
新緑の森と苔清水の流れ
春雨のこしたにつたふ清水哉 松尾芭蕉 この句の前書きに「苔清水」とある。 「苔清水」とは、岩に生えた苔の間を流れる清らかな水のこと。 奈良県吉野郡吉野町吉野山、西行庵の近くに「苔清水」という名水がある。 「奥千本苔清水」とも呼ばれている。
山スキーやハイキング、イラストや江戸俳諧、山野草や散歩のことなど。
春雨のこしたにつたふ清水哉 松尾芭蕉 この句の前書きに「苔清水」とある。 「苔清水」とは、岩に生えた苔の間を流れる清らかな水のこと。 奈良県吉野郡吉野町吉野山、西行庵の近くに「苔清水」という名水がある。 「奥千本苔清水」とも呼ばれている。
旅の途上句を詠みながら、吉野に着いた芭蕉は、花見に打ち興じる。 桜がりきどくや日々に五里六里 松尾芭蕉 「桜」と前書きがついている。 「きどく」とは、奇特(きとく)。 「きどく」を「感心なさま」という意味で、この句を読んでみる。 すると、 (1)「...
「笈の小文」の旅は続く。 長く逗留していた伊賀・上野や伊勢を離れ、いよいよ、吉野へ向かう芭蕉ご一行。 よし野にて桜見せふぞ檜の木笠 松尾芭蕉 この句に、前書きとして添えたのか、「乾坤無住同行二人(けんこんむじゅうどうぎょうににん)」とある。 「乾坤無住同...
「笈の小文」には、この句の前書きは書かれていない。 ネットで調べていると、「芭蕉翁略伝と芭蕉連句評釈」という「書物」を見つけた。 「幻窓湖中 著(他)」とある。 その書には、前書きとして、次の言葉が添えられている。 「十五日、外宮の館といふ所にありて」 神垣やおも...
この句にも、前書きの言葉がある。 「神垣のうちに梅一木もなし。いかに故有事にやと神司などに尋侍れば、只何とはなし、をのづから梅一もともなくて、子良の館の後に一もと侍るよしをかたりつたふ。」 御子良子 (おこらご) の一 (ひと) もとゆかし梅の花 松尾芭蕉 「御...
前書きに「草庵の会」とある。 ネットで調べると、「草庵の会」とは、伊勢・船江町の大江(たいこう)寺境内にあった二条軒(二畳軒・二乗軒)とのこと。 この句の初案は「藪椿(やぶつばき)門(かど)は葎(むぐら)の若葉かな」であったらしい。 「笈の小文」では以下の句。
これもサロン的な句で、あまり面白味が無い。 前書きに、「網代民部雪堂に会」とあるから、句会の「挨拶句」なのだろう。 梅の木に猶 (なお) やどり木や梅の花 松尾芭蕉 「やどり木」とは、宿主の樹木に「寄生」する宿り木(ヤドリギ)のこと。 宿り木は、落葉樹...
大腸内視鏡定期検査 前回の大腸内視鏡検査から1年ちょっとが過ぎ、そろそろ検査をしなければならない頃になった。 前回の検査で、切除した方が良いと診断された3㎜のポリープは、まだ切っていない。 お腹の不調 去年の暮れから、お腹の調子が悪い。 (1)軟便や下痢...
物の名を先 (ま) づとふ芦 (あし) の若葉哉 松尾芭蕉 この句の前書きに「龍尚舎」とある。 芭蕉が「龍尚舎」というサロンのなかで詠んだ句なのだろう。 世間に向かって投じられた「句」、一般の読者に対して開かれた「句」では無いようだ。 内輪での会話的な「句」とい...
句の前書きに、菩提山(ぼだいせん)とある。 そこで、「伊勢 菩提山」で検索してみると、「菩提山」とは「菩提山神宮寺」のことだとわかる。 今度は「菩提山神宮寺」で検索。 「観光三重」というサイトの、ふるさと三重、再発見の旅>コース一覧>コース詳細というページに「菩提山...
「撰集抄(せんじゅうしょう)」という説話集がある。 これは、江戸時代の頃まで、西行のオリジナルと信じられていた。 ところが、西行が没してから後の人が西行に託して書いたものだと判明。 現代では作者不詳となっているという。 その「撰集抄」にある説話をもとに、芭蕉が「笈の小...
この句を読んだとき、「なんじゃもんじゃの木」のことが頭に思い浮かんだ。 「なんじゃもんじゃ」とは、見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称だと、ウィキペディアにある。 明治神宮外苑にある「なんじゃもんじゃ」が有名。 これは、ヒトツバタゴというモクセイ科...
小川原湖水浴場入り口のアーチ。 青森市は天気が悪いので、犬の散歩がてら、小川原湖にドライブ。 上北町は晴れていて、風は冷たいが、陽光が温かい。 一昨年(2013年2月11日)に来たときは 、湖水浴場側(南岸)も岸辺が凍りかけていたのだが、今回は氷のかけらも無い。 ...
【満開の桜】 さまざまのこと思ひ出す桜 哉 松尾芭蕉 藤堂家の句会に招かれての作と言われている。 藤堂家とは、芭蕉が青年時代出入りしていた藤堂新七郎家のこと。 句会は、藤堂新七郎家の下屋敷で開かれたらしい。 下屋敷は、芭蕉生家の裏手にある。...
かつて、そこに在ったものは、今は見えない存在になっていても、そこに在り続ける。 多くの人々が、そこに在ることを望んだものは、たとえ姿を消しても、そこに在り続ける。 芭蕉には、そういう思いがあったのだろうか。 あるいは、そういう思いを伝えたかったのだろうか。
前書きに「初春」とある。 春立ちてまだ九日の野山哉 松尾芭蕉 この句は、伊賀・上野の「風麦亭」での挨拶句と言われている。 「春立ち」は立春のこと。 「春立ち」と「野山」という言葉で、春めいた雰囲気が感じられる。 「まだ九日」は、この地は、これからどんどん春めきます...
前書きに、「宵のとし、空の名残おしまむと、酒 のみ夜ふかして、元日寝わすれたれば、」とある。 大晦日の夜に、今年の空が暮れていく余韻がいとおしくて、酒を飲んでいたら夜更かししてしまい、元日の日の出を寝坊して見ることが出来なかったので・・・、ということか。 故郷の知...
芭蕉は3年ぶりに故郷の生家にもどってきた。 貞享元年の「野晒紀行」の旅以来の帰郷である。 そのときの帰郷では、 「手にとらば消えんなみだぞあつき秋の霜」 と、前年(天和三年六月)の母の死を悲しんで句を詠んだのだった。 44歳の初老の身で、冬場のしんどい旅を続け、 杖つき坂...
「笈の小文」には、『「桑名よりくはで来ぬれば」と伝日永の里より、馬かりて杖つき坂上るほど、荷鞍うちかへりて馬より落ちぬ。』という前書きがある。 (日永の里:現・四日市市・日永) 徒歩 (かち) ならば杖つき坂を落馬哉 松尾芭蕉 この句を「徒歩ならば」と「杖...
浅虫温泉森林公園スキーハイキング行程図。出典:国土地理院ホームページ。青線(ルート)と東屋は当ブログ管理人書き込み。 好天が期待できる祝日。 犬の散歩と、除雪車が残していった雪塊のあと片付けに時間を取られた。 家を出たのが9時半頃。 コンビニに寄っ...
いよいよ芭蕉は、生まれ故郷の伊賀上野に向かう。 いったい、名古屋に幾日滞在したのだろう。 その名古屋を出発する時が来た。 「師走十日余、名ごやを出て旧里に入らんとす。」と「笈の小文」にある。
名古屋で、裕福な商人が開催する「句会」に招かれた芭蕉は、そのお礼として挨拶の句を詠む。 こういう「句会」に慣熟している芭蕉は、巧みに挨拶の句を作る。 おべんちゃらを含め過ぎてはダサい句になってしまう。 さらりと相手の自尊心をくすぐらねばならない。 屋敷に...
江戸や京の粋人達は、雪見、花見、月見と、季節の節目に出現するものを眺めて、自然の変化を楽しんでいたようだ。 雪国では、1メートルも積もった雪のなかで、雪見などという遊びは、お呼びでない。 たまに白い雪が、庭などにうっすらと積もり、たちまち融けてしまうような土地柄で、雪見は...
芭蕉が、遠い場所の出来事を思い描くと、私たちは、それを映像のようにイメージしてしまう。 今度は身近な出来事を指し示す。 私たちは、その対比を、しらずしらずに楽しんでいるのかも知れない。 箱根こす人も有らし今朝の雪 松尾芭蕉 「有るらし」とは、名古屋に居る芭蕉の推...
熱田には何があったのか? 芭蕉は、渥美半島の厳しい旅からもどって、熱田(現・名古屋市熱田区)に宿泊。 熱田は東海道・宮宿(熱田宿)の宿場町。 熱田神宮の門前町として栄えた所。 芭蕉は、3年前の「野ざらし紀行」の旅で熱田神宮を訪れている。 このときは、熱田神宮は廃墟の...
今は、時期的には厳冬期。 でも、青森はこのところ春めいている。 来る日も来る日も雪降り、という頃なのに。 道路の雪が融け出して、乾いたアスファルトが顔をのぞかせている。 吹雪の中で、春を待ち望む。 春は雛祭りとともにやってくるという思い。 桃の節句を心待ち...
ついに芭蕉は、保美村で杜国と再会する。 *保美村:ほびむら。渥美半島の先にある村。現・田原市保美。 *杜国:とこく。坪井杜国。空米売買の罪で、名古屋から保美村に追放されている芭蕉の愛弟子。 名古屋から保美村まで同行した越人(えつじん:越智越人)と芭蕉は、杜国との無事の再...