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禅寺の松の落葉や神無月

宝井其角(たからいきかく)が序文を担当した蕉門の俳諧選集「猿蓑(さるみの)」。
その「巻之一 冬」は、松尾芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」で始まる。
「猿蓑」の書名は、芭蕉のこの句に由来している。

「巻之一 冬」は、芭蕉の冒頭の句から、向井去来(むかいきょらい)の「いそがしや沖の時雨の眞帆片帆」という十三句目まで「しぐれ」を題材としたもので占められている。
以前「カッコいい句である」と私が感じて記事にした「時雨るゝや黒木つむ屋の窓あかり」という凡兆の句は九句目に並んでいる。

鶏の声もきこゆる山さくら

現代ではオオヤマザクラ(大山桜)という山桜の品種を、街でもよく見かける。
「山さくら」と言えば、江戸時代の頃は、山にある自然の桜の木のことを指していたらしい。
であるから、「山さくら」は山間部でなければ見ることができない桜であったようだ。

(にわとり)の声もきこゆる山さくら
野沢凡兆

凡兆の計略?「秋風の仕入れたを見よ枯れ尾花」

「秋風」は秋の季語だが、「枯れ尾花」は冬の季語となっている。
季節の違うふたつの季語がひとつの句のなかに入っている。
これを「季違い」と称して、句をつくる上では避けるべきことであるとされている。
などという約束事やら技術めいたことやらは、俳句の実作者ではない私には、よくわからない。
観賞者である私は、句の言葉にあるイメージを感じ取るのみ。

凡兆のナメクジの句(2)「あばらやの戸のかすがいよなめくじり」

あのナメクジ君が帰ってきた。
放浪の旅に疲れて帰郷し、今は、捨てた家に閉じこもって、戸の「かすがい」になっている。
かつての冒険少年が、夢破れて、引きこもりのニートになってしまったのか。
しかも、捨てた家は、ボロボロのあばら家と化した。

あばらやの戸のかすがいよなめくじり
野沢凡兆

凡兆のナメクジの句(1)「五月雨に家ふり捨ててなめくじり」

奇妙な動物だが、古くから人の日常生活圏に生息してきた生き物。 ちょっと前までナメクジは、地方では日常生活の周辺でごく普通に見られる生き物だった。
私が子どもだった頃の旧稲垣村(現つがる市)では、梅雨時に家の周辺でよく見かけた。

江戸時代には、ナメクジはヘビやカエルとともに、「三すくみ」のメンバーになっている。
三メンバーとも、ちょっとキモい存在のものばかり。
嫌われ者ではあったが、いろいろと話題に上がった「軟体動物」であったらしい。

○○○サービス㈱を名乗る者からの架空請求詐欺のショートメール

怪しいショートメールが届く 今日、怪しいSMS(Cメール)が私の携帯電話に届いた。
私がショートメールを受け取ることは滅多にない。
ほんのたまに、仕事の連絡事項が届くぐらいである。
ショートメールの受信音が鳴ったとき、得意先の営業マンの顔が頭に浮かんだが、メールの内容は仕事とは別のものだった。

朝露や鬱金畠の秋の風

朝露は消えやすいので、和歌の世界では儚いものの例えに使われてきた。
現代でも、「露と消える」という言い方をする。
夢が破れるとか、志なかばで倒れるとか、計画がとん挫するというような意味で使われている。

朝露や鬱金畠(うこんばたけ)の秋の風 野沢凡兆

凡兆のけんか腰?「吹風の相手や空に月ひとつ」

夜の空にも、いろいろある。
満天の星空とか、雲ひとつない夜空とか。
満天の星空は、月の光が弱い新月の頃に現れる。
月の光が強い満月の頃は、星の姿が見えなくなる。
月が明るいと星の幽かな光は、月の光にかき消されてしまうのだ。
満月の夜は、金星などの強い光を放つ星しか見えない。

雲ひとつない夜空に満月と星が少々。
上空にも風があるものの、その風によって吹き飛ばされる雲は見当たらない。

凡兆の技?「まねきまねきあふごの先の薄かな」

凡兆の句は、どうしてこんなにかっこいいのだろう。
私は、凡兆の句のかっこよさに魅かれて、凡兆の俳諧を読んでいる。 だが、そのかっこよさの理由を解明するだけの能力は、私には無い。 ただかっこいいと感じながら、句を読み進めているのだ。
まねきまねきあふごの先の薄(すすき)かな 野沢凡兆

青森市内にあるラーメン店「まるかいらーめん」のオープンフェアの長い行列

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愛犬の散歩で、アスパムへ行ったら、向かい側の歩道に長い行列ができていた。
いったい何の行列?
有名人の青空サイン会?

行列は角を曲がって、アスパム通りを南方向へ延びている。
その行列の先頭部分が、また角を曲がって 、見慣れない建物のなかに吸い込まれていく。
そこは、以前「まるかいラーメン」の店があった場所。
建物の壁面には、看板らしき文字が見える。
「まるかいらーめん」と、ひらがなの立体文字が壁に貼りついている。

知らなかった。
「まるかいラーメン」の旧店舗跡に、「まるかいらーめん」がリニューアルオープンしていたのだ。




なんでも一昨日(8日)から今日(10日)までの3日間、オープンフェアを行っているとのこと。
フェアの目玉は、中盛り100円のラーメン。
それに、「まるかい」のロゴ入りラーメン丼のプレゼント。
今日はオープンフェアの最終日。
それで、この行列なのだ。

青森市では、なかなかお目にかかれない長蛇の列。
しかも、小雪舞う冬空の寒い中。
午前11時開店で、数量限定とあるが、並んでいる方達全員が食べることができたのだろうか。
私がこの行列を目撃したのは、午前11時15分ぐらい。
行列の最後尾に、次々と人が押し寄せていたのだが。




「まるかいラーメン」とは、青森市内にある有名ラーメン店。
青森県観光物産館アスパムの向かい側(南側)に立地している。
ここのラーメンの特徴は、酸味のきいた煮干しスープと、うどんのように太い麺。
好きな人は徹底的に好きなのだが嫌いな方は徹底的に嫌いという、青森のラーメン好きを二分しているラーメン店なのだ。

しかしこの行列では、ラーメンにありつけるのは1時間後か。
あるいは、1時間後に品切れでオアズケを食うか。
それでも、まるかいファンにとっては、1時間の待ち時間なんかまったく気にならないのだろう。
冬の寒さも、強い北風も、まるかいのラーメンを食べるための妨げにはならないようだ。
並んで得られる幸福感に比べれば、順番を待つ苦労など無に等しいということか。
むしろ、並ぶこと自体が楽しいのか。
まるかいファン同士の連帯感に支えられて、待たされるという苦行が快楽に昇華していくってか。
それはまるかいファンでなければわからないこと。

今年の7月1日から工事のために休業していたらしい。
約5か月間、好きなラーメンを食べることが出来なかったのだ。
5か…

砂よけや蜑のかたへの冬木立

蜑(あま)とは、海で魚や貝を採ったり、塩を作ることを仕事とする人のこと。
漁師とか漁夫の意。 テレビや映画の時代劇で、江戸時代の商人や大工や農夫の姿は多く見かけるが、漁師はあまり見ることがない。 江戸時代の漁師の暮らしについて無知であることは、漁師の周辺を題材とした俳諧を読む上で妨げになるであろうか。

鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ

句の前書きに、「「越(こし)より飛騨へ行くとて籠(かご)の渡りのあやふきところところ道もなき山路にさまよひて」とある。
「籠の渡り」とは籠渡しのこと。
籠渡しとは、橋を架けることができないほどの険しい谷の両岸の間に綱を渡し、その綱に籠を吊り下げたもの。
当時は、籠に人を乗せたり荷物を入れたりして対岸まで渡していたという。
江戸時代末頃の浮世絵師である歌川広重の「飛騨籠渡図」が、籠渡しの絵(版画)として有名である。
絵を見ると、急流の上にそびえる両岸は、目もくらむばかりの絶壁となっている。

骨柴のかられながらも木の芽かな

「骨柴(ほねしば)」とは、小枝や葉を取り去った柴のこととインターネットのWeblio辞書に書いてある。
凡兆の句を読むまでは、私には未知の言葉だった。

骨柴のかられながらも木の芽かな
野沢凡兆

この句を読んだとき、私は冬枯れの裸木の細い枝のことが頭に浮かんだ。
「骨柴」とは、そういうものではあるまいかと思ったのだ。

かさなるや雪のある山只の山

八甲田山の各峰の山頂に、白く雪が積もり始める頃は、山麓の雲谷周辺の山には、まだ雪が無い。
秋の中頃から終わり頃にかけて、青森市街地から北八甲田連峰の方を眺めると、ちょうど凡兆の句のような感じに見える。
かさなるや雪のある山只の山 野沢凡兆

ドリルでの垂直穴あけに優れた工具、ドリルガイド

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ドリルガイド13F ネット通販で、優れものの工具「ドリル穴あけ補助ツール」を買った。
「ドリルガイド13F」という名の工具である。
製造元は、兵庫県の神沢鉄工株式会社。

値段は、税込みで12,830円。
これに送料が税込みで972円。
代引き手数料が0円。
合計13,802円の導入費用だった。

このあいだ、安いからと買って失敗した「電動ドリルスタンド」とは大違い。
ドリルガイド13Fを仕事で使用した結果、私はこの道具が優れものであることを改めて実感した。

ネットの評判が良かったので購入したのだが、予想以上の働きぶりだった。
5ミリ厚の透明アクリル板に直径4.5ミリの垂直の穴をきれいにあけることができて、仕事が大いにはかどった。



きちんとした梱包状態 まず気に入ったのが、箱の中にしっかりと梱包されて納まっていたこと。
ダンボールできちんとふたつに分かれて整然と梱包されていたので、安心感が湧いた。
きちんとした梱包のおかげで、この工具がきちんとしたものであるという印象を持った。 説明書の類は、箱には入っていない。 でも箱の表に、丁寧にいろいろ図解されているので、それで用が足りた。

インパクトドライバにセットできた ドリルガイド13Fは電動ドリル用で、インパクトドライバ装着用のガイドは同メーカーで製造しているインパクトガイドというツールがある。
でもインパクトドライバに「六角ビット付ドリルチャック」を装着すれば、上の写真のように使用可能だった。

動作が安定していて、精度の高い仕事にも対応 二本の黒いガイド棒のスライド感は良好。
私はガイド棒に、「CRC 5-56」を軽く吹き付けて、ドリルがより滑らかにスライドしやすいようにした。
すると、心地よいほどの滑らかなスライド感が得られた。
こんなに簡単な作りなのに、ドリルの動きはぶれることなく安定していて、精度が求められる仕事にも対応できる。

アルミダイキャストボディ 軽くて小さいので、持ち運びが楽で、現場で使うのにぴったりの道具であった。
軽くて小さいが、姿かたちは立派で、堂々とした印象である。
本体は、強くて丈夫な軽量アルミダイキャストボディ。
工具全体ががっしりしていて丁寧な作りになっている。

ドリルガイドの特徴 このツールの特徴が箱に箇条書きされているが、ほぼその通りであった。
以下にその特徴をまとめる。
30度から垂直までの傾斜…

旅人の独り言「馬をさへながむる雪の朝哉」

一晩に降った雪で、あたりが一面の雪野原となった朝。
宿の外へ出て街道を眺めると、白い世界を移動していく人々の影が朝日にくっきりと浮き上がって見える。
昨日までは、晩秋の枯れた風景だったのに、たった一晩で様変わり。

馬をさへながむる雪の朝(あした)
松尾芭蕉

浮世の重み「我が雪と思へば軽し笠の上」

宝井其角の句で、作者の意図とは別に、人生訓や「ことわざ」や格言として親しまれているものに「あの声で蜥蜴(とかげ)食らうか時鳥(ほととぎす) 」がある。
この句が有名な「ことわざ」になったのは、リズミカルで平明な作風が江戸の庶民に愛されたせいなのだろう。

才気煥発でありながら、放蕩に明け暮れたと言われている宝井其角。
松尾芭蕉の代表的な門人として知られた其角。
その暮らしぶりが、「伝説」となり、其角の言葉(句)が「伝説の人」の名言のように巷間に伝わったから、其角の句は庶民のあいだで「ことわざ」としてもてはやされたのかもしれない。

我が雪と思へば軽し笠の上
宝井其角

掲句は、其角編集の俳文集である「雑談集(ぞうたんしゅう)」に収録されている。
「雑談集」は元禄5年の発刊。
この年に第三次芭蕉庵が完成し、芭蕉は、江戸を離れることになる元禄7年5月までの2年間をそこで過ごした。

芭蕉が大坂(大阪)で亡くなったのは元禄7年(1694年)10月、51歳だった。
関西を旅行中であった其角は、芭蕉の「いまわの際」に立ち会うことができた。
江戸の門人のなかでは、唯一、師の最期を看取ったとされている。
その其角は、宝永4年(1707年)に47歳の若さで病没。 永年の飲酒癖が祟ったと言われているが、定かではない。
掲句も「あの声で蜥蜴食らうか時鳥 」同様、人生訓として人口に膾炙している。 人生訓としての句は、「我が物と思えば軽し笠の雪」と「変形タイプ」になっている。 このほうが人生訓としてより分かりやすいからなのだろう。
この句も、口伝えで江戸の庶民の間に広く知れ渡ったと思われる。 人から人へ伝わるうちに、リズムが良くて覚えやすい句に変えられてしまったのかもしれない。 しかし、「我が雪と思へば軽し笠の上」と「我が物と思えば軽し笠の雪」ではイメージがだいぶ違う。
「我が物と思えば軽し笠の雪」は、ある種の人生訓やことわざに特有な、単眼的な主張になっている。
笠に重く積もった雪も、自分の物だと思えば重く感じることはない、という意味なのだが。
さらに飛躍して、苦しいことや辛いことは、それが自分のためになることだと思えば気にならないものだ、という内容に変化している。

当時の江戸っ子は、ためになる俳諧を探して、浮世の「教訓」を導き出そうとしていたのだろうか。
生活の役に立たなければ、俳諧の存在意義は…

白秋の大発見「瓦斯燈に吹雪かがやく街を見たり」

北原白秋は、南国生まれの詩人。
九州の熊本県で生まれ、福岡県の現・柳川市で少年期を過ごした。
後に上京。
東京で暮らすようになった白秋は、冬場に雪を見ることはあったかもしれない。
しかし、雪国によくある「吹雪」を、東京で体験したことがあっただろうか。
そんな北原白秋の「吹雪」を題材にした俳句が面白い。

景色のなかの「もの」に接近する「水鳥や嵐の浪のままに寝る」

見た景色を、そのまま句にする。
いつも目にしている日常ではあるが、それを句に切り取ると、普段では見えなかったものが見えてくる。
なんてことが、あるだろうか。

三つの季重ね「肌寒し竹切る山の薄紅葉」

現代では、「季重ね」は避けた方が無難といわれているが、江戸時代ではどうだったのだろう。
「季重ね」と言えば、「目には青葉山ほととぎす初鰹」という山口素堂(やまぐちそどう)の有名な句が思い浮かぶ。
この句の「青葉」と「ほととぎす」と「初鰹」の三つは、夏の季語となっている。
三つの「季重ね」で出来上がっている句なのである。

凡兆の詩のテーマ「灰捨てて白梅うるむ垣根かな」

炭を焚いて出た灰や、薪を燃やして出た灰は、木灰(きばい・もっかい)といって農作物の肥料になる。
私が子どもの頃、津軽地方の実家では冬期に薪ストーブを使っていた。
一日中、薪を燃やしていると、夕方ごろにはブリキのストーブの底にたくさんの灰がたまった。
その灰を、肥料になるからと、雪の積もった畑の上に撒く。
風の吹いているときは、灰が舞ってズボンに付いたり。
粒子の細かい灰が、繊維の隙間に潜り込んで払い落すのに苦労した経験がある。

灰捨てて白梅うるむ垣根かな
野沢凡兆

凡兆の感性の在り処「雪ふるか燈うごく夜の宿」

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昨夜、青森市内に5センチぐらい雪が降った。
朝起きて外を見たら、地面が白くなっていたので、天気予報通りだったのだ。 夜、寝るときには気がつかなかった。 音もなく降った雪だったから。

ものの在り方「捨舟のうちそとこほる入江かな」

捨舟とは、捨てられた小舟のこと。
舟底の板が剥がれたり。
舟底に大きな穴が開いたりして、舟として役に立たなくなったものが湖に放置されている。 棄てられたまま、少し傾いて浮かんでいる。 舟の縁には、うっすらと白い雪。 「捨舟」の背後には、寒々とした冬の入江の、侘びしいモノクロームの光景が広がっている。

生活者の目「上行と下くる雲や穐の天」

秋は台風の季節。
台風が過ぎ去っても、その余波の風に、雲が激しい動きを見せる。
青空がもどった空で、雲の展示会が始まる。
刻々と積乱雲が姿を変え、積雲が移動していく。
遠くの積雲は低い下の位置に見え、頭上の積雲は高い上の位置に見える。

ハイラックスピックアップの夏タイヤを、5年目に入ったスタッドレスタイヤと交換

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もう八甲田の山岳道路は雪が積もっている。
夏タイヤでは、山道は走れない。
今日はお天気も良く、暖かいので絶好のタイヤ交換日和。
そこで、ハイラックスピックアップの夏タイヤをスタッドレスタイヤに交換した。
作業は40分弱ぐらいで終了。
歳をとって筋力は落ちたが要領が良くなったのか、タイヤ交換の所要時間が短くなったような気がする。
面倒くさいという気分もなく、作業がまったく苦にならない。




私のピックアップのタイヤサイズは、「265/70R15」とスタッドレスタイヤのサイドに刻印されている。
「265」はタイヤの幅が265ミリであるということ。
「70」は、このタイヤの扁平率。
この扁平率の意味は、タイヤのサイド(タイヤの側面)幅がタイヤ幅の70パーセントであるということ。
従って、265ミリ×70%=185.5ミリとなり、私のスタッドレスタイヤのサイド幅は185.5ミリであることがわかる。
「R」はラジアルタイヤであることを示す記号。
現在流通しているタイヤのほとんどはラジアル構造であるという。
「15」は、タイヤに適合するホイールのリム径のことで、タイヤの輪っかの内径を示している。
リム径の単位はインチ。

このあいだ交換した軽乗用車のタイヤのサイズが、145/80R13。
軽のタイヤは小さくて軽いので扱いが容易だが、ピックアップのタイヤはそういう訳にはいかない。
でもまだ大丈夫。
上述した通り、手早くタイヤ交換作業が終了。
歳をとってもピックアップのタイヤ交換ぐらいはまったく苦にならない。
雪が積もれば、スキーの楽しみが待っている。
そんな気分も手伝っているから、タイヤ交換作業が意欲的に行えるのだろう。
雪国青森の冬は厳しい。
高齢になるにしたがって、ますます厳しいものになっている。
そんな季節の生活に積極的になれるのは、スキーや冬山の楽しみが私の気持ちを支えてくれているからだ。

ところで、私のスタッドレスタイヤはこの冬で5年目に入る。
写真の通り、ブロックの高さもあるしサイブもくっきりとしている。
サイブとは、ブロックの表面に切られているギザギザ線の細い溝のこと。
このサイブとブロックが、雪上でのグリップ力を確保しているという。
写真で見る限り、まだいけそうである。
ただ5年の年月で、ゴムが経年劣化して硬くなっていることが懸念される。
ネットでは7年目のスタッドレスで…

私の背中の痒みは、乾布摩擦でほぼ解決

勘違いの寒風摩擦 私は、いろいろと勘違いが多い。
子どもの頃、乾布摩擦を「寒風摩擦」と思い込んでいた。
当時は、「かんぷ摩擦」を行うと、風邪をひきにくい体質になると言われていた。
これを聞いて私は、「かんぷ摩擦」イコール「寒風摩擦」だと思い込んだのだ。
寒風のなかで背中をタオルでこする運動をすれば、寒さで体が鍛えられて風邪をひかなくなる。
そう思っていたのだ。

梅一輪いちりんほどの暖かさ

冬の終わり頃から早春にかけて話題にされる句である。
「冬→寒い→嫌だ→早く春になってほしい」という心情。
「春→暖かい→快適→春が待ち遠しい」という心情。
この句が話題に登るのは、そういう一般的な心情が背景にあるからだと私は思っている。
とすれば、この句は一般的な心情を表している句ということになる。
そういう面で、人口に膾炙(かいしゃ)する句となっているのだろう。
冬の終わりごろには、格言のようにもてはやされている。
コマーシャルの世界では、春の訪れを待ち焦がれるキャッチコピーのように利用されている。

日常から1000文字以上を探す出すことが、私がブログを書く上での仕事となっている

トップブロガーとは? トップブロガーとは「読者にとって価値のある記事」が書ける人であると、多くの有名ブロガーが、そう仰っている
もちろん、トップブロガーはトップアフィリエイターでもある。
プロブロガーとして高額な収入を得ている、一握りの人達のこと。

トップブロガーになるためには、ユーザーのことを第一に考えているブロガーでなければならないという。
なるほど、流石、有名ブロガーさんのお話はためになる。
彼らがトップブロガーでもある所以である。
検索エンジン最大手であるGoogleも、「読者にとって価値のある情報」があるサイトは、検索順位が上位にランクされると仰っている。

「名月や煙はひ行く水の上」服部嵐雪

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この頃、夕方の愛犬の散歩で夜空を見て、この間からお月様が大きく見えるなあと思っていたのだった。
今日のニュースで、どうやらそれは、「スーパームーン」のせいであることがわかった。
スーパームーンとは、月が地球に最接近した日が、月が満月となった日と重なる現象のこと。
月は楕円状の起動を描いて地球の周りを回っているから、こういう現象が起こるらしい。 その日が、本日の11月14日。
満月として最接近するのは、68年ぶりの出来事だとか。

歯医者通い(歯周病の治療)

歯欠け爺 65歳になって、歯を治そうと決意した。 私の口のなかは、歯周病(歯槽膿漏)がかなり進んでいる。
過去に、何度も歯茎が痛んだ経験がある。
痛いのを我慢して、放っておいて抜けた歯が3本もある。
なんだかんだで欠けてしまった歯や、抜けた歯の合計は7本。
65歳の歯欠け爺なのだ。

ノブドウとヘクソカズラにおおわれて、せっかくのドウダンツツジの生垣が荒れ放題

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青森市内では、ドウダンツツジの紅葉が色鮮やかになりつつある。
街の方々で、ドウダンツツジの植え込みが赤く染まっている。
もうすっかり真紅に燃え上って、散るのを待つばかりのものも見かける。

家から歩いて15分ほどの、近所の小学校には、校庭の北側にドウダンツツジの生垣がある。
この生垣は1~2年前まで、秋になると紅葉の鮮やかさで通行人の目を楽しませてくれていたのだが。
この頃は手入れがされていないせいか、荒れ放題。
こころなしか、紅葉もだんだんと色褪せてきたように見える。




道路に沿って東西に延びている生垣の、東側が特に酷い。
ノブドウとかヘクソカズラとかの蔓性植物が、生垣に覆いかぶさって、ドウダンツツジの採光を遮っている。
特に今年の夏は、蔓性植物の繁茂が著しかったと私は感じている。

蔓性植物にとってドウダンツツジの生垣は、格好の「手掛かり」であり「足掛かり」なのだ。
生垣のてっぺんに這い上れば、邪魔者はいない。
もう、天下をとった気分。
ドウダンツツジの生垣は、快適な「蔓生活」にうってつけのお立ち台になっている。

この生垣を復活させるためには、素人ながら以下のことを考えた。
まず、蔓性植物を刈り払って撤去する。
次に、ドウダンツツジの枯枝を剪定する。
これによって、日照を確保し、生垣のなかの風通しも良くなる。
そうすれば、ここのドウダンツツジは、もう少し元気になるのではあるまいか。




この生垣は、小学校の校舎から遠く離れた校庭のはずれにある。
そのおかげで放っておかれているのだろか。
学校からは目の届かない場所だが、大勢の人が通る道路に接している場所なのだ。
荒れ放題の垣根を通して眺める校舎は、ひどく荒廃しているように見える。
などというおせっかいな人もいるかもしれない。
その反面、荒れ放題もまたひとつの風情。
そう感じる人もいることだろう。

整然とした生垣には、生垣の美しさがある。
荒れ放題の藪には、藪の野生美がある。
この両者が眺められれば、それは本当に楽しいこと。
通りすがりの散歩人は、そんな能天気な感想を持っているのだが。
それは、ともかく。
ここのところ、ノブドウとヘクソカズラにおおわれて、せっかくのドウダンツツジの生垣が荒れ放題である。











晩秋のケヤキ広場に雪

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青森市内は、昨日降った雪が融けずに朝まで残った。
平和公園のケヤキ広場にも、落葉の上に雪。
このあいだの落葉の山は、すっかり片付けられていた。
頭上のケヤキの枝には、まだたくさんの葉が残っている。
葉が散って、その上に雪が積もる。
その上にまた葉が散って、また雪が降る。
ケヤキ広場の冬は、全てのケヤキの葉が完全に散るまで、その繰り返し。

アメリカ大統領選で日本が大騒ぎ

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日本では多くの人が、「まさか!」と思ったに違いない。 アメリカ合衆国の大統領選挙でトランプ氏が勝利した。トランプ大統領が、事実上誕生した日、青森市では雪が降って、ちょっと積もった。2016年の豪雪都市青森市の雪は、こうして始まった。たとえアメリカで、特異な人物が大統領に選ばれようと、選ばれまいと、ここ豪雪都市の住民である青森市民の当面の話題は、今年の雪の降り具合、積もり具合なのである。

「木枯らしの吹き行くうしろすがた哉」服部嵐雪

服部嵐雪(はっとりらんせつ)の句と言えば、「布団着て寝たる姿や東山」や「梅一輪いちりんほどの暖かさ」がよく知られている。
これらの句は、現代でも人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)するものとなっている。
嵐雪は、蕉門の古参の俳諧師で、芭蕉亡きあとは宝井其角(たからいきかく)と江戸俳壇を二分したと言われている実力者。
後に嵐雪は俳諧流派「雪門」の祖となり、其角は俳諧流派「江戸座」の祖となった。 芭蕉が、其角や嵐雪の才能を高く評価し、「草庵に桃桜あり。門人に其角嵐雪あり」と褒め称えたのは有名な話である。

ハードボイルドだった湯たんぽ

追跡者が、とうとう逃亡者の隠れ家をつきとめ、深夜に踏み込んだときは、建物のなかに人影はなかった。男は寝室をのぞき、お決まり通りベッドのなかへ手を差し込んだ。布団のなかは冷え冷えとして、温もりが感じられない。「奴は、まだ帰っていない。ここで待っていれば、そのうち現れるさ。」彼は仲間にそう言って、注意深く部屋のなかを見回した。長い逃亡生活を経てたどり着いた部屋の割には、そういう殺伐感がにじんでいない。ごく普通の生活者の匂いがした。

軽自動車の夏タイヤをスタッドレスタイヤに交換

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青森市は、昨日午前7時頃、初雪を観測した。
これからの天気予報は、明日は雨。
9日と10日は、雪の予報が出ている。
それで、天気の良いうちに、軽自動車の夏タイヤをスタッドレスタイヤに交換することにした。

以下は、私がいつも行っているタイヤ交換の手順。
しかしこれは、私独自の方法で、広く推奨できるものではないかもしれない。
腕力とか、作業中の注意力には個人差があるので、不安な方は専門店にお願いした方がベスト。

晩秋の風物詩、平和公園ケヤキ広場の落葉掃除

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愛犬の散歩で平和公園に寄ったら、ケヤキ広場の落葉(おちば)掃除が始まっていた。
業者の方が、各所に落葉を集めて、写真のような山を作っている。
この時期の、おなじみの風景である。
広場のケヤキは、紅葉がほとんど終盤。
終盤ながらも、紅葉するケヤキと黄葉するケヤキが混じっていて、彩りがきれいだ。

泣きっ面にハチ

「ねえ、ママ、向かいのお店、閉めちゃったみたいよ!」
「向かいの店って、スナック薔薇のこと?」
「そー、なんでもねチィママが一ヵ月分の売り上げ持ち逃げしちゃったんだってさー。」
「それは願ったり叶ったりね。ここんところ、お向かいさんにお客取られっぱなしだったから。下手すると、こっちがつぶれるところだったのよ、ヨーコちゃん。」
「あのママねえ、借金まみれってうわさじゃない。借金返せなくて自己破産しちゃうらしいわよー。」
「まあ、薔薇のママ、踏んだり蹴ったりじゃないの。」

省略と強調「踏んだり蹴ったり」

例文 「きのうね、私ね、駅で転んじゃって。そのとき眼鏡も壊しちゃって。もう、『踏んだり蹴ったり』だったのよ!」とか。
「先週は、空き巣に入られるわ、愛車は後から追突されるわ、ほんと『踏んだり蹴ったり』だったね。」とか。
「風邪をひいて頭痛が酷いわ、虫歯が痛いわで『踏んだり蹴ったり』さ。」とか。
「踏んだり蹴ったり」という言い回しが使われる例としての、ありそうな話はいくらでも出る。

トムクルーズ

老人がリードを引っ張って、犬と一緒に自動車道路を横切ろうとしている。白い大きな犬は首を引っ張られながらも、前足を突っ張って、老人のする通りにはならない。首を振り振り、嫌々をして進もうとしない。杖をつきながら、散歩をしていた通りすがりの老人がそれを見て「あっちへ行かないって言ってるんじゃないの。」と注意口調。リードを引く手を緩めながら、「そんなことは、わかってるさ。」と犬連れの老人が言い返す。「雨が降りそうだから、引き返さなくっちゃいけないんだよ。」「黒い雲がきて、もうすぐ土砂降りになるってことぐらい、空を見たらわかるだろう。」

雨の雛岳登山道と下山後の「みちのく深沢温泉」

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東京で暮らしている姉が所用で青森に来たので、一緒に北八甲田雛岳の登山道を歩いた。
姉と一緒に山を歩くのは、白神山地の太夫峰以来。

当初は津軽半島の名峰「大倉岳」へ登る予定だったが、雨降りのため中止。
天気予報を見ると、津軽地方よりも上北地方の方が、まだ好天が見込まれる。
雛岳周辺は、上北地方の天候状態に準じることがあるので、雛岳の登山道を歩こうということになった。

凡兆の予感?「日の暑さ盥の底の蠛かな」

「虫」ヘンに、軽蔑の「蔑」のツクリで蠛。
この漢字を、ウンカと読む。
蔑は、「蔑ろ(ないがしろ)」という使い方もする。
「蔑ろ」とは、無視したり軽視したりすること。

日の暑さ盥(たらい)の底の蠛(ウンカ)かな
野沢凡兆

「暑き日を海に入れたり最上川」と、夏の暑い一日を雄大な句にした芭蕉。 凡兆は、「日の暑さ」を日常の「盥の底」に入れてしまった。

青森市平和公園の紅葉が、「街の風情」として、それなりに見ごろに

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今年の八甲田の紅葉はどうなんだろう。
この頃、山へ行ってないからわからない。
写真は、毎日のように犬の散歩で訪れる平和公園。
ボチボチ紅葉が見ごろになってきた。

山には、山の風情がある。
一方、都市公園の紅葉は、街の風情で満ちている。
そうは言ったものの、街の風情って何だろう?
都会暮らしのなかで感じるものだから、その人の心に育っている都市生活者の情感みたいなものかな。

ホームセンターの工具売場に潜り込んでいた役に立たない「家庭用」の工具

家庭的? 「家庭料理の店」とか「家庭的な雰囲気の店」とか。
そういう看板を掲げた居酒屋を見かけることがある。
私が、決して入るまいと思っている居酒屋は、こういう類の居酒屋。 「家庭料理の店」という看板のある居酒屋は、料理に自信の無い店主がやっている店が多いと私は感じている。 したがって料理がありきたりで不味いことがほとんど。
プロの料理が苦手な人が「家庭料理」というホットなムードを隠れ蓑にしている傾向が強いと感じている。
「家庭料理」という表示に、料金が安いのではと思ってしまいがち。
だが、飲み代はそれほど安くないことが多い。

凡兆の視点「剃刀や一夜に金情て五月雨」

梅雨時は錆の季節。
油断していると、あっと言う間に鉄製品が錆びてしまう。 じめじめと湿っぽい季節は、湿気のせいで、錆がすぐに広がる。
剃刀(かみそり)や一夜(ひとよ)に金情(さび)て五月雨(さつきあめ) 野沢凡兆

軽トラ

ユキオの会社で仕事の打ち合わせを15分ばかり。その15分の間に、路上へ止めたオレのピックアップがレッカーされちまったようだ。ユキオの会社の駐車場は会社から離れた場所にある。ついつい面倒くさがって路駐してしまう始末。その結果のレッカー移動。雨降りの路上には白っぽい軽トラが1台止まっているだけ。オレのピックアップは影も形も無い。雨で濡れているせいか路面にはチョーク書きが無い。前にもこんな感じで駐車違反即レッカー移動された知り合いがいた。ユキオの会社の前は道幅が狭い。そんでもって、近所にクレーム好きのチクリ屋がいるみたいで、このあたりは駐禁即レッカー地帯なんだ。

物の中に潜む存在感「物の音ひとりたふるる案山子かな」

「音もなく地面に倒れた」という表現がある。
最後まで倒れるのをこらえながら、ギリギリのところで倒れてしまうと「音もなく地面に倒れた」という状態になるのだろうか。 音は物の存在の証明である。 音が聞こえたということは、音を発生させた物が存在するということ。 「音もなく地面に倒れた」と言っても、音がしなかったとは言い難い。 物が倒れる映像だけを強調しようとすれば、「音もなく地面に倒れた」というシーンが映像としてはあるのかもしれない。

清楚な日常の美しさ「渡り懸て藻の花のぞく流哉」

これも私の好きな句である。
「渡り懸て」という行為のなかで「藻の花」を垣間見た凡兆の感動が見える。
(わた)り懸(かけ)て藻の花のぞく流哉
野沢凡兆
この句も「ほととぎす」の句同様「猿蓑(さるみの) 巻之二」に収められている。 「藻の花」に、私はバイカモを思い浮かべた。 漢字で書くと「梅花藻」。 北八甲田では「グダリ沼」のバイカモが、その美しさで知られているが、私はまだ見たことが無い。 しかし、清流に揺れるバイカモの花は、どこかで見た記憶がある。
凡兆は、清流に架かった橋を渡りかけたとき、川面に揺れる藻の花に気がついたのだろう。
無数に咲いているその花の可憐さに、思わず水面を覗き込んだというシーンが思い浮かぶ。

凡兆の不満?「ほととぎす何もなき野の門ン構」

「猿蓑(さるみの) 巻之二」は宝井其角(たからいきかく)から始まって河合曾良(かわいそら)まで、12人の俳諧師の「ほととぎす」を題材にした句が、最初に掲載されている。
そのなかに、凡兆の次の句も収められている。
ほととぎす何(なに)もなき野の門ン構(がまえ) 野沢凡兆
私は、この句を読んだとき、荒涼としたイメージが頭に思い浮かんだ。 妙に寂しい光景。
廃墟のセンチメンタリズム。

ホトトギスは異様に甲高い声で鳴くときがある。
暗くなりかけの宵などに聞くと、あまり気分の良いものでは無い。 ちょっとびっくりするのだ。 またホトトギスは、早朝のまだ暗いうちに、けたたましく鳴いたりする。

木造平屋一戸建てに単相200Vの配線工事をした場合の費用

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仕事で、大判プリンターをもう一機導入することにした。
このプリンターの電源は単相200V。 現在仕事の事務所として使っている貸家には100Vしか通っていない。
今の新しい住宅だと屋内配線が100V対応でも、配電盤までは三線(赤、白、黒)式電源が来ていることが多いらしい。
この場合は、配電盤の小ブレーカーを200V対応の物に交換し、赤 黒 の線をブレーカーに接続すると単相200Vになるという。 後は、屋内の配線工事をして200Vのコンセントをつければ、利用可能とのこと。 もちろんこの工事は、電気工事の有資格者でなければできない。





私がお借りしている木造平屋建ての家屋は、少し古いので三線式電源は届いていない。
したがって、電柱から建物の軒下まで三線式電源の引き込みが必要となる。
あと電力量計(メーター)の交換と200Vコンセントまでの屋内配線が工事の内容である。
工事が終了し、東北電力のチェックも今日無事に終わった。
もういつでもプリンターを導入できる状態である。

現在では家庭内の電気機器が多様になってきている。
エアコンやIHクッキングヒーター、電気温水器、電子レンジ、食器洗い乾燥機などなど「ハイパワー家電」と呼ばれている200V機器が増えている。
一般家庭において、「ハイパワー家電」の導入を検討されている方のご参考になればと思い、単相200V電気工事の料金明細を書き込むことにした。





尚、100Vから200Vにしたからといって電気料金が高くなることは無い。
電圧が2倍になるということは、仕事をする力が2倍になるということ。 力が2倍になれば稼働時間が半分になるので、100Vの機器を200Vに替えても同じ仕事の量であれば、消費する電力量は同じ。 ただ電力会社との契約アンペア数を上げれば、それに応じて基本料金がアップすることになる。
以下、工事料金の明細。 電柱から軒下までの距離は12メートルぐらい。
東北電力申請費(一式)            45000円 諸費用(20A~60A)             25000円 14SQX3C SVケーブル(13m)        4940円 外用DVケーブル(14m)            6300円 2.0X3CVVFケーブル(40m)         6000円 分電盤60A用ニット  HCB13E6-62(一個) …

温泉銭湯の浴場でウンチをもらしてしまった老人

久しぶりに市内の温泉銭湯へ行ったときのことである。
脱衣場に入ると、浴場から出てきたマッチョな若い男を見かけた。 その方は、労働やスポーツで筋肉が発達したというよりも、筋トレで筋肉細胞を増殖させたというタイプに見えた。 この方ほどではないが、かつての若かった私も、現場労働やスポーツで自然と筋肉が付き、ミニマッチョだった時代があったなぁなどと思いながら浴場へ入った。

昔の名古屋の「ものづくり」がすごかった(昭和初期製作の柱時計がまだ現役で動いている)

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部屋を片付けていたら、田舎の実家を処分したとき、持ち帰った古い掛時計が出てきた。
私は、このボロい時計を捨てずに持ち帰ったのを、すっかり忘れていた。
65年前に私が生まれた頃、すでにあった掛時計である。
子どもの頃、居間の壁の柱に掛かっていた時計で、あらためて見ると不思議な気分。
この時計と一緒に過ごした懐かしい暮らしが甦ってくるような。
「まだ動くのだろうか?」
ためしに仕事部屋の柱に掛けて、振子を指で振ったら、チクタクチクタク・・・・・・。
幼い頃聞きなれた音が、時を隔てて耳に響く。
仕事部屋の雰囲気が昭和レトロの時代へと逆戻り。
パソコンや大判プリンターと、昭和初期のゼンマイ時計が共存している空間が、なんとも新鮮だ。

連句の面白さ「灰汁桶の雫やみけりきりぎりす」

灰汁(アク)は、最古の洗剤として紀元前から使われていたといわれ、旧約聖書などに灰汁という言葉がしばしば出ています。日本でも洗濯には昔から木灰の灰汁が用いられ、江戸時代には、桶に水を満たして灰を入れ、底の栓口から灰汁がしたたるようになった「灰汁桶」が各戸に置かれていて、これを用いてたらいで手洗いしていたようです。また、石鹸や合成洗剤が普及する第二次大戦後まで、洗浄剤として広く一般に使われていました。     ※石鹸百科(株式会社 生活と科学社)サイトより引用

灰汁桶(あくおけ)の雫(しずく)やみけりきりぎりす
野沢凡兆

この句は、「猿蓑集 巻之五」の『「灰汁桶」の巻』という連句における凡兆の発句。
生活感がにじみ出ている叙景的な句として印象深い。
家の隅に置いてある灰汁桶から雫が滴っている様子が目に見えるようである。
薄暗い土間で、長い年月を通して使い込まれた灰汁桶の存在感が読む者に伝わってくる。

灰汁を作るには、灰汁を出す桶と灰汁を受ける桶が必要である。
灰汁の溜まった下の桶に上の桶から灰汁の滴が落ちる。
そのポチャッ、ポチャッという音が、土間から聞こえる静かな宵。

気がつくと、灰汁桶の雫の音がいつのまにか止んでいて、きりぎりす(コオロギ)の鳴いている音だけが聞こえてくる。
暮らしを営む音が、いつのまにか自然の虫の音に変わっている。
物思う秋の夜の、静寂感に満ちた句である。

これに続く芭蕉の句が「あぶらかすりて宵寝する秋」。
「かすりて」は品切れの意。
灯火用の油が切れてしまったので、宵のうちに早寝してしまうというようなイメージである。
芭蕉は物語の場面を土間から畳の間へと移した。

「新畳(あらだたみ)敷ならしたる月かげに」と岡田野水(おかだやすい)が句をつなぐ。 連句の「式目」である『「第三」の下五の句は、留字「て」「に」「にて」「らん」「もなし」で留める。』が守られている。 畳替えしたばかりの寝所に、煌々と月の光が射し込んでいる。 油が切れて灯火が無くても、闇夜では無い。

「ならべて嬉し十のさかづき」と向井去来(むかいきょらい)があどけなく続ける。 まだ寝るには早すぎるし、お月様のおかげで家のなかも明るい。
しまってあった十個の盃を畳の上に並べて眺めるのも嬉しいことだ。 友人達を集めて月見の宴を開くのもいいかも、てな感じかな。

「千代経(ちよふ)べき物を様々子日(ねの…

芭蕉の自信を示す去来抄、「下京や雪つむ上の夜の雨」

「去来抄(きょらいしょう)」は、蕉門の俳諧師である向井去来(むかいきょらい)著の俳論書であるとされている。

この書は、去来が亡くなって70年以上経った安永4年(1775年)に京都の井筒屋によって刊行されたという。
その「去来抄」に 以下の文章が記載されている。
此句初冠なし。先師をはじめいろいろと置侍りて、此冠に極め給う。凡兆あトとこたへて、いまだ落つかず。先師曰、兆汝手柄に此冠を置べし。若まさる物あらば我二度俳諧をいふべからずト也。去來曰、此五文字のよき事ハたれたれもしり侍れど、是外にあるまじとハいかでかしり侍らん。此事他門の人聞侍らバ、腹いたくいくつも冠置るべし。其よしとおかるゝ物は、またこなたにハおかしかりなんと、おもひ侍る也 「此句」 とは野沢凡兆の句のこと。

下京(しもぎょう)や雪つむ上の夜の雨
野沢凡兆

「去来抄」によると、凡兆が最初にこの句を出したときには「下京や」という初冠(上五)は無かったらしい。
「雪つむ上の夜の雨」という中七と下五だけが出来上がっていて、凡兆には上五が思い浮かばなかった。

「先師(芭蕉)」や同門の者がいろいろ考えたが、芭蕉が「下京や」という上五を推奨した。
それに対して凡兆は「あっ」と言うだけで、しばらく決めかねている。
芭蕉が、「凡兆よ、あなた自身の創作としてこの上五に決めなさい。これに勝る上五があるならば、私は二度と俳諧について口出しはしないよ。」と言ったという。

もし、このエピソードが事実なら、芭蕉の自信の有り様がうかがえる。
当時の凡兆は、まだ蕉門のメンバーだったので、師匠の自信たっぷりな申し出には逆らえなかったのかもしれない。
それとも、「あっ」と声をもらしたあと、「下京や」は案外いいセンいってると納得したのか。

芭蕉と凡兆の応答を傍でうかがっていた去来は以下のような感想を「去来抄」に記している。
(私の現代語訳は、理解が正確でないかもしれませんが・・・・)
師匠が考えた初冠の五文字がすばらしいことは誰の目にも明らかなことだが、これ以外に有り得ないことをどうして知ることができましょうか(いや、これ以外には無いでしょう)。

このことを他門(蕉門以外の俳諧師)がお聞きになれば、こっけいにも幾つもの上五を置くに違いない。
他門の俳諧師によって最適だと選ばれた上五は、私たち(蕉門)にとっては、奇異なものに思われることでしょう。

今年の秋は、紅葉も遅いがキノコの発生も遅い(ナメコとナラタケを少々収穫)

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天気が良いので愛犬を連れてキノコ採りハイキング&犬散歩に出かけた。
八甲田の紅葉は、始まったばかりで、今年は少々遅れ気味。
先週の日曜日の高田大岳ハイキングの時と比べて、たいした進展が見られない。
紅葉が遅れているせいか、キノコ(食菌)の発生も遅れているようだ。
今日の収穫は、早生ナメコとナラタケが少々。

私が入った山域ではナメコとナラタケの発生は少々だったが、ツキヨタケ(有毒キノコ)は大量に出ていた。
その他、猛毒のドクツルタケも、あちこちの地面から顔を出している。
ドクツルタケは、傘もヒダも柄も真っ白。
傘の下の柄を巻いているツバも真っ白。
柄のツボも白い。
全身が白いキノコなので容易に見分けがつく。

ただ、このドクツルタケにそっくりなのが食菌のシロオオハラタケ。
ドクツルタケの食中毒は、このシロオオハラタケと間違えて食べることによることが多いとか。
シロオオハラタケは、美味しいキノコでは無いらしい。
間違ってドクツルタケを採ってしまうような危険をおかしてまで手に入れたいキノコではないだろう。
だから、シロオオハラタケは食べなくてもいいキノコ。
私のなかでは、食べたいキノコははっきりしている。




美味しいと広く人に知られているキノコが、美味しくてわかりやすい。
ナラタケ(津軽地方の呼び名はサモダシ)とナメコが、その代表例。
私は、そういうキノコだけを採って食べて楽しんでいる。
今回は傘の開いた早生のナメコだったが、これから本格的な饅頭型のナメコが出てくる。
本格ナメコが群生している光景は素晴らしい。
大量収穫の喜びで、身体の免疫力がアップしているのを実感できる。

キノコが出ていなければ、それはそれで景色を眺めながらのハイキングを楽しめばいい。
山を歩いていればそれで満足なのだ。
ただ、キノコは、無いよりはあった方が楽しい。
それが本音。

キノコの発生が遅い今年の秋の山だが、このまま不作に終わるのか。
それとも、これから一斉に大量発生するのか。
それは今後のお楽しみだ。

ブナの森が紅葉(黄葉)し落葉するまでキノコ採りは楽しめる。
雪に覆われる前の、秋の山を堪能できるのがキノコ採りハイキング。
冬が来る前の、私の年中行事。
滝を眺めたり、水の無い沢底の石畳を歩いたり、ブナの森をさまよったり。
今日は好天に恵まれていい山歩きが出来た。






果実も臭くは無かったヘクソカズラ

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以前記事にしたヘクソカズラが結実していた。
ドウダンツツジの生垣に絡まっていたヘクソカズラのこと。
花が咲いていた頃、ヘクソカズラの茎や葉や花の匂いを嗅いでみたのだが、「ヘクソ(屁糞)」と呼ばれるほどの匂いではなかった。
もしかしたら、果実が強烈な臭いを放つのではと思い、実が生るのを待っていたのだった。

ヘクソカズラの果実は、直径5ミリぐらいの球形で光沢がある。
その果実をちぎって指でつぶして匂いを嗅いでみたが、臭くはなかった。
かすかに独特の臭気はあったが、「ヘクソ(屁糞)」と罵るほどの匂いでもない。
かなり強烈な臭いを嗅いで、「ヘクソカズラ」という名前の由来に納得しようと期待したのだが、そうはならなかった。




いったいこの植物の、どこが「ヘクソ(屁糞)」なのだろう。
悪臭もないのに「ヘクソ(屁糞)」とは。

ヤブガラシ同様ヘクソカズラも、植え込みに絡まって旺盛な繁殖力で蔓延する。
この生垣では、これから美しく紅葉するドウダンツツジに絡まって、紅葉観賞の妨げになるかもしれない。

絡まった糸や針金をほどくには根気が要る。
短気な人にはつとまらない仕事である。
「くそいまいましい!」と罵りながら、糸をほどこうとする。
糸の絡まり具合は、短気な人に逆らうように、ますます酷くなるばかり。

ヘクソカズラの駆除にも、これは言えるのではあるまいか。
短気な人々が「このクソカズラめ!」と罵るので、いつのまにか、この植物の名前が「クソカズラ」として流布。
その後、頭に「屁」までつけられるほど憎まれ、「ヘクソカズラ」として世間に知れ渡った。
匂いではなく、雑草としての厄介さ加減が「ヘクソ(屁糞)」ということなのか。
強烈だったのは匂いでは無く、「ヘクソカズラ」という呼び名のインパクト。
このインパクトが独り歩きして、「悪臭を放つ草」という悪者イメージを強固なものにしているのかもしれない。

それとも、強烈な悪臭を放つ時期があるのだろうか。
あるいは、地域によって、匂う種と匂わない種が存在するのか。
インターネットのサイトでは、強烈に匂うという記事と、さほど匂いを感じなかったという記事があって様々である。

はたして「ヘクソ(屁糞)」の真意は何なのか。
呼び名と実態は、同一ではないのか。
その解明は、今後の散歩のお楽しみである。




山頂付近は快適な天空の道、北八甲田高田大岳谷地温泉コースをハイキング

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私が北八甲田で唯一歩いたことの無い夏道が、谷地温泉から高田大岳へ登るコース。
いつかは歩こうと思っていたのが、本日やっと実現した。

春スキーでは、残雪の上を山頂まで毎年一回は登っている。
今年の春は、テレマークスキーのシール登行で山頂まで3時間半かかった。
今回もそれぐらいの時間がかかるだろうと思って登り始めたのだが、2時間半という標準タイムで山頂到着。
ちょっと若返った気分だった。




長時間の山登りは、今年5月24日の葉抜橋山(はぬきばしやま)以来。
今年の春から、左肩が酷く凝っていて、リュックを担げない状態だった。
それがどうにか軽減したので、手始めに高田大岳を歩こうと思った次第。

山頂への道は、刈り払いが行われていて明瞭だった。
今年の6月に、「十和田山岳振興協議会」という会のメンバーを中心に、ボランティアの方々が集結し、登山道の刈り払いを行ったのだという。
今年から「山の日」として祝日になる8月11日の前に、登山道を覆い隠していたネマガリタケの藪や木の枝を取り除こうということだったらしい。
これまでは、当コースは北八甲田で一番の悪路だと言われていたが、幸運にも私はその悪路を未体験である。

刈り払いによって、藪漕ぎ状態だった登山道のルートは明瞭になったものの、湿地の泥場や洗掘による深い「溝道」は元のままだという。
この「洗掘溝道」を歩いたとき、私は、シリポロチャシの「掘道(土塁?)」を思い出した。
おお、高田大岳も巨大なチャシだったのか、なんて悪態をつきたくなるほどの「立派」な「洗掘溝道」であった。




8時40分ごろ、谷地温泉駐車場を出発。
まずは、高田大岳山麓の小さな丘を越える。
緩い登り斜面をゆっくりと登る。
これがけっこうな足慣らしになる。
緩い斜面を登りきると、丘(標高974.5メートル)の東側を巻いて道は平坦になる。
泥々の湿地帯の出現である。
これが春から夏にかけては、雪融けのため、大変な「泥漕ぎ」状態になるらしいが今日はそれほどでもなかった。

標高1000メートルぐらいまでは、平坦に近い緩い登りである。
標高1000メートルを越えると、道は突然急登になる。
しかも直登一直線の道。
緩やかなハイキング道が、修験の道に変わる。

多くのハイキング道は、急斜面上ではジグザグに造られるものだが、高田大岳では直登の道。
ほぼ最大傾斜線に沿った登山道。
フォールライン…

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