2012/01/31

夕焼けに映える日本家屋の窓の表情

生活全般、和風が好きか洋風が好きかと問われれば、両者は生活の中に混在しているので、なんとも応えられないものです。

和室が好きか洋室が好きかと問われれば、私は、断然和室です。

和室であれば、板の間もなかなかですが、やはり畳敷きのシンプルな部屋が良いですね。

窓際で本を読んだり、部屋の真ん中でごろ寝したり、部屋の隅でお酒を飲んだり、壁際に布団を敷いてぐっすり眠ったり、いろいろ出来ます。

ストレッチや腕立て伏せも、畳の上でなら快適に出来ます。

洋室だと、大きいソファーがあったり、テーブルがあったりで、生活の動きと言うか、居住スタイルが限られてしまうような気がします。

古い日本家屋なら、部屋のほとんどが和室という家が多いのではないでしょうか。

私は和室が好きと言うよりは、古びた木造の日本家屋が好きなのです。

家の外壁が下見板の板張り壁なら最高ですね。

そんな家は、見かけなくなりましたが・・・。

窓はサッシではなく、木枠にはまったガラス窓が良いです。

古い日本家屋は、そこに暮らす人の思いが込められて建てられていますから、様々な形のものがあります。

その家の形にも表情がありますが、窓にもいろいろな感情が漂っているように思われます。

窓は、家の外の風や光を部屋の中に入れたり、部屋の中から外の景色を眺めるためのものですが、外から眺められる対象でもあります。

古い日本家屋の家全体を眺めてみると、窓が一番表情豊かであるような気がします。

夕陽を浴びて照り返しているガラス窓からは、部屋の様子は解りませんが、窓の表情から、そこに住む人の生活の感情が感じられます。

私の感情が、その窓の感情に交ざろうとするとき、あの2階のガラス窓の部屋に一晩泊まりたいという、とりとめも無い想いが湧いて出ます。

見知らぬ木造家屋に郷愁を感じてしまうのです。

ここで暮らしている人達は、私が昔見知った人達や、夢の中で出会った人達に違いないという空想が、夕闇とともに私の思いに広がるのです。

2012/01/30

家の鏡と床屋の鏡の映りの違い

白髪が目立つようになってから、あることに気が付きました。

家の鏡で見るよりも、床屋の鏡でみた方が断然白髪が目立つ。

白髪が多いように見えるのです。

しかもその白い部分が、幾分光って見えるようなので、尚更目立つのです。

そう感じるのは、私だけでしょうか。

ためしに、「家の鏡と床屋の鏡」でネット検索したら、Q&Aサイトで、「家の鏡と床屋の鏡に映った自分の顔が違う」と言う質問者がいました。

2012/01/28

地震の予知・予測についての雑感

今日午前9時22分ごろ、この地方で地震がありました。

揺れの強かった地域は、県南地方で震度4のところもありました。

ちょうどこのとき、私はコンビニの駐車場で菓子パンを食べながら週刊誌を読んでいました。

クルマが小刻みに揺れはじめたので、カーラジオをつけたら、地震のニュースが流れていたのです。

そう言えばこの間、東京大学地震研究所というところの研究チームが、マグニチュード(M)7クラスの首都直下地震の発生確率の試算を発表しました。

それによると「4年以内に起きる可能性は70%」であるそうです。

4年以内といえば、かなり間近であります。

素人の私には、随分具体的な「地震予測」に思えて、びっくりしました。

びっくりした訳は、こんな試算が出来るのなら、去年の3月11日発生の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の発生確率の試算はなぜ出なかったのだろう、ということです。

3.11の地震を予測・予知していたという女性がネット上で話題になったのは、3.11以後のことのようです。

そのほか、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)を予知していたという人物もいたようです。

いずれも、3.11以後話題になっているようですから、地震の予知・予測という現実的な情報発信からはかけ離れていると思います。

地震大国である日本で暮らしていれば、「いずれ大地震が起る」という程度の予感は、多くの人々が持っています。

3.11の大震災を予測出来た人物は、自身の予感にまったく自信が無かったのか、3.11以前には大地震の予測をアッピールできなかったようです。

地震の予測には、これから地震が起きる大体の時期と場所と規模の想定が必要です。

それが無ければ、地震の予測としての意味が無いでしょう。

地震の予測は、地域住民の生命を守るための備えや避難を促すものでなければならないからです。

もちろん地震大国の日本に暮らしていれば、予測の有る無しに関わらずどの地域でも、地震に対する出来る限りの備えは必要です。

地震の研究には多くの学者先生が関わっているようです。

その地震予測の的中率が話題になっている先生はいらっしゃいます。

でも、予測の結果多くの人々の生命を救ったということで、話題になっている学者先生はまだ出現していないようです。

我々庶民は、信頼出来る情報を収集し、流言飛語に惑わされずに、考え、行動する知恵を身につけたいものです。

2012/01/27

日本人は、なぜラーメンが好きなのか?

日本列島は酷寒に包まれているようです。

こういう寒い日は、温かいラーメンが体を温めてくれます。

寒い日の温かい思いは、幸福感に繋がります。

ラーメンは気軽に食べる事が出来る食べ物です。

ラーメン店は気楽な雰囲気を持っているお店です。

ちょっと小腹が空いた時に、手軽な料金で気楽に食べられて幸福感を得る事ができる。

ラーメンの人気の秘密は、その「軽さ・楽さ・幸せ」ではないでしょうか。

日本人は簡単なものの言い方を好みます。

縮めて、調子の良い発音(語呂)を好むのです。

木村拓哉さんを「キムタク」とか。
カーレースのフォーミュラワンを「エフワン(F1)」とか。
スマートフォン(スマートホン)を「スマホ」とか。

ものの言い方の軽さや、言い易いという「楽」のなかに幸福感を見いだしているのだと思います。

丼のスープの中に、炭水化物があり、肉があり野菜(ネギ)がある軽妙なバランス感覚。

それらを同時に口の中へ入れる事ができる軽快さ。

食べるのに時間を要しない気軽さ。

小腹が空いた時の軽食ではあるが、食事一食分としても用が足りる便利さ。

もちろんラーメンは、麺類好き汁物好きの日本人の味覚・食感を満たしている「料理」でもあります。

縮めて言うものの言い方と同様、ラーメンもまた、気軽で食べ易いという「楽」のなかに幸福感が漂う食べ物なのです。

しかも味のバリエーションは豊富です。

魚ダシを中心にしたアッサリ系や、動物肉ダシを中心にしたコッテリ系。

醤油スープや塩スープや味噌スープ。

薄味、濃い味、それに辛い味。

ラーメンは「様々な味の組合せ」という方法で、老若男女の厚くて幅広いファン層を作っています。

日本人はなぜラーメンが好きなのか。

それは、日本人は「軽楽」な幸福感が好きだからです。

ラーメンを食べて得られる、刹那の快楽的幸福感が好きだからです。

庶民的な感覚では、「楽=幸福」であるからかもしれません。

2012/01/25

白一色の厳冬期に入る

旧正月(今年は1月23日)も過ぎて、この地方は厳冬期に入りました。

いっとき緩んでいた天候も、昨日あたりから降雪が続くようになっています。

また、雪かきを余儀なくされる日々です。

雪かきの苦痛を訴える人、雪かきに悲鳴を上げる人、雪に呪いの言葉を浴びせる人、それらの人々が積雪量に比例して増加します。

雪かきに積極的に取り組む人もいます。

そういう人々には目的があるのです。

住宅の通路や駐車場の雪を片付けて、自分の家の周りを整えるのが単純に楽しい人々。

この人達は、マイホーム派とでも言いましょうか。

体力維持や筋トレ目的で、筋肉に負荷をかけながら雪かきを楽しんでいる人々。

この人達は、体育会系とでも言いましょうか。

どうしたら効率良く雪片付けができるか、雪かき道具を自分流にカスタマイズしながら雪かき労働を研究している人々。

この人達は、探究派とでも言いましょうか。

整然と雪片付けをしている事を、近所に自慢したい人々。

この人達は、暇人派でしょうね。

類別(?)すれば、様々な目的を持った人達が雪かきを楽しんでいることが解ります。

でも、雪かきによる過度の労働は、身体の故障(疲労骨折や転倒による怪我、捻挫)などに繋がりますから、毎日の無理の無い力配分が大事です。

こうして、様々な目的を持って雪かきを楽しんでいる人達は、雪かきの技術が一般よりも秀でていると思います。

雪から逃げるのではなく、雪と積極的に交わっている人々は、雪に対する理解が深いと思います。

こういう人達が、雪かきの技術的な方法を、もっともっと追求すれば、雪国の雪害による窮状は、緩和されることでしょう。

毎日繰り返される雪かき運動が、市民の雪かき労働が、量から質への転換を求められていると思います。

雪かき道具の改善、雪かき行政の改善、雪から逃れられない運命にある住民の意識の改善。

白一色の厳冬期に入り、美しい雪は私達に変革や改善を求めているようです。

美しいものの言う事には耳を傾けるべきでしょう。

2012/01/24

なぜ私のわきがは臭いか

前回の記事で取り上げた「わきが」についてです。

「わきが」は悪臭を放つとよく言われていますが、私自身の「わきが」を私はそれほどの悪臭とは思っていません。

これは私自身が長い間私の体臭と接している過程で、臭いの感覚が持続しなくなって、自身の体臭に気付きにくくなっているからでしょう。

周囲の人から指摘されて、はじめて私は「悪臭」を放っているのだと自覚するのです。

ネットで調べると、わきがの原因とか、わきがになりやすい人の体質とか、治療法とかのいろいろな情報に接する事ができます。

それらの情報を通して、「わきが」についての知識を深めることは出来ます。

しかし、ネットには、自分の「わきが臭」がどの程度の悪臭であるのかを、自身で検証する方法について述べているサイトは無いようです。

「なぜ私のわきがは臭いのか」は他人によってしか判別できないようです。

専門の医師によって、わきが(液臭症)と診断され、そのレベルを告げられるという次第になっているようです。

もっとも身近であるはずの体臭が、自身にとっては最も理解不能な存在でもあるのです。

この「体臭」を、「考え方」に置き換えてみたらどうでしょう。

もっとも多く接している自身の「考え方」が、自身にとってもっとも理解不能な「考え方」であるのかもしれません。

「自分の考えでものを言えよ」とか「自分の頭で考えてみろよ」とか言われて、はっとしたことがあります。

知識とか思想とかは後天的に獲得したもので、先天的に、体臭のように持ち合わせているものでは無いと思うからです。

もし、遺伝的に知識や思想を持ち合わせていても、それは自身の体臭のように検証不能です。

自身の考え方は、他人(社会)の批判によって、進行形として形作られていくものだと思います。

それは、自身を離れた文化なのだと思います。

私は私の体臭を、他人の反応によってしか理解出来ないのです。

絶海の孤島に独りで生きているなら、体臭なんて気にしないでしょう。

人は、社会の中で「自身の考え方」を絶えず気にしていなければなりません。


あえて「自身の考え」という念を忘れて、周囲の他人の考えを犬のように嗅いでみるのも、ひとつの手かもしれません。

そうすれば、「なぜ私のわきがは臭いのか」が理解できるような気がします。

わきがと薄毛の関係

昨日の記事に多汗症のことを書きましたが、私は多汗症ではありません。
でも、「わきが」です。
「わきが」は液臭症と言うらしいです。

自分が「わきが」であることは、中学生のときに同級生に指摘されて、初めて知りました。

今日はその「わきが」の話題です。

例の理髪館で散髪終了後の耳掃除を、女主人にしてもらっているとき、彼女が得意げに言ったのです。

「ねえ、あんた、わきがでしょう」

「え、そんなに臭うかね?」

「臭わないけど、ほら、ほら。」

彼女は耳掻き棒の先に乗っかった私の耳垢を目の前に差し出して言います。

「ねとーっと湿っているでしょう、うふふ、これがわきがの証拠だわん。」

「え、なんで」

「なんでて、体質なのよ、耳垢が湿っている人は、ほとんどわきがなのよ。」

理髪館のマダムに言わせると、日本人の多くは耳垢が乾いているそうです。
湿性耳垢の人は少数派で、しかも体臭が強いということらしい。
マダムが長年の床屋商売から得た知識のようです。

「へーえ、体質なのか。」と、私が感心して言うと、
「わきがと薄毛も関係があるのよ。」と、彼女は私の頭頂部をサワサワ撫でながら言います。

「えっ、それも体質なの。わきがの人は薄毛になりやすいの?」

「うひゃ、うひゃ、うひゃ」

例によって女主人は、豊満な腰をよじって、あやしい大笑いを発しています。

「わきがと薄毛の関係はね、わきがも薄毛も女性にもてないってこと」

「うひゃー、うひゃ、うひゃー」

彼女の高笑いが、背もたれを倒した理容椅子に横になった私の頭上で響いています。

「ここで、育毛マッサージを受けて薄毛を直すと、あなたのわきがの臭いセクシーねって言う女性が現れるかもね、うふふ。」

そして、一段と、
「うひゃー、うひょー、うひょー」

彼女の高笑いが、豊満な胸の大揺れとともに、私の頭上で響き続けます。

2012/01/23

缶コーヒーと歯周病

この頃、缶コーヒーを飲み続けたせいか、上顎右奥歯の辺りの歯周病が悪化している。

痛みを伴ったぷよぷよが発生中。

今までの経験からして、缶コーヒーと歯周病は、私の場合、密接に関係している。

缶コーヒーが私の歯周病を悪化させていると思う、私の場合はね。

そしてストレス解消と缶コーヒーにも密接な関係がある。

私は、ストレスが蓄積すると缶コーヒーが飲みたくなってしまう。

ストレスは歯周病にも悪い影響を与える。

ストレスと缶コーヒーは、歯周病にとって悪悪だと思う。

悪悪の悪循環が歯周病を悪化させているのだ。

缶コーヒーは微糖だろうが無糖だろうが関係無い。

缶コーヒーである事自体が、私の歯周病に良く無いと思っている。

歯茎が痛み出したから、もう飲まない。

でも痛みが止んだら、また飲むかもしれない。

飲むかもしれない私は、いいカモだ。

歯科医師のカモになっている。

歯と歯の隙間にネギをはさんだカモネギだ。

思い切り笑え。

思い切り笑って、ストレス発散。

思い切り笑って、免疫力増強。

歯周病にさよならだ。

街に自動販売機が溢れ、40歳以上の日本人の八割が歯周病だ。

缶コーヒーと歯周病の関係。

これは、私に限った事かもしれません。

おそらく、多くに人には無縁な悪循環かもしれません。

汗かきと多汗症の違いについて考える

私の知り合いに、恐ろしく汗かきの人がいて、彼は季節に関係無く汗をかいているようです。

本人は「多汗症」という病気だと思い、内科の診断を受けたところ、単なる汗かきと言われたそうです。

運動をして汗が出るのは当たり前だ、と言われたのです。

その汗の量が半端では無いと医師に言ったら、単なる個人差の問題だから気にするほどの事では無いと却下されました。

汗の量の多い少ないは、多汗症という病気とは関係無いということです。

人は他人よりも違いが多いと、病気かなと思いがちなところがあります。

そんなに気になるなら、精神科でカウンセリングを受けてみたらどうかね、とその内科の医師に言われたそうです。

そのとき彼は、
「俺は精神的に大丈夫だから、精神科へは行く必要がない。」
と心密かに思ったようです。

気になるほどの汗の量なら、多汗症かもしれないね。
でも、日常生活に支障が無いなら、多汗症じゃないかもしれないね。
と言うのが、知人の話を聞いた私の感想です。

「俺って、わきがもあるし、多汗症なんじゃない?」

医師に多汗症じゃ無いと診断されても、まだ疑っているのです。

まるで、単なる汗かきだと、ダサイとでも思っているようです。
汗かきの上に、「単なる」ではなく、公的なレッテルが欲しいような素振りに見えます。

「単なる存在」では不安なのでしょう。
説得力のある既存の何かに属して、他者からの承認を得ないと不安なのかもしれません。

「帰属性」という言葉が頭に浮かびました。

「単なる存在」であれば、永久に「単なる汗かき」というダサイ存在であり続けます。

「多汗症」という公的な存在に属していれば、「単なる汗かき」というダサイ存在から脱却でき、多汗症からも脱却できると思っているのかも知れません。
彼の話し振りから、そう察せられます。

これはこれで説得力があります。
要するに彼は「汗かき」という現状を変えたいのです。

ううむ、と私は唸ります。
多汗症素人の私には唸るしかありません。

「やっぱり、精神科のカウンセリング受けたらどうかね。」

これが私の、最良のアドバイスかなと思った次第です。

ブログにおける写真やイラストの役割

ブログにおいて、写真やイラストが果たしている役割は大きい。
画像の有無が、そのブログへのアクセス状況を左右していることは、ほぼ間違いないでしょう。

寝汗をかいた時は、夢の中で焦っていた。

今朝方も軽い寝汗をかきました。

パジャマのズボンがちょっと湿っぽいかな、という程度の寝汗です。

夕べは夕食を食べた後に、350ミリリットルの缶ビールを3本と、鱈の乾物のツマミを一袋近く食べてしまいました。

夜の10時半までテレビを見ながらそうしていたのです。

それも寝汗に原因していると思います。

今朝の4時頃、夢から醒めて、目を覚ましました。

夢の内容は、こうです。

仕事が暇なので、市バスの運転手のアルバイトをしていたのでした。
お客さんを乗せたまま、路線のコースが解らずに、田圃のあぜ道を走ったり、大きな工場の敷地を走り回ったりしていました。

夢とは、こんなものですね。
早く路線のコースに戻らなければと、夢の中で非常に焦っていたのです。

夢の中で、焦ってかいた冷や汗が、そのまま寝汗になったのかもしれません。

余談ですが、「焦る」という言葉の語感が「汗」を連想させますが、「汗」が「焦る」の語源に関係していることは無いようです。

「焦る」のアセは早いという意味と関係があるようです。

早く片付けなければならないのに後回しにしている事があって、それが気持ちの負担になっているのでしょう。

それが原因で「焦る夢」を見たと思います。

就寝前の食べ過ぎも、胃腸の負担になります。

内臓の負担が、気持ちの負担を刺激して、「焦る夢」を見させたのかもしれません。

寝汗は心身から発せられるサインです。

寝汗をかいた時は、たいてい夢を見ています。

何かに失敗した夢とか、恐い夢とかを見ていたように思います。

自律神経のバランスが危うくなりかけているのかもしれません。

注意が必要です。


2012/01/22

様々な実感が作る、映像記憶としての錯覚

実感とは、実際に物事に接して心に感じること。
または、体験しなくても実際のように感じること。
それが錯覚でも、実際に接したように生き生きと感じるのであれば、それも実感。

たとえば、犬の散歩で知らない道に迷い込む。
未知の場所なのに、初めての道だと言う実感が湧いてこない。
むしろ、「この道はいつか来た道」というふうに反対の実感が湧いて出る。
知らない道だという実感が、いつか来た道であるという実感にすり替わってしまう。
その記憶は、あやふやだけれども懐かしいものでもある。
それは、ある種の感動からそうなる。
心を大きく動かされた時、その未知の場所が確かな手応えを伴って心に迫ってくる。

言葉遊びの言葉の解釈

「ある人は十銭をもって一円の十分一と解釈し、ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈すと。同じ言葉が人に依って高くも低くもなる。言葉を用いる人の見識次第である。」


夏目漱石の小説「虞美人草」の中の、この一節が名言として、多くの人に慕われている。
この言葉を「座右の銘」とする方もいらっしゃるらしい。
「座右の銘」とは、「いつも自分の座る場所のそばに書き記しておいて、戒めとする文句」のこと。

そんなに大切な文句なら、書き記すことなんかしないで暗記したらどうだろうか。

ひとつの事実の捉え方によって、その事実と接した人の気持ちが前向きになったり、そうでなかったりする。
冒頭の、「虞美人草」の一節を、そういう風に解釈する方もおられることだろう。

言葉を用いる人の感性しだい。

「ひとりの男を上方から見下ろせばハゲ頭男だが、その男を下方から見上げればヒゲ面男になる。同一人物が滑稽にも偉そうにもなる。人物評価する人の社会的地位次第である。」

これは、今思いついた、私の冗談。


意味深な言葉を放てば、その言葉が独り歩きして、いろんな場所で遊び歩く。

その言葉が巡り巡って、自分のところに帰って来る。

おやまあ、ずいぶん垢抜けて、粋になってもどってきたねぇ。
俺の言った言葉とは思えねーよ。

言葉遊びの楽しさは、空想の楽しさでもある。

2012/01/21

「爪もみ」という家庭で行える療法

「あんた、薄毛とか白髪を気にしていたでしょう!」

携帯電話から、例の理髪店の女店主の元気な声が聞こえてきます。
その声は、勢いあまる活力の放出みたいに、私の耳に響くのです。

「今日マッサージの先生から良いこと聞いたのよ。」

彼女は、美容と健康に良い事なら、何にでもチャレンジするタイプの女性なのです。

いつまでも若く美しくありたいと願っている彼女は、週に一回、「健康と美容のマッサージ」というのにも通っています。
その生活姿勢が、彼女の大柄で豊満な体躯を支えているのでしょう。

「ツメモミがねぇ、ハゲに良いそうよ。」

理髪店の経営者でありながら、頭髪に関する「差別用語」をぽんぽん言う「快活」な中年マダムなのです。

「私はハゲではないよ」と言うと、
「予備軍よ、予備軍!それにはねぇ、ツメモミが良いそうよ。うふふ、アッチの方も強くなるそうよ、うふふふ、うふふふ。」

例によって、艶っぽい嬌声が私の耳にまといつきます。

聞き慣れない「ツメモミ」という言葉に、意味を問い返してみると、
「手の指の爪もみよ。」と言う声が返ってきました。

「ネットで調べてねっと、きゃほほほ、ひゃひゃ、うひょうひょ。」

最後は馬鹿笑いで電話が切れました。

ネットで調べてみると、これは自分でも簡単にできる指のツボのマッサージで、やってみる価値はありそうです。

あの免疫学の大家と言われている安保徹先生も推奨しているとか。

簡単で害の無さそうなマッサージなので、継続的にやってみようと思います。

興味がおありの方は、ネットで「爪もみ」と検索してみて下さい。
関連サイトがいっぱい出てきます。

サイトの「爪もみの方法」のページでやり方を読み、早速実行。

爪もみを施した時、それぞれの指の感覚が違っていて面白いと思いました。

ただ、薄毛予防ではなく、親指のツボが円形脱毛症に効果があるということのようです。

アッチの方(精力減退)に効くツボは小指だとか。
理髪館の中年マダムも、なかなか良い事を教えてくれます。

2012/01/20

屋根の雪下ろし事故はなぜ起るのか?

雪国の屋根。
降雪量の増加とともに、東北地方では住宅の雪下ろし作業中の死傷事故が増えています。

雪下ろしの死傷事故で多いのは、屋根からの転落事故や、作業者が屋根の雪とともに落下して雪の中に埋まってしまう埋没事故などです。

年齢的には、60歳以上の高齢者が圧倒的に多数です。

2012/01/19

乾燥肌が改善したのは雪かき運動のおかげか?

このところ背中の痒さがありません。

このところ、というのはこの地方が大雪になって、毎日のように雪かきに汗を流すようになってからです。

そういえば、年が明けてから背中に保湿クリームを塗っていません。

体を捻って、銭湯の大きな鏡で自分の背中を覗いてみると、引っ掻き傷が消えて比較的奇麗な状態です。

汗を大量にかく事が、乾燥肌の修復に良いのかなとと思って、ネットで調べてみたら、逆でした。

インターネット上の乾燥肌についての記事では「汗は乾燥肌の大敵」とありました。

汗は、発汗した後すぐに角質層に入ってしまうのだそうです。
すると角質細胞は水分を吸収して膨張し、その水分が蒸発して乾くと、汗によって膨張した皮膚の構造は元に戻らずに縮んでしまうのだそうです。
この結果、角質細胞は乱れてしまい、肌は乾燥状態になってしまうとか。

また、次のような記事もありました。
汗をかくと、肌に必要な潤い成分が汗や皮脂と一緒に流され、汗が乾くと肌に必要な水分も奪われて乾燥してしまう、ということです。

では私は、この間の雪かきで背中に大汗をかき続けたのですから、背中はスカスカに乾燥して、その痒さに背中をかきむしり、背中中血だらけになっているはずです。

結果は、冒頭に書いたように、その逆でした。

汗をかく度に、こまめに濡れたシャツを着替えたことが良かったのでしょうか。
でも、これも「汗は乾燥肌の大敵」という記事に対抗できるような内容ではありません。

通常、雪かきは防寒具を着込んで行います。
私の場合は、寒がりですから、防寒着の下にセーターとかトレーナーとか下着とかを重ね着しています。
この状態で雪かきをして汗ばむと、重ね着によって出来た空気層が汗のため高湿度状態になります。

運動による体温の上昇と冬の外気の冷たさが、背中の重ね着の部分で絶妙なバランス状態を保ち、それが保湿効果になるのでは。
この保湿効果が乾燥肌を改善するのに貢献するのではと、私は推測しています。

ネット上の「汗は乾燥肌の大敵」と言う記事に書かれている汗は、夏場の暑い時期に自然と流れる汗を想定しているように思います。

冬の冷気の中でかく汗は、夏場の肌を荒らす汗とは別物ではないでしょうか。

冬場に、冷気のなかで運動してかく汗は、肌を美しくすると言う「冷凍美容」と関係があるのかもしれません。

医学的な根拠の無い、私の極めて個人的な推測ですが・・・・。

私の背中の乾燥肌が改善したのは雪かき運動のおかげだと思っています。

年老いて頼りになるものは何か?

老木の根元
年老いても、根元がしっかりしていれば・・・。
もちろん、お金です。

でも、お金はいつまでもあるとは限りません。

お金は失うものだからです。
経済の混乱や政変で、価値が下がる可能性もあります。

盗まれることもあります。
落とすこともあります。
年老いては、判断力が鈍り騙し取られることだってあるでしょう。

お金は頼りになりそうで、「頼りない」ものです。

では、年老いて頼りになるものは何か?

それは、その人の長い人生で培ってきた「生きる知恵」でしょうね。

生きる知恵は、その人が生き続ける限り存在します。
そればかりか、生きる知恵は、その人の経験や学習によってパワーアップします。

盗まれる事も、落とす事もありません。

騙し取られることだってありません。

年老いて、判断力が鈍っても、それを知恵が補ってくれると思います。

生きる知恵を獲得するために努力してきた人なら、そう簡単にボケません。

「生きる知恵」とは、そのように頼りになるものだからです。

「生きる知恵」とは、その人固有の生きる方法です。

「知恵」というイメージの具体的な内容は「方法」であると思うからです。

「方法」とは、ものの考え方や、問題を解決する上での手順のことだと思います。

「技」と言っても良いと思います。

そういう「方法」を身につけることが、生活の知恵だと思います。

年老いて頼りになるものは、年老いた自身です。

自身の中にある、その人固有の「生活の方法」です。

私の冬の寝汗の対処法

最近は、ひどい寝汗をかかなくなりましたが、7〜8年前は一冬に何回も大量の冷たい寝汗をかいていました。

暴飲暴食が激しかった頃です。

パジャマがぐっしょりと濡れて、寝具のタオルケットや毛布まで濡れる事もしばしばでした。
そういう時は、下着やパジャマの着替えをして、タオルケットや毛布を交換し、敷き布団の冷たさを我慢しながら朝までうつらうつらという有様でした。

寝汗をかいた日(寝汗は、午前3時頃から5時頃にかけてかきます)の夕方は、布団乾燥機を3時間ほどかけて、布団をサラサラの状態にします。

食生活や睡眠不足を改善して、冬場の寝汗も回数が減るようになりました。
やはり、規則正しい生活は大切です。

それでもちょくちょく冬場の寒い寝汗に襲われることがあったのです。
少々の寝汗では、寒くて眠い夜中に起きて、着替えをしたり寝具を交換したりするのが面倒です。

そこで湯たんぽの登場です。

冬場は、通常の寝汗でも布団は湿っぽくなりがちでしたから、布団乾燥機は常時使用していました。
それで、サラサラホカホカ状態になった布団の足元部分に湯たんぽを忍ばせたのです。

私は寒がりで冷え性ですから。布団の中が温か過ぎて嫌だということはありません。

布団の中の熱さが気になった時は、湯たんぽを足で押して、布団の端の方へ移動し温度調節をします。

書き遅れましたが、私の寝汗は、ほとんど下半身に集中します。
主に大腿部のところが冷たい寝汗で濡れるのです。

寝汗をかいて寒くなった時は、この湯たんぽを大腿部に引き寄せて暖をとっていましたから、寝汗の冷たさは気にならずに済みました。

雪国の冬場は、布団干しがしにくい季節ですので布団乾燥機は重宝です。

これが当時の私の、冬の冷たい寝汗から睡眠を守る方法でした。

これは私自身の、極めて個人的な、ある意味特異な対処法です。
多くの、冬の寝汗でお悩みの方に、お薦めできるようなものではありません。

どちらかと言うと、滑稽な笑い話に属するような経験談で、参考になるものではありませんのでご注意下さい。

ひどい寝汗が続くようなときは、病院の医師の診断を受けるのが最良な生活の方法だと思います。

若返り(アンチエイジング)の方法

トレーニング
老化をスポーツでカバーする。
近頃、アンチエイジング商品の宣伝普及活動がとても活発です。

美容関連商品や健康関連商品でアンチエイジングという言葉をよく見かけます。
その他、食事とか漢方とか整形手術とか、アンチエイジングの世界(手法)は多岐にわたっています。

アンチエイジングとは、日本語で「抗老齢化」という意味で使われているようです。
アンチエイジングが盛んに唱えられるようになった背景には、日本の高齢化社会があるのは周知の事です。

しかも各高齢者の事情、年金が安く老後の社会保障も不確かだと言う個人事情(私も)も加わっています。

最近では、アンチエイジングの治療法なども宣伝されています。

活性酸素を無害なものに変えるという抗酸化。
体に溜まっている有害物質・毒素を体の外へ排出するというデトックス。
老齢化に伴う様々な症状を和らげるためのホルモン補充。

このような治療法があるようです。
その効果については、私にはわかりません。

こういう治療方法が出現する以前から、昔から、高齢でも尚若々しい人達が周囲に居た事も周知の事実です。

目的のある生き方をされている方は、いつまでも若々しいと言えるのではないでしょうか。

近頃では、アンチエイジングを生きる目的と重ねている高齢者もいらっしゃるようです。
治療にいそしんで、アンチエイジングを生きがいにしている方は、老後の生活にもゆとりのある方なのでしょう。

私達高年齢の普通生活者はアンチエイジングが生きるために必要な条件です。
老齢化していくことは、生きる手段を失うことでもあるからです。
その逆に、生きる手段を得ることもあるかもしれません。

人間の欲望にはキリがありません。
歳をとったから、これで良いということはありません。

もっともっと貪欲に生きてやろう。
お金も欲しいし、あれも欲しいこれも欲しい。
歳だからと言ってくたびれてなんかいられない。

なんでも、まだまだやれるんだぁ〜。

これが私のアンチエイジングの方法です。

温かい衣服で寒い冬対策

冬の防寒着
寒い冬は暖かい服装で。
この雪国でも伊達の薄着をしている若者をよく見かけます。

元気な若者だからと言って、やせ我慢をすれば体に毒であるのは言うまでもありません。
まして我々高齢に近い人間が伊達の薄着をしたら、身体は少なく無いストレスを抱え込む事になるでしょう。

寒さ対策は、健康を守り若々しい活動力を守る事です。

近年、冬の防寒着にアウトドアスポーツウエアが流行っています。
保温性に優れ、活動的で、色合いなど見た目もカッコいいからでしょう。

人に見られていることで若返ることもありますから、衣類の選択は若さを保つ方法として重要です。

いくらおしゃれであっても、肝心の防寒機能を活かせないようでは、本来の活動力を生み出せません。

体にぴったりとした下着は、一見保温力に優れているようですが、窮屈で体を締め付ける結果になり、血流を悪くしそうです。

衣類と衣類の間に温かい空気層を作る、ゆったりとしたサイズの下着が良いと言われています。

冬山での保温のポイントは、頭(顔)、首、腰、手首足首です。
頭部は露出されることの多い部位ですし、首・腰・手首足首は関節が大きく動く部位ですので衣類で覆い難いところです。

保温のポイントは、雪国の街中でも同じ事です。
おしゃれで保温性のすぐれた帽子で頭部を守り、腰部を覆うインナー(例えば腹巻き)を着用し、手首まで覆う手袋、ネックウォーマー・レッグウォーマーで身をかためれば、マタギのように活動的になれます。
多く着込んで多少太めに見えても、若々しく動ければ、魅力的でカッコいいと思います。

補助的に使い捨てカイロを下着に貼れば、寒さで縮こまることは無いでしょう。

そんなに着膨れては窮屈だと思う人もいらっしゃるかもしれませんが、今の時代は、軽くて伸縮性のある安価なものが出回っています。

工夫すれば寒い冬でも魅力的に、活動的に振る舞えます。
各人独自のその工夫が、脳を若返らせることにも繋がると思います。

寒い冬が老化を促進させる

年齢が進むと、女性も男性も肌が乾燥しやすくなるそうです。

これは、私自身、身に覚えがあります。

乾燥した寒い冬は、特に肌が乾燥しやすいので、肌の老化が進むのだそうです。
肌の老化が進んでいると、寒い冬場はいっそう肌が乾燥しやすいということになります。

つまり、冬場は老化の悪循環が起りやすい季節だということなのでしょう。
冬の老化の悪循環は、お肌の美容に限ったことではありません。

年齢が進むと、女性も男性も行動力(活動力)が減退します。
知力や体力の老化が進んでいると、寒くて雪に閉ざされた雪国の冬場はいっそう行動力(活動力)が減退します。
知性や肉体の働きが少なくなれば、機能が衰えて、ますます老化が進むと考えられます。

冬の季節には、老化を促進させる要素が多く潜んでいます。

各人にもよるでしょうが、それを逆手にとる事も可能です。
冬こそ若返りの季節なのだという意識を強く持って冬に臨めば、老化の進行を抑えることは可能だと思います。

私はそう確信して、冬場も活発に動き回っています。
スキーや雪かきが、いまのところの主な「冬の利用」の方法です。
雪国で生活する人々は、可能な限り冬を利用して、よりよい生き方を追求すべきでしょう。

冬の寒さは、それ自体が身体にとってストレスになります。

昔と違って現代は、保温性の優れた衣類、保温のためのグッズ(使い捨てカイロ等)、暖房器具などが発達しています。

これらを上手に活用すれば、寒さによるストレスを軽減することが可能です。

老齢な人の、冬場の屋外での活動には限界があります。
その限界が、さらに老化を促進させているのでしょう。

身体的な活動が制限されても、精神は自由です。

パソコンに向かい、インターネットの知的広がりに興味を持てば、知性的な活動を活発化させることが出来ると思います。
そういう活動を通して、脳を若返らせることも可能ではないでしょうか。

雪の多い寒い冬でも、生活の方法を探る事は出来ます。

寒い冬の老化促進を防ぐ方法を考える事自体が、老化防止に役立ちそうです。

2012/01/18

頻繁におナラが出るのは呑気症か

臭い話ですみません。

私はおナラがよく出る方です。
よく屁をこきます。

臭い時もあれば、空気のように無臭に近いときもあります。

自身では、胃腸が弱くて消化不良ぎみなのでおナラがよく出るのだと思っていました。
おナラの事で医者様にかかったことはありません。

世の中には「呑気症」という病気があるそうです。
「空気嚥下症」とも言うらしいです。

その症状は、比較的量の多い空気を無意識に飲み込んでしまうことで、胃の不快感や痛み、お腹が張る、げっぷやおならが出る、空気が移動する時にお腹が鳴るなどがあるようです。


呑気症の方の胃に溜まる空気の量が通常の三倍くらいになっていしまい、そのような症状が出るのだそうです。


原因としては、食事をしている時に空気を取込みすぎることがあげられています。
口を開けて食物を噛む癖のある人は、呑気症になりやすいとか。

私は蓄膿症(慢性幅鼻腔炎)なので、口を開けたまま物を噛んでいることがよくあります。

義歯の不適合も原因としてあげられています。
私は歯並びが悪い上に義歯もありますから、これも該当するかも知れません。

パソコン作業など、俯き加減の姿勢でいることが多いのも影響があるとか。
ううむ、これも当てはまりますね。

精神的ストレス。
ストレスの無い精神は存在しないでしょう。

呑気症を治療するには、薬物療法やカウンセリング、スプリントの装着などが有効であると言われています。

そんなに大げさな事をしなくても良いのでは・・・。

食事のとき口を締めて噛むようにすれば、症状は改善するような気がしますが。

私にとっては、ちょっと息苦しいような感じですが、それが呑気症に対処する生活の方法であると思います。

ネットで以下のような記事を見つけました。

「呑気症は、命にかかわるような病気ではありません。くよくよ考えずに、放っておいて好きな事に熱中しましょう。毎日楽しく過ごしているうちに、いつの間にか治ってしまったというケースもたくさんあります。」

おナラなんか、気にしない気にしない。

でも悪臭の強いおナラは、呑気症などという暢気な病気ではなく、重大な病気が原因になっていることもあるそうですから、要注意です。

雪かきは雪国の人々の埋葬行為を暗示

今日は、冬型が緩んで久しぶりに穏やかな冬の日です。

昨夜の降雪はありませんでしたが、今朝も朝早くから雪かたづけをする人の姿が見かけられました。

早朝、黙々と家の敷地の雪をかたづけています。

近くに公園とか空き地とか、雪を捨てる場所のある人は、スノーダンプに雪を積んで押して運んでいます。

スノーダンプから雪を捨てるとき、頭が下がって姿勢が前かがみになり、祈るような格好でスノーダンプを押しているように見えます。

雪かきは、雪の埋葬行為であるとともに自身の埋葬行為でもあるのかも知れません。

雪国の人々は、雪の中で育ち、雪の中に死んで行くのです。
雪の中に死んで行く覚悟を持って、雪の中で生きていると言えるでしょう。

雪国には、人に頼るのを嫌う人々がいます。
自分の事は自分で始末をつける、という信念で生きてきた人達がいます。

雪国で一人暮らしをしている老人は、そういう信念が無いと生きていけません。

そういう老人が、アパートの通路の雪かきをしている。

春がくれば雪が溶けて消えるように、いつかは自身も消えてなくなる。
そういうイメージを持って雪かきを繰り返しているのではないでしょうか。

雪をかたづけながら、自身をかたづけている。
雪を運びながら自身の生を運び、そして埋葬する。

えんえんと繰り返される雪かきは、雪国の生活者の埋葬を暗示しているように思えます。

それは自身の死を遠見した生の繰り返しです。
日常生活もそのようにあるのですが、雪かきは日常から切り離した儀式のように見えます。

毎日降り続く雪を、毎日葬る。
それは、生の連続を、苦行を通して生をネガティブに念じる行為と似ています。

雪かきと言う、ある意味苦行である行為を通して自身を葬り、また新しく生まれ変わって、雪にのぞむ。

自然に望み、自然に挑む。

雪かきは、雪国の人々の、自身の埋葬行為を暗示しているように想えます。

今朝の寝汗の原因は、夕べ寝る前にサラミを食べたこと

夜中の4時頃、寝汗の冷たさで目を醒しました。

気が付いたら、下半身が汗で濡れて不快な状態でしたが、寒くて我慢出来ないというほどではなかったので、そのまま眠り続けました。

原因は、夕べ、寝る前にサラミを食べたからでしょう。

夜の9時頃から10時半頃まで、テレビを見ながらサラミを摘んでビールを飲んでいたのです。

サラミはおつまみ用の、袋に入っているものです。
直系が10ミリぐらいで、長さ4センチぐらいの細くて短い棒状のサラミを、セロハンで巻いて袋に納めてある安価なおつまみ用サラミです。
「カルパス」とも呼ばれているものです。

それを20個ほど食べました。
ビールは500mlの缶ビールを2本。

サラミは消化が悪いようです。
消化吸収に時間がかかると言うか。

そんな消化の悪い物を、寝る前に大量にお腹へ入れたものだから、寝汗をかいたのだと思います。

そんなことは、予感していたのですが、いっときの快楽のためにサラミを次から次へと食べてしまいました。

明日の健康より今の快楽、という庶民的なパターンです。
私の寝汗も、極めて庶民的な寝汗です。

サラミはビールによく合いますからね。
以前、白カビ付のウインターサラミを食べましたが、ビールのつまみに最高でした。
ああいう美味いサラミはもっと大食いしてしまうでしょうから、寝る前に食べたら大量の寝汗をかくハメになることでしょう。

消化の悪いものを就寝前に食べると、なぜ寝汗をかくのか。
それはわかりません。

それは私の度々の経験から、そう思うようになったのです。
寝汗をかこうがかくまいが、寝る前にものを食べるのはよく無いことです。
これは、昔の人の言い伝えにあります。

昔の人は、医学的な知識が無くても、豊富な経験の蓄積から物事を判断したのでしょう。

私は、今朝の寝汗の原因は、夕べ寝る前にサラミを食べたことだと思っていますが、寝汗をかく人にはその人固有の原因があると思います。

ひどい寝汗が気になる方は、病院で診察を受けるべきだと思います。

人の顔が覚えられない・相貌失認

私は、人の顔の見分けがちょっと苦手です。
最近では、氷川きよしと杉浦太陽を同一人物だと思っていました。

昔、NHKの大河ドラマで「三姉妹」というのがありました。
それに出演していた栗原小巻を吉永小百合だと思い込んでいたのです。
当時の栗原小巻が、吉永小百合に見えていたのでした。

同じくその大河ドラマに出ていた山崎力を緒形拳と見間違えていました。

そういう勘違いは、あげたらキリがありません。
大分昔の話ですが・・・。

今は当然、その違いがはっきりとわかります。

でもこの間、5年ぐらい会ってない知人の顔を見分けられませんでした。
薄暗い場所で、しかもその人物がちょっと太っていたこともありますが・・・。
私の視力が弱まっていることもありますが・・・。

「相貌失認」という病気があるそうです。
顔に対する認識力が、一般の水準よりもはるかに劣るのがこの病気の特徴のようです。
いわゆる、人の顔が覚えられないのです。
こういうことに縁のない人は、ちょっと不思議な印象を持たれるでしょうが、私にはなんとなくわかります。

でも、私は「相貌失認」ではありません。
「相貌失認」の病状は、頻繁に顔の勘違いをする程度のものでは無いようです。
「顔に関する記憶力の欠如」
簡単に言えば、このような症状です。

私は、覚えている顔の方が、断然はるかに多いです。

人の顔を覚えられずに、日常生活で問題を起こした事はありませんし・・・。
でも、人の顔を忘れがちですから、「ちょっと生意気な奴」と思われているかもしれません。
ごくごく微小に「相貌失認」の傾向があるのかも・・・・。

こういう病気があるということを、世間の多くの人が知っておくべきだと思います。
本人の悪意や魂胆では無く、本当に相手の顔を認識出来ないという症状があると言う事。

2012/01/17

大腸ポリープの切除手術をしてから一年経過

去年の1月15日に、大腸のS字状結腸に出来たポリープを内視鏡で切除して一年が経ちました。

去年の今頃は、雪かきも出来ずスキーも出来ず、じっと安静を保っていた時期でした。

もしかしたら大腸癌になっているかも知れないという不安な日々を過ごしていたのです。

あれから一年、私の大腸には要観察の小さなポリープがまだ3個残っています。
でも、別段、お腹の調子に異常はありません。

コンビニで恵方巻きの宣伝・売り出し

一日に一回はコンビニに入ります。

トイレを借用したり、缶コーヒーを買ったり、小腹が空いた時に菓子パンを買ったり、だいたいがそういう用件でコンビニに入ります。

正月が終わって、この頃コンビニで目につくのが恵方巻きの宣伝。
年が明けて間もないころからコンビニ店内の壁面に掲示してあったように思います。
店の入口付近には「恵方巻き」の幟も揺らめいていたり。

この関西地方の節分の習慣が、いつの間に東北まで北上したのか覚えていません。

気が付いたら「節分には恵方巻き」の宣伝がコンビニやスーパーに溢れていました。
以前は、節分用の落花生が、節分近くになるとワゴンに盛り上げられているだけでしたが、「恵方巻き」が新たな商戦の切り口を開いたのです。

節分の夜に、その年の恵方に向かって願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじりする風習が恵方巻きです。
また、その太巻きを恵方巻きとも言うようです。

東北地方に住む我々には馴染まない習わしですが、縁起が良いとなれば飛びつく庶民性は全国共通なのでしょう。

日本の年中行事は、全て、商業的催事として成り立つ要素があります。
人の集まるところや、人が何かを行う日は、大きなビジネスチャンスの場です。

その時に向かって計画を立て、物を生産し、販売して成果を上げる。
正確な見通しと生産量と販売力が合致して、はじめて一定の利益が上がる仕事だと思います。

世間では、便乗商法だと嘲笑ったり非難したりする人もいらっしゃいます。
ひとつひとつの小さな商売の発展が、その国の経済的な豊かさに繋がっているのだと思います。

便乗商法も創意工夫がなければできません。
恵方巻きも、関係業界の販売促進活動の努力があって、このような全国的な習慣にまで広がったのでしょう。

その便乗商法によって人々が元気になり、街が活性化するのです。
生活の節目が、人々の生活感にメリハリを与えます。

恵方巻きによって、家族や地域共同体の交流が弾めば、それも生活の方法と言えるでしょう。

創意工夫や努力によって支えられた商売は健全です。
経済成長の力強い推進力となることでしょう。

節分に恵方巻きを丸かじりする人々が日本の経済を支えているのかも知れません。
商業的催事を嘲笑うのは簡単ですが、商業的催事の果たしている役割は無視出来ないものがあります。

2012/01/16

女性の雪かき作業の美容効果

雪国での住宅の雪かき作業は、男性だけの仕事ではありません。
住宅地の通路や駐車場などの雪かきをしている女性を多く見かけます。

年齢層も幅広く、20代の女性から70代の女性まで、様々です。
雪国の多くの女性は、手慣れた様子で、効率良く雪かきをしています。
年齢の数だけ場数を踏んでいるのです。
それは雪国の生活者ですから、当然ですね。

冬場の圧迫性蕁麻疹

昨日、スキーで張り切り過ぎて疲れたのか、両足首に圧迫性蕁麻疹が出ていました。

両足首の靴下のゴムがあたる部分が痒くなって、めくって調べたら、軽度のミミズ腫れが出来ています。
その部分には、ズボン下(タイツ)のゴムもあたるので、二重に締め付けられている状態です。

冬場に、足首や腰まわりの圧迫性蕁麻疹がよく出ます。

冬用の衣類による圧迫が原因でしょうが、身体の疲労度の目安にもなっています。

冬場はスキーや雪かきのし過ぎで疲れやすい季節です。

この症状で病院に行ったことは無いので、圧迫性蕁麻疹の診断を受けたことはありません。

風呂に入って、患部を刺激しないようにしていると1〜2日で治ってしまうし、跡も残らないので、勝手にそう自己診断しているのです。

冬場は、寒冷蕁麻疹というのもあるらしいのですが、これは経験した事がありません。

でも、今回の蕁麻疹が温度差による物理的な原因も考えられるので、圧迫性蕁麻疹と寒冷蕁麻疹の複合タイプかもしれません。

私の場合、蕁麻疹は軽い湿疹程度で済んでいますが、危険な蕁麻疹もあるようです。

特定の食品を食べた後に運動すると、気管の入口の粘膜が腫れて、呼吸困難に落ち入る蕁麻疹です.
「食物依存性運動誘発蕁麻疹」という名で呼ばれています。
「食物依存性運動誘発アナフィラキシー」とも言うそうです。

昔の人は、食後すぐに運動や仕事をしてはいけない、と言っていました。
それは食べ物の消化に悪いからとか、肝臓を休めないといけないからという意味だと教えられました。

私の母親は「親が死んでも食休み」と、よく言っていました。
どんな場合でも、食後の休息は大切だということだそうです。
食後の休息なしで働くのは、健康上よくないということだと、彼女は言ってました。

この日本の古いことわざは、「食物依存性運動誘発蕁麻疹」という危険な蕁麻疹も想定に入れていたのかも知れません。

冬場の圧迫性蕁麻疹から、アナフィラキシーの話が出てしまいました。
たかが蕁麻疹ですが、出る場所によっては死に至る病となることもあるようです。

2012年の冬は大雪

大雪
大雪に埋まる自動車。
ついに市内の積雪量が120㎝を超えました。

1月上旬現在で、6年ぶりの大雪だそうです。

雪の降り方も、集中的に降って止む間が無い日が多いという有様。
雪国には雪が溢れて、よりいっそう雪国になっています。

居酒屋で、南の方からこの地に来た転勤者に、雪国の生活方法を尋ねられました。
ここ最近の大雪に、この雪だらけの場所で、どうやって暮らしていけば良いのかわからなくなったと言うのです。


それはまず、雪を知ることじゃないかな。

と言うと?

雪国の冬は雪があるのは当たり前だから、その雪と上手につき合わ無くてはいけない。
雪と上手につき合うには、雪のことを知ることが一番だと思うよ。

どうすれば雪を知ることが出来ますかね。

敵を知るには、敵の懐に飛び込むことさ。

え、それは寒そう。

そういう心構えで、雪と接するのだよ。

と、言いますと・・・・。

手っ取り早い方法は、雪と遊ぶことだね。
遊んでいるうちに、だんだん雪のことを知るようになる。

ウインタースポーツは苦手なんですが・・・。

別に、スキーやスノーボードだけが雪と遊ぶ方法では無いよ。
遊び心を豊かにすれば、雪かきだって遊びになる。

えっ、あの、しんどい雪かきが遊びになる?

高いお金を払ってトレーニングジムに行かなくても、雪の負荷で筋肉トレーニングができるでしょう。

ええ、それは、可能でしょうね。

そうやって雪と親しめば、スキーをやりたくなるかも知れない。

まあ、スポーツは好きですから・・・。

そうやって、雪と仲良くなれば、雪国の生活も辛いだけでは無くなると思うよ。


今年の大雪に、街は雪だらけです。
雪の中にポッカリ空いたホットスポットのような居酒屋は、お客の熱気と鍋料理の熱気で暑いぐらい。
白い雪の中に赤く灯る赤提灯は、冬景色に馴染んでいます。
雪に包まれた空間には独特の趣があります。
それを楽しむのも、雪の楽しみ方。
雪国の情緒は、雪から生まれたのですから。

2012/01/14

スナックも様々、ママさんも様々、お客さんも様々

「常連となっているスナックの飲み代」を読んだ知人から携帯に電話がありました。

「あんたの行ってるスナック、めっちゃ安いねえ」

その社長さんは、いわゆる繁華街の飲食店の集合ビルの、ミニスカートの若い女の子が数人常駐しているスナックで、飲んで騒ぐのが好きな方なのです。

そういう方の通う店から比べると、私の行きつけのスナックは違う世界です。

どちらかというと店内はスナック風ですが、内容は、料理の少ない居酒屋というようなイメージのスナックです。

ママさんも若くはありません。
年齢は40代半ばです。

彼女を「美人ママ」と言うお客さんもいますが、まあ、普通ではないかな。

ママ独りでやっている店で、キャッキャッ騒ぐ若くて元気な女の子はいません。

常連客も、50代から60代の人が多いのが特徴です。
落ち着いてお酒を飲むのが良いという人が多い店です。
カラオケが鳴りっぱなしのときもあれば、常連客同士がひそひそとおしゃべりしているという時もあります。
どこにでもよくある、田舎町のスナックです。

楽しく飲む場所を提供するというのがママさんの考えで、お色気を餌に高料金を釣り上げるというような店ではありません。

と書いても、お色気系の店を否定するわけではありません。
それはそれで、良いものなのでしょう。

私は、このママさんと知り合いで、常連客も知り合いの方が多くて、飲んでいる時間が気楽だから、たまに通っているのです。

お酒を飲むことを、和むことだと思っているお客さんが多い店なのです。

場所も繁華街から離れた、「下町風」なところにあるスナックです。

この不景気の最中、一息つける安い飲み屋さんがあるというのはありがたいことです。

繁華街の飲食店の集合ビルにある、旧態依然の高額な料金システムの営業スタイルの店は、お客さんが減少傾向にあるという噂です。

この不景気をきっかけにして、飲食店の営業スタイルも「変わり時」かも知れません。

スナックの経営を、自分の仕事としてとらえているママさんなら「次世代飲食業」のイメージを温めているかも知れません。

しかし、私の知り合いのママさんは、店の掃除や洗い物、子供のことで忙しくて、「次世代飲食店スタイル」などは夢のまた夢のようです。

常連となっているスナックの飲み代

知り合いの店
昨日の記事と関連して、私のこの間のスナックの飲み代についてのメモ。
久しぶりに、知り合いの店に行ったので、たくさん飲んでしまった。
10時30分頃まで、飲んで歌った。
これでも早めに切り上げたせいか、二日酔いにはなっていない。

2012/01/13

スナックの飲み料金の相場

スナック(バー)のカウンター席。
ネットには「知識検索サービス・知識共有サービス」という意味合いのサイトが色々あります。

こういうサイトは、解らないことや知りたいことの質問を書き込むスペースをユーザーに提供しています。

その質問に対して、知識や経験を持ったユーザーが回答を書き込むスペースを設け、その回答を多くの人が閲覧出来るというシステムになっています。

そういうサイトを覗いてみたら、「スナックの料金について、相場をお尋ねします。」という質問がありました。

この質問者は「相場」という言葉を「標準価格」という意味で使用して、広く知識者・経験者に尋ねているのでしょう。

うーむ、あんなものに標準価格ってあるのだろうか・・・。

私が経験したスナックの飲み料金は、めちゃくちゃ高いか、有り難いぐらいに安いか、このふたつの中間か、ですね。

「標準価格」とは、この「ふたつの中間」のことかも知れません。

でも中間と言っても、高い方に近い金額もあれば、安い方に近いものもあります。

結局、いろいろあるのがスナックの料金だと思うことが、いちばん間違いが無いと思います。

高く取られたらどうしよう、などと心配する人は、料金表の出ている居酒屋さんで飲食した方が良いでしょう。
最近の居酒屋さんは、最新カラオケ完備のところが多いですし。

スナックで飲む時に、ビールは幾ら?酎ハイは幾ら?ポテトチップは?焼そばは?と料金のことを尋ねるのは、野暮とかセコい飲み方をするとかの、世間的な通念があるようです。

それに、奇麗なスナックのママさんを前にしては、見栄を張りがちになってしまいます。
スナックでの飲み代金は、そのお客の虚栄心の強さに比例するかも知れません。

また、飲むほどに酔うほどに気が大きくなるのが飲んべいというもの。

ママさんに促されるがままに、どんどん本数を重ね、ガンガンカラオケで歌えば、料金が上がるのは必須。

腰が重く、切り上げの悪いお客様は、「標準価格」のお店でも高額な支払いを迫られると思います。

スナックでの飲み料金は、個々のお客様次第でして、ラーメン屋さんのような「相場」などは無いに等しいのではないでしょうか。

これが「スナックの料金について、相場をお尋ねします。」という質問に対する、私の経験から得た回答です。

楽しく飲み、おしゃべりする。

2012/01/12

冬に辛いものを食べると顔に大量の汗をかく

私は、寒い日に、辛いものや熱いものを食べると顔や頭、背中に大量の汗をかきます。

季節的には冬がもっとも多いですね。
あと、晩秋とか初春とかの寒い日に、そうなります。

味噌ラーメンとかカレーライスとか、熱くてちょっと辛いものを食べると、顔が茹で蛸のように赤くなって大量に汗をかくのです。
もちろん激辛のものを食べると、風呂上がりのような状態になります。
辛いものを食べると、たいていの人は汗をかくようですが、私の場合は極端なのです。

30代のころから、そうなったような気がします。

高校生の頃、緊張すると顔に汗が出てくる傾向が強かったので、若い頃のそういう傾向も影響しているのかなと自身で勝手に思い込んでいます。
赤面症の傾向もありました。

今でも緊張すると、顔や背中が汗ばむことがあります。
冬にそういう風に汗ばむと、頭から湯気が上がりました。
頭から湯気が上がっていると思うと、尚更気持ち的に追いつめられて(あせって)、また大量の汗が出るという、その繰り返し(悪循環)でしたね。

緊張症というかあがり症というか、そういう生まれ持った性質なのでしょう。

若い頃は、不便な性質だなぁと思っていましたが、30代頃から開き直って、「俺はこういう質なんだから、仕方ないじゃないか」と自身に言い聞かせているうちに、緊張症の傾向は薄くなってきたように思います。

茨木のり子さんの「汲む」という詩にも勇気づけられた思い出があります。
以下、気に入っている部分の抜粋です。

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大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇  柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……


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      茨木のり子詩集 「汲む」より

さて、辛いものを食べて大量に汗ばむ話ですが、これが寒い時期に顕著に出るのは「冬の寝汗」と関係があるのかなとも思っています。
「冬の寝汗」もある種の夢を見た時にそういう風になったりして、気持ち的な原因もあるかなと思っているからです。

でも、ものを食べて汗が出るのは生理的な原因もあるような気がします。

ネットで調べると、「多汗症」とか「自律神経失調症」とか、そういうものとも関係があるかも、と思ったりしますが、無理に病気になることも無いでしょう。

こうして考えると、人の目を気にすることで病気になることもあるのでは、と思ってしまいます。

ラーメンを食べながら汗をかいている人はちょくちょく見かけますし、そんなことを気にするよりはハンカチの汚れの方を気にしたら良いんじゃない。

きれいなハンカチがお守りになってくれるさ。
そうです、きれいなハンカチは頼もしい味方です。
「冬に辛いものや熱いものを食べると顔や頭に大量の汗をかき、顔が真っ赤になる」ことに対する対策(解決方法)は、きれいなハンカチ1枚で良いかも知れません。

2012/01/11

白髪ぼかしで老い隠し

昨日、散髪に、例の女店主の経営する理髪店へ行きました。

散髪が終わって、改めて鏡を見ると、白髪が目立つ爺さん顔の自分にちょっとショック。

家では、薄暗い洗面所の鏡ばかり見ていたので、目立ってきた白髪に気が付かなかったのでしょう。

あんまり老け込んだ顔つきだと、私の商売に差し支えるかも知れません。
こんな年寄りに仕事をまかせられないというお客さんが出て来るかも知れません。

白髪を目立たないようにする方法はないかと、例の理髪店の女店主に今朝電話をかけてみました。

「あんたの頭じゃ、白髪染めにしろ白髪ぼかしにしろ、強い薬を使うから無理よ。」
という返事。

そうなのだ、私の頭は、ちょっとした刺激で頭皮が荒れてしまうのだった。

と思うと同時に、髪の毛を染めるのにそんなに刺激の強い薬剤を使うものなのかと、少し驚きました。

女店主の話によると、頭皮の弱い人は毛染めの薬剤で頭皮に痛みを感じる人もいるということです。

「化けるのも、大変な苦労がいるものなのだなぁ」と言うと、
「多少の白髪があったって、あんたは充分若く見えるわよ。」とうれしいことを言う。

「いや、もっと若くて馬力のある男に見せないといけないんだ。」と言うと、
「それ以上馬力があったらどうするの、あんたは欲ね、ふふふん。」と笑いながら言う。

きっとまた、肉付きの良い腰を捩って、大柄な体を揺すって笑っているのだろう。
鼻にかかった笑い声が、妙に耳にまとわりつく。

欲とはよく言ったものです。

「若い頃は自然の力で生きてきたけど、これからは欲で生きていかなくちゃならないんだ。」と、開き直った風に言うと、
「まあ、激しいのね、何の欲で生きていくのさ?」

「つまり、いろいろ生きる欲だね。」と言うと、
「なあに、エロエロ性欲だって、まあいやらしい、ふふふ、ほほほ。」と激しく笑っている。

女店主は大笑いすると顔が紅潮してくるのだが、それが見えるような笑いっぷりなのだ。

「とにかく、あんたは白髪ぼかしの薬剤を使うと害が出るから、毛染めなんて安易に考えないことね。他の方法で若く見せることでも考えたらど〜お、ほほほほ」

「はい、考えておきます。」と言って、電話を切ったのでした。

ネットで調べると、白髪染めシャンプーとかヘアカラートリートメントとかもあるらしいが、効果が出るまで3ヶ月ぐらいかかると言うから、ちょっと考えもの。
地肌にやさしいとは言うものの、私みたいにすでに荒れている頭皮には向かない気がします。

見てくれよりも、内面のパワーを蓄えることで老いを目立たせない方法がいちばんかも知れません。

雪かき運動で体力・筋力を増強

雪国では自宅の雪かきは必須です。

特に今年のような大雪の年は、雪かきは冬の日課のようになっています。

一般的には、冬は運動不足になりがちな季節と言われていますが、それは雪国には当てはまらないでしょう。

朝の雪かきで出る汗の量をみても、雪かきがかなりの運動量であることがわかります。
下着のシャツはもちらん、重ね着しているトレーナーまで汗が染み、上着(防寒具)の背中部分にまで汗が達することがあるくらいの運動量なのです。

これを一日続ければ重労働でしょうが、私の場合は1〜2時間で済みますから適度な運動になります。
私は、冬場の体力づくりの方法として雪かきを取り入れています。
雪国の雪かきは家事労働ですが、私にとっては、体力・筋力増強のためのトレーニングになっています。

朝の6時前に起きて、30分ぐらい犬の散歩に出かけます。
犬の散歩が終わってから、雪かきを始めるのです。
雪かきを最初にすると、犬は雪かきが終わるまで待ってくれず、クゥ〜ンクゥ〜ンと鼻で泣きます。
それに、犬の散歩で徐々に体を慣らした方が、起きていきなり力の入った雪かきをするよりも体に優しいと思っています。

まず、スノープッシャーと呼ばれている、手で押して地面の雪を柄の付いたショベルで寄せ集める道具で、自宅の駐車場や通路の雪を一ヶ所に集めて、高さ1メートルぐらいの雪の山を作ります。

その雪の山にスノーダンプ(ママさんダンプ)を押し込みます。
スノースコップ(ポリスコップ)でスノーダンプに、更に雪を盛り、それを押して25〜30メートルほど離れた公園へ雪を運びます。

近所の人がこの公園を雪捨て場に利用するので、公園には高さ2〜3メートルほどの平ったい雪の山が出来ています。
その雪の山を登って、平ったい部分を山の端までスノーダンプを押して進み、スノーダンプを傾けて、空いている場所に雪を捨てます。

これを各家庭で繰り返しますから、公園の雪の山は日を増すほどに大きく成長し、雪の山が成長するほどに、雪かきの運動量が増すのです。

今年は大雪ですから、公園の雪の山も、まだ1月の初めだというのに例年よりも大きなものになってきています。

雪かき運動は上腕の筋肉と脚の筋肉を使います。
公園の雪の山をスノーダンプを押して登る時は、バランスを保つために腹筋なども使います。
雪かき運動はほとんど全身運動ですので、体力・筋力の増強には最適です。
雪かきは冬場の日課のようになっていますから、一定期間継続して行う運動です。

この、継続して行うというところが、体力づくりに適しているところだと思います。

2012/01/06

由紀さおりさんの歌が海外で大ブレイク

日本の女性歌手なら、私は、しばたはつみとか大橋純子とか渡辺真知子とか(敬称略)が好きです。
声量があってリズム感があって、メリハリの利いた歌い方が好きなのです。


歌唱力と、その歌の内容でジンとくるのは浅川マキとか、ちあきなおみです。
この2人が、それぞれ歌っている「朝日のあたる家」には、聴く度に感動してしまいます。

由紀さおりさんの澄んだ歌声と癒し系の丸顔も好きです。
由紀さおりの歌は、童謡からポピュラーまで、うっとりと聴かせるものがあります。

その由紀さおりさんが、最近、海外で高い人気を得ているらしいのです。
由紀さおりさんの最新アルバムが、アメリカのネット音楽販売iTunesジャズ部門で1位を獲得したというニュースが流れました。

アメリカのジャズオーケストラ、ピンク・マルティーニと共演したそのアルバム『1969』が、カナダやギリシャ、シンガポールなどでヒットしているとのこと。

このニュースには驚きました。
あの、日本の童謡を歌わせたら姉の安田祥子とともに類を見ない日本の歌手、由紀さおりが日本以外の世界でブレイクとは。

冒頭にあげた、私の好きな歌手達は、力のこもった声量を持っていて、海外の歌手達のそれに近づいていると思います。

ブレンダ・リーの爆発するような歌い方。
ホイットニー・ヒューストンのダイナミックでパワフルな声量。
ダイナ・ワシントンの心の叫びのような歌声。
ジョーン・バエズのメッセージ性。

彼女らほどではないにしても、彼女らのパワフルな歌い方を志向しているのでは、と思います。
ド素人の私が言うのも何ですが・・・。

由紀さおりさんの歌い方は、極めて日本の童謡的です。
彼女は、海外の歌い手の歌い方とは離れた位置で、彼女独特の唱い方をしているように思われます。

丸い癒し顔に細く柔和な目と、それから発せられる日本的な癒し微笑み。

由紀さおりさん独特の日本的な歌唱力とエキゾチックな癒し微笑みが、海外ブレイクの大きな原因になっていると私は思います。

2012/01/05

新年の初山スキーは冬山入門コースへ

スキー場の裏山コース

新雪の深さは膝下ぐらい
新年の初スキーは、2日に近郊のスキー場で「足慣らし滑り」を楽しみました。
昨日(4日)はそのスキー場の裏山へ、初雪山山行です。
この裏山は、頂上の標高が553メートルで、スタート地点の、クルマを駐車した場所の標高は255メートルぐらいです。
標高差約300メートルのミニ雪山山行といったところです。
このコースを私は勝手に「冬山入門コース」と呼んでいます。
この裏山コースには、冬山の大まかな要素がコンパクトにまとめられていると思うからです。

2012/01/03

新年の挨拶

年賀状には「謹賀新年」とか「迎春」とか「賀正」とかを新年の挨拶として書き入れます。

そういう形式には、ほとんど抵抗が無いのですが、家の者や近所の人に「あけましておめでとうございます」と言うのには、なんだか気恥ずかしい思いがあります。

私は、60歳になっても新年の挨拶は、なかなかちゃんと言えません。
私は周囲の人達に、新年の挨拶もちゃんと出来ない大人だと思われていることでしょう。

年が明けても、「おはようございます」や「こんにちは」で済ませることにしているのです。

子どもが産まれたり、就職が決まったり、病気が治って退院したり、家を新築したりというような、そういう状況の人には「おめでとうございます」とスムーズに言葉が出るのですが、「あけましておめでとうございます」はなかなか言えません。

その人の社会的な評価は、挨拶をちゃんと言えるかどうかでも決まります。
社会的な評価は、形式や外見を重んじますからね。

どうして「あけましておめでとう」が言えないのか。
それは、そんなことを思っていないからです。
私は、なぜ明けましたらおめでたいのか、と思っているから「あけましておめでとう」が言えないのです。

昔は、明けない年もあったのだろうか・・・。

「良い年でありますように」とは思っています。
「今年は良い年でありますように」とは痛切にそう思っています。

ですから、新年の挨拶として「今年は良い年でありますように」と言ったりします。

毎年毎年「あけましておめでとう」の、通り一遍の挨拶では飽きてきませんか、と知人に言ったら、そういう平凡な言葉がけが日常生活には大事なのだと言ってました。

私もそれには意義はございません。
「とうとう新しい年になったねぇ、今年はいい年になったら良いね」ぐらいの平凡さがちょうど良いです。

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