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青い空と緑の森と黄色い花(ブタナ)

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半日、郊外の公園で遊んだ。
右の写真の、黄色い花の大群落はブタナだ。
タンポポによく似ているから、タンポポモドキとも呼ばれているとか。
今日の青い空と、遠くの緑の森と、広がる黄色い花の草原との、色の取り合わせが面白い。

公園の遊具の正体

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近所の公園に、場違いなほどユニークな表情の遊具が、去年の秋遅くに設置された。

今まで、何度かそばによって眺めて見たが、その正体はわからずじまい。
今日、何気なくこの遊具の下側を覗いてみたら、正体を知る手がかりになりそうなものを見つけた。

下の写真のように、黒い板バネの湾曲している内側を下から覗いたら、メーカー表示らしきシールが貼られてあった。





これは、と思い遊具のボデイの下側、この珍動物のお腹の部分を下から覗いてみた。

すると、上の写真のように、メーカーの刻印が。
それによるとこの遊具は、アメリカのMIRACLEという会社で造られたもののようである。
早速ネットで検索したら、MIRACLE社は公園の施設や遊具を手広く製作している会社らしい。
だが、製品のページを眺めても、この緑色の珍動物は見当たらなかった。
そこで、「公園遊具 MIRACLE」と検索を進めると、千葉県に本社をおく日本の遊具会社のホームページがヒット。
そのサイトの電子ブック方式の、公園遊具カタログを開くと、なんとここに、あった。
まぎれも無い、緑の珍動物の遊具。
このタイプの遊具は、この会社では「スプリング・ライダー」と呼んでいるらしい。
なるほど、スプリング・ライダーの方がロッキング遊具よりも、この珍動物に似合っている感が強い。
珍動物はカタログでは「フリッポ」と名付けられている。

さらに、「MIRACLE Flippo」と検索を続けると、MIRACLE社のサイトの製品のページに飛んで、このフリッポを見ることができた。 
やんちゃなアメリカのちびっ子が、フリッポに乗って遊んでいる光景の写真が添えられている。
MIRACLE社での正式名称は「Flippo Offspring Rider」となっている。

遊具使用に適した年齢は、2歳から5歳。

件のフリッポの使用上の注意書きには、その年齢幅が3歳から6歳とある。
日本の子どもはアメリカの子どもより1歳遅れているのか、と勘ぐってしまいそうだ・・・。

いずれにしても、やっとこの珍動物の正体の一端が判明したわけだ。
ものの正体を知る方法は、目につかない部分を見るべし。

視点を変えて観察すべし、である。
正体究明の達人であれば、その人物の背面や背後関係から、正体をズバリと見極めるのであろう。
現実には、なかなか、そうはいかない・・・・。




タイヤ交換に使う薄型ソケットレンチ

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5月の始め頃、スタッドレスタイヤを、夏用のタイヤに交換したのだが、袋ナットの締め付けがうまくいかない所が一カ所あった。
電動インパクトのソケットレンチが、一般工具用なので肉が厚くて、右の写真のタイヤホイールの穴ぎりぎりだったのだ。
それでもなんとか4本のタイヤの袋ナットを締め終えたが、一カ所だけ半端にしか締まっていないような気がしていた。

側溝蓋の様々な方法

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西日本では、最近の大雨で側溝があふれることが頻繁に起こっているらしい。
集中豪雨が滅多に無い青森地方では、雨水で側溝があふれることは滅多に無い。 そんなことを考えながら犬の散歩をしていたら、やたらと側溝が目についた。 そうして眺めていると、側溝の蓋には色々な形、いろいろな材料のものがあって面白い。
鉄板のオリジナル側溝蓋 上の写真は分厚い鉄板の側溝蓋。 工場の駐車場前の側溝蓋で、おそらくオリジナルだと思われる。 鉄板の厚さは15ミリぐらいはありそうだ。 重量級のトラックが出入りしても心配ない頑丈さである。 鉄板に長円状の穴を開けているのは、側溝の掃除の際に蓋を持ち上げるための手がかりの穴なのだろう。
しかし、これを人力で持ち上げることは不可能。 穴に長いバールを差し込んで、テコを使って浮かせてずらすぐらいが精一杯。 それでも、溝の掃除はできる。


縞鋼板の側溝蓋 上の側溝蓋は縞鋼板でつくったもの。 軽くて丈夫で、滑り止め付き。 先程の分厚い鉄板の蓋よりもはるかに一般的である。 この蓋は軽めだが、手で持ち上げるための手がかりがないので、側溝掃除の時はバールなどが必要。 縞鉄板の側溝蓋は丈夫だが、重量級のトラックが出入りする場所では、重さで凹んだ鉄板を見かけることがある。
重量制限があるのだ。


木製手作り側溝蓋 上の写真の縞鋼板の奥の蓋は、木製の板でつくったもの。 これは家庭でも手軽に作れる側溝蓋だが、経年劣化が激しいので安全管理が重要。 方法としては最も安易であるから、それだけに弊害も多い。
劣化した板から抜けた釘や木ネジが、タイヤのパンクの原因になる可能性もある。 腐ったドブ板を踏み抜いて足の骨を折るなんてこともありそう。


コンクリートの側溝蓋 上の写真は、おなじみのコンクリート製側溝蓋。 道路管理者が側溝を設置する際に用いることの多いものである。 分厚いコンクリート板の中には鉄筋が入っていて強度を保っている。 蓋を持ち上げるための凹みがブロックの両側についているが、この穴でハイヒールのかかとを折るうっかりな女性もいらっしゃるらしい。 これも重いが、屈強な若者なら、両手で持ち上げることは可能である。




市内で、車両や人の横断の無い場所では、蓋の無い側溝も多く見かける。 積雪時に蓋の無い側溝に足をとられて、転びそうになったことがあった。


グレーチング 私が最も理想的だと思うのが上…

校庭のフェンスと歩道の側溝の間に咲いた黄色い花 キリンソウ

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通りかかった道の傍らで、イワベンケイによく似た花を見つけた。
花の色と形、葉の肉厚感がイワベンケイそっくり。
咲いている場所は、中学校の校庭のフェンスの外側。 歩道の側溝のすぐそばの地面。 他の雑草にまぎれて咲いていた。
校庭のフェンスの外側なので、中学校の生徒の草取りの手から免れたのだろう。

葉の陰に、小さなバナナのようなカツラの果実

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公園のカツラが実をつけた。 青い小さなバナナのような可愛い果実だ。
果実は葉の陰に隠れて、葉と同じ色をしているので目立たない。 マメのような、細長い鞘(袋)を持った実だが、カツラの木はマメ科ではない。
カツラ科カツラ属の樹木。 葉の形がハート形の、カツラの葉に似た葉を持つ樹木にハナズオウがある。
ハナズオウの葉はカツラよりもツヤがある。 こちらは、マメ科の樹木。
マメ科特有の花の形をしていて、濃いピンクの艶やかな色の花を咲かせている。 花が終わるとハナズオウはインゲンによく似た実をつける。
カツラとハナズオウは、ひとつふたつ、似たようなところがあるが、違う仲間。
葉が似ているからって同類と思わないでくれ。
両者は、そう主張する。

花が違うし実が違うってことは、生き方が違うってことさ。

子どもの頃、風に揺れる木の葉の音を、木の言葉だと思ったことがあった。
蝉が鳴き止んだ一瞬、静寂の木陰の下で、よく木の言葉を聞いた。

「おまえ、木の声が聞こえるのか?」

いつの間にそばに来たのか、汗を拭いながら、祖父がたずねる。
「うん、少しね。」
それが普通であるように、少年がこたえた。

「うん、うん・・・」
かつて木の声を聞いていた祖父がうなずく。

メルヘンの世界に、木は欠かせない存在。

樹木は、様々なイメージの陰影を私達の生活に落としている。

カツラの葉がつくってくれる涼しい木陰にいると、そんな空想が湧いてくる。
少年も老人も、木陰で物思いにふける。
その物思いに、傍らの木が語りかけても、なんの不思議も無い。



少雨で花が遅れている、紫陽花の少女のつぼみ

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子どもの頃、「アジサイ」という野菜が存在すると思っていたことがある。 祖母が母に、「アジサイを植えたらいいよ。」と話しているのを小耳にはさんだとき、私はてっきり野菜の話だと思い込んだ。 たしか、「アジサイ」の話になる前に、キュウリとかカボチャの話をしていたような・・・。
とおい昔の話であるが・・・。
「アジサイ」の「アジ」は「味」を連想させる。 「アジサイ」の「サイ」は野菜や白菜の「菜」を連想させる。 おそらく、そういう連想から、アジサイを野菜と思い違いしたのだろう。 アジサイという野菜はどんな味がするのだろうと、ボンヤリと空想したりしていた。

初夏の公園、新参ロッキング遊具の表情

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これは、去年の晩秋に、この公園に登場した遊具。 設置されたのが、冬の直前だったので、去年は使用できる状態では無かった。
基礎のコンクリートが完全に固まるまで安全柵で囲まれ、立ち入り禁止状態。 その後、雪の季節に入ってからはブルーシートで包まれて雪囲いされ・・・・・。
この遊具が始動したのは、今年の春からである。

この「子ども恐竜」の背中のへこみに腰掛けて、足置きになっている「恐竜の足」の部分に足裏を乗せ、背中に打ち込まれているハンドルを握って搭乗者自身が体を揺すると、その反動で「子ども恐竜」の遊具が大きく揺れ動く。

地面と「子ども恐竜」をつないでいる「バネ」の働きで、揺れの反動が大きく長く続く。
このような「揺れ動き」を楽しむ遊具を、ロッキング遊具と言うらしい。
ロッキング遊具の原型は、ヨーロッパに起源をもつ木馬とのこと。 そのキャラクターが馬から、犬や他の動物に変わり、今では写真のような架空の動物も登場している。
この愛嬌あふれる顔とユーモラスなボデイ、愛おしく思える大きな目が特徴的だ。 この点で、子どもに好かれそうだが、実際はどうなのだろう。 そのうち試乗して、ロッキングの動きや乗り心地を確かめたいところだが。
この恐竜の子どもを模したらしいロッキング遊具はポリ製で、湾曲した板状のスプリングは金属製。 写真の通り、二人乗り仕様だ。
ブランコや回転ジャングルジムとは離れた場所で、孤立したようなかっこうで、子ども達を待っている。 緑色の「子ども恐竜」がどこで造られ、どこからこの公園にやって来たのかは、私には不明。
その生まれや出どころについて考えるのは、この遊具の独特な存在感のせいだろう。
去年の晩秋に突然やって来て以来、ひたすら寡黙を通している。
あまりに顔の表情が面白い遊具は、大きな顔が悪童たちの落書きの対象になるらしい。
東京あたりでは、そういうことが起こりがちだという。

この田舎町では、今のところ、このひょうきんな顔は無事である。
そんな顔をして、おまえは何を乗せようと待っているのか。
私は寡黙な遊具に問いかけた。

それは、わかりきったこと。
俺の背中には「そこそこの日常」がすでに乗っているのさ。

なるほど、よく見たら、公園の遊具には、寂しい「そこそこの日常」が乗っている。
「そこそこの日常」を送っていなければ、公園の遊具は楽しめないってことさ。

「そこそこ…

マメ科の植物、シロツメクサの花

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昨日の記事で、シロツメクサがマメ科の植物であるのは意外なこと、と書いた。


シロツメクサの球状の花は、インゲンやミヤコグサの花とは程遠い感じがしたからだ。
遠い昔にタマネギの花をしみじみと眺めたことがあった。
タマネギの花も球状の花序で、遠くから見ると「ネギ坊主」そのもの。
だが、近づいて良く見ると、さすがユリ科の植物、と思わせる。
「ネギ坊主」の中の、ひとつひとつの花がユリの花にそっくりであった。
そのことを思い出して、シロツメクサの球状の花序のひとつひとつをよく見てみた。
なるほど、マメ科の植物である。
ひとつひとつの花の姿は、同じマメ科の植物であるフジの花に似ている。

植物というのは、花の形で、だいたいそのお仲間が解るのだな。
「いずれアヤメかカキツバタ」という言い回しがあるが、その意味は、いずれも美しく選びにくいということ。
いずれも判別がつきにくく間違いやすい花であるが、アヤメやカキツバタはアヤメ科の植物。
ノハナショウブやハナショウブもアヤメ科の植物だが、菖蒲(ショウブ)はサトイモ科の植物である。
アヤメ、カキツバタ、ノハナショウブ、ハナショウブは同じ科なので花の形がよく似ている。
菖蒲(ショウブ)は科が違うので、花の形も違う。
でも、ハナショウブとショウブは同類のような名前がつけられている。
ここがややこしい。

同類は花で見分けること。
花を咲かせることは植物にとっては仕事。
人間も、職種(名前)よりも仕事で見分けることが大切かも・・・。
マメ科の植物、シロツメクサの花からヒントを得た判別方法である。




荒れ地に咲く可愛い黄色の花、ミヤコグサ

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どこにでもある花だが、この辺ではあまり見かけない野草を見つけた。
建物を取り壊した後、しばらく駐車場になっていた土地。
今は、柵で囲ってあって、まったくの空き地になっている。
駐車場の時は、除草剤をまいていたのだろう。
長い間、ほったらかしの空き地になっていたが、草がぼうぼうに生い茂ってはいない。
除草剤の効力が失せた箇所に、ちょこちょこ野草達が育ち始めた。
野草達が生え始めた箇所は、空き地全体の一割ぐらい。
あとは、しらちゃけた土面が露出している。

勝田公園で公園樹のケヤキの葉に、ケヤキフシアブラムシの虫コブが大量発生

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勝田公園にあるほとんどのケヤキの木の葉には、ケヤキフシアブラムシと思われるものの虫コブが大量についている。
ケヤキフシアブラムシの虫コブについては、以前も書いた。
現在、ケヤキの葉に取りついた虫コブの数量は、このとき(5月23日)よりも数倍増している。
一枚の葉に、多い箇所では4〜5個の虫コブが、大きな大腸ポリープのようについている。
これはちょっと気味が悪い。
今年は、ケヤキフシアブラムシが異常発生するかも知れない。

勝田公園には、カツラやソメイヨシノ、シラカバ、トチノキ、ツツジなどが植えられているが、これらには虫コブは見当たらない。
ソメイヨシノの葉で、芋虫のような虫コブを少し見かける程度である。
勝田公園から1キロ近く離れた、平和公園のケヤキの木には、それほど虫コブがついていない。
平和公園のケヤキは、ほとんどが大木なので、地上3メートルあたりから枝が生えている。
勝田公園のケヤキは、まだ小さく、地上1.8メートルあたりから枝がついていて、虫コブは地上2メートル前後にわたって大量に発生している。
ケヤキフシアブラムシは高いところが苦手なようだ。
そのおかげで、平和公園のケヤキは助かっている。

このケヤキフシアブラムシの幼虫をスズメが食べるそうだが、こんなにたくさんあっては辟易するだろう。
田舎でよく見かけたスズメの大群は、このあたりでは見かけることも無い。
このところの小雨も、ケヤキフシアブラムシの虫コブの大量発生の手助けになっているとすると、敵なし状態ではないか。
ケヤキフシアブラムシは7月の中頃から8月にかけて羽化するというから、今年の勝田公園周辺は、虫で賑わう夏になりそうだ。




一目瞭然、平和公園のヘラオオバコの分布

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先日、ヘラオオバコのことについて書いた。

今日の記事は、青森市平和公園のヘラオオバコについて。
平和公園では、ヘラオオバコの分布状態が一目瞭然。
まことに明解である。
深く調べなくても、ざっと見て解る。
この記事は、ざっと見て解った程度の、平和公園におけるヘラオオバコの分布について、簡単に書いたものである。

下向きに咲くエゴノキの花を見て「ひたむき」という言葉を思い出した

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長い間、その言葉から離れていたので、その言葉とは縁が遠くなってしまっていた。
「ひたむき」というのが、その言葉のこと。

下向きに花開くエゴノキの白い花を眺めていたら、「ひたむき」という言葉を思い出した。

私のダジャレアンテナが、働いたのだ。

「ひたむき」、ちょっと耳慣れない響きだけれど、そういう言葉があったっけかな。

平和公園の池の睡蓮

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平和公園の池に睡蓮の花が咲いた。
睡蓮と聞くと、眠くなる。
子どもの頃、真夏に釣りをしながら、沼の睡蓮を眺めていたら睡魔におそわれた記憶がある。
睡蓮は人を眠らす魔性の花だと思っていた。
見ると眠くなる。
だから、小さい頃、睡蓮は見ないようにしていた。
少年の迷信は独創的過ぎて、一般化されることは無い。
葬儀用品の印刷物にも睡蓮のイラストが使われていることが多い。
あ、あれは蓮の花だったか・・・・・。
いずれにしても、睡蓮に対しては不吉なイメージを抱いていた。
沼に落ちたら、睡蓮のツルが足にからまって溺れる。
睡蓮の円形の葉の下には、水死体が隠れている。
水中から目を見開いて、空を眺めている。
この水死体と目があったら、水の中へ引っ張り込まれてしまう。
ポケットの中にビー玉を入れているように、頭の中には睡蓮に対する迷信があった。
意気地の無い少年は、迷信の創作が得意だったのだ・・・・。

昔、日本では睡蓮をヒツジグサと呼んでいたらしい。
未の刻に花を開くから、そんな名前がついたのだという。
未の刻は、午後2時前後のこと。
この写真は午後4時頃のものだから、ヒツジグサはそろそろ眠りにつくころだ。
実際は、朝から夕方まで花を開いているようだ。

高山の沼や高層湿原の池塘(ちとう)に咲いている睡蓮は、ヒツジグサと呼ばれている。
睡蓮は高山植物としては、ヒツジグサなのだ。
群馬県尾瀬ケ原のヒツジグサは有名だ。
南八甲田の横沼でもヒツジグサは見事に咲いている。

平和公園の池の睡蓮は、やや貧弱な感じがする。
栄養分が不足気味なのかなと思っていたら、睡蓮は水位の安定した貧栄養の水質の池や沼に生育する多年草ということ。
この池には注水口があるから、この池の水は水道水と思われる。
おそらく・・・・。
水道水の池では、横沼のヒツジグサのようにはいかないだろう。
ヒツジグサは貧栄養の水域に生育するからといっても栄養分が必要ではないということではない。
素人の浅はかさかも知れないが、ヒツジグサはヒツジグサに適した栄養分を求めているに違いない。


癒しの空間、小雨の宵宮の残照

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青森市では、これから真夏にかけて、市内の各神社で次々と宵宮が開催される。
宵宮とは、神社の本祭りの前夜祭のことで、宵宮祭りとも言われている。 この地方では宵宮を「よみや」と呼んで、元旦の初詣並みの参拝客が訪れる。
宵宮祭りは、ひっそりとした地域のお祭り。

不思議な雰囲気を漂わせている野草 ヘラオオバコ

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私の犬の散歩コースには、青森市の都市公園が6カ所ある。
そのほとんどが、夏草の刈り払いが済んでいるが、この公園はまだのようだ。
下の写真のように野草が生い茂っている。
刈り払いを免れた草むらは、野草好きな方にとっては野草の宝庫と言える。
私は、野草好きと呼ばれるほど、野草についての知識を持っていない。
カタバミとかムラサキツユクサとかドクダミとか、普通に誰もが知っているような草の名前しか知らない。

飼い犬の散歩で公園に入るたびに気になっていたのが、写真にあるこの野草。
オオバコに雰囲気が似ているからオオバコの仲間だろうと思って調べてみたら、ヘラオオバコという草だった。
今、この奇妙なヘラオオバコの花盛りだ。

草の世界も面白い。

ひょろ長い茎の先端で、不思議な雰囲気の花を咲かせている。
他の野草よりも背が高いので、草むらで、この不思議な花はよく目立つ。
長い茎の先にある花の穂は、下の方から順番に花を咲かせているようだ。
花の穂から輪状に糸のようなものが伸びて、その先についているのが「おしべ」である。
私の下手な写真では解りにくいが、おしべの群れの上方で緑色の花穂からピロピロ出ている白い糸が「めしべ」。

ヘラオオバコはヨーロッパ原産の野草で、日本で見られるものは、その帰化植物であるらしい。
日本に流入したのは、幕末の頃という。
ヘラオオバコは風媒花で、花粉症の原因植物となっているようだ。
その一方、去痰・利尿に効き目のある薬用植物でもあると言われている。
私の周辺では、薬用という目的でこの野草に接している人は皆無である。
ヘラオオバコは「外来生物法」という法律で要注意外来生物に指定されているらしい。
「外来生物法」とは、特定の外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律のこと。
最近では「セアカゴケグモ」が有名になった。
ヘラオオバコの外観には、不思議な雰囲気が漂っていて、「要注意外来生物」であると言われると、何やら遠い星からやって来たような存在感が感じられる。
葉がすべて茎の根元から生えているのと、ひょろ長くて背の高い茎と、風変わりな花の外観が、そう感じさせているのかも知れない。

いかにも生態系を壊しそうな侵略性に富んでいる姿だ。

草むら一面に生えた背の高いヘラオオバコが風に揺れて花粉をまき散らしている様は、花粉症の患者にとっては驚異的。






言葉遊びの効能は頭の稼働領域を広げる?

「かくしごと」という平仮名に漢字をあてて、まったく違う意味の言葉をつくりなさい、という頭の体操。

隠し事。

隠し子と。

各紙ごと。

書く仕事。

無理のない範囲内で、ざっとこれぐらいか。

白い花と赤い花、どちらを好むか?

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散歩コースにある小学校のグランドの脇の公園で、ヤマボウシの赤い花を見つけた。
赤いヤマボウシ。
子どもの頃、似たような題名の映画を観たことがある。
たしか・・・「赤い影法師」という忍者物の映画だった。
女忍者役の木暮実千代さんが、子供心ながら妖艶に見えたのを覚えている。

涼しげに垂れ下がるエゴノキのつぼみ

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昔の人は、木の実を見つけると、何でも口に入れてみたようだ。 エゴノキの実は、口に入れると喉や舌を刺激して「えぐい」らしい。 「えぐい」とは、あくが強くて、いがらっぽい感じの味覚のこと。
エゴノキの名前の由来は、この「えぐい」からきているという。

何人もの人が、このエゴノキの実を摘んで、「えぐい!えぐい!」と叫び声をあげたことだろう。
昔の人々の叫びが、木の名前になった。

涼を呼ぶ、噴水とケヤキの木

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日中の気温が上がって、夏本番も間近というこの頃。
当地は10日間ぐらい晴天続きで、まとまった雨がない。
春先は極端な低温続きで、桜の開花がずいぶん遅れた。
今は、極端な雨不足。

このところの天候は、極端に振る舞っておいでだ。

予測や予感のストーリー

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予測や予感の元となっているのは経験や体験であると思う。

まれに、特殊な個人の霊的な能力が未来に対して予知を示すこともある。
その確証については明確ではない。
その確証がはっきりしているなら、様々な難問題の多くは未然に解決できたはずである。

おまえは誰?

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居酒屋を出て、細い路地を歩いていたら、背後に人の気配を感じた。

ひょろ長い路地は、古い昔からの通りで、照明に乏しくて暗い。

私は少し酔っていたが、その暗がりの中で後をつけられていることには、なんとなく気がついた。

私がゆっくり歩くと、後の者もゆっくりの歩みになる。

私が立ち止まると、向こうも止まる。

カラスに襲われて、木に登ったまま降りられない猫

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公園のすぐ側に住んでいるおばさんの話では。
朝早くから、公園でカラスの鳴き声がうるさかったそうだ。 何事かとおばさんがその辺りを見に行くと、木に登った子猫をカラスが攻撃している。 という。

注目を集める写真

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面白い写真や美しい写真は、人々の注目を集める。
そんな写真は、多くのメディアで利用されることになる。

書くことで日常の錯覚を点検し、曇っていた意識を鮮明にする(気を晴らす)

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息抜きや休憩は、生活の展開を切り替える方法である。
好調に進んでいた日常が、停滞する。
気分が落ち込んだり、頭が重かったり。
仕事や生活に気力が湧かなかったり。
気分が、どんよりと曇る。
そういうときに、気分転換がもたらす効能は大きい。

笑える

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冷やかし笑いとか嘲笑とか、人の気持ちを傷つける類いの笑いは別として。

そのほかの、人の気持ちを明るく快活にする笑いは、たいていは歓迎される。
人間は、悲観的な心情になると物事に失敗することが多い。

驚かせる

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驚かせるとは、相手の固定観念をくつがえすこと。

人が驚くためには、思いもしない出来事が起こらなければならない。
「夢にも思わない」という慣用句通り、意外性に満ちたものに人は驚く。
予想外の事態の展開や結果。
恐怖が原因の驚きや、そのマナーの悪さにあきれかえって驚くことは、不快な感情をともなう。
私たちが求めているのは、驚くと同時に感嘆すること。
多くの人々がサプライズに期待するのは感動だ。
私たちは感動したいのだ。
母子の泣き別れと再会の物語も確かに感動的だが、通り一遍のストーリーでは感動が薄れてしまう。
ありがちな物語だ。
それが人間の親子ではなくて、犬の親子だったらどうだろう。
別れ別れになった犬の親子が再会するなんて、かなり意外だ。
その再会のストーリーに、色々な意外性が加われば、私たちは驚く。
世の中にはこんなことも起こりうるのだ、と感動する。
いままでそういう物語があったとしても、意外性があれば、まだまだ感動の余地はある。

固定観念をくつがえすには、漫然とした日常を観察する必要がある。
日々の生活で慣らされた自身の「予測する機能」を疑うことだ。
観察することは、いつもと違う何かを見つけることにつながる。
ドラマはすべて日常のなかで起こるから、日常生活にはヒントがたくさんある。
ただ私たちの予測機能は、過去の事例を反復してばかりで、驚きに値する現実を発見する能力に欠いている。
好奇心は失われ、目先の安全を目指す理性だけが厳格なネクタイのようにぶら下がっている。
固定観念でがっちりと構築された日常は手強い存在だ。

たとえば、普段の生活での、一風変わった具体例を出して意外な見解を示してみる。
人々が通常することの逆をする。
それが思いもよらないことであっても、そのこと自体にはたいした驚きはない。
大きな驚きは、その先にあると思う。

何かをする

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世の中には、何かを言おうとしている人は大勢いるが、何かをしようとしている人は案外少ない。

だが、私たちは常に何かをしている。
小さな子どもは「何をしているの?」と質問することが多い。
愛らしい笑顔に、大人は丁寧に答えなければならない。

伝えるとは?

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私たちは、ときおり、何かの説明を求められることがある。

自分の頭の中には、「伝えたい事」が既にあるが、それをもっとも伝えやすい方法でプレゼンしなければならない。

説明という行為は、その内容が相手に伝わったことで終了する。

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