと思っています。
ぶら下がりを開始して、腕、肩、背中、腹、腰、脚と筋肉が伸びて楽になっている様子を感じます。
胃や腸などの臓器も緩んで楽になっている様子を感じます。
呼吸は、ストレッチ運動の時と同じで、平常の呼吸の繰り返しです。

こうしてリラックスして、次の緊張状態に備えています。

ご注意。
自身の生活スタイルに合ったオリジナルな「自律訓練法」が可能であるかどうかは解りません。
ストレッチ運動を「自律訓練法」と呼んで良いのかも不明です。
この「ぶらさがり自律訓練法」は、私個人の呼び名で、それを「自律訓練法」と意識することで、自律神経の働きが改善されるのではと思っているからです。
この記事は、私個人が自己責任において実行している「自律訓練法」の紹介であって、自律訓練法のテキストでは無いのでご注意下さい。


心身をリラックスさせるための、皆様のヒントになれば幸いです。

2012/02/22

雪の中の生命「斧入れて香におどろくや冬木立」

冬が、死の季節として表現されることもある。

荒々しく寂しい風景の印象がそういう表現を生むのだろう。

植物や動物の姿が、雪に被われて消えてしまう様子と、生命感の無い死の世界を重ね合わせて、そう感じるのかもしれない。

多くの恩恵を生み出しているブナの森は、積雪量が多い地域ほど大規模な森林形態を維持しているようだ。

青森県の白神山地が、その代表格。

多くの恩恵とは、水資源や豊富な山菜、豊かな漁場の形成など。

雪は、「死の季節の白布」では無いと言える。

斧入れて香におどろくや冬木立 

享保の大飢饉の頃に青春時代を送り、天明の大飢饉の最中に68歳で亡くなった与謝蕪村の58歳の時の句。

その頃、蕪村は京都近辺で暮らしていたという。

その住処の近くの林で薪を採取しに入った時の句のように思われる。

辺りに雪が積もっていたかどうかは、想像するしかない。

「雪折やよし野の夢のさめる時」という63歳の時の句もあるから、蕪村は斧を片手に雪の林に分け入ったのかも知れない。

枯れ木と思って斧を振りかざしたら、その切り口から生命の香りが湧き上がって、蕪村の心がふるえた様子が思い浮かぶ。

1773年当時の58歳といえば、蕪村は自身の死を念頭に置いていただろう。

冬は死の季節では無かった。

雪の中で燃える生命がある。

蕪村は、自身の生命に触れた思いであったかも知れない。

<関連記事>
蕪村しみじみ

雪に対する接し方

雪国で暮らす人達の中には、雪は厄介モノ以外のナニモノでもないと思っている人達が少なからずいらっしゃいます。

その理由として下記の内容が上げられます。
●雪の上は歩きにくい。
●スリップ事故や視界不良などで、雪は交通事故を多発させる。
●積もった雪に閉じ込められて、行動力が奪われる。
●雪で道路が狭まるため、交通渋滞が起りやすく、経済活動が不活発になる。
●積雪で駐車場が狭くなるために、店の売上が減る。
●積雪の重みで、建物が損壊しやすくなる。
●雪片付けに労力がかかり、疲労が蓄積する。
●自動車のタイヤや除雪道具の購入などで経費がかかる。
●隣近所との雪片付けのトラブルが発生する。
●その他、いろいろな雪害が嫌だ。

こうやって項目を羅列すると、たしかに厄介モノのようであります。

しかし雪は、地震や台風、洪水と違って災害ではありません。
一定の期間、その土地・地域に付属する自然現象です。

その土地の住人は、先祖代々、その自然現象である雪と共生してきたのです。
共生する中で、いろいろな生活様式、生活道具、生活文化、生活方法が生まれ育っています。

雪に閉ざされた地域の共同体意識も、それらの生活文化と共に育ってきたと思います。
現在では、機械文明の発展とともに、その共同体意識の濃度も薄れつつあります。

地域内での協力関係も疎んじられ、近隣の人に頼むよりも、機械の力や商業サービスに依頼した方が、気持ち的に快適な時代環境になってきています。

人間の知恵が雪と共生していた時代が終わり、機械文明が雪を排除する時代に。
こうなると、雪は、地域共同体を包み込むバリアー(防壁)としての役割を失うことになります。
雪は、共同体の生活文化とは相対するような、個人の生活スタイルを阻害するものとして把握されるようになったのです。
交通機関や流通業の発展を阻害するものとして、雪は大掛かりに排除される対象に変わりました。

雪を疎み排除する事で、私達は古人よりも、雪に対する知識を持たない存在になりつつあるように思います。
機械文明を動員して雪との「交友」を絶つという方法のなかで、私達は雪の恐ろしさや、雪の恩恵を見出せなくなっているのかも知れません。

それは、自然現象全体に対して言える事かも知れません。

2012/02/21

雪道で滑って転ばない私の歩き方

雪の道を歩く子ども達。
道の上に雪が積もっている「雪道」にはいろんな危険が潜んでいます。
雪道とひと言で言っても、積もっている雪の状態で危険度は変わってきます。

危険度が高いのは、圧雪面や凍結面などの滑りやすい雪道です。
足元が滑って転倒して、打撲や骨折の怪我をする危険があります。

雪国では、車道を除雪した雪塊で、歩道が被われていることが多くあります。
そのため歩道が歩行不能な状態にある場合は、車道の端を歩く事が多いのですが、その車道の端が危険なのです。
歩道に積もった雪の山の山裾である車道の端は、傾斜が付いていて、非常に滑りやすくなっているからです。
滑って転んで、身体が車道へ投げ出されれば、自動車に轢かれる危険性もあります。

そういう箇所を避けて歩けば一番良いわけですが、豪雪地帯では、そこしか歩くところが無い場合の方が多いのです。

雪道を歩くための道具。
脚の力の弱い方、平衡機能の弱い方は、靴に簡易アイゼン(クランポン)などの滑り止めを付けて、靴のグリップ力を高め、上体がぐらついてバランスが崩れないように工夫すると良いのですが・・・。

山歩きが趣味でも無い限り、一般の方にはアイゼンは取っ付きにくい代物です。
慣れない道具は、かえって疲れが出て、危険を招くかも知れません。

しかし、便利な道具は試用して、その安全性を確認する事も、危険を避けるひとつの方法です。

滑りやすい雪道で、杖(ストック)を使って歩いているお年寄りをよく見かけます。
杖は支えになりますから、それなりの安定を得る事が出来るかも知れません。
でも、あまりにも杖に頼り過ぎて、身体を預け過ぎても重心が移動してしまい、バランスを崩す結果になることもあります。

道具は使い方で、安全なものにも危険なものにもなります。
屋根の雪下ろし同様、雪道を歩く際の道具の使い方も、専門家の指導が必要です。
それによって、雪道を歩く安全性の確保につながると思います。

重心を下に置くよう意識する。
私は、簡易アイゼンやストックのお世話には、まだなっていません。
私の雪道の歩き方は、重心を下に置くように意識する事です。
歩くという運動の重心を腰のあたりに置くよう意識して歩きます。
物体は重心が高ければ不安定になり、重心が低ければ安定します。

歩く時、歩幅を小さめにとると、片足で体重を支える不安定な時間が短縮され、重心を体軸に引き寄せている安定した時間を維持しやすくなります。
その分歩く速度は遅くなりますが、慎重な歩き方は安全につながります。

踏み出す足は、「すり足」に近い状態が、重心が低く保てます。
闊歩するように太腿を上げて歩くと、重心が高くなり、その分不安定になります。

足裏の母指球を膝で押さえ込む感じ。
足を踏み出して着地すると同時に、素早く体重を着地した軸足に移動します。

着地した脚の膝を前に突き出して、膝で足裏の母指球を押さえ込み、足裏で雪面を押さえる感じで体重を移動するのです。

格好としては、膝を幾分前に出して、足首を折る感じです。
スキーの滑降姿勢にちょっと似ています。
こうすると、身体が常に軸足の真上に乗っているという状態を維持しやすくなります。

私の経験から言えば、雪道は靴の底に溝の深いゴム長靴がベストです。

ゴム長靴は靴底が軟らかく、足指と足裏で雪面の凸凹を掴みながら歩けるのでグリップ力が優れています。

それに、靴底が軟らかいということは、それだけ雪面の状態が足裏に伝わりやすく、足裏センサーが発達します。
実際には、お猿さんのように足指で雪面を捉えることが出来なくても、そういう意識を持つ事が重要です。

これが雪道で意識して歩いている私の方法です。
体力やバランス感覚には個人差がありますから、この方法は全ての人に有効な歩き方ではありません。
それぞれの方が、雪道での自身の安全な歩き方を発見するためのご参考になれば幸いです。

北国の水道の凍結防止方法

今年の冬は豪雪の上、真冬日も多いです。
真冬日とは、一日の最高気温が摂氏0℃未満の日のことを言います。

低温が続くと、水道の凍結に対して注意が必要です。
日中は暖房を使用していますので、暖房の効いた屋内の水道管の凍結はありません。
しかし深夜は、暖房を止めた屋内の室温も氷点下になることがありますので、水道管の水抜き栓を閉めて水道管の凍結防止対策を行わなければなりません。

水道管の水抜き栓とは、最も凍結しやすい水道の立上がり管の水を、地中の横引き給水管の深さまで下ろして凍結を防ぐ水道装置のことです。
北国では欠かせない装置です。

水抜き栓の使用方法
●水を抜くとき
 水抜き栓を右に止まるまで回して閉めます。
 蛇口を全開にして水を抜きます。

(地方自治体によっては、蛇口を開いて水を出しながら水抜き栓を閉めるという手順で指導しているところもあります。このブログの水抜き方法の手順は、青森市企業局水道部総務課のホームページからの抜粋です。)

●水を出すとき
 蛇口を閉じます。
 水抜き栓を左に止まるまで回して開きます。
 (蛇口を開くと水が出ます。)

冬場の気温が氷点下に下がる北国では、地表から下の一定の深さまで、地中が冬に凍結します。
この凍結する深さを「凍結深度」と言い、寒冷地では、建物の基礎部分の基底基盤や水道管の横引き給水管は、この凍結深度のラインよりも下に設置されていることになっています。
水道の水抜き栓で水道管の水をこの凍結深度の下まで降ろし、水道の立上がり管の中を空っぽにして凍結を防ぐのが水抜き栓を使用した凍結防止方法です。


私が仕事の事務所として借りている貸家はかなり古いので、厳冬期には、水抜き栓を閉めても、水抜き栓自体が凍り付いて回らなくなってしまいます。
そういうときは、水道の蛇口も凍り付いて動かなくなります。

その場合は、暖房を強めにして、室温を上げ、水抜き栓や蛇口が通常の状態に戻るまで待ちます。
室温が20度ぐらいに上がると、30分〜1時間ほどで、水抜き栓は通常の状態に戻ります。
水道の蛇口は10分ぐらいで動くようになります。

屋外の水道管は断熱材で保護してありますが、北向きなので厳冬期は使用できません。
水抜き栓を閉めっぱなしで、春を待っている状態です。

水道管は、気温が氷点下2度以下で凍結の可能性が高まり、氷点下4度以下では水道管の凍結破裂の可能性が高まります。
水道管が凍結して破裂すると所有者(貸家やアパートの場合は使用者)が高額な修理費用を負担しなければならないので大変です。

私は今まで何度か、水抜き栓の閉め忘れで水道を凍結させた事があります。
その時は暖房を最大にして室温を上げ、水道管の通っている箇所をハロゲンヒーターの放射熱で温め、温まった水道管が凍りを融かしてくれるのを気長に待つという方法をとっています。

火の気が集中しますので、火災には充分注意しなければなりません。

2012/02/20

「雪」という童謡の、無人なイメージ

よく歌詞が「雪やこんこん あられやこんこん・・・」と間違われやすい童謡「雪」は、興味深い歌です。

この作詞者・作曲者不明の童謡の正しい歌詞は「雪やこんこ あられやこんこ・・・」であるということです。
作詞者が不明なのに、歌詞の正確さを強調するのには、それ相応の理由があることでしょう。
文部省唱歌の記述が「こんこ」となっているから、「こんこ」以外では無いと言えばそれまでです。

「こんこ」の意味や語源については、諸説あるようです。
「雪やこんこは、雪が降るとき、子供が喜び、はやしていう言葉」という説もあるようですが、「雪」と言う童謡の歌詞に、子どもや人間は出てきません。
以下が童謡「雪」の歌詞です。

雪やこんこ あられやこんこ
降っては降っては ずんずん積もる
山も野原も わたぼうしかぶり
枯木残らず 花が咲く

雪やこんこ あられやこんこ
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり
猫はこたつで丸くなる


歌詞の一番は、野山に雪が降り積もる情景描写のような内容になっています。
二番の歌詞には、雪が降り続く中での犬や猫の様子が描かれています。

「雪やこんこ」を「雪よふれふれ」という子ども達の囃子詞(掛声)だとすると、雪が降り積もる様子に歓声を上げている子ども達の姿が、この童謡の背後に浮かんできます。


瀧廉太郎作曲、東くめ作歌の「雪やこんこん」という明治時代の「幼稚園唱歌」というものがあります。

雪やこんこん、あられやこんこん
もっとふれふれ、とけずにつもれ
つもった雪で、だるまや燈籠(とうろう)
こしらへましょー、お姉様


こちらは、雪の降り積もる様子を喜び、積もった雪で遊ぶ姉弟の姿が連想されて、いかにも「幼稚園唱歌」という感じです。
歌を作った人達(作曲者・作詞者)の存在も明確なら、歌の意図も明確です。


ふたたび、作詞者作曲者不明の童謡「雪」の話題にもどります。

「雪やこんこ」の「こんこ」が、雪がどんどん激しく降り積もる様子の擬態語だとしたら、この童謡から子ども達の姿は消えてしまいます。

「降っては降っては ずんずん積もる」
世界を覆いつくしそうな激しい勢いで、ずんずん雪が降っている様子です。
いっこうに降り止む気配のない雪。
その雪に覆われた世界とは、枯れ木の広がる生命感の無い世界のようなイメージです。
その枯れ木に、擬装のような白い花が咲きます。

「降っても降っても まだ降りやまぬ」
二番の歌詞でも雪は降り続いています。
後半の歌詞の「庭」と「こたつ」で、人家がイメージされて、やっと「雪」という童謡の外見が姿を見せますが、人間や子どもの姿はありません。

無人の家に、「犬と猫の無邪気な存在」が描かれているというイメージです。
歌を作った人達(作曲者・作詞者)の存在が不明ですから、歌の意図も不明であるような感じを持つのは私だけでしょうか。

自動車の鍵を全て紛失した場合

自動車の運転席
家の者が、仕事で使っている軽自動車の鍵を紛失してしまった。

朝、クルマを動かそうとしたら、クルマのキーがいつもの置き場所に無い。
昨日、最後にクルマを使った者に尋ねたら、キーは所定の場所に置いたと言う。
だが、キーは見当たらない。
中古で買ったクルマだからキーは、その紛失した一個しか無かったのだ。

クルマを購入したときにスペアキーを作っておくべきだった。
それがキー紛失に対処するベストの方法。
生活の方法としては、基本中の基本。

2012/02/17

宿かさぬ火影や雪の家つづき

宿が見つかった安堵感

昨日の記事に引き続き、与謝蕪村の句について。
私はこの句を、蕪村がやっと宿泊できる家に巡り会えて、その温かい部屋に落ち着いてから、詠んだものではないだろうかと書いた。

ようやく温かい部屋で安堵して、先ほどまでの、まだ宿が見つからない夕暮れの孤独感を詠ったものではないかと思ったのだった。
それは以前から、そう思っていた。
たいていの人は孤独感よりも安堵感を好むものだから、私は蕪村の安堵感に触れたくて、そう思い込むことに決めたのかも知れない。

2012/02/16

雪降る冬の夜の孤独

冬は、生き物の活動を抑える季節。
爬虫類や両生類などの変温動物は仮死状態で冬眠する。
生活環境の気温変化に、自身の体温が従属してしまう変温動物は、低温環境では動きたくても動けない。
定温動物である熊などの、一部哺乳動物も意志的な行動停止状態で冬眠する。
私の不確かな生物学の知識では、「擬似冬眠」と言うらしい。

2012/02/15

スノーシューの限界?

この前の日曜日に、近郊のスキー場の裏山へスキーハイキングに行ってきました。
天気は荒れていて、風が強く、スキー場へ行く道もスキー場も地吹雪状態。
でも、スキー場の裏山は強風の陰になっていて、ブナとミズナラの森の中は静かでした。
コースは、今年の正月にも行った冬山入門コース
スキー場の左側が今回のコースの裏山。

厳冬期の部屋の寒さ対策

今日のこの地方の最高気温は1度と天気予報に出ていました。
風が強いので、体感的にはもっと寒く感じます。

冬季も中盤から後半に差し掛かって、寒さによる身体の疲れも溜まってきている頃です。
この時期、身体の冷えには注意しなければなりません。
外出の時は、重ね着をして防寒着の保温状態を良くするように心がけています。
私は特に脚の膝から下に冷えを感じやすいので、ロングの靴下とズボン下(タイツ)の膝下部分を重ねて保温に努めています。


寒さに弱い自律神経。
室内で仕事をしている時は、部屋の寒さ対策も重要です。
寒いところに長くいると、寒さによるストレスで自律神経に変調をきたすようです。
自律神経機能が狂うと、寒さに対して身体を守ろうとする反応が働かなくなり、体温の放出を止める事が出来なくなるそうです。
その結果、体温が下がり、低体温状態になることもあるとか。

低体温になりますと、身体の各機能の活動が不活発になり、体調を崩しやすくなってしまいます。
過労状態や睡眠不足ぎみの人は、特に寒さに対する注意が必要です。
そういう状態の人は、寒さによって低体温になりやすく、体調を崩しやすいようです。


暖色系の色のカーテンを二重に垂らして断熱対策。
この地方の住宅の窓や縁側のガラス戸は、防寒対策上、二重構造になっています。
最新の断熱住宅では複層ガラス(ペアガラス)の装備がほとんどのようです。

私が事務所として使っている住宅は、だいぶ古い建物なので、二重構造である窓や縁側の、外側の戸はサッシで内側は木枠のガラス戸となっています。
最新の断熱住宅に比べたら、すきま風もあって、冬場はかなり寒いです。

そこで、冬場は建物の開口部に、床まで届く遮光カーテンを二重にかけています。
これはかなりの断熱効果があります。
このカーテンを開いていると、冷えたガラス戸で発生した冷気が部屋の中を漂い、寒い思いをするからです。

カーテンの色はもちろん暖色系です。
落ち着いた渋めの黄色のカーテンを下げています。
あと、部屋のあちこちに暖色系の色の小物を置いて、視覚的に温かい雰囲気を作っています。
部屋の中での服装は、軽くて温かいフリースのジャケットを着て身体の保温に努めています。


石油ストーブでお湯を沸かして適度な湿度を発生させる。
暖房は、14畳の広さの事務所用部屋に石油ストーブとファンヒーターを使用。
石油ストーブの上には薬缶をのせて、適度な湿度を保っています。
適度な湿度も寒さ対策に重要な役割を果たしているのです。
人間の身体は、乾燥した空気よりも湿度の高い空気の方を温かく感じるからです。
適度な湿度は、風邪の予防にもなります。

こういう方法で私は、厳冬期の仕事部屋の寒さ対策を行っています。

2012/02/14

月曜日の朝のおしっこ(尿)の色が黄色い

大小兼用トイレ
トイレ。
以前からそうだったのかもしれませんが、最近、朝のオシッコ(尿)の色が、妙に濃い黄色であることに気が付いて、ちょっと気になりかけていました。

2012/02/13

夜の鴨と雪かきと温泉銭湯の思い出

私が以前住んでいたアパートの近くに温泉銭湯があった。

湯からあがっても、長い間身体がホカホカ温まっているほどの泉質が気に入っていたので、ほとん毎日通っていた。

特に、寒い冬場は、重宝な温泉銭湯だった。

日中、雪が降って積もると、温泉銭湯へ行く前に雪かきをした。

夕陽が落ちて暗くなると、雪明かりに人の影がちらほら。

方々の家で、雪かきが始まる。

夜の雪かきは、朝の労力を少しでも軽減しようという努力なのだが、夜中にのっそり降られたら、やっぱり朝の雪かきから逃れられない。

雪国で暮らす庶民には、雪かきから逃れる方法は無い。

少しでも楽に、雪かきを行う方法を探すことが、雪国の生活の方法である。

アパートのすぐそばに、小さな河をコンクリート護岸した水路があって、そこへ雪を運び落としていた。

夜はその水路で、鴨達が眠っている。

夜の河へ雪を捨てると、驚いた鴨達がガーガー鳴く。

パシャパシャと暗い水面で鴨達があわてる音。

また捨てる。

またガーガー、パシャパシャ。

果てしない繰り返し。

「鴨は私の雪かきの友」ってのは、私の勝手な思いこみ。

鴨にとっては、大変な迷惑。

ともあれ、雪かきの後は、乾いた喉にビールが美味しかった。

500mlの缶ビールを飲み干していた。

それで、雪かきの汗が退いたら、温泉銭湯へ歩いて行っていた。

吹雪の冬の夜でも、この温泉銭湯からの帰りの歩きは、寒さを感じなかった。

銭湯からもどって、アパートの裏の暗い水路をのぞくと、鴨達は静かに眠っている。

ようやく訪れた平和な夜を、熟睡しているようだった。

2012/02/12

蕎麦とジャズ

私の知っている蕎麦屋(蕎麦専門店)で、BGMにジャズを流している店が三軒あります。

最近の蕎麦屋は内装が落ち着いた感じに仕上がっているので、大人の雰囲気のジャズが割とよく合うようです。

蕎麦とジャズ、もともとこの二つは「簡明」な庶民の文化だったということですが、いつからか小難しい「能書き」が付いてまわるようになりました。

近頃は、蕎麦もジャズも庶民の手から離れて、「高級志向」的になっていると思います。

私は「うまいもの志向の粗食な」蕎麦が大好きで、「心地良いハッピーな」ジャズが好きという真性庶民。

「精神的な蕎麦道」や「哲学的なジャズ論」には無縁なのです。

なにしろジャズっぽい本といえば、殿山泰司氏の「JAMJAM日記」しか読んだことがないのですから・・・・。


私がジャズを聞く楽しさを知ったのは、オスカーピーターソンのピアノを聴いてからです。

力強くて、軽快で明快な氏の演奏を聴いて、「ジャズって心地良いもんだな」と思いました。

そのオスカーピーターソン氏も、2007年の暮れにカナダの自宅で亡くなられました。 

ニュースによると、腎不全のためで、82歳だったということです。

氏は大の親日家で、日本でかなりの回数の演奏会を開いたようです。

私は、氏の作った「Sushi」という曲を聴いたことがありますが、あまり好きではありません。

生意気なことを言わせてもらえば、オスカーピーターソンは「Sushi」よりも「Soba」という曲を作るべきだったと思います。

氏の強靭な鍵盤さばきと、ズズッと豪快に蕎麦を啜ったときのツルツルシコシコ感が、心地良く合いそうな気がします。

江戸とニューオリンズの二大庶民文化の合体。蕎麦好きな人を最高にハッピーにすると思います。

夢のような話ですが・・・・・・・・・・・・。

2012/02/11

東京スカイツリーと巨大観光都市東京の集客力

私が子どもの頃は、東京の観光地と言えば、真っ先に東京タワーでした。

中学校の修学旅行の行き先は東京でしたが、いちばん記憶に残っているのは東京タワーです。


現在では、今年5月に開業する東京スカイツリーが東京観光の目玉になりつつあるようです。

東京都江東区にある食品会社が、東京スカイツリーをテーマにした魚肉ソーセージを作ったり、都内遊覧観光バス会社が東京スカイツリー周辺を巡るコースを新設したり、東京スカイツリー開業に合わせて各企業の動きが活発になっています。

東京都墨田区は地元だけで年間880億円の経済効果を見込んでいるという話ですが、幕を開けてみなければ解らないことでしょう。

仮に880億円ものお金が東京スカイツリー周辺に集中するなら、日本全国の観光地はマイナス880億円の負の経済効果を振り分けられることにならないでしょうか。

これは、素人の浅知恵かも知れませんが・・・・。


東京タワーは東京タワーで、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の人気で観光需要が底堅いということです。

さらに浅草や築地周辺の観光需要も伸びるかもしれません。

世界から注目を浴びている電気街の秋葉原、それにいろいろと人を呼び込む力を備えた新宿、渋谷、上野といったエリアの集客力も侮れないものがあります。

都内に点在する博物館や美術館、劇場、競技場などの文化施設なども見物客を集める要素が大きいでしょう。


巨大観光都市東京の集客力は底知れない力を発揮し続けます。

しかし、東京スカイツリー周辺の交通渋滞の影響で、地元民の生活や商業活動は不便を強いられるかも知れません。

そういう不便や庶民の苦痛を、巨額の観光収入とともに呑み込んで、尚、観光都市東京はますます巨大化していくことになるのでしょうか。

2012/02/10

冬場のデジカメの、寒さによるバッテリートラブル対策

この地方ではここ数日、一日の最高気温が零度以下の真冬日が続いている。
石油ストーブを全開にしても、部屋の中の寒気はなかなか無くならない。

まして屋外は、身の縮む思い。
寒さに身体がギクシャクして、寒さで身体の機能が低下しているのが実感できる。
数人での屋外作業のときは、雑談で寒さをまぎらしたりしているが。
機器の場合は、そうはいかない。

人間の体が寒さに弱いように、デジタルカメラのバッテリーも寒さに弱い。

2012/02/09

雪かき作業での怪我の防止についての私の取組み

2〜3日前まで、この地方の降雪は小康状態だったが、今朝あたりから、また少しずつ雪が降り出している。
雪国では、雪が降っていようが晴れていようが、雪かきは日課。
去年の12月後半から雪が降り続いていて、この冬は大雪となっている。
毎日の雪かき作業による疲労が大分蓄積して、お疲れの方も多いことでしょう。

雪かき作業は冬場の適度な運動になるが、その運動量によっては過労の原因にもなる。
足元が滑りやすい状態での作業なので、転倒による怪我も多く発生しているようだ。
人力手作業の雪かきの場合、重い雪の塊を人間の力で移動させる仕事になるので、両腕や下肢の筋肉痛、腰痛などがおこることが多い。

雪の無い季節に運動不足気味の人が、雪が降り積もってから、いきなり激しい運動である雪かき作業を始める場合は、尚の事。
筋肉痛、腰痛、膝痛のえじきになる。
運動不足気味である故にバランス感覚が鈍っていれば、転倒して打撲や骨折。
大怪我をすることもありえる。

雪かきは寒気や寒風にさらされながらの作業。
筋肉が寒さで強張って血液の循環が悪い状態で、急に身体に負荷をかけると、それが身体の故障や怪我の元になる危険性は高い。
雪かきを「ついで仕事」のように考えて、防寒着も着ずに準備運動もしないで作業にかかると、思いがけない事故に出合うことになるかもしれない。

雪は春になれば消えるものだから、雪かきの範囲は必要最小限で良いのでは。
駐車スペースの確保と、人の通行スペースの確保が基準。
近所と張り合ったり、人目を気にしたりの過度の雪かき作業が、怪我や故障を招く結果に繋がるのではないだろうか。

服装は、防寒と動きやすさを心がける。
腰部を使い捨てカイロなどで保温し、腹巻きなどで保護すれば、腰痛になりにくいだろうと私は思っている。
雪かき作業の前に、ストレッチ運動をして充分に身体のウォーミングアップを計ることも重要。
スコップを使っての雪かきの場合は、無理の無い雪の重さを扱うようにするのは当然の事。

スコップで雪を持ち上げる場合は、腕を体に引き寄せて、雪の重さを体軸で受けとめることが肝心である。
体を折り曲げて中腰になった状態が、いちばん腰に悪い。
脚の筋肉を使って、雪を持ち上げるような動作がベストだと私は思っている。
そのためにも、日頃より下肢の筋力を維持する事が大切。
雪かきでさらに、下肢の筋肉を鍛錬する。
なんて、うまくいけば良いのだが・・・。

雪かき作業が終了した時は、ストレッチで筋肉をクールダウンさせて、明日の雪かきに備える。
雪かき作業での、私の注意点や体の使い方は以上のようなもの。
私の雪かきの方法は万全ではないかも知れないが、怪我も無く腰痛もそれほど感じずに毎日を過ごしている。

2012/02/08

温かい春に、しつこい腰痛

私は慢性の腰痛持ちです。

若い頃、力仕事を多くやったせいか背骨の骨や椎間板が、かなりすり減っています。

そのせいで身長も、若い頃よりも5センチほど縮んでいます。

この身長の縮小も、慢性腰痛の原因として関係があるのかも知れません。

加齢による筋肉や骨の弱体化も、原因になっていることでしょう。


慢性腰痛の症状が出始めたのは、55歳頃からです。

朝起きると決まって腰に鈍痛があるのが、私の慢性腰痛の特徴です。

日常的には、長時間椅子に座った後や、長時間自動車の運転をした後に、腰に痛みが出ます。

椅子から立ち上がったり、自動車から降りたとき、腰を伸ばすのが辛いぐらいに痛みます。

それらの痛みは、ストレッチなどで改善します。

季節的には、冬場に慢性腰痛が強く出るようです。

寒さで筋肉が縮まり、血液の循環が適正でないのが、原因のひとつかも知れません。


ここ2年ぐらいは、意外にも、気候が温暖になる春にも腰痛が出るようになりました。

ちょうどズボン下(タイツ)を脱いだ頃、冬の時期よりも強い腰痛が出るようになったのです。

このことで、私の慢性腰痛の原因のひとつが解りました。

それは下半身の冷えによる腰痛です。

体感的にはズボン下を脱いでも寒さを感じないのでしょうが、下半身の冷えはズボン下を外した事で強まるのだと思います。

こうして、温かい春にしつこい腰痛に襲われることになります。

対策としては、ズボン下の脱ぐ時期を遅らせることです。

気候が温暖になっても、出来る限り下半身の保温に努めることです。

日常の筋トレ運動やぶら下がり運動に加えて、下半身を温める運動を強化する事。

ウォーキングを積極的に行う。

ふくらはぎや脚部のストレッチを入念に行う事。

暑くなっても脚部の露出を避ける。

私の場合、これらの対策や生活の方法で、春の慢性腰痛が改善されつつあります。

2012/02/07

気持ちのバランスを崩した結果の冬の寝汗

冬の寝汗に悩んでいる知人がいます。

彼は大量の寝汗による寒さで、まだ暗い早朝に目を覚ましてしまいます。

下着を取替え、パジャマを取替え、シーツと毛布を取り替えて、眠りを取り戻そうとしますが、体がなかなか温まらず、眠りに就けません。

敷き布団が湿っぽくて気になる時は、敷き布団も取り替えるそうです。

ようやくうつらうつらし始める頃は、もう起きなければならない時間になっています。

寝不足感があって気分が落ち着きません。

そういう日が3〜4日続く事もあります。

彼には、いろんな事を先送りしてしまう性癖があります。

生活スタイル全般がそうです。

部屋の掃除を先送りする。

昼食を後に回して遅くなると、食べるのが面倒になってしまって、昼食を抜いて仕事をしたり。

気の乗らない仕事を先送りして、仕事を溜込んでしまったり。

お金があるのに公的な支払いを先送りしたり。

彼は、そういう自分の先送りを後悔しているようです。

もっと早くやれば良かったと悔います。

明日は必ず用事や仕事を片付けようと心に決めて、夕暮れの飲屋街に出かけるのです。

彼の脳裏には真夜中の湿った敷き布団が現れては消えて行きます。

そして、飲み過ぎた事を悔いるのです。

その結果、寝汗。

温かい季節には気にならない程度の寝汗も、冬の寒い時期は不快です。

彼は現在55歳。

亡くなった彼の父親は、ちょうどその年齢の頃、自律神経失調症で悩んでいました。

彼も、その事を気にしているようです。

私も時々寝汗で目を覚ます事を彼は人づてに聞いていて、よくその話題を私に持ちかけます。

毎日飲み歩くのを止めたらどうかね、と私は彼に言いました。

3日にいっぺん飲むとかにしたら、大分違うと思うよ。

それでも大量の寝汗が無くならないなら、病院に行くべきだ、と言いました。

彼は、まだ病院へ行ってないみたいです。

行かねばならないと思いながら、病院へ行く事を先送りしているのです。

その結果、気持ちのバランスはますます崩れ、ひどい寝汗が続いているようです。

雪かきで椎間板ヘルニアを発症

知り合いが雪かきをして腰を痛めました。

腰を痛めてから3日ほど、腰をいたわる生活に徹していたらしいのですが腰の痛みがひかず、脚の太腿の裏側に痛みが走るようになったので、整形外科の診察を受けたそうです。

MRI検査をした結果、腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。

現在のところは、投薬と注射による一週間の「様子見」の段階であるとか。

それで痛みがひけば、保存療法になるそうです。

それでも痛みが続くようだったら、手術になるらしい。

私は、若い頃ギックリ腰を3回ほどやったことがあります。

運送屋で荷物を運ぶ「人夫」のアルバイトを長くやっていたので、その間ギックリ腰を経験しました。

3回とも4〜5日の安静で回復できました。

脚の痛みや痺れ、座骨神経痛の症状が出なかったので、病院には行きませんでした。

その運送屋に、年配のギックリ腰の経験者が2〜3人いて、「安静にしてれば治るよ」という先輩達のアドバイスを信じたのです。

ギックリ腰は椎間板ヘルニアと違って「怪我」的な要素が大きいのでは、と自分なりに思っています。

怪我だから時間の経過で回復するのだと思います。

腰部に無理な負担をかけたために椎間じん帯が損傷、椎間板自体の損傷、腰部の筋肉の損傷などが原因で、ギックリ腰という症状が発生するようです。

椎間板ヘルニアは、椎間板の内側にある髄核という組織が飛び出して脊髄にある神経を圧迫する病気です。

無理な運動も椎間板ヘルニアを発症させる引き金になるようですが、姿勢の悪さや運動不足といった生活習慣が要因としてあるようです。

雪かきで腰を痛めた彼も、運動不足気味の生活を送っていたようです。

冬の寒い日は、寒さによる緊張で筋肉が硬くなっています。

そのような状態で運動不足ぎみの人が、いきなり雪かきのような激しい筋肉運動をすれば、腰を痛める事が多いと思います。

運動不足気味の人特有の、運動に対する構えも無く運動してしまうという生活態度が、椎間板ヘルニア発症の引き金に繋がったのかも知れません。

私がギックリ腰を経験した時も、冬の時期が多かったように思います。

気温の低いときは、体が滑らかに動かなくて怪我が多いようです。

雪かきも、寒さで体が思うように動かなくても、早く雪を片付けようとついつい無理をしがちです。

その無理が引き金となって、身体の病気を発症させるのでしょう。

ついで仕事と軽視しがちですが、雪かきは椎間板ヘルニア発症の引き金になるほどの労働です。

雪かきには、充分な準備運動と無理をしない体の使い方が必要です。

2012/02/04

幽かな雪の匂いは、臭わない匂い

夏には夏の匂いがあり、冬には冬の幽かな匂いがあります。

夏草の草いきれや、ゴミ捨て場の生ゴミの匂い、他人の汗の匂いなどが夏の匂いです。

冬の匂いって何でしょう。

それは雪の匂いです。

雨に匂いがあるように、雪にも匂いがあるのです。

それは雪の匂いでもあり、雪を降らせる空気の匂いであるかも知れません。

つんと冷えた空気の匂いです。

初冬の雪の降り始めに、私は雪の匂いを強く感じます。

辺り一面雪だらけの真冬になると、鼻が慣れて嗅覚が鈍るのか、雪の匂いはそんなに感じなくなりますが、吹雪の夜などには強く感じます。

上に書いたように、暑い夏の時期は色々なものが匂います。

他人の体臭も特別強く感じる様になりますね。

周囲にいる人の鼻(嗅覚)が気になる時期です。

周囲の温度が高いほど臭気を強く感じるのは、体験的に多くの人達が知っていることです。

それが冬になると、寒さが募るに連れて、戸外の町の匂いがだんだん薄れていきます。

そんな状況下で、発生する匂いがあるのでしょうか?


以下の記事は、何の科学的な根拠も無い、私の空想です。

ある一定の温度に気温が下がると、臭気を湧き上がらさせる物質の活動(化学変化?)が止まって、人間が無臭気に感じる空気の状態になるような気がします。

今まで色々感じていた臭気が、いつの間にか消えてしまっているという状態に私の鼻が驚いて、必死に何かを嗅ごうと、犬のように鼻をクンクンさせます。

一面に降り積もった雪が、地上の臭気を封じ込めてしまっているようです。

そういう状況下で私の鼻は、何も匂いの無い空気を感じるのです。

その空気の感じが、雪の匂いだと思います。

雪の匂いは、臭わない匂いです。

「無い匂い」の存在感が、冬の雪の匂いなのでは、と思います。

「無い匂い」だから幽かなのです。


冬の冷気が鼻腔内の嗅覚受容神経を刺激しているだけじゃないか、と言えば、そうかも知れませんが・・・。

2012/02/03

雪害の解決策は、様々な方法による雪片付け

短時間のうちに激烈な破壊力を持つ集中豪雨に比べれば、豪雪による雪害は、まだ時間的な余裕が得やすいように思います。

その分、対応計画が立てやすいのではないでしょうか。

西日本の水害と東北地方・北陸地方の雪害を単純比較はできませんが、洪水の破壊力と大雪の破壊力を比較すると、大雪の方がまだ個人の手に負える部分が水害よりも多いように思います。

雪害の解決策は「雪片付け」の一語に尽きます。

雪を害になる場所から、害にならない場所に移動させることです。

大雪による家屋の損壊を防ぐために、雪を屋根から庭に移動させる。

大雪による交通障害を防ぐために、雪を道路から空地に移動させる。

洪水は、大量の水のエネルギーが移動しながら家屋や人命を破壊する災害ですから、人間が移動(避難)して難を逃れなければなりません。

その点、大雪の方が扱い易い部分があります。

洪水は今現在では分割の方法が見当たらないようですが、大雪は分割可能です。

多くの雪国の人々は、個人の手に負える大きさや重さに雪を分割させて安全な場所に雪を移動させています。

大量の雪が降り積もることで危険を及ぼす場所は、建物の屋根や建物の周囲、道路上や道路の周囲、電線の上や橋の上、自然や人口工作物の斜面の上などです。

これらに降り積もった雪を、安全な場所(空地や公共の雪捨て場)に移動することでほとんどの雪害は防げると思います。

ただ、山岳の斜面に積もった雪による雪崩災害に対しては、人間や建設物の方が移動しなければなりませんが・・・。

このところの雪害の問題は、雪を運び入れる場所である雪捨て場が飽和状態であること。

雪を移動させる主体であるところの自治体は予算切れで除雪活動に身動きがとれない状態であること。

また、毎日の雪かき作業を強いられている各個人も疲労が積み重なっている状態であること。

雪を移動するという点において、人間側の予算的人員的空間的不足状態と自然の雪の過多状態によって、雪害問題が大きくなっていることは言うまでもありません。

雪害に対する解決策は「雪片付け」の一語に尽きますが、「雪片付け」の方法は雪の移動だけでは無いと思います。

雪の移動は空間的な解決方法ですが、「転換」という質的な解決方法もあるのではないでしょうか。

例えば、雪を資源に転換するとか、雪をエネルギーに転換するとか。

「転換」は雪の質的な移動で、経済的にもプラスになるような「雪片付け」だと思います。

そのうち、発想力豊かな頭脳の持ち主が、あるいは経験豊かな知恵者が、上記のような雪片付けの方法を創出してくれることでしょう。

それまでは、もったいなぁと思いながら大量の雪を眺め、雪かき筋トレに励む冬の日々です。

2012/02/02

豪雪による雪害

このところの豪雪で、東北地方や北陸地方で雪害が相次いで発生しています。

近々では、2月1日の夕方、秋田県の玉川温泉で岩盤浴中の湯治客3名が雪崩に巻き込まれて死亡。

2月1日午後5時頃に、青森県横浜町の国道279号において大雪のため数百台の車両が立ち往生し、国道は全面通行止に。今日の午後1時現在も道路のマヒ状態が続いているようです。

年が明けてから降り続いている雪は、豪雪という、雪害を伴うほどの大雪になりました。

豪雪の冬に発生する雪害について、私が思いつくまま列挙してみると。

●屋根に積もった雪の重量による家屋(建物)の損壊。
●屋根の雪下ろし作業中の作業者の事故。
●歩道が積雪で埋まり、車道も狭まるため、歩行者と車両の交通障害。
●除雪排雪費用が嵩み、豪雪地帯の市町村の財政悪化。
●大雪による通行遮断で山間の集落の孤立。
●雪崩災害が多発
などなど・・・・・。

積雪量が増すほどに、自然災害に対する人間の無力さが増大しているような状況です。

しかし、豪雪は地震災害と違って、予測できる災害です。

それも、程度の差こそあれ、冬になったら雪が降るのは毎年の事。

豪雪の規模までは予測出来なくても、有能な職員を有する自治体が多い訳ですから、雪害に至るのを防止する対策は可能であるような気がしますが・・・。

豪雪のピークが過ぎるまでもう少しの辛抱だという対策は大昔の事。

このところの雪のニュースは、生活が雪害で破壊されそうな市町村のものがほとんどです。

東北地方や北陸地方であがっているのは、雪に対する悲鳴ばかりでしょうか。

国土交通省都市・地域整備局策定の「豪雪地帯市町村における総合的な雪計画の手引き」というのが過去(平成20年11月)にありましたが、そのなかに「雪に関する総合的な計画の先行事例」としていくつかの地方自治体が取り上げられていました。

今回の豪雪に対して、雪対策が成功している自治体の歓声はあがっていないのでしょうか。

マスコミはセンセーショナルな雪害事故現場や、豪雪に苦しむ高齢者の様子取り上げてばかりのようです。

雪と上手につき合っている町や、個人の工夫などの、雪対策の成功事例はどこかにきっとあるはずです。

雪国で暮らしている多くの人は、そういう報道を待ちわびていると思います。

2012/02/01

なぜ古い木造家屋が好きなのか

昨日の記事に引き続き、木造家屋の話題です。

なぜ私はこうも、古い和風の木造家屋が好きなのか。

それは、木材の持っている自然な優しさや素朴さにひかれるからです。

また、そういうものがたくさんあった、自分たちの子供の頃が懐かしいのだと思います。

街を歩いていて古い木造家屋に興味を持つのは、そのとき私の脳裏で、過去に向かって哀愁列車を走らせているからなのでしょう。

私は街の木造住宅の見物者であると同時に、哀愁列車の乗客でもあるのです。

私が、目の前の木造家屋の2階の窓や縁側に感情移入すればするほど、哀愁列車は過去に向かってスピードをあげるのです。

私の目の前には一軒の古い木造住宅があるのですが、哀愁列車の窓からは様々な哀愁風景が見えます。

小学校の木造校舎へ続く砂利道や、田圃の畦道の端にたっている大きな柳の木。

山の向こうに沈む夕陽、真夜中の星空。

荒涼とした雪景色。

村人の葬列。

昔を懐かしむのは、過去を美化や礼賛しているわけではありません。

過去の哀愁風景を通して、その向こうにある現在を眺め、現在の目で過去の風景と時間を見ているのです。

そういう風に、現在から過去へ過去から現在へと視線をクロスさせて楽しんでいるのです。

私が見かけて、私の気に入った古い木造家屋は、そういう場を形作ってくれるから好きなのです。

私が古い木造家屋を好きなのは、木造家屋が持っている独特の生活空間や生活時間の広がりを感じるからです。

そういう空間は、今の時代から取り残されたようにそこにあるのではなく、今もなお永続的に続く過去の現在として、あるべくしてあるのだと思います。

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